2-3

家に帰ると、扉を開けてすぐの食卓は静まり返っていた。

「おやじー?」

 家全体に聞こえるように呼びかけても返事がない。

「あそこかな」

 俺は食卓から裏口へ抜ける廊下を歩き、工房へ向かった。

「親父いるか?」

 薄明るい工房を覗くと、石窯が存在感を示している。しかし今は火を焚いておらず、むしろ冷たい印象を与える。壁には自作の剣が数本飾ってあり、床には欠けた鉄の破片や金槌やらがずさんに転がっていた。

 親父はかなり古ぼけた木の丸椅子に座り、刀の刀身を紙きれみたいな砥石といしで研磨する最中だった。

「マンタの刀?」

「ああ」

 こちらに目を向けず光の反射具合を確認してはまた撫でるように擦る。そんな柔い動きで研磨できているのだろうか。疑問に思うほど地味な作業。

 規則的な擦過音が工房内に響く。

 普段のおちゃらけた雰囲気とは違い、目つきも鋭い。仕事中はいつもこんなだ。露骨に話しかけづらい雰囲気を放つ。母さんは親父の仕事する姿に惚れたのだろうか。

「調査隊にユイナちゃんも参加するんだってな」

「ああ」

 工房の隅で立ち尽くしていると、親父の方から話しかけてきた。相変わらず視線は刀に向けられている。

「ユイナちゃんを見てると、あいつの若い時を思い出すよ」

 俺は母親の記憶がほとんどない。それこそ顔も思い出せず、思い出そうとすると靄がかかったみたいにおぼろげだった。

「ナルが生まれる前にもな、調査隊が結成されたことがあったんだ。つっても今回みたいな非常事態じゃなく、試作的なもんでな。その時にあいつも調査隊に選ばれた」

 初耳だった。親父は食事の時などによく母さんの話をしてくれる。しかしそのほとんどが惚気。どう口説いたか、どんな交際をしたか。自慢話を幾度となく聞かされた。

 作業を止めずに丁寧に刀身を研磨するが、口が止まることもない。その口調はいつもより重く、淡々としている。

「俺は断固拒否したんだがな。あいつは正義感も強くて選ばれた責務を果たすって。強情な奴だったよ」

 強情なところや正義感の強いところは確かにユイナと重なる部分がある。が、俺はこの話の落ちがすでに読めていた。

「母さんは調査から帰ってきたんだな」

 俺がここにいるのが何よりの証拠。すなわちユイナもちゃんと帰ってくる。ようやく親父が俺を安心させるためにこの話題を持ち出したのだと理解した。と思った。

「あいつは調査には出てねえよ」

「え……」

「俺があいつを連れて風の里を逃げ出したんだ」

 油を染み込ませた綿で刀身を叩き、また別の砥石を持ち出して撫でるように磨く。刀身が鏡と見紛うくらいくっきりと親父の顔を映し出し、薄明かりを反射させた。切れ味のみを追求した刃先はこの工房よりも冷たく、そして厳か。

