3-2

翌朝、数刻ほど歩いたところで俺たちはひとつの核心にたどり着いた。

「これ……」

「ああ、間違いない」

 樹林帯を抜けると、見慣れた草原が途切れ、一変して無骨な岩場が広がっていた。

「ここが崖の向こう側」

 西の崖と同じ。不自然な草原の切れ目。人の大きさほどの岩が連なり、巨大な山となっている。

「これって火山ってやつ?」

「分からない。山はエボルトにもあるけどこんなゴツゴツはしてないし」

 岩山に草木は全く生えておらず、カラッとした風が肌を撫でる。エボルトの里には当然こんな景色はない。

 全てはワールドクリエイターの受け売り。活字の中で想像した世界。

「やっぱり世界はどこまでも広がってるんだな」

「やけに楽しそうだねナル。ワクワクしちゃってるの?」

「決まってるだろ。マンタはビビってるのか?」

「当然でしょ」

 緊張のせいか、マンタの額にじわりと汗が滲む。強張った表情だが口端をあげてニィと笑みを零した。

「まああんまり気持ちの良い気候ではないしな」

 無機的な景色は緊張感を煽る。獣や竜がいる気配はないが、風に煽られて礫が転げ落ちるだけで過敏に反応した。

 空気が乾燥しているせいで、樹林の中と風の冷たさが違う。灰色の雲に覆われて、太陽の光がかすかに透けるていどのすっきりしない天気。一歩を躊躇う殺伐とした雰囲気を醸し出していた。無意識に周りへ気を配る。

 すると、

「うわぁぁ!」

 警戒心を煽る悲鳴が唐突に響き渡った。

「ナル、戦闘準備」

「分かってる」

 マンタがおもむろに鞘から刀を抜く。俺も背負った柄に手をかけて辺りを見回した。

 悲鳴はかなり遠い。

 まだ視覚では捉えられない。どこからか響く悲鳴に耳を澄ます。瓦礫が落ちる音、風が抜ける音。かすかに漏れるマンタの息遣い。まだ変化はない。無音に戻る。

 そして再び悲鳴が岩山に響き渡った。聴覚を研ぎ澄まし、方向を定める。

「あそこだ!」

 先に発見したのはマンタ。視線の先を追うと、灰色の雲に覆われた空に飛行する複数のシルエットを捉えた。

「あれは調査隊?」

 見たことのある身なり。軽さを重視した皮の鎧をまとい、調査隊のリーダーがおののいた表情で必死に逃げ惑っていた。

 そしてもうひとつ。調査隊のリーダーを追走する影。

「あれは、鳥獣……?」

 とは少し違う。羽毛もなく、全身が筋張った体躯。翼を除けば人に近い形をしている。だが爪や牙は獣のそれと同じ。狩りを目的とした進化を遂げている。呼び名など分からない。人鳥獣という言葉にせめて括られるのだろうか。

「やめろぉぉ!」

 喉が張り裂けそうな叫び声が岩山に木霊する。恐怖がここまで伝わる。

 人鳥獣は機動力に優れ、旋回も風の民と遜色ない。反応も早く、隊長が遮二無二放ったかまいたちをいとも簡単に躱してみせる。

 隊長は抵抗虚しく追いつかれると、鋭い爪で背中を引き裂かれた。再び「ぎゃぁぁ」と獣みたいな悲鳴をあげる。

 一撃の殺傷能力は竜に劣るも、捕食に至る力は十分。バランスを崩した隊長へ追い討ちの牙が首筋に突き刺さる。

 そんな光景が空のそこらかしこで繰り広げられていた。調査隊の連中が人鳥獣に追い回され、逃げ惑っている。

「ユイナは⁈」

 俺は眼をしきりに動かし、反射的にユイナを探した。考えたくもない隊長と同じ末路が勝手に脳裏をよぎる。

「っ! いた!」

 視界の端で捉えた影に焦点を合わせる。

 ユイナは持ち前の滑翔で人鳥獣の追随を許さなかったが、集団に追われる不利な状況。加えて仲間が食い殺されるのを見殺しにして、逃げるという選択ができずにいた。

 助けに向かうも、単調なかまいたちや突風は人鳥獣を捉えられない。気がつくと人鳥獣が四方八方からユイナを取り囲む。

「ユイナ! こっちに降りてこい! 降りてくれば俺がぶった斬ってやる!」

 しかし俺の声はユイナには届かない。浮遊しながらせめて一斉攻撃を避けようと身構えている。

 不幸にも時間を稼げば稼ぐほど調査隊を食い潰した人鳥獣が数を増やし、逃げる隙間を見る見る塞いだ。

「マンタいくぞ!」

 俺は足場の岩山を跳ねるように駈けた。接地部分が少なく足をとられて転びそうになる。思い通りに走れないのが煩わしい。苛立ちが焦りを生み、小石ごときにもつんのめった。マンタにまで命令口調で「落ち着け!」と叫ばれる始末。ユイナの窮地に冷静でいられるはずがない。理不尽にマンタへ苛立ちぶけたくなった。

