2-2
月に一度の討伐が行われる断崖を訪れると、襲来に備えて見張りが立てられていた。今まではきっかり月に一度だった法則が崩されたからだ。風、火、水からは二名ずつ。地の民からは八名。
その中にマンタの姿もあった。
「見張りに志願したんだな」
「……」
「どうした?」
マンタは断崖の淵で谷底を見つめ、険しい表情を浮かべていた。
「まさかまた……」
俺は反射的に谷底を覗き見る。いつもと変わらぬ光の届かぬ底なしの闇。巨大トカゲがよじ登ってくる気配もなかった。
「崖の向こうへ調査隊を派遣するんだって」
マンタはぽつりと独り言みたいに呟いた。相変わらず谷底を見つめ、私憤に耐えるような反抗的な目をしている。
「それって俺らも行けるの?」
「行けるわけないだろって。お前はどうやって崖を渡るんだって馬鹿にされた」
まるで俺に言われてるみたいだった。
「調査隊は当然、風の民で構成される。その中に火と水の民も数名参加するみたい」
「舐められたもんだな」
「そうだね」
俺はマンタの横に立つと、肩幅に足を広げて同じような体制をとった。
「悔しくないのか?」
「悔しいに決まってるじゃん。結局、竜へ致命傷を与えることができなかった。僕は削るだけで精一杯」
「それも立派な役目だろ。俺ら地の民のさ」
西の断崖は今日も風が強い。どこかの岩に反響し、無感情に吹き抜ける。戦闘でところどころ破れたマンタの衣服がひらひらと風になびいた。
土汚れのせいでみすぼらしい感もあるが、失礼ながらマンタのストイックな性格には似合っている。
「ナルは自分のことを地の民って言うんだね」
「なんでだよ。どう見たって地の民だろ」
「だってナルのお母さんは風の民じゃん。だから半分は風の民でしょ」
「まあ……なんだろうな。まず飛べねえし。さすがに飛べないのに風の民はないだろ」
「そっか」
「それにうちは風の民からすげえ嫌われてるしな。親父のせいで」
「あれ? 火と水の民にも嫌われてるでしょ? でもその親父さんのお陰でナルがいるんだけどね」
「親父と同じこと言うなよ」
マンタは苦笑すると、目元の傷あとを掻いて笑い涙を拭った。目元の傷は討伐で負ったものではなく、小さい頃に負ったものだ。
全く痛みはないらしいが跡だけは残ってしまったらしい。エミに「治してあげる」と言われたが、マンタはそれも頑なに拒んだ。後生大事にされると胸のあたりがやきもきする。
ふと先ほどエミが不特定多数の男を治癒する姿を思い出した。
「あ、地震」
「ここに来るとよく揺れるな」
「きっとナルに恨みがあるんだよ」
「マンタにの間違いだろ。笑い転げてそのまま転落しろ」
坊主頭を鷲掴みにすると、ものすごい勢いで嫌がる。それこそ暴れ過ぎて転落しそうだ。
「こんなに他の連中がいたんじゃ落ち着いて読書もできねえわ」
「ワールドクリエイター? ナルは本当に好きだよね」
胸元から古ぼけた本を取り出し、パラパラと捲ってからまた仕舞う。ここで読めなくとも読書などどこでもできる。
むしろ読書など大した理由ではなかった。
俺の場所。
俺らの場所を土足で踏み入られた気分。
見張り番の連中を一瞥し、小さなため息を漏らした。
「帰るわ。見張り番よろしくな」
「うん」
「そう言えばエミが探してたぞ。マンタは怪我してないかって」
「無傷って伝えておいて」
「もう伝えたよ。伝えた上で言ってんだ」
「そっか」
マンタの口元が綻ぶ。なぜか見ていてぶっ飛ばしたくなったが、改めてじゃれ合うのも面倒だった。
俺は断崖へ背を向けると「じゃあまた」と言うマンタの声にひらひらと手を振った。
他種族からの視線をどことなく感じながら、舐められないようにあえて表情を強張らせる。
社交的な親父と違い、だいぶ尖って育ったものだと我ながら失笑する。結局のところ、俺も他種族を疎むのにあまり違いはなかった。
