3-6
殺風景な岩肌だったとしても、山を登るというのは新鮮だった。
エボルトにも山はあるが、そこは火の民が領土にしている。地の民が無断に入るのは良しとされない。
「まあ俺は許可をとっても煙たがられるけどな」
ふと先ほどのおさげ少女の笑顔が脳裏をよぎる。分け隔てない良い笑顔だった。やっぱりどことなく昔のユイナに似ている気がする。
こんなことを言ったら幼女好きと勘違いされそうだ。マンタやユイナはそういう奴だ。ことがあればはやし立てる。
「確かこの辺りだな」
村を出て山頂へ向かう途中にナッシュの寝ぐらがある。夕日が岩肌を焼け石みたいに赤くし、どこかナッシュを連想させる。
大小様々な岩で形成され、ほとんど景色の見分けなどつかないが、突出している大岩がナッシュの住処の目印。
「あ、いた」
ナッシュはその大岩の上で仰向けになって寝転んでいた。
ほとんど突起のない岩にしがみつきながら、滑り落ちないようによじ登る。
「こんなところで格好つけて黄昏てんのか」
「あ? 違えよ。俺の視界に入るんじゃねえ」
開口一番で喧嘩腰。しかし言葉とは裏腹に表情は変えず、空を眺めたままこちらには目もくれない。まさに眼中にないと言った表情。
やはり俺はこの男が嫌いだ。腹が立ったからあえて覗き込むようにナッシュの視界に入ると、こめかみを筋張らせて露骨に苛ついた。右の手の平に炎が宿ったため、これ以上はからかうのをやめる。
だがナッシュがイラつく理由を、俺は不覚にも共感してしまった。
ナッシュの視線の先を追うと、そこには俺が久しく求めた光景が広がる。
「ユイナが飛んでるの久々に見た気がする」
「あ? さっきも飛んでただろ」
戦闘を除いて。と付け加えるのを面倒だからやめた。ユイナは基本俺の前では飛ばない。幼少期に遡る話などしてもナッシュには無関係。興味もないだろう。
「俺が頼んだんだよ。あいつが風の民のことで意味不明な謝罪をしてくるから飛んだらチャラにしてやるってな」
「風の民を相手にずいぶんと簡単な要求だな」
「元々あいつに何も望んでなんかいねえ。どうしたら感謝の意を表せるかってしつこかったんだ」
俺はあぐらをかいて空を見上げた。空は相変わらず灰色雲に覆われているが、夕日が透けて雲を茜色に染め上げる。
他には何もない。ユイナだけがほとんど点にしか見えない高度で空を自由に飛び回っていた。
「ナッシュにセンチメンタルは似合わないな」
「うるせえよ」
「器が小さい。あと使命感とかに駆られて意外と真面目」
「っ、お前。それどこで聞いた?」
「長老が話してくれた。四回くらい」
「おしゃべりくそじじいめ」
夕焼けが眩しいのか、ナッシュは眉根を寄せて目を細めた。相変わらず悪人面だが、表情はどこか穏やか。穏やかなナッシュは気味が悪かった。
「おいナル。お前とユイナはどんな間柄なんだ」
「どんなって幼なじみだけど」
「マンタ野郎とは?」
「幼じみだけど」
ナッシュは小さなため息をつき、それ以上は何も聞かなかった。マンタに野郎をつけることに対しては特に気にならなかったが、今度俺もそう呼んでみようと密かに気に入った。
乾燥した空気と相まって、無機質な岩が尻を冷やす。日が沈んだせいか、肌寒い風が吹き抜ける。
「寒くなってきたな。とっとと村へ戻って泊めてくれるところでも探せ」
「炎使いのくせに寒いとかあるの? むしろ袖なしの道着なんて薄着だから寒いんだろ」
エボルトの里を出てからは夜でも比較的過ごしやすかった分、肌寒さを覚える。
しかしせっかくユイナが気持ちよさそうに飛んでいるところへ水を差すのは気が引ける。ただでさえ俺の前では飛んでくれないだけに、今はユイナを眺めていたかった。
あぐらをかいた足を組み直し、再び空を見上げる。その瞬間だった。
「え……?」
尖った何かが高速でユイナを掠めた。
「ユイナ!」
と、俺が叫んだ時にはユイナはだらんとした体制で地上を目がけて頭から落下していた。慌てて立ち上がるも、寝転んでいたはずのナッシュが俺より早く一目散に駆け出していた。
人鳥獣の姿はない。そもそもユイナを襲った何かは目で捉えきれないほどの速さ。
ナッシュは転げ落ちる危険を顧みず、跳ねるように岩山を下った。冷静さを欠いているのか、何度も蹴躓きそうになる。脚の筋力で無理やり岩を踏み込んで強引に体制を整える。
