二章9話 王子の言葉
わたしがアーデルロール王女と対峙した夜のこと。
その晩の夕食は北からの客人らと食卓を共にする話の運びとなり、明日以降の剣の稽古にはアーデルロール王女とその弟であるヴィルヘルム王子の二人が参加することになるということを、わたしは打撲や軽い切り傷を負った患部へと回復魔法をかけながらにようやく耳にした。
「いつもみてえにオレが稽古を見てやれりゃあ良かったんだが、国から頼まれている急ぎの仕事があってな。ユリウスと威勢のいいあの金髪のチビには、北騎士の戦い方ってもんをよおく見せてやりたかったぜ。ま、オレが帰ってきたら存分に披露してやるからよ。それまで楽しみに待っててくれや」
木製のジョッキに並々と注がれた酒を煽りながらギュスターヴが言う。彼は三十分も経過をしないうちにもうたっぷり四杯は飲み干しているが、その剛毅な顔が赤らむ気配は少しもない。
「それでいつ出発を?」 フォークの先を向け、父が訪ねた。
「明日の夜明けには発つ。あんまり悠長に構えていられないんでな。ところで、アーデルロール王女。……王女? おいって。はあ……なあ、アルル」
黙々と食事を続ける王女は畏まった名に返事を返さず、略称で呼ばれてようやく顏を向けた。その表情は楽しい食事に水をさされてムッツリとしている。唇を尖らせ、王女が言う。
「なに? あんたの分の料理はしっかりあるじゃん、あたしのはあげないわよ」
「違う。オレとの稽古はしばらく無しだ。代わりにフレデリックに見てもらえ。のんびりし過ぎる性格はともかく、剣の腕に賭けちゃあ太鼓判を押すぜ」
「分かった」
短い返事を終えた王女はわたしの妹の方へ振り向くと、北の大陸はどんな所なのかという話題に興じはじめた。
王女は優しげに笑っている。
緩んだ目元、玉のような笑い声、口元に添えた指先が美しかった。
わたしにとっては剣を握り、じりじりと焼け付くような強い目でこちらを見据える野生の虎のような剣士という印象が強烈に根強い。
年相応の少女の振る舞いと苛烈な剣士との二つの顏。
果たしてどちらが王女の本質なのだろうか。そんなことを考えているわたしの袖をくい、と何者かの手が引いた。誰だろうと視線をやってみるとそれはヴィルヘルム王子の細い手だった。雪のような白髪に炎ごとくに赤い瞳が特徴的だ。
「その、日中は姉が……。申し訳ありませんでした。お怪我はありませんでしたか?」
おどおどとした顏で見上げる少年がそう言う。王子の顔にわたしは緊張が抜ける思いだった。
「ええ、何の傷もありません。勝負は……僕が受けたくて剣を握ったのですから、殿下が気に病むようなことはありません」
「そうですか。……姉上は、その」
ちらりとアーデルロール王女の方を彼は見た。
油の滴るハムステーキの端を口に咥え、唇と歯を器用に扱い、ずるずると音を立ててはまるで吸うように食べている。こちらを気にしている様子も作法に心が痛んでいる気配も無い。
「剣士としての上を目指しているんです」
「上とは?」 王女を視界の端で見ながらにわたしは言った。
「例えるならば、剣戟の鋭い冴えや華々しい武勇を。……すみません、姉上自身も漠然とした夢だと考えておられるのでしょうが、具体的に言えば、我がルヴェルタリア王国騎士としての最高位、〝四騎士〟に序列をされることを夢に見ているのだと思います。王族が何人居ようともも、聖剣と王位を継承できる者はたったのひとり。僕やアーデルロール姉上は現状、あぶれていますので王位とは違う将来を見なければなりません。……本当ならば、我がルヴェルタリア王国にはもっと多くの跡継ぎが居たはずなのです」
王子が視線を彷徨わせた。声に少しの憂いが混じり、脈絡のない言葉にわたしは当惑を覚えたが、取り繕うようにしてうなずきを返し、話の先を促した。
「けれど、今では二人の姉上と僕だけ。たったの三人ばかりです。それも聖剣の継承者はこの場には居ない、アリシアム大姉上で内定しています。そこに座られているアーデルロール姉上はアリシアム大姉上を深く愛しています。だからこそ最高位の騎士である〝四騎士〟に名を連ね、祖国やいずれ王になられる大姉上のために剣を振るう、額面通りの護国の騎士となりたいのでしょう」
