二章7話  忘れ得ぬ瞳

 

 わたしは自身についての話題に胸の鼓動が早くなるのを感じていた。

 ひどく焦っているのを自覚する。

 嘘が暴かれようとしているのだろうか。

 この場から逃げ出したいと強く思った。

 いや、駄目だ。父も母も、槍の英雄として名高い〝王狼〟までもがこの場に居る。

 

 何故? 何故この場に彼のような戦士が居るのだ?

 彼は口頭では異常の調査と言っていたが、その実はどうなのだろうか。

 ルヴェルタリア王国が掴んだとはわたしのことなのではないか?

 去年の冬から世界が注視する古来からの忌み地である《大穴》に異常が見られたという。

 それは奇しくもわたしがとして目覚めた時と同じ時期だ。

 

 焦燥が渦を巻く。

 わたしの正体をこの場で検めるのだろうか。

 異常の正体だと断じられればこの場で手を掛けられるか、いや、どこかへと連れ去れるのだろう。そこでわたしは人道的とはいえない扱いを受けるのか。

 

 この胸の傷が他人に見られる。毎日毎晩、わたしを急かすような呪わしい傷が――。

 

「おい、ユリウス、大丈夫か? 顔色が悪いぜ」


 掛けられた言葉にハッとした。握り締めていた拳がひどく汗ばんでいる。

 

「だい、大丈夫です。ちょっと喉が渇いたみたいで」


 見え透いた嘘だと思った。だが口からは他の言葉は出なかったのだ。

 母はわたしを一瞥し、言葉を続ける。


「霧に障ったみたいで記憶が混乱。それと言葉を失ったわ。師匠は以前にそういった人に出会ったことがあると言っていましたよね?」


 話を振られ、イルミナが「いかにも」とうなずく。

 

「そうか。……霧が現われること自体はそう珍しいことじゃねえが……記憶を失う、か。気になるな。それも《観測台》の連中が言うところの異常のひとつかも知れねえが」


 巨漢が喉を潤そうとカップを取り、すする。

 すっかり冷え切っていたらしく「まずい」と不満をこぼした。

 

「霧……霧ね。いくら《大穴》から怪物が出ようと、戦闘自体はどうにかなるんだ。ルヴェルタリアには〝四騎士〟っつう人間側の怪物が居るからな。ただ……どいつもこいつも性格に難ありだが。問題は事態の根本の解決だ」

「避難、と先程は言っていたが?」


 イルミナが両手の指先で巨漢を指す。

 

「《大穴》の異常に加えて、王都自体にも不審が現われてな。あまり口にはしたくねえが……万が一に備えて、王家の跡取りたちは遠くへ逃がしておこうってのが上の……レオニダス王とアルフレッド皇太子の考えなのさ」


 言葉を切り、しばしの沈黙が居間を流れる。端正な顔立ちだがしかし素行の悪いイルミナが下品に茶をすする音がする中、フレデリックがぽつりと言う。

 

「王女たちがここに来るのか? いつ?」

「数日後だ。オレはお前らが王子や王女を預けるに足る人物かどうかを確かめに来ただけさ。おい、オレはその心配は無いって念を押したからな」

「分かってるよ」


 父が快活に笑う。青い瞳で槍の英雄を見据え、

 

「ギュスターヴは王女らの先導と警護ってわけか。父親……アルフレッドはやっぱり?」

「ああ。あいつは来れねえよ。……残念だが、仕方ねえんだ」

「そうか……」

「そうしょげるなよ。〝聖剣〟を継ぐ者は二度と王都からは出られない。これがルヴェルタリア王家の宿命だ。他に兄妹が生き残ってりゃあ話は違ったんだろうけどよ。子煩悩のあいつが子供たちを一時的とはいえ手放すのは相当につらいだろうさ」


 巨漢がかぶりを振る。わたしの胸の動揺は気付けば吹き消えていた。

 

「悪いな、フレッド。生きてりゃまた会えるからそのうちな、とあいつは言ってたぜ」

「伝言係も始めたのか? 冗談だよ、ありがとう」

「で、話を戻すんだが……オレは異常の調査に旅立たなきゃならねえ。不在の間はフレデリック、お前に王女らの警護を頼みたい。付け足して言うが、これはアルフレッドの希望でもある。護衛の連中は何人も連れてくるが、お前が居りゃあ安心だからな。これは王国からの正式な依頼だ。報酬はたっぷり弾むぜ」


 一枚のさつを取り出し、巨大な手で握るとまるでつまようじか何かに見える小さなペンの先で何事かを書き記す。それを見たフレデリックは目を丸くして、

 

「物凄い額だな。ドッキリじゃないよね?」

「王家の依頼と内容を考えれば妥当な額だ。いいか、こんな辺境に引っ込んでる限り、後の人生でこれだけの金を得られる機会はそう多くはねえぞ。連邦騎士の安月給は知ってるからな。それにお前はもっと目立った場所で道場なり剣の教師なりをだな……」


