7.憩いの時

 泰宏は寝付けぬ一夜を過ごし、次の日もいつも通り登校した。一生徒の自宅で何があろうが、学校はいつだって平常運転だ。

 友人らと駄弁り、退屈な授業を受け流す。呆れるほどにいつも通りの日常があった。

 そうして昼休みになって、泰宏の気など知らない氷緒が近づいてくる。

「一緒に学食で弁当でも食べないかい。今後の話もしたいし」

「……うん、そうだね」

 この学校には学食があり、様々な昼食にありつける。しかし、そこで持参した弁当を食べる者も決して珍しくない。

 と、その時。二人の間に勇之助が割って入った。

「よう、お二人さん。メシ食いに行くんなら俺もいれてくれよ」

「えっ、どうしたの急に」

「お、やっぱ俺は邪魔か? お約束のアレかい?」

「何がお約束だよテキトーなこと言って」

「わたしは構わないよ、勇之助くん。人数が多い方が食事も楽しくなるだろう」

 氷緒の言葉が決定打となった。三人は連れ立って、学食へと向かう。

 一体、急にどうしたことだろう。氷緒も氷緒だ。勇之助とは大して喋ったこともなかろうに、あっさりと食事の席まで一緒にするとは。

 彼女に友達がいない――と思われる――理由が、泰宏にはよく分からなくなった。

「最近、二人がよく喋ってんなと思ってさ。何か共通の趣味でもあんの?」

「……あー、まぁ、音楽かな」

「そうだね。ジャンルは違っても、わたしも泰宏くんも、音楽が好きだ。勇之助くんは?」

「俺? 俺は人並みだよ。邦ロックばっか。つか泰宏も似たようなもんだろ?」

 ワイワイと賑やかな学食の一角。いくつか置かれた丸テーブルと椅子のセットの一つに陣取ると、三人は雑談に花を咲かせていた。泰宏と氷緒は持参のお弁当、勇之助は注文した味噌ラーメンを前にして。

 泰宏は氷緒と、もしくは勇之助と昼食を共にしたことは何度もある。が、この取り合わせでご飯を突く日が来ようとは、全く思っていなかった。それが存外に楽しいのだから、ちょっと得をした気分だった。

 学校の話題は共通だ、同じ環境に身を置く者同士、簡単に花が咲く。勇之助など妙に饒舌で、自分が中学生時代は柔道部に属していたのに、今は将棋部であるということを自慢気に述べている。似合わないね、と冗談めかす氷緒も楽しそうだった。意外と相性が良いのだろうか。

 そうこうしていると、勇之助は話の路線を最初に戻した。

「そうそう! 氷緒ちゃん、もう知ってるかね? 音楽といやーさ、こいつ、自分ちに蓄音機置いてんだぜ、蓄音機。今どき、中々そんな高校生いないよなぁ」

「あぁ、知ってるよ。そうそうバカにしたもんじゃない、渋い趣味もステキじゃないか。実物もこの目で見させてもらったよ」

「……!」

 泰宏はご飯を喉につまらせかけ、慌ててペットボトルのお茶を飲んだ。

 氷緒はごくごく自然に、自分が泰宏の家に入ったということを暗示した。べつに何があったというわけでもないのだから、気に病むところなど何一つ無いのだけれど、それでも何か良からぬ噂の火種になりはしないかと気が気ではない。

 案の定、勇之助は目を丸くした。

「え、実物って? 氷緒ちゃん、こいつんちに?」

「あぁ。こないだ、一回だけね。音楽を聴きながら優雅なティータイムを過ごさせてもらったよ」

「何じゃそりゃ……?」

 おすまし顔の氷緒は何一つウソを言っていない。音楽を聴いてそれにまつわる雑談をしながら、お菓子とお茶を楽しんだ。優雅だったかはともかく、本当にそれだけだ。男子の家に女子のクラスメイトが――そんな少しばかりセンセーショナルな話題なのに、勇之助はちょっぴりキョトンとしてしまっている。