わたしの妹より一つ下、まだ八歳だというのに丁寧な言葉でヴィルヘルム王子は語った。
爪の垢を少々ばかり頂戴してすり鉢にて煎じ、妹のミリアに飲ませようかと、そんな算段を頭の端で想像したわたしは王子へと問いかけた。無論、爪の話では無い。気になる言葉を耳にし、この好機に知識を深めておきたかった。
「ヴィルヘルム王子は四騎士と面識がおありなのですか?」
白髪の王子はうなずいた。
「全員ではありませんが。僕たち三姉弟は〝魔導〟のドラセナ卿に、〝巨人公女〟メルグリッド卿とは公私において親密な親交があります」
「宜しければ……その、お話をほんの少しでもお聞かせいただけると嬉しいのですが」 強く興味を惹かれている心をどうにか隠し、わたしは言った。
わたしの表情がおかしかったのだろうか、彼はくすりと口元を微笑ませ、年下とは思えぬ落ち着いた笑みを見せた。
「もっと砕けた言葉で構いませんよ。父である皇太子アルフレッドと、ユリウスさんの父君フレデリック殿は旅を同じくした仲なのですから、僕たちも父らの友情を礎として良い関係を築くのが良いでしょう。それにしても……ふふ、ユリウスさんは騎士や勇者の活躍といった英雄譚に強い興味がおありのようですね」
姉上もそうでした、と天真爛漫の笑顔を見せるアーデルロール王女へとヴィルヘルム王子が視線をやる。「師ギュスターヴ様も姉上もどうやら話に夢中のようです。僕たちも会話に興じましょうか。では……まずは四騎士の三席、〝魔導〟のドラセナ卿から語ることにしましょう」
王子が語り、わたしは心に想像のキャンパスを広げる。
「端的に言えば彼女は極めて優れた魔法使いです。出自には不明な点が多いですが、多様な魔法をいとも容易く紡いでは自在に操る天賦の魔導の才。卿はかつて天の理を己の手で歪め、降りしきる雨のように無数の落雷を呼び落としたという逸話があります。近年では人の身を越えようと考え、自身の心臓を摘出し、竜族の心臓を取り入れたことで魔法使いとして磨きがかかったと言われていますね」
「心臓を、ですか?」 わたしは自身の胸に意識を落とした。下手人の分からない、むごい傷跡が鮮明に思い出される。
「何かメリットがあるので?」
「そうですね……ユリウスさんは魔法の<階位>についてご存じですか? 現状、世界に存在をする魔法はすべて七段階の<階位>に区分けをされています。僕たち人間種族が扱える魔法は、道を
懇切丁寧に語るヴィルヘルム王子の言葉に、イルミナ・クラドリンの講義の内容を思い出した。彼女も<階位>について言及をしており、かつて〝霧払い〟の英雄と共にあった賢者、〝万魔〟のエルテリシアは魔法の果てである第七階位に達したとイルミナは語っていた。
「救世の英雄と共にあった賢者ですから、彼女は別格なのでしょう。エルテリシアの魔法は地形さえもを変動させたという記述がある本が、ルヴェルタリア王国の書庫には眠っていますよ」
「それは……、いつか目を通してみたいものですね」
「ははは、お待ちしていますよ。さて、ドラセナ卿の話に戻りますが、彼女もまた人間種族の壁である第四階位を突破出来ずにおりました。それ以上の第五・第六の魔法は一般に『
「それが竜の心臓の移植だと」
「ええ。手術を終えてよりまだ復帰はしておりませんが、結果は成功だという報を耳にしております。第四階位の魔法を組み合わせ、自在に操ることでさえ既に人智を超えた技術であると考えられていたというのに……一体どうなるか、恐ろしいですね」
王子は言葉を切り、わたしをじっと見据えた。反応を見ているのだろうか? わたしは彼の赤い瞳を見下ろし「貴重なお話をありがとうございます」と落ち着いた声を作って言った。ヴィルヘルム王子は満足げにうなずき、
「そして四騎士の四席、〝巨人公女〟メルグリッド卿。彼女ほどの巨躯の持ち主は我が国には他に居ませんね」
「あの方よりも大きいので?」 酒をあおるギュスターヴを見ながらにわたしは言う。
「大ざっぱに目算をしても優に倍はありましょう」
ヴィルヘルム王子がうなずいた。
