二章6話 騎士国の使者
あらゆる出会いや物事に偶然は無く、すべては運命の流れの中に定められている出来事であったのだと。わたしがそう気付くのは、青年となり、仲間と共に雪原の中のとある神殿に踏み入った時のことだ。
誰も訪れぬ朽ちた祭壇。細々と続く信仰を
『例えば。コルネリウスやビヨンといった親しき友人との出会いは、汝に人生を鮮やかに彩る切っ掛けと下地を与えた。そして汝の肉親である三人。フレデリック、リディア、ミリア。彼らは汝の足が再び歩き出すための足場と愛に満ちた帰るべき家。そして汝があらゆるものを犠牲にしてでも再び得たいと望んだ心の温かさを与えた』
かたん、かたん、と一定の間隔で機織りの音が廃墟に響く。
かつてあらゆる運命の糸を見通し、繰った者はとつとつと語る。
『汝に影響を与えたものは人間だけには止まらぬ。かつて霧深い森にまみえた牛頭の怪物は、見えずとも常に
崩れた壁から外を睨むと空が白んでいる。夜明けが近い。地図にない王国を目指す旅が今日も始まろうとしている。
『イルミナ・クラドリンを名乗る白衣の女。そして喪われた大狼の星。星々の数ほどもあろう数多の出会いは、決してぬぐえぬ痕を汝に残していく。……私はここで知られざる糸を紡ぐことしか出来ない。汝の人生に色を。また会おう、太陽の英雄よ』
◆
扉が失われ、随分と風通しの良くなった玄関を呆然と見る。続けて破壊の下手人である巨漢へと視線を移す。巨人と見紛うような――本来の巨人種族は五メートルを遥かに超える背丈らしいが――大男はこちらを振り返り、今更に思い出した顔をして、
「そうだ、坊主。自己紹介がまだだったよな? オレはギュスターヴ・ウルリック。このデカい図体と狼みてえな怖い顔。それに槍の使い手って聞けば何かに思い当らねえか? どうだ?」
見上げたままに記憶を手繰る。自分の表情の変化は見えないが、
「〝霧払い〟の旅の仲間、〝王狼〟の末裔の!? ギュスターヴ・ウルリック!?」
「いかにも。先祖も当然名高いが、オレの活躍も中々のモンなんだぜ? 是非調べてくれたまえよ、フレデリックのせがれよ」
伝説に語られる英雄の縁者と出会えるなどとは夢にも思っておらず、わたしは手を震わせながらギュスターヴに握手を求め――。
「馬鹿もん」
振り下ろされたイルミナの手刀がわたしの手を弾いた。じっとりとした目つきで白い魔女は言う。
「こんな粗野な男は珍しくもなんともないわ。家名は大したものだが、実際は北のルヴェルタリア王国の忠犬よ」
片手を犬の口のように広げ、ワンワンワンワンとおどけた声で言いながらに手を何度も開閉する。ギュスターヴは馴れているようで、はいはい、と呆れたように言うだけだ。
「それにな、貴重の度合いで言えば、わたしという魔法使いの方がはるかに貴重だぞ? 良かったなあ、ユリウス。わたしと出会え、一つ屋根の下で暮らせる幸運に感謝するのだぞ」
「奇人変人と一緒に過ごせるのは幸運でも何でもねえだろ」
巨漢の呟きをイルミナは聞き逃さない。両手を広げ、再びおどけた態度で何かを口にしようとしたが、彼女にしては珍しいことに言葉をぐっと飲み込み、
「戯れるのもここまでにするか。あまりふざけてはまさしくワンコのじゃれ合いになってしまうからな」
「同感だ」
「ちっ……して、〝霧払い〟が興した古き騎士国であるルヴェルタリア古王国の擁する英傑の一人であらせられる〝王狼〟閣下が、一体どのような用向きでこのマールウィンド連邦の辺境まで足をお運びになったのか。その理由をお聞かせ願えるかな? まさかご自慢の槍捌きを、旧友の息子に披露しに来たわけじゃないのだろう?」
居間の椅子をガラガラと引き、イルミナが勢いよく座り込む。すらりと長い脚を組み、片手をひらつかせて話を促す態度は一家の主人どころか一国の王のようである。無論、民草に優しく愛される王ではないだろうが。
「ユリウス、こいつみたいになっちゃ駄目だからな」
「はい。常々に心掛けてます」
「おう、いい心構えだ。さて! オレが緑と山しかねえド田舎に遠路はるばるやってきたのは散歩でもなんでもねえ。上から仕事を頼まれたんだ」
二階へと続く階段から早足で駆け下りる音がする。仕事用の革鎧を脱ぎ、具足を外した黒髪の男。父、フレデリックとそれに続く母が現われた。
フレデリックが目を丸くして言う。
「上? アルフレッドの指示か?」
「よお、久しいじゃねえか! 十八の頃からまるで変わらねえな。そうとも、オレが従うのは〝霧払い〟の末裔であるルヴェルタリア王家の言葉だけだからな。アルフレッド皇太子の言葉には言葉を挟まずに従うのみよ。……ん? やっぱり老けたな。若干オッサンぽくなってるぜ、フレッド」
いいから、と父が苦笑しながらに手を振る。巨漢は茶目っ気たっぷりににやりと笑い、
「ルヴェルタリア王国では古来から絶えずに世界の魔力を調査している。乱れがあれば人を派遣して調べ、対処をする。世界の異常に対して先手を打ってきた。……十五年前は間に合わなかったが」
「ふん、あれだけの規模なら仕方ないだろうよ。それで?」