最後は足から滑り込み、落下するユイナを間一髪抱え込んだ。
俺も少し遅れて落下地点へ到着。
「ユイナ! 大丈夫か!」
「……また助けられたね」
「右肩、えぐれてるじゃねえか」
「大丈夫、掠っただけだから」
言葉を漏らすたび、悲痛に顔を歪める。肩口の白布がすでに赤く滲んでいた。対照的に夕日は完全に沈み、岩山に夜が訪れる。
「くそ、視界が悪りい」
日の当たらない岩山の気温は見る見る下がり、ユイナの呼吸も荒くなる。今までに経験したことのない冷気が俺の身体を締め付けた。
「なんだこれ。岩山の夜ってこんなに寒いのか。ユイナ、大丈夫か?」
「おいナル。ユイナを連れて俺の寝ぐらにいろ」
「なんだよいきなり。人鳥獣の親玉でも出てくるのか?」
「そんな今夜のおかずにもなりゃしねえ雑魚じゃねえ。足元を見ろ」
「足元? あ、え……?」
無機質な岩肌を薄く透明な冷気が覆う。
「これ……氷?」
見渡すと岩山全体が氷山のごとく凝結していた。
「ナル、お前はワールドクリエイターの話を信じるタイプか?」
「……なったら面白いと思ってる」
「奇遇だな」
動く気も失せる寒さだったはずの周囲が熱を帯びていく。熱の発信源はナッシュ。身体から火の粉にも似た熱気が立ち上る。
「雑魚の出る幕じゃねえ」
両手に抱えたユイナとは目も合わせず、腕の感覚だけで降ろして俺へ預ける。
ナッシュの瞳はすでに何かを捉えていた。ぎょろっと目を見開き、瞬きひとつぜずに空を睨みつける。
「ユイナを連れて行ったらすぐに戻ってくる」
「戻ってこなくていい。邪魔だ」
「舐めんな」と言おうとした刹那、暑いのか寒いのかも分からない状況で俺の全身が硬直した。
常に不機嫌な口調が再び「来なくていい」と思っていることだけを告げる。獲物から決して目を離さないナッシュの集中力に思わず息が詰まった。
「俺があいつをぶっ殺す」
ナッシュは熱を爆発的に放出し、推進力で宙へ飛び出した。立っていた大岩がひび割れ、激しく音を立てて決壊する。飛行には決して及ばぬも、同等の力を持つ跳躍。
闇夜に赤黒い閃光が抜けた瞬間、巨大な爆発が巻き起こる。夜とは思えないまばゆい光が岩山を照らした。
「これがナッシュの本気……」
ほとんど災害レベル。気候が安定しているエボルトではお目にかかれない。それこそ童話の中の現象。
「ユイナ。待ってろ」
俺は左手の袖を破くと、ユイナの肩口へ巻いて応急処置をした。傷口に触れるたびに悲痛に表情を歪めるユイナだが、今は気など使わない。
呼吸が浅く、目も少し虚ろ。俺はほとんど担ぐような格好でユイナへ肩を貸し、ナッシュの寝ぐらへ向かった。
簡素なわらの寝床へユイナを寝かすと、俺は傍に山積みされている薪を組んで火を起こした。寒いが乾燥しているお陰で、たやすく薪から火が立ち上がる。
「やっぱりナルに隠れて空を飛んだからバチが当たったね……」
「意味が分かんね。その気遣い本当に無駄だから」
「あはは、ナルは非道いね。優しくない」
笑って強がるユイナが俺は嫌いだった。女のくせに痛いのを我慢しても利益などない。
外からは破裂するような轟音が引っ切りなし響き、ここまで振動が伝わる。穴倉が揺れるたびに、ユイナの顔が痛みで歪む。
「俺はもう行く。ユイナはここから出るな」
「やっぱりナルは優しくないね。女の子を一人にするなんて」
「うるせえ。自覚してるよ」
「嬉しかった。ここまでナルが来てくれて。みんな食べられちゃったから」
くしゃりと笑顔を浮かべるユイナに「あほか」と鼻で笑い、俺は穴倉の出口へ足早に歩いた。エボルトで止めた時には頑として聞かなかったくせに本当に我がまま。
「ユイナを守るのは俺だっつーの。美味しいとこ持ってかれてたまるか」
俺は背中の鞘から剣を取り出すと、鞘を投げ捨てて少しでも身軽さを追求した。正直なところ、俺がどうこうできるレベルを遥かに超えている。
「また自由に飛び回れる世界に俺がしてやる」
それでも俺の足は戦場へ赴くことに躊躇うことはなかった。欲するものを譲る気はさらさらない。
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