3-4
「じゃあねっ。長老はおんなじ話を三回するから二回目からは聞かなくて大丈夫だよっ」
少女は本人を目の前にしてあっけらかんと悪口を添えた。手を挙げながら「じゃあねー」と元気に走り去っていく。
簡素な造りのテント内へ入ると、中は石の置物や石壺がところ狭しと並べられられている。民族的な習わしなのか、長老の趣味かは分からない。独特の煙たさが鼻に付くが、不快な感じはしなかった。
「すまんの、村の者が無礼を働いて」
「いえ、こちらこそナッシュさんに危険なところを助けて頂いて本当に感謝しています」
ユイナは背筋を伸ばしたまま腰を折った。この辺りがエボルトの里でも種族に分け隔てなく好かれるゆえんだ。
少し腰の曲がった長老はユイナの真摯な振る舞いに気を良くしたのか、大層に蓄えた白い顎ひげを撫でて笑った。
「あの、つかぬ事お伺いしますが、この村には以前にも風の民が訪れたのでしょうか」
「うむ、君ももしや風の民かな」
「はい、エボルトの里から参りました。突然の訪問と無礼をお許しください」
「構わんよ。この村にはそんな堅苦しい規律などありゃせん。ましてやこんなべっぴんさんの訪問なら大歓迎じゃ」
俺とマンタはユイナに質問を任せ、この村では初めて見た木造りの椅子に座って長老の話に耳を傾けた。
「あれはちょうど二十年ほど前の話じゃな。ユイナ君じゃったか、君と同じ薄青色の瞳を持った種族がこの村を訪れた」
長老は背もたれに体を預け、ゆっくりと息を吐く。
「珍しくナッシュも幼いながらに村へ足しげく通ってのう。風の民と交流を深めておった」
あの性悪男が? と口に出そうなのを懸命に堪える。
「特にナッシュは風の民が空を飛ぶ姿をえらく気に入っておった。気象にすら抗える男には自分にない能力が新鮮だったのじゃろう。彼女らの飛行を飽きもせず眺めておったよ」
「あの性悪男が……」
今度は思わず言葉が漏れてしまった。幸い長老は気にしていない様子。もしかしたら耳が遠いのかもしれない。
「しかしの」
「あまり戦闘向きではない種族なのじゃろう。この地に生息する人鳥獣に襲われたんじゃ。ナッシュが助けに向かったが間に合わんかった」
「それって」
「捕食されたんじゃ。自然の摂理とは言えあまり気持ちの良い光景ではなかったのぉ」
背中を預けた椅子がギィと軋み、外で子供が無邪気に遊ぶ声が遠くで聞こえる。来たばかりだが長閑で平和な印象の村だけあって、人鳥獣の脅威は別世界の話に思えた。それだけ村民の戦闘能力は高いのだろう。
「他人にはあまり干渉しない男じゃがユイナ君を助けたのはナッシュなりの罪滅ぼしなのかもしれん」
ユイナは背筋を伸ばしたまま瞬きもせず長老の話を聞いていた。薄青色の瞳が長老を直視し、真摯に事実を受け入れる。しかし、
「気に入らない」
俺の口から無意識のうちに本音が溢れた。
「性格悪いくせに罪の意識を持って人助けなんてしてるのが気に入らない。性悪なら性悪らしくヒールを貫けってんだよ。人助けだの村の英雄だのナッシュには似合わない」
やってしまった。
村の長老を目の前に英雄を愚弄するなど、争いに発展しかねない。しかも相手は火の民よりも強力な炎を扱う種族。
長老が皺の弛みで垂れ下がったまぶたをしきりに上下させる。マンタが焦りながら「早く謝りな」と俺の頭を無理やりに押し倒した。
ユイナはすでに腰を折って頭を下げていた。さすがに今回は本音とは言え失言とも思った。が、
「ふぁっふぁっふぁ。まさかナッシュに対してこんな悪口を言えるものがおるとは。痛快じゃっ」
長老は歯の抜けた口を開いて大笑いした。
「ナッシュはの、村の英雄じゃ。それはこれからもきっと変わらん。どんな時も村を脅威から守ってくれた。じゃがな」
白く長い眉の奥に潜む眼光が妙な迫力を醸し出す。
「あやつの心はまだ幼い。成人しとるとはいえ責任や期待を背負い込むには若すぎるんじゃ。もっと自由であるべきなんじゃ」
長老の重いまぶたが再び下がると、しばし目を閉じて押し黙った。
「ナルと言ったな。おぬしはワールドクリエイターを知っておるか?」
「知ってるけど。ほら」
「これは一巻か。また珍しいものを持っておるの。二巻を読んだことは?」
「ナッシュに読ませてもらった。まだ途中だけど。ナッシュもそうだけどこの村の連中はワールドクリエイターのことを預言書みたいに扱ってない? ワールドクリエイターってただの童話じゃないの?」
「童話じゃよ。わしも小さい頃にじいちゃんに読み聞かせてもらったもんじゃ」
じいさんがじいさんに読み聞かせているところを想像してしまい、状況を弁えず吹き出しそうになる。
「おぬしはワールドクリエイターを信じておらぬか?」
「信じるっていうか、そうなったら面白いとは思ってる」
「面白いか……。これはまたずいぶんと危険な思想じゃな。さすがナッシュの悪口を言うだけあるわい」
「ごちゃごちゃ回りくどいぞじじい。まだ同じことを二度話してないからって調子に乗るな。だからじじいは嫌いなんだ」
今度の暴言に反省などない。一度やらかしてしまえばあとは強気なもんだ。その証拠にマンタもユイナも諦めたように目を閉じて天を仰いでいる。俺と同じ「どうとでもなれ」という気持ちなのだろう。
幸いなことに長老は暴言を吐く度に上機嫌になる。長老だけあって寛大なのかもしれない。あるいはマゾヒストか。構わず話を続けている。
「ワールドクリエイターは世界が辿る物語と言い伝えられとる。そして一巻の役目はもう終えたともわしはじいさんに教えてもらった」
「一巻ってアルが世界を作って生き物を住まわせたところまでだよね?」
「そうじゃ。わしは二巻より先の話は知らん。しかし物語には必ず終わりがある。それがどんな結末なのか……」
「じじい。話が飛躍し過ぎなんだけど。俺はナッシュのことを聞きに来たんだ」
「ワールドクリエイターの二巻はまだ読みえていないと言っておったな。ここで読んでいくか?」
「……だからじじいは嫌いなんだ。いつだって回りくどい」
悪態を付くも、長老の淀みのない口調から何か意味があることくらいは理解出来る。長老は本棚から、角が寄れた本を一冊取り出すと「ほれ」と挑発的に俺へ差し出した。
素直に受け取るのが癪で、受け取るのを少々ためらう。しかし再び「ほれ」と顔の前へ突き出され、俺は渋々ワールドクリエイターの二巻を受け取った。
俺の持っている一巻や、ナッシュが持っている二巻よりもさらにボロボロで、油断したら簡単にページが破けそう。
「じっくりと読むと良い」
言われなくても。心の中で呟く。
本を開いてしまえば後は長老の存在など気にならない。俺は卓に肘を乗せて読書に集中する体制に入った。
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