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「ただいま」

 家に着く頃には日も沈み、扉を開けると肉が煮える匂いがした。

「今日もデートか? 子供のくせに生意気だなー」

 親父は銅鍋をかき混ぜながら顔だけをこちらへ向けた。料理向きとは言えない長髪をバンダナで巻き、鼻歌を歌っている。

「別に俺から誘ったわけじゃないし。ユイナが勝手に来ただけだ。あと俺は子供ではない」

 俺は年季の入った木棚から白いボウル皿を二人分だけ取り出すと、木目調のテーブルへ並べた。

「俺が若い時はお前の母さんへ積極的にアプローチしたもんさ。それこそ風の民が暮らす巨大樹をよじ登ってな」

 親父が小皿によそったシチューを味見しながら「我ながら完璧っ」と目を瞑って唸る。筋肉質な背中は繊細さなど微塵もない。しかし料理に関しては鍛冶屋の仕事と同じくらい味付けにうるさい。男手ひとつで育てている割にはしっかりと俺の胃袋を掴んでいた。悔しいが料理の腕は俺も認める。

 しかしこと恋愛に関しては誇って良いものではない。

「親父が無茶したせいで我が家は肩身が狭いんだな」

「バカ言え。俺が無茶したからナルがいるんだろうが」

 俺はスプーンを置いて、親父のカップに並々と水を注いで溢れやすくした。息子に張り合う精神年齢の親父は周囲からもだいぶ変人扱いされている。

 現に風の民である俺の母と周囲の猛反対を押しのけて結婚。というより子供おれを作って駆け落ち。

 風の民から強烈にさげすまれた経緯を持つ。

 それでも世間からはみ出さずに暮らせるのは親父の鍛冶職人としての腕が本物だったから。炊事場に転がっている包丁は自作で、やたらと肉の切れ味が良い。

 俺も重宝している。

「よし、飯にするぞ」

 親父へ皿を渡すと、均等にふたつ分を盛り付けする。皿の縁についたシチューを布で拭き取ってから俺に返した。

「いただきます」

 向かい合わせに座り、親父に頭を下げてからスプーンを持つ。昔親父に殴られながら教育された礼儀だ。食べ物と料理人に感謝しろと。

 作るのは繊細でも食べるのは豪快。「美味しく食べなきゃ食事じゃない」がモットーらしく、汁物をかき込むように頬張る。俺が並々と注いだ水も溢す心配など一斉せずに飲み干した。

「そう言えばこの前の討伐でナルは活躍したそうじゃないか。村の連中が言ってたぞ」

「親父が作った剣の切れ味が良いからな」

「だろ⁈ あ、そう言えばナルに見せたいもんがあるんだ! 新作! 今持ってくるから驚け!」

「ご飯の後にしろよ」

「ごっそさん!」

 勢いよく音を立てて皿をテーブルへ置くと、親父はすぐに食卓から出て行った。ボウル皿の中を覗くとすでに空っぽ。呆れたため息をつく間も無く、工房の方でガラガラと物音が聞こえる。

 俺も皿に顔を近づけてシチューをかき込んでいると、今度はやかましい足音を立てて親父が戻ってきた。

「見ろこれ!」

「ん? なんだこれ。剣?」

 親父がテーブル越しに長細いさやを目の前に突き出した。

「刀って言うんだ。村の古書場こしょばで借りた本に載ってた」

 親父が鞘から刀身を抜くと、光を反射するくらい透明な刃が露わになる。不思議な形状で刃が片側にしかない。湾曲をしていて何よりも細い。

「こんなので切れんの? すぐ折れるでしょ」

「ナルおまっ! 俺の力作にケチつけるのか! 叩っ斬るぞ!」

 親父は自作の刀を両手で握りしめると、へっぴり腰で俺に刃を向けた。長髪にバンダナを巻き、二の腕をむき出しにした男らしさが台無しの構え。

「やんの?」

「やんねえよ!」

 俺が立ち上がると親父は声を裏返した。手の震えが刀に伝わり、切っ先がガタガタと情けない音を立てる。ちょっとイタズラが過ぎた。

 親父は地の民の中では数少ない非戦闘員。討伐の際に使う武器作りを生業にしている。ガタイは良いくせに剣の腕はからきしなのだ。

 俺は座り直すと、少し冷めたシチューをすくって口へ運んだ。

「みんな親父に感謝してるよ。俺たち無能が他種族と交流できるのは親父が作る武器のお陰だって」

 肉が固くなり、噛み切れずに咀嚼そしゃくを繰り返す。徐々に味が無くなり、無理やり飲み込んだ。親父は相変わらず軽い口調で「まじ? 俺のお陰? やっぱあいつに手を出したのが良かったかっ」と嫁を引き合いに出して高笑いする。

 風の民を嫁にしたのは負の要素でしかないが親父の名前を知らしめる良いきっかけではあった。

「ごちそうさま」

 決して広くはない食卓で無邪気に刀を振り回す親父をよそに、俺は親父の皿も炊事場へ持っていき、あらかじめ川で汲んだ水で皿をすすいだ。

 水の民であればこんな労を強いられることもない。

 俺や親父は地の民なんて種族に分類されるが要は無能。戦闘に役立つ能力も無ければ、衣食住を潤す能力もない。

 討伐でも最前線で活躍するのは火の民や風の民。俺たち地の民は残党狩りという仕事を担っている。

「ちょっと出かけてくる」

「あ? こんな時間にどこへ行くんだ」

「マンタのとこ。稽古してくる」

 まだ所々に傷が残っているが、討伐のことを思い出すと無性に全身が疼く。男として無能という評価は事実であっても腹ただしい。

 だったら剣の能力を身につけてやる。

 俺は扉の傍に置いた太剣を背中にさげると、まだ腹のシチューが消化しきらないうちから外へ出た。

 辺りはすっかり暗くなり、ふくろうの鳴き声がどこからか聞こえる。虫の音もそこらかしこで聞こえ、夜行性動物の活気に煽られながら歩調が早くなった。焦燥感が呼吸を浅くするが、不思議と血が滾る。

「おいナル。マンタのところへ行くならこれを持って行ってくれ」

 親父は大声で俺を呼び止めると、扉の前から乱雑に何かを放った。星の明かりだけではすぐに判別できず、掴んでからそれが何だか理解する。

「え、これさっきの刀じゃん。なんで?」

「それはマンタ用だからな」

「え?」

 受け取った刀は思った以上に軽く、それこそ玩具みたいに振り回せそうだった。最初に見た印象と変わらない。

「こんなので骨が斬れるのか?」

 親父の職人としての腕を認めるからこそ「刀」を実際に持った感触に疑念を抱く。幸い持ち主へ会いに行く途中。刀の真価は図らずもすぐに知ることとなる。

「新作の切れ味をさっそく見させてもらうからー」

 がさつな口調で親父を挑発すると、俺は刀を持って再び暗い砂利道を歩き始めた。

 刀に好奇心を掻き立てられたせいか、さっきよりも早足になる。

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