2-4

「はぁはぁ……」

 西の崖へ向かう林道を全力で走る。呼吸は乱れるが、不思議と心地良い。真正面の西日が傾き、林道を茜色に染めた。

 胸に痞えていた物が取れた気がし、自然と口元は緩んで笑いがこみ上げる。

 早く行動したい。里は一大事だというのに妙に高揚した。

「もうすぐだ」

 崖の手前の荒野が見えると、マンタがいち早く俺に気がつき、目を丸くして駆け寄ってきた。

「どうしたのナル。血相かえて何があったのさ」

「マンタ、俺らも行こう。崖の向こうへ」

 目を丸くしていたマンタの目がさらに見開く。同時に口も半開きになった。

「何を言ってるんだ。僕らにはその権利がないんだ」

「権利なんか関係ない。行きたいか行きたくないかだろ。それに俺らに元々権利なんて大層なものを与えられてたか?」

「……ぷっ。あはは、ナルらしいね!」

 マンタはひと呼吸置いてから、腹を抱えて笑った。

「さっきはユイナに置いてかれて泣きそうな顔してたくせにどんな気の代わりよう?」

「そんな顔はしてねえし」

 マンタが過剰に体を捩らせて笑うものだから、とてつもなく恥ずかしいことを言っている気になる。

「でもどうやって調査隊を追いかけるのさ? ナルが言った通り僕らは地の民。この崖を飛んでいくことはできない」

「簡単だ。風の民を何人か脅して無理やりおぶってもらう」

「無茶苦茶だね。ナルらしいを通り越して規律に反してるじゃん。でもまあそれ以外ないか。結局は風の民の力は必須だし」

「いざとなったら俺が飛ぶ」

「……え?」

「お前が言ったんだろ。俺には風の民の血が半分流れてるって」

「言ったけど……。え? 本当に?」

 俺は疼く背中に神経を張り巡らせた。まだ俺が物心もつく前、幼少期の記憶をさかのぼる。地の民とか、風の民とか、種族などに縛られていなかった頃のこと。

 きっと何も考えずになんでもできると根拠もなく確信していた。

「ナル?」

 マンタが不安そうに見つめている。俺はマンタへ目配せし、ニィと含み笑いを浮かべた。

「はぁぁぁぁ!」

 背中を丸めて咆哮する。走ってここまできたが疲れは感じず、全身に力がこもる。背中に翼がある感覚。釣り上げられるように浮遊。あとは自由自在に空へ。明確なイメージを具現化させる。できる。と思った。しかし、