 その刹那、

「え……?」

 突如、火柱が天へ向かって立ち登った。

 巨木など比較にならない太い火柱は一瞬にして人鳥獣の群れをユイナごと覆う。近づくことさえ拒む熱風がここまで吹き荒れた。

「なにこれ……」

 こんな業火は見たことがない。あんなに勇んでいた足がいつの間にか止まり、呆然と火柱を見上げる。周りでは火の粉が風に舞い、揺らめきながら消えていく。

 数秒の火柱は次第に弱まり、細い線となって最後には消えて無くなった。

 人鳥獣が無残に落下し、岩肌に叩きつけられる。

「ユイナ!」

 そんな中、ユイナだけは浮遊を続けていた。

 俺はユイナの真下、すなわち火柱の発信源へ再び走り出した。足場の悪い岩山は相変わらず逸る俺を邪魔し、無機質に転がっている。またマンタが「だから落ち着きなって」と神経を逆撫でするように諭してくる。しかも俺を追い越した。

 むきになって走り、ようやく火柱の発信源に辿りつく。

「っ……誰かいる」

 目をやると、一人の男が立ち尽くしていた。無意識に右手が剣の柄を握る。いつでも動けるよう腰を落として恐る恐る近づいた。

「お前は誰だ?」

 袖のない紺色の道着をまとい、二の腕を露わにした好戦的な衣服。筋肉質だが身のこなしは軽そうな均衡の取れた体型。

 目尻が上がった獣のような鋭い目つきがこちらを向く。

「なんだお前ら。どっから来たんだよ」

 がなった喉声の男は足元に転がった人鳥獣を蹴り除けると、眉間に皺を寄せた。

「エボルバの里って知ってるか?」

「ああ、随分と久しく聞いたなその名前。よそもんか。別になんでも良いけどな。弱えくせにうろちょろすんな。死にてえのか?」

 逆立てた赤黒色の髪を掻き上げると、俺たちには興味無さそうに大きなため息を漏らした。かなり高圧的な態度だが、とりあえずは敵というわけではなさそうだ。

 しかしいかんせん好意を抱くにはほど遠い第一印象だった。

「まあお前らなんかどうでもいいわ。あからさまに弱そうだし……それより」

 男が言葉尻を切り、上を向く。

「ユイナ!」

 人鳥獣に囲まれていたユイナがゆっくりと降りてきて、ストンと岩の上へ着地する。純白だった長衣はところどころ破け、安全な調査ではなかったことを物語っている。

「ユイナ! 大丈夫か⁈ 怪我はしてないか⁈」

「うるせえから少し黙ってろ」

 俺がユイナへ駆け寄ろうとすると、男は俺を制するように手を挙げた。

「お前、風の民か?」

「……うん」

「何しにここにきた?」

「調査。私たちの里に竜が襲ってきたから」

 ユイナは高圧的な男に対しても物怖じせず、凛とした態度で答える。窮地を救ってくれた恩人であっても、ユイナは警戒心を解かなかった。

「この前の地震の後にここにも竜が押し寄せてきた。まあ恐ろしいよほど弱っちい生き物だったな。あれは」

 男は腕を組んで呆れるように吐き捨てた。いちいち言葉の選択が勘に触る。しかしユイナは男の態度に腹をたてることもなく、表情を変えずに面と向かっていた。

「助けてくれてありがとう」

 ユイナは腰を折って頭を下げた。男は少し驚いたように目を丸くし「大したことじゃねえ」とぶっきらぼうに呟く。かすかに視線が揺れ、ユイナもそこでようやく警戒心を解いた。

