1-6
先陣を切るのはいつもマンタの役目だった。誰かが指示したわけではない。マンタが誰よりも早く心の準備ができるからだ。
「せやぁぁ!」
温和の声を力強く張り上げる。
マンタは他と比べて目が良い。動体視力、色彩感覚、遠近感。いずれも例外はない。
単調に噛みちぎりにくる竜の口を半身になって躱す。目と鼻の先にある顔へ刀の柄を打ち込み反動で体制を整えた。
竜は猛々しい雄叫びをあげ、顔を左右へ振って怒りを露わにする。
「一度噛まれたら死ぬね」
マンタのこめかみから汗が滴り、闇夜に飛び散る。しかしマンタは距離を取ろうとしない。危険の中に好機があることを知っていた。
それが無能のマンタが手柄を立ててきた戦闘スタイル。
体重を乗せた大胆な踏み込み。今日、初めて握ったとは思えない刀が滑らかに弧を描く。致命傷が必死の距離で竜の後足首を袈裟に斬りつける。否、斬り抜く。
人の胴ほどの太さを物ともせず、巨体がバランスを崩して地面へと倒れこんだ。
「やった……」
剣を握った拳に思わず力が入る。
竜は片足としっぽでもがきながら立ち上がろうとするが、体重を支えきれずにすぐまた倒れこむ。
大物を相手に脚を狙うのは定石だが、一歩間違えれば死に直結する。恐怖との葛藤を押しのけてなお、正常な身のこなしは口で言うより遥かに難しい。
戦闘が生活と直結するマンタだからこそ成せる業だった。
どんな獣だろうがマンタにとっては全てが餌でしかない。
「ナル、とどめを刺そう」
「え」
マンタがいつもと変わらない口調で残酷な言葉を吐く。
「腕力はナルの方が上だし、振り抜くだけなら太剣の方が良いよ。首をかっ斬ってやるんだ」
竜は未だに後脚でもがきながら地面へ這いつくばっている。頭部を地面に擦らせ、苛立ちを露わにしながら轟音で鳴き散らす。そのけたたましい咆哮だけで気圧されそうだった。
「早く始末しよう。エミも来るかもしれない。エミにこの光景はあんまり見せたくない」
マンタは竜の目へ刀を投げつけた。竜が再び断末魔にも似た金切り声を周囲へ巻き散らす。容赦など微塵もない。もう後には退けなかった。
「分かった。俺がやるよ」
俺はにじり寄り、竜が首を伸ばしても届かない距離を測る。慎重に。いつでもどこにでも躱せる体勢で。
「ぜあ!」
体重を乗せて首へ剣を振り下ろす。竜は息を詰まらせたみたいに呻いた。
一度では断ち斬れない。もう一度。そしてもう一度。
徐々に動きが鈍くなっていくのを見ながら、何度も同じ部位を斬りつける。首を撥(は)ねるにはなかなか至れない。しかしいつしか竜はぴくりとも動かなくなり、鳴くこともなくなった。
振り下ろした剣が肉を裂き、血を飛び散らせる鈍い音だけが響く。
「はぁはぁ……」
大した数も振っていない。にも関わらずえらく呼吸が乱れた。
「ナイス」
振り向くとマンタが力強く親指を立てた。
「マンタは本当に無茶するよ」
マンタが命中させた刀を竜の目から引き抜くと、マンタへ山なりに放った。
へたりこみそうな足腰に力を入れて歩み寄る。さすがにもう動く気にもなれなかった。
マンタの表情からも険しさが消え、実年齢よりも幼く見える童顔が屈託のない笑顔を見せる。と、思った。
「マンタ?」
無邪気に笑っていたはずのマンタの表情が険しくなっていく。険しいを通り越して唖然としていた。視線の焦点が明らかに俺ではない。その先、ちょうど俺がマンタを通り越して竜を発見した時と同じような目線。
「マンタ……?」
嫌な予感しかしなかった。
獣独特の異臭が夜風に乗って俺を通り抜ける。それなりの距離があるはずなのに息遣いが可視化できるくらい鮮明に耳へまとわりついた。
振り返ると、そこには先ほど倒した竜の二倍はあろうかという影。もはや童話の中の怪物でしかない。
「……さっきのは子供とでも言いたいのかよ」