「なにせメルグリッド卿は、巨人領を治めるハールムラング大公閣下の娘、その血脈を遡れば真祖の巨人にたどり着くと言われる真正の血ですので。彼女は我が国の擁する強壮な騎士の一人でしたが、僕が産まれる以前に現れた、城塞ほどもある霧の魔物との戦いを単騎で征したことを高く評価され、それまでの功績とを鑑みた結果、四騎士に名を連ねることになりました。普段は気さくな良い方ですが、いざ戦ともなれば巨人の王家に伝わる暗銀の重宝剣を振り回しての、鬼神もかくやという戦いぶり。まさしく、戦いの申し子です」
わたしは彼の言葉を聞き、霧との戦い、その最前線にて研ぎ澄まされた武技を振るう巨人の騎士の姿を想像した。空想の中の〝巨人公女〟は無数の敵を葬り、背後には血河が築かれている。
「〝四騎士〟の一席と二席とはお会いしたことは?」
「申し訳ない、僕は未だに一度も無いのです。四騎士を束ねる長、一席の〝獣王〟ドガ様はもう二百年ほどその姿を人前に見せてはおらず、かつて〝霧払い〟の勇者ガリアン様と旅を同じくした者と同一人物であることさえ、訝しむ者が居る始末で……。ああ、すみません、これは忘れてください」
「はい。ですが、本当に勇者の道連れだとは……伝承が正しければ千年あまりの時間が経過をしています」
しまった、と恥じた時には遅かった。だがわたしの疑いの言葉に王子は苦笑をするばかりであり、わたしは救われた気持ちだった。
「では、僕もその言葉は忘れますね。ドガ様はおよそ千年以上の時を生きる、伝説の名を冠するに相応しい真の勇者ですよ。ルヴェルタリアにおいて極めて重要な立場であるドガ様の生存は常に確認されています。方法を申し上げることは出来ませんが。おや、その顔は……二席のウル卿も気になるのですね? ははは、いいですよ。お話をしましょう」
剣士や騎士を志すのであれば、あの方の武勇とその最強の称号は無視できませんからね、と王子は笑った。
「ウル卿は〝四騎士〟にあって唯一、勇名となる二つ名を持ちません。それは彼自身の名が無二の称号であるからに他なりません。〝ウル〟、それはあらゆる剣士の頂点に立つ至高の名。振るう一刀は天地の境を断ち、一度の跳躍で千里を超える最も鋭き刃。僕もギュスターヴ様から武芸の指南を受けている身ですから、その名に憧れないと言えば嘘になります」
「彼もまた人前に姿を現さないと、そう聞いていますが」
ヴィルヘルム王子はうなずいた。
彼の佇まいとその仕草は落ち着いていて、大人びてさえ見えた。
一方でアーデルロール王女の食事の振る舞いは時計の針が進むに比例して乱れていく。フォークやスプーンでありったけの食事をすくい、大きく開けた口でかぶりつく。その姿は粗暴かつ荒々しいと評判の北の戦士の実態をありありとわたしに見せつけてくれていた。
「そうですね。彼は主と定めているはずのルヴェルタリア王がある王城に、いえ、王都にすら滅多に近付きません、年に三度あれば多い方でしょうか。彼は下級の騎士らと何ら変わらぬ銀の全身鎧に身を覆い、掲げる盾も振るう剣もなんら特別な物は無し。それでは見分けがつかぬと、そこに座っておられるギュスターヴ様が贈った深紅の外套がウル卿を見分ける唯一の手立てです」
当の送り主であるギュスターヴは酒をあおって大笑いをしている。何度見ても冗談のように大きな男だ。話し相手をつとめる父もまた大層嬉しいのだろう。滅多に見ることがない笑顔でフレデリックは笑い、わたしが見る彼の横顔は見慣れた父の色ではなく、年頃の青年のように若く映った。
「ウル卿ですが」 王子の言葉に意識をはっとさせる。
「戦いにおいては名に戴く称号の通り、彼の剣の冴えに比肩する者は世に皆無と言われています。ウルの刃は古強者の真龍の首を一撃で切り落とし、一度の跳躍で千里を超えると北の騎士らは語ります」
「本当に人間なのですか?」
まさか、さすがに冗談だろうとわたしは驚いた。
「まあ、酒を入れた騎士らの言葉ですから。僕があんまりに驚くから、からかうのが楽しかったのかも知れません。ただウル卿が人間かどうかと問われれば、素直には頷けません」
神妙な顔をして王子は言う。
