第9話 分界 -Limbo-

・1・


 土曜日。午前十時。

 今日は夜泉から受けた依頼を決行する日だ。

 あの後、依頼を受けるか受けないかでかなり論争が起こった。

 その大きな理由は彼女の探し物がある場所にあった。


 裂け目ゲートの向こう側。

 つまりは全く未知の領域ということになる。


「……やるしかない、か」

 ユウトは靴を履いて、扉を開けた。

「あ、ユウ。おはよう」

 ほぼ同時に、隣の部屋に住む伊紗那が扉を開けていた。

「おう。おはよう」

「どこかに行くの?」

 伊紗那はユウトを見る。

 ユウトは少し大きめの肩掛けバックを背負い、動きやすい服装だ。

「あ、あぁ。今からバイト先の店に行くんだよ。今日は臨時でシフト入る事になっててさ」

「そうなんだ」

「だから今日は帰りが遅くなるから夕飯はいいよ。たまにはゆっくり休んだ方がいい」

 そう言ってユウトはその場を離れようとした。

「ねぇ、ユウ……」

 伊紗那が呼び止めた。ユウトは振り返る。

 太陽の光を背にした彼女は、ユウトの目には眩しく映る。

「今度、バイト先にお邪魔してもいいかな?」



 探索組のメンバーはユウト、タカオ、ガイ、刹那そして夜泉の五人だ。

 ミズキと集まってくれた他数名は裂け目の前で待機。

「つってもなー。ゲートがどこに現れるか全然わかんねーよな」

「やっぱり危ないよタカオ。もし向こう側に行っても帰れなくなったら……」

 ミズキはこの依頼については反対だった。しかしタカオは、

「やつらはゲートから出てくるんだ。もしかしたら巣とかあるかもしれないだろ? 運がよけりゃあ一網打尽できるかもしれない。それにいざとなったら俺がみんなを守るし。大丈夫だ」

 タカオはミズキの頭をポンポン叩く。

「魔獣と戦うのはお勧めできないけど、大丈夫よ。そこは私の魔法でなんとかできると思うわ」

「あんた……どんな魔法を持ってるの?」

 ミズキは問う。

「私の魔法はあまり派手ではないの。……そうね。例えば今からそこにゲートが開くわ」

 彼女がそう言った数秒後、ガラスを叩き割ったような破砕音がした。

 空間が軋む。赤くひび割れた空間は徐々に穴を広げていく。

 初めて見た。目の前でゲートが開く瞬間だった。

「なっ……ほんとに!?」

「ボーっとするな!」

 最初に動いたのはガイだった。

「……赤狼レッド・ウルフ

 左目を赤く染め、ガイは腕を横薙ぎに振るう。腕の軌跡を追って炎が走り、それらは狼の姿となって弾丸のように疾走する。

 炎の狼たちは今まさにゲートから出てこようとした魔獣に噛みつき、その体を燃やし尽くす。

 ガイの操る炎の魔法だ。

 魔獣は苦痛の叫びを上げ、やがて消滅した。


 タカオはガイとハイタッチし、

「サンキュー、ガイ。相変わらずお前の赤狼はイカしてるぜ」

「赤狼?」

 夜泉は首を傾げる。

「あぁ。俺たちは自分の使う魔法に名前を付けてるんだよ。だいたいタカオが決めてるんだけど」

「どうして?」

 もっともな疑問だ。確かに能力に名前を付けることに意味はないかもしれない。これは言ってしまえばただの自己満足だ。それでもタカオはそうする。

「自分の力を好きになってもらいたいからだってさ」


 ユウトの魔法、理想写しイデア・トレースは刹那が名付けたものだが、確かに名前を付けると多少なりとも愛着が湧く。

 タカオの金剛の右腕デクス・ダイアモンドも。

 ミズキの相違知覚アナザー・センスも。

 ガイの赤狼レッド・ウルフも。

 立派な彼らの個性だから。

 夜泉はキョトンとした顔をしたが、すぐに「へぇ……」っと笑みを浮かべる。

「ところで何でゲートの場所がわかったの?」

 刹那は夜泉に聞いた。

 この島で無作為に発生するゲートを彼女はピタリと言い当てた。カンや当てずっぽうではないはずだ。


「近い未来に私に訪れる危険を予見する。それが私の魔法。フフ、便利でしょう?」


 要するにゲートが開いて、そこから魔獣が現れるという危険を彼女はあらかじめ察知したということだ。この力があれば、ゲートの向こう側でも危険を回避できるわけだ。

「それより、」

 夜泉はプクっと頬を膨らませ、不満そうな顔でユウトを見る。

「何?」

「私の魔法には名前を付けてくれないの?」


 後でタカオたちと相談し、彼女の魔法は「災厄封じトラジディー・ディスターブ」と名付けられた。

「よし、それじゃあ行くぜ!」

 タカオの声に皆が答えた。



 ゲートをくぐると別の場所に出た。思った通りゲートはどこかと繋がっているワームホールなのだ。

「そっちは大丈夫?」

 ミズキは言った。

「あぁ、大丈夫だ。心配すんなって」

 タカオは足場を確認して言った。

 タカオとミズキはゲートを挟んで実際には二メートルほどしか離れていない。しかし、二人の立つ場所は全く異なっている。

「それよりお前ら、ちゃんとそこでゲート見張っとけよ?」

「うん」

 夜泉が言うにはゲートは魔法使いが近くにいると、その魔力に影響され閉じにくくなるらしい。距離にして半径一メートル。その範囲に魔法使いが立っていれば、いつもなら数十秒で閉じるゲートは閉じることはない。