巨大な影の周りには今しがた仕留めた大きさの竜が並列し、物欲しそうにこちらを見ている。腹をすかして夕食を待っている子供と同じ貪欲な目だった。
「マンタ……。やるの?」
「……やるしかないでしょ」
疲弊した心の柱が折れそうになる。さしものマンタですら「やばいでしょ」とほとんど呼吸と同じくらい自然に弱音を吐いた。
雲に覆われていた月が顔を出し、皮肉にも対峙する竜の顔を照らす。見上げるほどの巨体。先に倒したのは本当に子供だと見紛う。
俺はマンタの一歩前へにじり出ると、恐怖を吹き飛ばすように闇夜の空へ向かって叫んだ。
「行くぞ!」
今度は僕が先陣。
見栄や負けん気を通り越した。ただ戦闘本能に身を任せるしかない。無謀かどうかは関係なかった。
荒野に吹き荒ぶ追い風が気持ちを煽る。両手に剣を握り突進。走力よりも早い追い風が俺を追い越していく。
と、ほぼ同時だった。
「え……?」
かまいたちが竜の分厚い皮膚を切りきざむ。竜の大群がのたうち回るように暴れ、鼓膜を破らんばかりに鳴き叫んだ。
唐突過ぎるできごとに思考が停止する。
そこに意思はなく、ただの脊髄反射で後ろを振り返る。刹那、すれ違いざまに見慣れた顔が残像となって通り抜けた。
月明かりに照らされた金髪が闇夜によく映える。コマ送りみたいに彼女と目が合い、ようやく俺の思考がゆっくりながら回り始めた。
「ユイナ……」
ユイナだけではない。俺の周囲を向かい風のごとくすり抜ける軍勢。士気を高める猛々しい雄叫びが木霊し、ユイナを先陣に討伐隊が到着。風の民による空からの一斉攻撃が始まった。
最後の一人が通過する頃、俺の全身は脱力し、手からするりと剣が滑り落ちた。
マンタですら失笑を漏らし、片膝をついて座り込む。
「僕らはお役ご免かな」
情けなさがしこりとなって残るも、互いに安堵に満ちた視線を交わす。遠巻きから風の民が竜を囲う光景を眺め、マンタは刀を鞘へ納めた。
俺はその場で立ち尽くし、軍勢の中で最も早い影を目で追いかける。
「やっぱすごいんだな」
ユイナは俺と一緒にいる時は不必要に飛ばない。移動手段にすら使わない。こんな命懸けの戦場でしかユイナが空を舞う姿はお目にかかれなかった。
逃げ場のないかまいたちに、奈落へ突き落とす突風。空からの遠距離攻撃は圧倒的に優位。
しかしユイナはあえて近距離から繰り出すことで威力を倍増させた。
「あいつも無茶しやがって」
それでも竜が牙を剥くにはユイナにはえらく長い時間の流れだった。懐に潜りこみ竜の牙を強引に躱してみせる。
もう緊急討伐の結末は見えた。かに思えた。
「……なにあれ」
マンタの一声で崖の向こう側の空に視線を向ける。微かに見える豆粒みたいな点。
「こんな時に鳥獣まで……。一体なんなんだよ」
風の民にとってどんな強大な竜よりも、鳥獣の方が厄介。だが鳥獣なら俺やマンタでも十分戦える。疲弊しているとは言え、援護くらいなら。そう思った。
「ナル……。あれ鳥獣じゃないよ」
マンタは目が良い。
俺にはまだおぼろげにしか見えていない黒い点を、マンタはしっかりと捉えていた。そして見た上での反応は容易に読み取れるほど芳しくない。
目を凝らすと確かに翼はあれど鳥とは非なる形。
「飛竜……」
童話の中の世界。現実逃避にも似た例えが、目の前で具現化される。
目の前にいる竜ですら怪物紛いなのに飛翔能力までついたら俺ら無能など太刀打ちできる相手ではない。
風の民とて安全の保証はなくなる。
むしろ、
「この討伐……勝てるのか?」
地面へ落ちた剣を拾わなければ。だが思うように腰が曲がらない。ようやく拾った剣はやけに重たく、本当に自分のものかと疑った。
勝てるかなんてもはや誰にも分からない。だから、
「生き残る」
唐突に起きた討伐はかつて類を見ないほどの乱戦となり、夜が明けるまで続いた。
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