「俺は剣の腕も立たないし、格闘に長けてるわけでもねえ。武力であいつを守ってやることはできなかった」

「なんで今さらそんな話をするんだよ」

「馬鹿か? 武勇伝ならともかく息子に逃亡したなんて恥ずかしい話できるか」

「くそ親父」

「お陰で俺は風の民からすげえ嫌われたぜ」

 布で鉄の残りかすを拭き取り、最後に光沢を確認する。納得がいかないのか、首を傾げてもう一度同じ作業を繰り返す。二度仕上げの作業を繰り返してようやく鞘へ刀を収めた。

「まあ結局、調査隊は誰一人として帰って来なかったけどな」

「え?」

 工房から音が消える。

 親父は猫背でだらんと椅子に座ったまま、ようやく俺の方へ視線を向けた。何も言っていないのに、何かを問いかける。そんな瞳。

「ナル、お前は武闘派だ」

「だから何だよ」

「だったら力でねじ伏せろってんだ。ビビりが」

 親父が嘲るような失笑を漏らす。

 別に臆したわけではない。なのに強烈な後悔が俺の胸を締め付けた。

「だせえな俺」

 なぜ調査隊と出くわした時に、俺は志願しなかったのか。俺は飛べないから調査には行けない。なぜそう決めつけていたのか。

「ナルは超だせえ。本当に俺の息子なのかと疑うくらいだせえ」

 遠慮なく煽る親父。腹も立つがそれ以上に今は背中のあたりが疼くし痒い。

「男なら逃げようが闘おうが命を張りやがれ馬鹿野郎」

 結局の話、武勇伝なんだろうが。くそ親父。

「偉大なる親父からの助言だ。これだけは聞いておけ」

 もう十分だが親父はまだ格好つけたいらしい。黙って聞いていたせいか調子に乗せてしまった。

「人生なんていつ終わるか分からねえ。悔いなんて残してる暇はねえぞ」

 蛇足だ。ひとつ手前の言葉でやめておいた方が潔い。

 親父は立ち上がると、鞘に収めた刀を置き台に乗せた。頭に巻いたタオルをほどきながら工房から出て行く。どうせ「決まった」とか思っているに違いない。

 親父のいない工房は無機質だが、汚れた炭バサミやスコップが職人の道具っぽくて妙に格好良く見える。親父の思うつぼだ。

「行こう」

 俺は工房を飛び出すと、家のどこかにいる親父へ「行ってくる!」と雑に叫んで扉を勢いよく開けた。


 真っ先に俺が向かったのは巨大樹の根元だった。

「あ、どうしたのナル。こんな時間に」

 普通の家ならばすでに夕食時だが、エミは未だに治癒に駆り出されていた。きりが良いのか、ゆったりとした袖口で額の汗を拭ってこちらへ寄ってくる。

「ひょっとしてユイナのこと? やっぱり嫌だよね。調査隊なんて何が起こるか分からないし」

「エミはさ、ワールドクリエイター好き?」

「どうしたの急に」

 俺は半ば食い気味にエミの言葉を遮った。

 本来であれば労いの言葉をかけてやりたいところだが、今は居ても立ってもいられない衝動のが強かった。

「エミは西の崖の向こうに行ってみたいとか思う?」

 申し訳ないが「試す」という表現が当てはまる。この先を共に歩めるか。

 俺はもう決めている。無茶をすると。

「私はワールドクリエイターはあんまり好きじゃないかも。なんか少し怖い。ドキドキしてどんどん読めちゃうっていうのはあるけど」

「そっか」

 エミは唐突な俺の質問にも丁寧に答えたが、さすがに少し表情が固い。

「何かあったの?」

「いや、エミはエミだからそのままで良いと思う」

「あ、ナルがワールドクリエイターが好きだからってナルの考えてることが嫌だとか思ってないよ。私にはちょっと刺激が強いかなって」

「何の言い訳だよ。俺もエミが嫌な奴だとは思ってない」

「なんか試されてるみたい。今日のナルは少し変かも」

「かもな」

 エミは口をへの字に曲げて、仏頂面を浮かべた。少し休んだお陰か、汗が引いて切りそろえられた前髪が夜風になびく。

「なんかお別れの挨拶をしに来たみたい」

 勘が良いのか。あるいは偶然か。俺は表情を変えずに「かもな」と適当な口調で言う。

 きっと価値観が違う人間とは一緒にいるべきではない。エミとは昔からの友人。本当なら一緒にいたい。

 あと、マンタにも申し訳ないと言いたい。

「なあエミ」

「なに?」

「……何でもない」

「あ、ずるい。思わせぶり」

「じゃあな。頑張れよ」

「あ、えっと。じゃあね」

 エミは目を丸くし、流されるがままその場に立ち尽くした。きっと俺が何しに来たのかも分からないだろう。

 自分でも唐突すぎる訪問に、平常ではないとつくづく思う。自虐的な苦笑が漏れるも、どうしてか恥ずかしさも、罪悪感もなかった。

 人の価値観とか、誰かが決めた価値観とかは今はどうでもよかった。

 エミに別れを告げると、今度は来た道を逆走して本来の目的地へ全力で走った。

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