「先に話したとおり、卿はその全身を常に鎧で覆っていて、その正体を見た者は誰もありません。他の騎士とも言葉を交わさず、ただ忌まわしい〝大穴〟の周囲にて人知を超えた魔物……尋常ならざる、語るに恐ろしい怪物と戦い続けていると伝え聞きます。いかに最強の剣士であろうと、休息も無しに剣を振るい続けていれば少なからず消耗はしているとは思うのですが……。それもまた、凡人の尺度による見方であるのかも知れませんね。それともまさか、彼にとっては己が消耗するような魔物や相手など居ないのでしょうか。ふふ」
わたしはそんな怪物を目指していたのかと、王子の話に背筋が震えた。
次の質問を投げかけようとしたその時、唐突にギュスターヴが椅子より立ち上がった。
「アルル、王子、そろそろ帰るぜ」 やや顏を赤らめた偉丈夫が言う。
「何よ、もうちょっとぐらい構わないでしょ」 王女が口をとがらせて抗議した。
ギュスターヴは居間の時計を一瞥し、顔をしかめた。
「いいや駄目だ。婆さまの小言で夜を無駄にしたくねえからな」
「なら、この子を持ち帰ってもいいかしら?」
「残念ながら、そいつも駄目だ」 王女の提案を英傑は一蹴する。
「王族なんだから何でもありでしょ」
「異国にあってはそりゃ罪なんだよ、ワガママ姫様」
立ち上がり際、ヴィルヘルム王子がわたしへと手を差し出した。微笑とともにあるその片手は親愛の証だ。
わたしは席を立ち、彼の小さく柔らかな手を握った。
幼い王子の赤い瞳とわたしの青い瞳とが交差する。
「ユリウスさん、今夜はありがとうございました。外面を気にしない話をしたのは本当に久しぶりのことで、とても楽しかったです」
「いえ、私で良ければいつでも話のお相手になりますので。それよりもずっと語らせてしまってすみません。とても貴重なお話をありがとうございました」
「ははは、喜んでいただけたのなら何よりです。では、最後にひとつだけ。既にご存知であるかも知れませんが、そこにいらっしゃるギュスターヴ様はかつての勇者〝王狼〟ルーヴランス・ウルリックの確かな末裔。大英雄として国内外に名高い師ギュスターヴがルヴェルタリアの最高戦力とされる〝四騎士〟に名を連ねていないのには、また特別な理由があるのです。次回はそのお話を」
それだけを言い残し、彼らは玄関の向こうに広がる夜にしては暖かな春の空気の中へと歩き去った。
「そういえばあの人達、どこに住んでるんだろうね」
「……本当だ。聞いておけば良かったな」
話に夢中になるあまり、手をつけていなかったわたしの食事は冷え切っていた。
◆
翌日の朝。変わらぬ日々を送るようにベッドから身を起こし、シャツに袖を通し、毎日変わらぬ中身のかばんを背負った。
朝の挨拶もそぞろに朝食を胃袋へと詰め込んだわたしは妹の手を取り、丘を越えた先に広がる街の、すっかり通い慣れた学校へと向かおうと、父が徹夜で修理を手掛けた玄関扉を開いた。
晴れやかな空の下、新しい一日が始まる。
「遅いわ」
扉を開くなり、オレンジ色の瞳がわたしを射抜いた。
じっとりとした目つきでわたしを睨む、アーデルロール王女の姿が玄関先にあった。
平民が袖を通すような地味な色合いで簡素なシャツ、野暮ったいズボン。
長い髪は後頭部の辺りでゴム輪でまとめられている。南方から吹く暖かな風に王女の髪が旗のように揺れた。
「ユ、ユーリくーん……」
「遅いぜ、相棒」
日々と同じ、学校へと向かう身支度を済ませた二人の友人の姿も我が家の敷地にあった。彼らは毎日そうするように、わたしと妹の二人を迎え、足を揃えて丘を越えるつもりだったのだ。
王女とわたしの二人の友。
どちらが早く辿り着いたのかは分からなかったが、彼らの様子を見るに打ち解けてはいないのは明らかだ。
「アルルちゃんだ、おはよう」
王女が憮然とした顏で玄関先に立っていることに対し、何の疑問も抱かなかったらしい妹は友達に対するように挨拶をかけた。
昨日の戦いの記憶に胸が疼く。
「おはようございます、王女。今朝はどうしてこちらに?」 わたしは尋ねた。
「暇だからよ」 さっぱりとした短い答えが返ってくる。
「そ、そうですか……」
ねめつけるような目つきをしながらも、凛とした声音で彼女は言う。
「あんたらはどこに行くつもりなの?」
「学校だよ、学校。平民の子供はそうやって日中を潰すんだよ」 コルネリウスが気怠そうに答える。
「わざわざ歩いて行くの? あほくさいわね、家庭教師を教科分雇えば楽じゃないの」
