1-5
右腕に抱えた巨大トカゲの首が煩わしい。切断面から流れる黒ずんだ血液が布服に付着したまま固まっていた。
ぎょろりと飛び出しそうな目が硬直し、不気味にこちらを凝視する。
荒野から砂利混じりの土道に差し掛かり、明かりの灯る集落が見えてきた。中にはまだ夕食中の家もある。香ばしい匂いが漂ってくるが今は食を唆られることはない。
俺は集落の中央部にある家に戻ると、壊さんばかりに扉を開けた。
「親父!」
俺は居間のテーブルで茶を啜っている親父へ、有無も言わさず右腕に抱えた生首を放り投げた。
「ん? なんだこれ……おわっ! 気色わるっ! いや……これはもしかしたら新しい味覚の発見か? これどこで狩ってきたんだ?」
「呑気に料理意欲を沸かしてる場合じゃない! 西の崖からこいつの大群がよじ登ってきた!」
親父の目が細く鋭さを増した。抱えた生首を冷静に見回し、気色悪さなどためらわずに手のひらで感触を確かめる。
何か思うところがあるのだろうか。真剣な表情だが悠長に構えてる時間はえらくもどかしい。
「今はマンタが一人で応戦してる!」
たまらず口を挟む。
「俺は他の種族に知らせるから親父は村のみんなに知らせてくれ!」
「いや、報告は俺がする。ナルはマンタの援護に向かえ。だが応戦はするな。討伐隊が来るまで安全を確保しながら様子を伺え」
「あ、えっと……うん」
「友達を一人にしてやんな」
普段のおちゃらけた雰囲気はなく、声のトーンも低い。討伐や戦闘の判断に関しては俺のが発言権を持っているはずなのに、今だけは親父の命令に思わず頷いた。
「行け!」
最後は怒声にも似た一喝。神妙な親父の雰囲気に呆然としていた思考が一気に我へ返る。
俺は一分も経たないうちに扉を開けたまま断崖へとんぼ返りした。
「はぁはぁ……」
西の断崖へ戻ると、そこにはおぞましい光景が広がっていた。
「これ、マンタ一人でやったの?」
荒野に一人で佇むマンタの周りに、おびただしい数の屍が転がっていた。そのどれもが五体満足ではない。胴や首が切断された無残な姿。
使用感のあるくすんだ布地だったマンタの服に返り血が付着し、赤黒色に染まっている。
「大丈夫……無傷だから」
浅い呼吸を繰り返し、か細い声を漏らす。巨大トカゲの返り血のせいでマンタの言葉が事実なのかも疑わしい。
だらんとした姿勢で目の焦点が合っておらず、例え無傷であっても心身共に疲弊しているのは明らかだった。
「とにかく無事で良かった」
労いの意味を含めて軽く胸を小突いてみるが、痛がる様子はない。無事というのは嘘ではないようだ。
「ナルの親父さんが作った刀すごいね。最初は片刃に戸惑ったけど本当によく斬れるや」
何重にも塗り固められた刀の血痕を脇で拭き取る。細く薄い刀の形だからこそできる所作。
「もうすぐ討伐隊が迎えにくる。マンタ、これはすごい手柄だ。きっと連中もマンタの功績を認めるはずさ」
マンタは苦笑すると、刀を鞘に収めて照れ臭そうに頬の古傷を掻いた。少しずつ控えめなマンタの表情が戻ってくる。
「エミも来るはずだから癒してもらいな」
「だから無傷だって」
「心をだよ」
マンタが顔を赤くし、焦りながら叩いてくるのを簡単に躱す。足に力が入っていないのか、少しよろけて不機嫌そうに眉根を寄せた。
俺はケラケラと笑い、手を引っ張って起こしてやると、マンタはさらに不機嫌そうに湿っぽい視線を向けた。
生緩い風が吹き、先ほどまでは気にならなかった巨大トカゲの地肉の臭いが鼻につく。肉食動物には持ってこいの餌場だ。親父の手にかかればこの
いずれにせよこの屍の山を見ては、どんな美味だろうと俺とマンタはご免被る。
「あんまり見ていたくない光景だけど手柄の証明として討伐隊がくるまでこのままにしておこうか」
「そうだね」
改めて荒野を見渡す。
屍、屍、屍、影。闇夜の中で黒い塊となって転がっている。
また屍。屍、屍、屍、影…………影?
マンタを挟んで向こう側に、そこらかしこに転がる屍とは明らかに違う影が目に映った。
その瞬間、背中のあたりが凍りついたみたいぞわっとする。
人の何倍もある巨体。分厚い鱗の皮膚。太い尾っぽ。牙がむき出しの頭部。どこかで見たことのある体躯。否、どこかで聞いたことのある……それも違う。
「ワールドクリエイター……」
飽きるくらい読み込んでいる童話のイメージと一致した。
「ドラゴン……」
目を逸らすこともできず、生唾が喉を通る。
鳥獣の甲高い鳴き声とは真逆の胸に響く低い唸り声。足元に転がっている巨大トカゲの屍を無造作に食いちぎり、不快な音を立てて咀嚼する。まだ大きな塊であろう肉を忙しく飲み込むと、獲物を狩らんばかりにこちらを向いた。
「ナル……。殺ろう」
マンタは抜刀すると、大きく深呼吸した。柔和な垂れ目に再び殺意が帯びる。
「本気?」
「うん」
肉を削ぐだけでは殺せない。人の胴よりもはるかに太い首。断ち斬れるイメージは沸かなかった。
斬りつけたところで致命傷を与えられず、隙を見せたところであの顎と牙で噛み砕かれる。これまでの討伐とは全く受ける印象が違う。
狩られる側。
それが初見で俺が抱いた感想だった。
だが、
「行くよ」
足裏で地面を噛み、にじり寄る。マンタはまるで怯んでいない。いつでも動けるようにだろう。呼吸が浅い。
俺も背中に下げた剣を抜き、両手で構えた。
ー友達を一人にしてやんなー
親父の言葉がふと脳裏をよぎるが、そんな崇高な意思ではない。触発されただけ。そもそも応戦するなと親父に言われている。
それでもマンタは俺の大切な友達だ。大切な友達に負けたくないと思って何が悪い。 身勝手に震える全身に力を込めて、歯を食いしばる。
巨大トカゲに、童話に登場する
毎月の襲来との関係は分からない。それでもこの現状が俺ら人間に脅威をもたらすのは間違いない。
俺は討伐隊の一員。殺らない理由なんてなかった。
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