向こう側
1-1
「強者どもが夢のあと……」
そこらかしこに転がっていた鳥獣の
快晴の青空が広がる下で、俺は先日まで戦場だった荒野を見回した。
「痛っ、まだ痛むか」
穏やかな風が吹き抜けると、悲しくも心地良さを感じるだけでは終わらない。七部丈の服の袖や
俺は断崖の淵に座った。
「気持ち良いなぁ」
一面が荒野だが、崖の際だけは不自然に草原の切れ端みたいに草が生えていて、腰を下ろすにはもってこいだった。
谷底まで光の届かない絶壁で足をぶらつかせると、緊張感があるものの開放的な気分になる。
俺は古びた一冊の本を開き、続きを読み始めた。
題名は「ワールドクリエイター」
俺を含めた全種族の間で昔から読み伝えられてきた童話。
本の表面は色あせ、一枚一枚がパリッと乾燥している。状態はあまり良くない。親父に持ち出すなと言われているが、俺はここで読むのが好きだった。
ワールドクリエイターを読んでいると、きっとこの断崖の先、あるいは谷底にも俺の知らない世界が広がっているんだと思える。
内容は童話で唯一の登場人物『アル』が孤独の世界を埋めるべく風景や生き物を自分の想像で作り出していく物語。
自分の生まれ育ったエボルトの里しか知らない俺にとっては書物と言えど刺激的だった。
ほとんど本なんて読まないがワールドクリエイターを読んでいると時間を忘れてしまう。
「火山ってすげえ。火の民とどっちが熱いんだ?」
段々と視界が狭まり、風の音すら聞こえなくなる。気がつけば太陽も昇り、身長ほどあった影がかなり短くなっていた。
今背中を押されたらきっと俺は底の見えない谷へ真っ逆さまだろう。原型を留めないくらいぺしゃんこになり、水面に石を落としたみたいに体が弾ける。などと想像すると鳥肌が立った。
「ナル!」
唐突に背中を叩かれた。
全身の毛穴が開き、筋肉が硬直する。え? ぺんしゃんこ? と今しがた膨らませた妄想が一気に鮮明化する。が、俺は谷底へ落下することはなかった。俺の肩を柔らかい手が掴んでいる。
「またこんなところでワールドクリエイター読んでる。危ないよ」
もし今の一押しで落下しても、俺が谷底まで真っ逆さまということはない。俺の耳に届く気兼ねのない声が何よりの証拠だった。
「ユイナ、良い加減こそこそ近づくなよ。びっくりして白髪になったらどうするんだ」
「そしたらナルじいって呼んであげる」
反省する様子もなく、ユイナは風になびく金髪を耳へ掻き上げた。遮るものが何もない風通しの良い場所のせいか、白いスカートがはためいて目のやり場に若干困る。いつの頃からか大人と変わらない体躯になり、意識し出すようになってしまった。
「天気も良いんだから空飛んで遊べよ。絶対に気持ち良いぞ」
「ううん、私も本を読む。言っておくけど私はここで読んでも危険じゃないからね」
そう言うとユイナは誇らしげに眉を上下させ、ふわりと浮遊しながら俺の隣へ腰を下ろした。
「……俺に気を使ってんのか?」
「なんで?」
「俺が飛べないから」
ユイナは眉根を寄せて、不機嫌そうにこちらを見た。湿っぽい視線が数秒の間、俺を睨み続ける。
「そうだよ。気を使ってるんだからちゃんと気を使われてよね」
今度はそっぽを向いて頬を膨らませた。しかし居たたまれないのか、ちらちらと視線がこちらの動向を伺っている。
「オーケー。気をつけて気を使われる」
俺はため息まじりに呟くと、再び本を開いた。悪態をついたがユイナが隣にいると、本当の意味で読書に集中できた。
谷底へ落ちる心配がないからだ。
爽やかな風よりも心地良い気分になれる。
そう。今は一ヶ月間の平和なひと時。
また一ヶ月後にはこの荒野は戦場と化す。
理由は分からない。断崖絶壁の向こう側から得体の知れない鳥獣が里を襲いにくる。日にちも時刻も決まっている。
だからエボルトの民は種族の垣根を越えて討伐隊を結成するのだ。
風の民、炎の民、水の民、そして地の民。交易はあれど、文化の違いから価値観までも共有することはない。
重んじるものが違うのだから当然。むしろ適度な距離感で関わり合っていると言える。
「あ、地震」
読書に集中してると、かすかな縦揺れを
「だからここで読むのは危ないんだよ? びっくりして落ちちゃったらどうするの」
「こんなささやかな揺れで落ちるか」
「ナルは意外と小心者だから足を滑らしてとか」
「馬鹿にしてんのか」
他愛のない会話が時折り生まれる。二言三言で終話し、また読書に
平和ボケなどしていられないが傷の癒しに専念し、また戦いに備える。
だから今は正午を過ぎた日差しを浴びながら、ワールドクリエイターの世界に没入した。
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