コルネリウスが『こいつマジかよ?』といった意味合いを込めた目線をわたしへと送る。彼の長身の影に隠れたビヨンも王女の言葉にどうやら驚いているようだ。
「あー……あのな。家族で一つの鍋を仲良くつついているような一般家庭には、家庭教師を雇う金はねえんだよ。だから皆こぞって学校に行くわけだ。金はかからねえ、読み書きを覚える、ついでにダチも増える。あと、街の飯がうまい」 と、指をひとつひとつ折り曲げてコルネリウスが言う。
「勉強になったろ? 良かったな、知識がひとつ増えて。んじゃ俺らは行くわ。じゃあな、王女様」
「……あっそ」
アーデルロール王女は追及もせず、わたしたちが芝生を歩きだすのを見送った。
見えなくなる直前、彼女の方をちらりと見ると、わたしの自宅の納屋から取り出したのだろう木剣を手に握り、素振りをはじめた姿がしばらく目に焼きつき残った。
◆
わたしたちはいつものように街の石畳を歩き、忙しく動き回る人々の往来の隙間を縫って教会学校を目指した。
パン屋から漏れる食欲をくすぐる香り。
木材を肩に担いだ屈強な男。見慣れた景色をわたしは視界に捉えていた。
「王女様なんて初めて見たよ。うち、緊張しちゃった。写真で見るのとはちょっと違ったけど綺麗だったなあ」 すっかり調子の戻ったビヨンが楽しそうに言った。
「写真で見たことがあるの?」
「雑誌でね。どんな内容だったかは覚えてないけど、天使みたいに綺麗で優しい笑顔で写ってたよ」 ビヨンが教会の鐘を見上げながら言う。
慈愛に溢れた表情を脳裏に想像するが、それはすぐさま闘志に満ちた顏に切り替わる。外向けの顏と素の顏の使い分けなのだろうかと、本人も居ないところでわたしは考えに沈んだ。
「天使なんてとんでもない、野獣みてえなやつだったぞ」 友が顏を引きつらせる。
「確かにね」 わたしに異論はなかった。
下手をすれば暗がりから殴打のひとつでも受けかねない、危険な会話をしながらわたしたちは見慣れた教会学校の白い廊下を歩いた。すると正面より慌てた様子の司祭が小走りに近付いてくる。しまった。ルヴェルタリア王族を警護する手はここまで伸びていたのか。
よくよく見てみればその人物は、わたしの教室の教師の女とよく世間話をしている、無精髭を隠そうともしない若い男だった。
そのまま脇を通り過ぎるのだろうと思っていたが、やはりというべきか彼はわたしたちの前でその足を止めた。
「ユリウスにコルネリウス。君たち二人はすぐに村へと帰りなさい」 肩で息をしながら男は言う。
「あん? 何だって?」 コルネリウスが眉をあげた。
「いいから。つい今しがた……、素性は語れない人物だが、君たち二人を村に戻すようにその方から指示を受けたんだ。いや恐ろしかった……私はこういうことには慣れていないんだ、さあ、早く」
「司祭様、うちとミリアちゃんは……」
「女の子二人は特に指示は無かった。普段通りに教室に向かってください」
わたしと年頃にしては平均以上の長身の友は互いの顏を見合わせ、身振り手振りでわたしを帰そうと四苦八苦する司祭に従い、帰路に就くことにした。
「一体何だろうな。村長がとうとうお陀仏したか?」
「僕とコールの家が焼き討ちにあったのかも知れないね。不敬罪とかで。やっぱり昨日のはまずかったんだよ」
「いやいや、勘弁してくれって。ところでよ、村の方から煙があがってるのが見えたら教えてくれよな」
土色の一本道を歩き、林を抜け、名も知らぬ色とりどりの花が咲き乱れる野原を視界の端に捉えながら帰路を歩いた。
しばらくすると村の門前に何者かの姿が見えた。わたしはその光景には強い既視感があった。
それは黒髪の男だ。もはや遠目でも分かる、それは父だった。
手にはいくつかの木製の武器。きっと稽古に臨むのだろう。
しかしそれだけの為に学校から回れ右を喰らうとは思えないし、父が教師を動かすとも思えない。
その理由はおのずと明らかになった。
父の傍らに立つ少女、アーデルロール王女の言葉が原因であるだろうことに、わたしは彼女の姿を見た途端に思い至ったからである。
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