「あ……やっぱ飛べねえな」

「え⁈ 今のくだりは何だったの⁈」

 マンタの目が飛び出そうなくらいぎょろっと見開く。

「いや、俺もマンタに言われて飛べるかもってその気になったんだけど無理だった。やたらと背中が疼くし意外と本気でいけると思ってたわ」

 怒りを通り越して呆れたのか、マンタは悟ったみたいに目を細めて無表情になる。沈みかけの夕日が虚しく俺とマンタを照らし、影法師がどんどん伸びていった。

「別に俺が飛べなくても問題ない。本来の予定は風の民の拉致だ」

 不信感をむき出しにした湿っぽい視線を送るマンタだが、申し訳ないことにあまり気にはならなかった。

 正直なところ、言葉通り割とその気だった。結果的には当然飛べないのだが、悲観することもなければ未だに不可能とも思っていない。

 不思議な感覚だった。常人なら頭がおかしくなったと思うだろう。

「マンタはここで見張りを続けてくれ。俺が風の民の集落へ潜入して数人かっぱらってくる」

「え? ナル一人で行くの?」

「マンタが勝手に居なくなったら怪しいだろ」

 露骨に不安な表情を浮かべるが、頑とした俺の態度にすぐ「分かった」と頷いた。

「なんか、今日のナルはアルみたいだね」

「アル?」

「ワールドクリエイター。あ、でもどちらかと言うとワールドクラッシャーかな? 型破りと言うか非常識というか」

「褒めてないだろ」

 坊主頭を鷲掴みにしようとしたら、首を傾げて簡単に避けられる。無造作に腹を殴ろうしても、これも片手で往なされた。

 こんな時までマンタは無傷にこだわる。地震が起きてバランスを崩して転べばいいと割と本気で思った。

「あ、地震」

「こけろ」

 お誂え向きの地震。最近は地震が頻繁だったため、願わくばと思ったがまさか本当に揺れるとは。だがさすがに些細な揺れでマンタが転ぶはずもない。

 マンタも気にせず「絶対に無茶はしないでよ」と会話を進めようとする。しかし、

「……長いな」

「っていうか大きくない?」

 思ってる以上に揺れは治らず、それどころか激しくなる。地鳴りまで聞こえ、見張りの連中もざわつき始めた。

「やばくない?」

 危機感が全身を強張らせ、自然と中腰になって体制を維持する。激しい縦揺れは地面に押しつけられるほど強力。

「……まさか」

「おい! そっちは冗談抜きで危ねえって!」

 マンタは激しい縦揺れの中、一目散に崖っぷちへ走り出した。俺はマンタを呼び止めようとしたが、揺れに足を取られ、バランスを崩して膝をつく。

 マンタも危険なことは重々承知で、普段のような直立ではなく重心を後ろへ傾けながら慎重に断崖を覗き込んだ。

「マンタ! いきなりどうしたんだよ! 早く戻ってこい!」

「ナル! これからナルの親父さんのところへ行ってくる!」

「何でそうなるんだ⁈」

「刀を取ってくる!」

「まさかまた襲来か⁈」

「分からない! でももう迷ってる暇はない! 崖を覗いてみて!」

 マンタは止まることなく俺を横切り、説明半分で一目散に走り去った。未だ縦揺れは続き、歩くので精一杯。

 断崖の淵に立つなど自殺行為に等しいが、マンタの血相をかえた表情はただ事ではない。俺も転落だけはすまいと重心を常に後ろへ保って崖を覗き込んだ。

「……嘘だろ」

 俺は自分の目を疑った。

「断崖がせり上がってくる……」

 いつもは底など見えないはずの谷が、沈む夕日に照らされる。草の生えた地面が赤く染まり、燃え盛っているかと見間違えた。

 ちょうど今立っている崖っぷちの不自然な芝生と色合いが一致する。

 見張りの幾人かが取り乱して「至急報告だ!」と叫んだ。いち早くこの場から離れたマンタだが目的は報告などではないだろう。

「出発だ」

 俺なんかよりもずっと見切りが早い。先見の明も備わっているとはどれだけ目が良いのか。

 ワールドクリエイターで読んだことのある。大陸が移動するという現象。童話みたいな夢に溢れた現象なのかもしれないが今はどうでもいい。

「くっついちまった……」

 一面が燃え上がるような赤。

 断崖とせり上がった谷底が重なり、そこには大草原が広がる。

 初めて見る光景。世界。

「別に非常識でも構わねえや」

 血が滾る。竜と初めて出くわした時と比較にならないほど全身が力んで疼く。恐怖はない。

「ワールドクラッシャー……。良い響きじゃん」

 たまに自分の行動原理が分からなくなる。

 断崖がせり上がるなど異常も異常。直感的に里の危機を想像させるほどの現象だ。しかし俺が抱く感情はそんな後ろ向きなものではない。

 もっと単純な好奇心。大した理由すらない。この先に何があるのだろう。未知の生物が押し寄せてくるのだろうか。あるいは地殻変動すら些細に思える世界を揺るがす現象が起きるのか。

 俺はただこの先に何があるのか知りたいだけだった。

 ユイナを守りたい。

 名を上げたい。

 どれも間違ってはいないがピンともこない。大層な理由は周囲への建前でしかなかった。 

「マンタ、遅えよ」

「そんなことないでしょ……」

 マンタが全力で戻ってくるなり理不尽に罵る。

 身軽なマンタでも息を切らして膝に手をついた。十分に早いと思うが、俺の衝動はを渇望した。

「ナルの親父さんに挨拶してたんだ」

「そっか……。なんか言ってた?」

「俺もこれから剣の腕でも磨いてみようかなって。無理やりお酒を飲まされそうになったよ……。あと」

「あと?」

「人生なんていつ終わるか分からねえ。悔いなんて残してる暇はねえぞ。って」

「くそ親父。二度も同じこと言うな。そんなに大事なことか。ただの蛇足だろう」

 笑いが込み上げる。親父の戦場はこの先じゃない。狭くて薄汚い工房だ。

 では俺の戦場は?

 決まってる。

「行こうか。未知の道へ」

「今言うこと? そのダジャレ」

 マンタは苦笑すると、腰に下げた刀を抜いた。幾重にも塗り固められた血はきれいさっぱり拭い取られ、元の艶やかな刃を取り戻している。

「やっぱりマンタの刀は格好良いな」

「あげないからね」

「いらねえよ」

 ほとんど沈みかけた夕日が草原に一筋の細い光を刺す。

 風向きはお誂え向きの向かい風。早く進めとはやし立てる。

 俺も背中に下げた剣を抜くと、誰も踏み入れていない草原へ一歩を踏み出した。

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