「先日のことだ。王都の《観測台》の連中が奇妙な魔力の乱れを発見した。危険の度合いで言やあ、王国の目と鼻の先にある《大穴》から現れ続けている霧のバケモノの方がよっぽどおっかねえんだが、今回の発見はどうにも異常らしくてな」
ギュスターヴは一度言葉を切り、居間に集った人物を眺め見る。
「今が何年か分かる奴は?」
「唐突に何だ? 今年は北天暦千年。ガリアンが霧を払ってより千年の祝福の年だろう」
「さすがは大魔法使い。正解だ」
茶番は結構。そう言ってイルミナは手に持つ杖で巨漢の背中を小突く。
「世界を滅ぼしかけた〝霧の
「連邦と協力はしないのか? そもそもルヴェルタリアの騎士が国境を越えたっていうのが俺には信じられないんだが……」
「無断じゃねえさ。ほれ、見ろ」
ギュスターヴは厚手の毛皮のジャケットのポケットをまさぐり、しばらく菓子のカスやら紙の切れ端を落としながらにごそごそと手を動かすと、やがてひとつの書簡を取り出した。くしゃくしゃになり、所々が潰れている。
「ルヴェルタリア王、レオニダス陛下直々の書簡だ。王家の紋章もバッチリ。こいつがありゃあ関所なんぞは楽々突破よ」
体を伸ばしてどうにか覗いてみれば、そこにはルヴェルタリアの王家、〝霧払い〟の末裔が用いる聖木と十三の星の紋章が確かにあった。
と、そこで巨漢のギュスターヴがおどけた表情を浮かべていることに気が付いた。まるで自身の寒い演技を自嘲しているような顔だ。
「とまあ、この魔法の紙切れをもってオレは連邦の領土内を四方八方と歩き回るのさ」
「なるほどな。それで閣下は常冬の大地からやってきたわけだ。だが疑問がある。どうしてお前なのだ?」
湯気の立つカップを傾けながらにイルミナが言う。
「魔力異常の調査? そんなもの、相応の装備をもたせた下っ端にやらせれば良いだろう。ルヴェルタリアには優れた人材が数多くいることは承知している。それだというのに、かつて剣王と呼ばれたレオニダス王の忠臣が単身で連邦領内を嗅ぎ回るなどと……それこそ連邦当局の関心の的になるに決まっている。まさか追っ手を連れてきてやしないだろうな」
白い魔女は饒舌に語り、ひとしきりを喋ると飽きたのか長い息を吐く。艶やかな唇が薄らと開き、
「さて……。つまらぬ芝居にはもう幕を下ろしてもいいだろう。ギュスターヴよ。この茶の湯気が消えぬうちに本当のところを語ってくれんかね」
「オレも飽き飽きしてたところだ。いや、盗聴の虫がついてねえかと不安だったんだが、どうやら居ねえようで安心したよ」
ギュスターヴが家屋の壁の向こうを睨む。物音がしなければ誰の気配も無いように思えるが、わたしには気付けぬ何かが居たのだろうか。
「簡潔に言えば……避難だ」
「避難?」 巨漢の言葉に父が不審げな顔をする。
「これは親しいお前らだからこそ話すんだが……正直な話、ルヴェルタリアは微妙な緊張状態にある。おい、
薄灰色の瞳にじろりと睨まれるがしかし、彼女はあごをくいと上げて、話の先を促す仕草をするだけである。
「やれやれ……。まあ、いいか。実を言えば《大穴》の様子が妙なんだ」
「ほう……」
退屈そうな顔にも関わらず、イルミナが興味を顔に浮かべる。
「ユリウス、お前は《大穴》に聞き覚えは?」
「〝霧の
《大穴》、またの名を《イリルの大空洞》。
それは世界の北西に広がる白銀の大地、イリルという名の白い大陸に穿たれた大地の傷。その外観を端的に言えば、底のしれぬ巨大な穴である。
〝霧払い〟の英雄ガリアン・ルヴェルタリアに打ち倒された〝霧の
それは即ち、絶えることなく霧が溢れ続ける世界屈指の忌み地。内より現われる魔物は他大陸の比ではなく、神話に語られるような怪物だという。
〝霧払い〟はその地に国を興した。
霧の根絶を御旗に掲げ、現われる魔物を討ち、世界の平和を守る守護者にならんと。それが古くより続くルヴェルタリアという名の騎士国。強壮な騎士たちは遠い古来より今日まで戦い続けている。そう、それは今、この瞬間にも。
「あの深淵に異常だと?」
イルミナが当惑を隠しきれない声で言う。彼女が慌てることなどこれまで一度も目にしたことがなく、驚きを覚えるのはこちらの方であった。
「ああ、そうだ。大昔から一度も途絶えることなく溢れ続けていた《大穴》の霧だが、最近はムラがあるんだ」
「ムラ……?」
「一週間近く晴れ続けることがあれば、まるで活火山の噴火みてえにとんでもねえ量の濃霧が噴き出す場合がある。そういう時は決まって洒落にならないバケモノが現れるのさ。……まあ、十三騎士団の手にかかりゃあ、なます切りだがよ」
「いつからなんだ?」
フレデリックが神妙な面持ちでたずねた。まるで刃のようにするどい声だ。
「去年の冬からだな。参ったぜ、全くよ」
「去年の……冬……」
「何かあるのか?」
巨漢にたずねられたフレデリックがリディアを振り向く。栗色の髪をした妻はこくり、とうなずき、
「あのね、ギュスターヴ。去年の冬にうちの息子がその……迷ったの。森で」
「……なに?」
大男の薄灰の視線がわたしを射抜く。胸に不安が湧き、久しく忘れていた自身の嘘と胸の傷、失った記憶とが一挙に後ろめたく感じられた。
胸が、詰まった。
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