 常々に思うところがあったらしいギュスターヴが咳を切ったようにとつとつと語り始める。その目はどこか遠くを見るもので、口振りは父の業績と未来をおもんばかるものであった。まるで才能を潰す友を惜しむような声音だ。

 そんな彼に対し、待った、と父が手を突きだして制止する。

 

「それは今話すことじゃないさ」


 この話題は避けたいらしく、何故かわたしへと視線をやりながらにフレデリックは言う。

 

「それに金はこの半分も要らないよ、本当なら一銭も要らないぐらいさ。なんたってあの堅物で自信過剰なアルフレッドの頼みなんだろ? なら、黙って受けるのが友情ってもんだ。もし金以外に報酬が貰えるんなら、そうだな、あいつの子供が見れるってことだうおッ!?」


 爽やかな笑顔で小切手を突き返そうとするフレデリックの腕を何者かの手が勢いよく掴んだ。その速度たるや、熟練した槍の刺突のようである。

 

「ちょ、ちょちょちょ、ちょっと! 馬鹿言わないでよフレッド!」


 母だった。顏も仕草もどれもこれもがひどく動揺している。リディアは夫であるフレデリックに向かって早口でまくし立てる。

 

「ああ、あんた! あんた! 目ん玉腐ってるんじゃないの!? 機能してるんならよく見開いてこの数字を見てごらんなさいよ! いくらあると思ってんの!」


 引きつった笑顔のまま、フレデリックはわたしとイルミナからギュスターヴへと視線をうつす。その意味合いは『見苦しいものを見せてすまん』だろうか。

 

「これだけあれば家の補修も家具の新調も……外国への旅行だって、いや〝白霊泉〟の一等ホテルにだって泊まれちゃう……えへ、えへへ、へへ……」

「リディアは目の色を変えるだろうなと思ったんだが、やっぱりな。大人しくなったかと思えば十八の頃まんまじゃねえか」


 片眉をあげてギュスターヴがさぞや愉快そうな顔をする。

 

「フレッド! これは絶対受けるわよ!」


 銭の色に目を輝かせ、小切手をぐしゃぐしゃに握りつぶしながらに父へと詰め寄る母の姿は決して首を横に振れない気迫を伴っていた。

 父はしばらく中空に目線をやり、最後にイルミナを責めるような視線で見て、

 

「イルミナ……をしたもんだね」

「わたしは知らん知らん」


 話を振られたリディアの師はそしらぬ顏で茶菓子をかじっていた。

 

 



「じゃ、その額面通りの金額で頼むわよ。あんたがいくらちょろまかそうたって、私のこの目と頭脳と優れた記憶野がしっかり覚えてるんだから、妙な小細工をしたって無駄だからね。催眠魔法でどうにかしても力技で破り抜けるわよ」


 腕組みをし、肩幅大に足を開いて仁王立ちをするリディアに向け、ギュスターヴはさも適当に棒返事を返す。

 

「話は通ったと伝えておく。言い忘れていたが、この南方まで来るのは三人の跡継ぎのうちの二人だ。期間は……三日もあれば来られるだろうな」

「ばかに短いな? 船じゃないのか?」

「移動方法はだ。妄想でも膨らませといてくれ」


 邪魔したな、とギュスターヴが扉の無い玄関へと向かう。壁のように大きな背中が扉の枠をくぐろうとした時にこちらを振り返る。

 その目はわたしを見ていた。話は有耶無耶うやむやになったと思っていたのだが、ただ後回しにしていただけだったのか。焦りが再び胸に湧く。

 

「そういやあ言い忘れたが、ユリウス」

「は、はい?」

「これは忠告だが……いつも以上に剣の稽古はしっかりやっとけ。そうでもしねえと三日後にとんでもなく痛い思いをするぜ」

「何故ですか?」


 大男が後頭部をばりばりと掻く。どう言ったらいいかと考えあぐねているようだ。


「こっちに来る方の王女が……その、なんだ、かなりお転婆なんだよ。それも英雄とか冒険譚に憧れて、礼儀作法だとかそういうお勉強よりも剣を振り回すことに情熱を傾けまくってる奴だ。お前とやり合いたい! なんて言い出しかねないからな。ま、準備はしとけ。それじゃあな。また三日後に来るぜ」





 それからきっかり三日間。大柄な戦士の言い残した言葉のとおりに、わたしは学校から帰った足でそのまま剣を手にして父やコルネリウスとの稽古に励んだ。

 木剣を振り、走り込み、二人がかりの猛攻を盾で受け、身のこなしに意識を集中する。新たな技や父のように鋭い剣捌きを会得するようなことは無かったが、動きが鈍るようなこともなかった。

