ワールドクラッシャー

2-1

 アルは想像することを続けました。真っ白な世界が怖かったからです。

「僕は自由だ」

 想像すればなんでもできる。空も、海も、大地も作れる。生き物をたくさん散りばめて、欲を持たせる。

 欲は争いを生み、自然と姿形を変えていく。

 生き残るために必死になった。

 アルは競争を見るのが好きでした。

 とても刺激的で胸のあたりがドクドクする。

 何もない世界だということを忘れられました。

 しかし、

「やっぱり真っ白だ」

 まぶたを上げると、たくさん想像した世界が一瞬にして元に戻ってしまいました。

「もう一回」

 また目を閉じて、再びたくさんの想像を膨らませます。

 今度は世界を作るだけでなく、時間という概念を作りました。時間は歴史を作り、欲とは違う感情を生み出しました。

 血の繋がり、同族との絆。

 隣のモノと触れ合い、熱を感じる。

 もしかしたらアルは、そんな抽象的なものが欲しかったのかもしれません。

「僕も欲しい」

 想像の中には、熱はありませんでした。

「想像だけじゃ嫌だ」

 アルは再びまぶたを上げると、何もない真っ白な世界へ指を差し、思いっきり振り回しました。

 もう想像することをやめにしました。

 そしてアルは創造することにしたのです。


 

 緊急討伐から二日が経過した。

 里へ攻められることは防いだものの、被害は甚大。多くの犠牲を払った。

 俺は風の民が集落を構える巨大樹の根元で、ぼんやりと治療の現場を眺めていた。

「エミの奴、ずっと治癒しっぱなしじゃん」

 巨大樹の根元は他種族が暮らす集落のちょうど中心にある。中立の場所として討伐隊の会議や族長たちの会合などで使われる。交易などもここで行われた。

 根元に食堂や会合できる建物を設け、外は広い原っぱになっている。今は急遽の寝床が仮設され、緊急討伐で負傷した者の治療の最中である。

「ねえナル、マンタ見なかった?」

 主に治療を施しているのはエミ。俺やマンタとは小さい頃からの付き合いで、討伐の時は主に援護の役割を果たす。

 ひと段落したのか、遠巻きの切り株に座っている俺のところへ話しかけにきた。

「今日は見てないな」

「そっか。大丈夫かな」

「本人は無傷だって言ったけど。エミの方こそずっと治癒能力を使いっぱなしで大丈夫かよ」

 俺は切り株から立ち上がると、エミに座るよう目で指示した。

 エミが控えめに「うん」と細い声で頷き、腰を下ろす。上質の絹で繕われた衣服が切り株をふわりと覆い、慎ましく背筋を伸ばして座った。

「みんな命がけで戦場に立ってるんだから私も頑張らないと。それに今回は重傷の人がすごく多いし」

 俯き加減の視線で艶のある黒髪が表情を隠す。

「本当にマンタは無傷だった?」

「俺の見る限りはね」

「そっか……」

 事実を告げてもどこか落ち着かない。それはマンタがエミの治癒を頑なに拒むからに他ならない。本人が必要ないと主張するのだ。無傷だから言っていることは正しい。

 しかし友人に対する態度としてはあまり気持ちの良いものではなかった。かと言ってマンタがエミの好意を嫌がっているわけでもない。

 俺はそれを知っている。

「エミは血とか傷口とか苦手だもんな」

「それはそうだけど……」

 色白の顔がいつにも増して白く見える。一昨日からほぼぶっ通しで怪我人の治癒にあたり、疲労も溜まっているはず。ましてや今まで見た血液の総量をこの二日で上回っただろう。

 精神的にも相当こたえる。

「大丈夫。私にしかできないことだから。こう言ったら失礼かもしれないけど嬉しい」

 口端を持ち上げ、にこりと笑う。

「そうだ。ナルも傷見せて。今直してあげる」

 エミはすくっと立ち上がると、俺の周囲をじろじろと見回した。

「うーん、腕が怪しいかな」

 エミは七分袖から見える手首に幾つかに切り傷に目を光らせる。察しの通り緊急討伐の時に飛竜にやられたものだ。

「たいしたことはない」

「駄目。またいつ襲われるか分からないし」

 エミは俺の袖を捲ると、手のひらを傷口へそえた。

「……」

 小声で何か呟いているが聞き取れない。エミの柔らかい手が傷に触れると、青白い光が腕周りを包み込む。

 一瞬染みるように痛むが、すぐに痛みは和らいでいく。お湯に浸かるみたいな心地良さを覚え、油断するといつまでもこうしていたくなる。

「……ふぅ。終わったよ……どう?」

 エミがゆっくり手を離すと傷口が綺麗さっぱり無くなった。

「うん。全然痛くない。ありがとう」

 俺はこれ見よがしに腕を叩きまくって完治をアピールした。やりすぎたせいか、少し腕が赤くなる。

 エミはほっと胸を撫で下ろし、切りそろえた前髪ごと額の汗を拭った。

「怪我したらちゃんと言ってね。みんなには内緒だけどナルたちは優先パスのつもりなんだから」

「それは確かに内緒だな。種族をあげて戦争になりかねない。エミは特別だからな」

「プレッシャーかけるなぁ……。よーし、頑張るぞ」

 ゆったりとした衣服のせいか、首の細さが際立った。華奢な背中は簡単に折れてしまいそうなほど儚いが、ピンと伸びた背筋には、強い意志が感じられる。

 エミは軽く手を振ると、仮設の寝床へ戻っていった。これからまた怪我人の治癒にあたる。

「マンタの奴、とっとと自分の想いくらい伝えろっちゅうの」

 エミには冗談交じりに「特別」とからかったが、本当に全種族を総じても特別な存在だ。

 地、風、火、水。どの種族をとっても治癒能力を持つ者は一人としていない。

 文字通り唯一無二の能力。

 だからどの種族もこぞってエミを抱き込もうとする。エミの能力を独占したいのだ。

 しかしエミはどの種族からの誘いも、丁重に断ってきた。多少なりの圧迫があっても決して屈しない。

 本人が無族を強く主張しているのだ。

 部の上層部では小汚いせめぎ合いがあるだろう。親父が風の民と結婚したのに加えて、エミと仲が良いせいで俺は他の種族からも多少なりにやっかまれている。おそらく全種族を通じて俺と親父がエボルトで一番嫌われ者だ。たぶん。

 だがエミの神秘的な雰囲気と慎ましい所作振る舞いは、種族の関係なく村民には分け隔てなく慕われた。

 俺よりも年下だが芯の通った性格は異性としての魅力もある。きっと恋心を抱く者もいるだろう。

「死んでからじゃ遅えからな」

 きっと今もどこかで刀を振るマンタへ発破をかける。

 エミは壁のない仮説テントの下で、またせっている怪我人に寄りそって治癒を始めた。

 負傷箇所に直接触れるため、端からはあまり良い光景とは言えない。女の子が男性の肌を直接撫でるのだ。

 好意を抱いている者からすれば心中穏やかではないだろう。

「エミはすげえな……」

 袖を捲り、傷のあった箇所を摩ってみる。やはり痛みはない。

 俺は健気に自分の責務を全うするエミに尊敬と別の感情を抱いた。

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