人は理不尽に自分を棚にあげるのだ。
「なんか格好わりい」
他種族からの視線も遠ざかると、俺は姿勢を崩して気だるい歩調に変わった。両側が雑木林の土路を蹴るように歩く。
まっすぐ行けば地の民の集落。全種族の中で西の崖からは一番近い。
「家で読んでると親父がうるさいし。どこにするか」
行くあてが見つからず、自身の行動範囲の少なさを嘆く。本当なら巨大樹を登りたいし、行きたいところはあるのだが、俺が他種族の領地に入ると色々と面倒臭い。俺一人なら疎まれようが一向に構わない。しかしユイナたちへ皺寄せがいくのはさすがに気が引けた。
「しがらみって面倒だな」
そう吐き捨てると、進行方向から十数名がぞろぞろと歩いてくるのが見えた。俺はまた表情を作り、胸を張って見栄も張った。
「やっぱ他人には舐められたくないからな」
性根はそう簡単に直るものではない。
すれ違いざま。あえて視線は交わさない。前だけは向く。
しかし気にしてない風を装って通り過ぎようとした瞬間、横目に飛び込んだ人物のせいで俺は首ごと視線を向けてしまった。
「ユイナ? こんな団体でどうしたんだよ」
俺の一声でユイナを引き止めたせいか、団体全員まで立ち止まった。ユイナは俺の問いには答えず、薄青色の瞳を泳がせ、どこか罰が悪そうに俯いた。
「俺たちは全ての里を代表して結成された調査隊だ。これから断崖の向こう側を調査する任務につく」
先頭にいたリーダー格らしき男が、高圧的な口調で俺を直視する。太い眉にぎょろっとした大きな目。硬い喋り方から生真面目な性格だと伺える。俺の苦手なタイプ。
だが今はそんなことはどうでもよかった。
「おい、ユイナも調査隊の一員なのか?」
周りを見ると、ユイナ以外は全員が男。しかも成人の。明らかに一人浮いている。
「ユイナを危険な目に合わせようとしてんじゃねえ」
俺はリーダー格の男に詰め寄り、せめて胸ぐらを掴むのだけは堪えて睨みつけた。
「ユイナは風の民で随一の飛行速度を持っている。今回の調査には未知な点が多い。万が一の事態に陥った時、必ずユイナの飛行能力が役に立つ」
「風の民は女の子を未知の危険に晒すのかって聞いてんだよ」
「選抜メンバーは族長会議での決定事項だ。俺の意思ではない」
「殺す」
「ナルやめて」
俺の拳に力が篭った瞬間、ユイナが間に入って俺を睨みつけた。
「私は大丈夫だから」
ユイナは瞬きひとつせず、薄青色の瞳を俺へ向け続けた。気遣いの笑みも浮かべなければ、心配をされた嬉しさも表情に出さない。
長い金髪を後ろで束ね、いつも以上に凛とした雰囲気を醸し出す。
有無を言わさない。そんな表情だった。
「分かった。死んだら殺すからな」
「うん、良いよ。ナルらしいね」
ようやくユイナの口元が微かに綻ぶ。
口元が綻んでぶっ飛ばしたいと思うのはマンタだけではなかった、ユイナですら例外なく引っ叩いてやりたい。
嬉しい感情が歪んでるんだよ。
再びぞろぞろと歩き出す集団を眺め、俺はその場で立ち尽くした。ユイナがこちらを振り向くことはなく、長丈の白衣が歩くたびにはためいている。それを遠巻きから眺めるだけ。
出発前に断崖の見張り役と少しばかりの会話するが、その中にマンタの姿もあった。何を話しているかは分からない。
最後に種族の垣根を越えて握手を交わすと、薄雲がかかりすっきりしない天気の中を調査隊が一斉に飛び立った。
あっという間に豆粒みたいに小さくなる調査隊の群れ。
「ユイナの飛行能力は必ず役に立つ……か」
調査隊が完全に見えなくなると、俺は土道の地面を思い切り蹴飛ばした。もう誰が向かいから来ても姿勢を正すのは面倒だったが、結局家に帰るまでに誰かとすれ違うことはなかった。
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