3-7
穴倉から出ると、夜のはずなのに、炎が空を灯していた。
山頂が唸りをあげ、熱を帯びた岩石を宙へ吐き散らす。
「火山……」
童話の世界に、地の底に溜まった高熱の岩を吹き出す描写がある。噴火と呼ばれる現象。
再三聞こえてきた轟音は火山石が落下する音だった。少し離れたところでは
火山石は地面へ叩きつけられた瞬間、一気に冷却されてジュゥと鈍い音を立てる。
寒さと暑さが混沌とし、俺は暑さで汗を拭いながら全身が身震いした。
「まさかグレイシアなんて大層なことは言わねえよな」
目の前にはナッシュが道着姿で立ち尽くしている。
そしてもう一人。初めて見る人の形をした何かが立っていた。青白い冷気をまとい、無表情のままナッシュを直視する。正確には表情があるのかはっきりしない。
人の形をしていても人と同じパーツというわけではなかった。
「やっとミツケタ」
しゃべった。
口も見当たらないが確かに言葉を発する。細く消え入りそうな冷たい声。
「俺はお前なんか知らねえけどな」
ナッシュは物怖じひとつしない。ドスの効いた低い声で唸るように威嚇する。首や手首の関節を鳴らし、敵意をむき出しにした。
「コワす。コワしてボクのセカイをツクル。コオリのセカイ。グレイシア」
人の言葉を発せど会話は成り立たなかった。思想があるのか、本能的なものなのか。いずれにせよ不気味さだけが恐怖を煽ってくる。
「まあ何でも良いや。要は敵なんだろ。焼き尽くしても文句は言われねえよな」
空気の層を一枚隔てて熱気と冷気がぶつかり合う。
ナッシュが拳を握ると、熱気が力強さを増し、グレイシアの冷気を押し込む。火山石の落下などお互い眼中にない。絶対的な世界を双方が構築していた。
「ユイナに飛ぶよう頼んで怪我させちまった責任を取らなきゃならねえんだ。悪りいけど容赦はしねえ」
地面を砕く一歩でグレイシアとの間合いを詰める。戦闘開始の合図などない。先手必勝。燃え上がる右拳がグレイシアの顎を捉えた。間髪入れずに横っ腹へ回し蹴り。岩を擦りながらグレイシアが吹き飛ぶ。
「あー痛えな。殴っただけで拳が切れちまったじゃねえか!」
拳から血が滴るも、気にも留めず再びグレイシアへ接近。倒れ込んだところを容赦なく踏みつける。
「ッ」
グレイシアから息が詰まったみたいな声が漏れる。衝撃で砕けた岩だか氷だが分からない欠片が飛び散り、ナッシュの頬を掠める。
炎力だけではない。ナッシュは単純な格闘にも長けていた。
「おいおいおい。悲鳴をあげようとしてんじゃねえよ。こちとら義理人情で生きてんだ。留め刺すのをためらっちまうだろうが」
頭部を踏みつけ、岩肌へ擦り付ける。容赦など微塵もない。
「お……抵抗するね」
踏みつけるナッシュの足に冷気がまとわりつく。と同時に瞬時に凍りついた。ナッシュは同様ひとつ見せず、右脚に炎を宿すと、氷塊がすぐに溶けてなくなる。能力とは対照的に冷静な対処だった。
「残念だが壊れるのはお前の方だったなグレイシア」
右足に体重を乗せると、グレイシアの頭部が粉々に砕け散った。が、すぐに首元から再び氷がまとわりつく。
今度は進行が早い。脚から腰、胸部と氷がナッシュの身体を覆っていく。
「ナッシュ!」
心配など無用だった。
「俺を凍らそうなんてふざけんのも大概にしろや!」
顔まで氷が覆ったところでナッシュの全身から炎が吹き出す。
「
咆哮と共に炎の柱が天へ突き刺さる。初めて会った時にユイナを助けた火柱と同じ。しかし威力は段違い。一点集中することで火力を増大させた。
グレイシアは融解を通り越して蒸発。急激な温度差で蒸気となって白い煙がナッシュを覆い尽くした。
「意外とあっけなかったな……ん?」
違和感はすぐに訪れた。蒸気が不自然に留まり、凝固し始める。
「しつけえな」
凝固した蒸気が氷の
「固形物のくせに自在じゃねえか」
炎をまとうも瞬間的な加熱では溶かすには至らず、氷の礫がナッシュの肌を削る。ユイナの肩を掠めたのもおそらくはこの形状。
「ナッシュ! 加勢する!」
「うるせえ! 黙ってすっこんでろ! お前なんて入ってきたら一瞬にして八つ裂きだろうが!」
力みすぎて舌を食いちぎりそう。
グレイシアは溶けては凝固し、ナッシュへ襲いかかるのを繰り返した。
「これでユイナを傷つけたのか。痛えじゃねえか。何してくれてんだよ!」
ナッシュをまとう炎が広がり、周囲が火の海と化す。俺すらも巻き添えにし兼ねない。細かな礫ではナッシュに至るまでに溶けてしまう。
今度こそグレイシアは跡形もなくなった。
「てこずらせやがって……」
呼吸を乱し、肩で息をする。さすがのナッシュにも疲労に色が見えた。
「ナッシュすごいな。本気で死ぬかと思った」
「ち、生きてたのかナル」
冗談を冗談で返すだけの余裕は残っていた。口端を片側だけ持ち上げ、歪んだ笑みを浮かべる。ナッシュらしい悪人面。
「しかし本当にしつこい奴だったな。まだ山が冷気で凍ってやがる」
グレイシアの気配はないものの、冷たい風が吹き抜ける。いつの間にか噴火もおさまり、静けさが辺りを包み込んでいた。
なぜだろう。嫌な感じが消えない。辺りは未だに冷気が漂っている。雲に覆われた夜空は星も見えず、視界も悪い。
ズボンが七部丈のせいか、足元が冷える。足首から脛を通り、太ももが氷を当てがっているみたいだ。否、氷に包まれているような感覚。
包まれてる?
「ナル!」
ナッシュが俺を呼びかけた時には、俺の体は全く動かなくなっていた。冷たいを通り越して痛い。痛いのを通り越して感覚が麻痺する。
「あ、え……」
口もまともに動かない。
俺は一瞬にして氷漬けとなっていた。
ナッシュが自慢の炎で溶かそうとするも、俺を覆う氷塊は微動だにしない。視界は火の海みたいに燃え盛っているのに、俺の周りだけが固く閉ざされた氷の世界。
呼吸もうまくできない。まばたきもできない。
視覚とは無関係に意識が遠のき、今度は暖いような錯覚に陥る。
やばい。これ、死ぬやつだ。
まぶたすら下ろせない氷塊の中で、俺の視界はホワイトアウトした。
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