 それでも体の十分な仕上がりは自覚出来ていた。

 いつ攻撃を仕掛けられても対応出来る研ぎ澄まされた知覚、木剣を何発打ち込まれようとも不壊……とはいかないまでもそこそこは耐えられる自信のある体。

 完璧だ。

 


「そのお姫様ってのはホントに来んのかよ? 今日、ここに? 海の向こうから? 嘘だったら飲み物おごれよな、ユリウス」

「本当だよ。多分ね」

「……炭酸のやつがいいって予めに言っておくからな」


 北の大陸より王女が来訪するという話を聞いたコルネリウスは大いに関心を惹かれたようで、彼はいつもの木製の槍を肩に担いでわたしの自宅の庭先に駆け付けた。

 もしくは槍の英雄であるギュスターヴの話に興味をそそられたのかも知れない。彼は背伸びをして、先日に狼を見つけた林の奥を眺めている。


「聞き間違いをしていなければ今日来られるはずだ」


 父は胴体に革鎧を身に着け、両手足には鋼の具足を装備していた。普段見る物ではない。金属の表面には何かの紋様が薄らと描かれていて、腰に帯びる剣も芸術品のような装飾を施された一振りだった。

 まるで名のある騎士の装備のようではないか。我が家のどこにこれだけのものが隠されていたのだろうかと疑問を抱く。二階の立ち入り禁止の物置部屋がどうにも怪しい。

 と、林の奥で重く鈍い音が響き渡った。腹の奥底を震わせる重音だ。驚くわたしの肩に父がその手を乗せる。

 

「来たみたいだ。コール、槍は置いておきな」



「よお! 待たせたな!」


 身の丈二メートル半はある大男が木々のあいだから姿を現した。

 今回は狼に姿を変えておらず、その装いは三日前に会った時からさほど変わってはいない。厚手のジャケットに黒革のグローブ。脚部を覆う鋼のレギンス。

 ただ前回と変わった点があるのは、彼が自身の大きな右手に握り込んだ黄金色に輝く巨大な槍だろう。これはわたしと――特にコルネリウスの注意と感心を強烈に惹きつけた。

 巨漢は自信に満ちた威風堂々とした態度で石塀を超え、丘を歩み、父と正対をする。春風が吹く中、無言のままに互いの手を力強く握り締めた。

 

「頼んだぜ、フレデリック」

「約束は守るよ。それで、そちらが?」

「ああ。我が国、誇りと伝統のルヴェルタリア古王国、そのたった三人の世継ぎのうちの二人だ。さあ、両殿下、前へ」


 ギュスターヴ・ウルリックの巨体とその勇ましい黄金の槍に意識をやっていたわたしは、樹木の幹のように太い両脚の影に控えていた二人の人物に、まるで気が付いていなかった。

 その人物らは子供だった。招くように背中に添えられたギュスターヴの手は小さな盾のようである。

 

 二人のうちの一人。毅然とした態度で一歩前へと踏み出した少女を、わたしは一生涯において忘れることは出来ないだろう。

 目の端がやや吊り上った意志の強い目だ。理想に燃え、一度道を決めればテコでも譲らない心の強さがよく表れている。それにきっと癖の強い性格をしているのだろうという予感が胸をよぎる。

 髪色は若草色。ちょうど足元で揺れている草原とよく似ている。ほどけばきっと肩口まであるであろう髪の毛を後頭部で結わえ、馬の尾型、都会ではポニーテールと呼ばれる髪形にひっつめている。

 

 雪の降りしきる祖国から遠く離れた地だというのに、彼女は自身の身に流れる英雄の血を誇るように胸を張り、一歩、また一歩と強い自信をみなぎらせて草葉を歩み進む。

 

 くらくらした。

 彼女の瞳には懐かしい夕焼けの色があった。

 遠く、古い夕焼けを思い出す鮮やかな緋色。

 古い英雄、〝霧払い〟のガリアン・ルヴェルタリアが有した太陽の瞳。

 

 過去に目を通した本のとある一文が脳裏をよぎる。

 

『勇者の瞳は斜陽の世を救う、明けの太陽のような美しい緋色であった。

 我々は英雄の瞳に揺れる鮮烈な赤に、この胸に鳴る命の音を見出し、世界が再生の中にあることを確かに感じ、理解したのだ』

 

 彼女の緋色とわたしの青い瞳が交差をする。

 全身に電流が流れたようだった。視線は彼女から逸らせず、瞳に意識を吸い込まれる。何時間でも見つめていたいと思った。

 

 やがて彼女がわたしの前に辿り着く。

 吹き抜ける一陣の風が二人の肌を撫で、薄桃色の唇が開かれ――、

 

「いつまで突っ立ってんのよ。あんたカカシ? 邪魔よ、どいて」


 救世の勇者の末裔が、その伝説に憧れる同い年の少年へと向けて言い放った最初の言葉だった。

 

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