 頭にハテナを浮かべながら真偽の確認を訴える友人の眼差しに、泰宏は苦笑いで応える。

「まぁ……本当だよ。いいだろ別にそんな顔すんなよ。クラスメイトとおしゃべりして何が悪いってのさ」

「うわコイツ開き直りやがったな。あぁ、俺ってば超寂しい。こうやって友はまた一つ俺の知らない階段を上って消えていくってわけだ、えぇ? 噂にして流しちゃうぞ」

「あぁもう、ホントめんどくさいなお前ってば!」

 言いつつ、泰宏はこらえられずに笑ってしまった。つられて勇之助も氷緒も笑う。

 氷緒のノリの良さに、改めてちょっとした驚きを覚える泰宏。まるで何年来の友人であるかのように、三人の会話には淀みも途切れも無かった。

 そんな思いで彼女をそれとなく見つめる泰宏に、勇之助は「ふうん」と勝手に納得したようなわざとらしい声を上げる。

「なるほどねぇ。やっぱ仲良しだな、お前ら」

 茶化すでもなく、爽やかな調子で勇之助は言う。楽しそうな泰宏達を見て、俺もそこに混ざりたい、そんなところだろうか。もう十分混ざっているだろうに、と思わないでもない。

 氷緒はおかずの玉子焼きを嚥下し、少しだけ考えた。

「なんていったらいいんだろうね。自然なんだ、泰宏くんといることは」

「あっ」

 その言葉に、泰宏はハッと目を覚まされた。泉が湧き出るごとく、胸奥からどんどん言葉が溢れてくる。

「それ、分かる。僕も同じ。何だろう、家族とか兄弟が一緒に普通にいる、違うな、なんだろう……あれ取って、って言うだけで、ちゃんと醤油取ってくれるような、というか。あれ、何言ってんだろうな僕」

 つい熱くなってしまった自分に気づき、泰宏は急に恥ずかしくなった。

 ふふっ、とそれを勇之助が笑う。

「楽しそうじゃん、泰宏」

「え?」

「いやさ、今日のお前なんか知らねぇけど覇気が全然無かったからさ」

「たしかに。今日はあんまり元気そうじゃなかったね」

「……そうかな」

 はにかみ笑いで場を濁す泰宏。二人の親身な気遣いが心地良かった。というか、そうまでさせてしまうほど気に病んでいた自分が情けなかった。

 僕のやりたいことは僕が決めることだ、ねねに言われたから何だというのだ――そう、自分に発破をかける。

「ありがと。ちょっと元気でた」

「うん。男の子は冬の寒さにも負けない元気が一番なのだよ、泰宏くん」

「ははは、そうだね。うん、氷緒の言う通りだよ」

 そう言い合い、泰宏と氷緒は大いに笑った。呆れるほどいつも通り、と煤けて見えていた日常が、急に色を取り戻したような快さを覚える。昨夜のこともあろうが、無性に悲しくなりそうな冬の侘びしさも一因だったのかもしれない。

「……なんだ。二人ばっか楽しそうによ」

 と、勇之助が拗ねるような声を出した。

 また彼なりのジョークで和まそうというのだろう、泰宏はそう思ってクスリと笑った。

「いいじゃん、いいじゃん。実際楽しいんだから」

「そんな楽しそうに言うんじゃねぇよ。ここにいんの三人なのに、俺だけジャマみたいじゃねぇか。ま、そのとおりか。そうだよな」

 泰宏も氷緒も、ぽかんとしてしまった。

 冗談にしては何だか声に棘がある気がする。先ほどとは打って変わった剣幕。そう呆気にとられる二人に、勇之助はハッとして違う違うのジェスチャーをした。

「わりぃ、言いすぎたよ。なんでもねぇ」

 そう言って、勇之助はラーメンをもりもりと頬張って食い進めた。あっという間に、残りがスープまで全て彼の胃に収まる。

「もともと二人でなんか話しがあったんだろ? そっち優先しなよ。俺は先に行く、楽しかったぜ」

 じゃな、と言い残し、勇之助はお先にと去っていった。

「どうしたんだい、彼?」

「さぁ。向こうから輪に入ってきたのに……」

 何だかもやもやしつつも、結局のこりの時間は、勇之助のお言葉に甘えて今後の話をする二人であった。

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