「ユイナ、怪我はないか」

 俺は話の折を見計らってユイナへ近寄った。岩山にしろこの炎野郎にしろ、ことごとく俺の行動を妨げる。ユイナとの数日ぶりの再会がやけに待ち遠しく感じた。

「ナル、来たんだ。マンタも」

 何から話せば良いのか頭の中で整理できずにいたが、ユイナが安心したようにはにかんだのを見て、緊張感が緩まる。が、ユイナはそうでもなかった。

「でも私以外のメンバーは……」

 言葉を濁すユイナ。

「仕方ないよ。気持ちは分かるけどユイナのせいじゃない。その気持ちだけあれば彼らがユイナを責めたりはしない」

 マンタが心中を察するように柔和な笑みを浮かべる。ユイナは「うん」と俯き加減で頷くと、小さく洟を啜った。

 複雑な心境だった。俺とてユイナの心中は察する。しかしマンタとは感情が決定的に違う。俺はユイナを調査隊へ選抜するような連中に情が移ることはない。心が小さいかも知れないがユイナにも気を病んで欲しくないとすら思った。

「気にするなって方が無理だろうけど気にするな。お前にもやらなきゃいけないことがあるだろ。調査隊の一員」

 それが言葉として口から吐き出される。

「うん。私は生きてるから私の目で見たことは里の皆んなに伝えなきゃだよね」

 ユイナは俺の言葉に同調した。俺は非情にもその振る舞いを嬉しく思った。

 仲間の死を尊んでも感傷には浸らない澄んだ瞳は、ある意味で非道とも言える。本質は揺るがないが、それでも岩山のどこかで骸となっている同胞へ黙祷を捧げた。

 真摯的な態度は俺とユイナの決定的な違いだった。

「マンタ。ナルは迷惑かけなかった?」

「かけてねえよ」

「いや、かけてるでしょ」

「いつだよ」

「今日だって朝起きたら僕の顔にいたずらしてたじゃないか」

「あれは創作だ。マンタだってまんざらでもなかっただろ。僕って可愛い? とかつぶらな瞳で聞かれた時はさすがに引いたよ。今後の創作意欲を削がれた」

「創作じゃなくて捏造でしょ!」

 半ば諦めた様子でマンタががっくりと肩を落とす。一方でユイナが俺へ湿った視線を送る。これで良い。下らないやり取りを続けることで、ユイナの表情が和らげばこの無意味なやり取りは成功。

 マンタが必死にユイナへ弁解する姿は滑稽だった。ユイナが「わかってるから大丈夫」と流し気味に答えると「本当に違うんだって!」と余計に誤解を招く熱弁が続く。

 しかし当たり前だが俺たちのやり取りに苛立つ者が一名いた。

「おい、いつまでふざけてんだ。燃やされてえのか?」

「そう言えばまだ名前も聞いてなかったな。悪い、忘れてた」

「……ナッシュだ」

 ナッシュはこめかみを筋張らせて歯ぎしりをした。ユイナに「恩人にその言い草はよしなよ」と注意され、ナッシュの怒りは上手く沈められる。ユイナも共犯のくせにと思ったが言葉にするのはやめた。

 ナッシュは硬派な印象から異性との会話に慣れていないように見える。

「この近くにお前が暮らしてる場所はあるのか? お前以外に人はいるのか?」

「お前お前うっせえんだよ。ナッシュだって言ってんだろ……。山を半分くらい登ったところに集落がある。俺の住処は別だけどな」

 ナッシュは不機嫌そうに眉根を寄せ、ことあるごとに俺を睨みつけた。

「ナッシュって、炎の神と同じ名前じゃん。随分と大層な名前だな」

「うるせえな。てめえには関係ねえだろ。黒焦げにされてえのか?」

「ナッシュは火の民なのか? 集落の連中もみんな炎を操れるのか?」

「好奇心旺盛なクソガキか? 面倒くせえ野郎だな。答える義務はねえ。だがお前らの連れにも炎を操れる奴がいたが、あんなくそっカスな能力の連中は村に一人もいねえ。用が済んだらとっとと帰れ。お前らみたいな弱小種族が来るところじゃねえ。地殻変動で世界そのものが変わり始めてんだ。このままじゃワールドクリエイターと同じ物語を辿っちまう」

「お前、ワールドクリエイターを知ってるのか⁈」

「ナッシュだって言ってんだろ。本気で燃やすぞ。てめえもワールドクリエイターを知ってるのか」

 胸元に入れた本を取り出すと、ナッシュへ見せる。

「俺が持ってるのと違うな。これは上巻か?」

「え? ならナッシュは何を持ってるんだよ」

「二巻」

 俺とマンタとユイナは丸くし、互いを見合わせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る