 ユウトは辺りを見回した。

 辺りには繁々とした真っ白な樹木が並んでいる。どうやらここは森の中のようだ。まるでキャンパスに色を塗る前の森といった感じだ。

「気をつけて。ここはもう敵地のようなものよ。いつ魔獣が襲ってくるかわからないわ。ミズキ、見える?」

 刹那は注意を促す。刹那にとってももうここは未知の領域だった。本家で読み漁った文献ではゲートの先のことについては一言も書かれていなかったからだ。

「ごめん。こっちからじゃそっちの周囲を把握できない」

(つまりここは本当に別の空間ってこと?)

 刹那は顎に指を当てて考える。

「ゲートはこっちで見ておくから、危なくなったらすぐ帰ってくるんだよ!」

「とりあえずこの森を抜けましょう」

 夜泉の指さした方向に一行は歩き出した。

 夜泉はスッとユウトの横に並んだ。刹那の目が痛い。

 どうも彼女は自分の傍に寄ってくることが多い気がする。

「あのさ……」

「何?」

「どうしてそんなにくっついてくるんだ? それにこの前だって、その……教室で……」

 彼女の唇に目が行ってしまう。あの柔らかい感触が今でもしっかりとユウトの脳裏に焼き付いていた。

「あら、迷惑だったかしら?」

「迷惑も何も、お前はいいのかよ? 好きでもないやつと、あんなこと……」

「ふふ。ああすれば誰も私に無用な干渉はしてこないでしょう? 何人か敵は作ってしまったかもしれないけれど」

(それは、力技すぎやしませんか?)

「私は私の目的のためにあの学園に入学したし、今だってそう。だから最後まで協力してね」

「そっか。わかった」

 ユウトはそれ以上何も聞かなかった。これには夜泉もびっくりしたようで。

「意外だわ。もっと根掘り葉掘り聞いてくると思ったのに」

「聞いてほしいのか?」

「いえ。あなたのそういうところ、割と好きよ」

 夜泉は仄かに頬を赤く染めて言った。

「むっ……!?」

 ヤメテー。ムダナゴカイヲウマナイデー。



 真っ白な森を抜けると広い場所に出た。

 草や木などなく、切り立った崖や異様に隆起した岩が辺りにたくさんある。いずれもやはり真っ白だ。景色はまるでどこかの山脈に迷い込んだようだ。

「ねぇ、あれ」

 唐突に刹那が空を指さす。

「なんだ……あれ」

 それは辺り一面を照らす光の根源。

 黒い太陽がそこにはあった。

「……黒いな」

「黒い」

「あぁ」

「そうね。真っ黒ね」

 皆一様にそう答える。

「確かに。てっ……そうじゃないでしょ! どう考えたっておかしいでしょ!!」

 太陽が黒く輝くなんて聞いたことがない。

 真っ黒な太陽は、ユウトたちが知っている太陽同様にさんさんと輝き世界を照らしている。不気味なほど真っ白に。

「先に……っ!? ダメ。みんな、ここからすぐに離れましょう。もうすぐここに魔獣の群れが来るわ」

 夜見の災厄封じが反応した。

「わかった。じゃあとりあえずあの崖の上に移ろう。魔獣をやり過ごす……ってユウト?」

 ユウトは奥に見える洞穴を見ていた。

「どうしたの?」

「今あそこに人影が見えたんだ」

 ユウトは確かに見た。薄暗い洞穴に入っていく人影を。一人だった。


「……行かなきゃ」


 ユウトは洞穴を目指して走り出した。

「ちょっとユウト君! もう時間が――」

「ほっとけないだろ!」

 災厄封じの危険回避率はほぼ百パーセント。彼女の言葉を無視するということ、それはつまり、百パーセント危険に晒されることを意味していた。

「あのバカ!! ガイ、見える?」

 ガイは一足先に高台で周囲を見渡していた。

「あぁ。逆神の言う通り魔獣がこっちに来ている。数は八」

「やるしかないな」

 タカオは右の拳を左手に打ちつける。

「あぁもう!!」

 魔獣たちの雄たけびが辺りに反響した。


・2・


「タカオたち、大丈夫かな……」

 ミズキは心配で同じ場所を何度も行き来していた。

「大丈夫だって。いざとなったら逃げてくるさ」

 同じ待機組のメンバー数名は皆頷く。彼らも全く心配していないわけではない。むしろその心配を振り払おうと無理にでも元気であろうとしていた。

(あーもう私の馬鹿! 心配なのは私だけじゃないじゃない!)

 バシン。と痛い音が響いた。ミズキは自分の頬を叩いたのだ。

「……イタタ」

 思ったより強くしすぎた。痛い。他の連中も唖然としている。

 だけどどこからか笑いが込み上げてくる。

(そうだ。私たちがちゃんとあいつらを迎えてあげないと)


 その時。

 ザッ。ミズキの目の前を高速で何か黒いものが通った。

「っ!?」

(……今、何かいた? ……みんな気付いてないみたい……でも勘違いなわけ――)

 感知魔法を扱う彼女だから気付けたのかもしれない。


 確かにさっきまで何かいた。


 ミズキは黒い影が通った方向を辿るが、そこにはただ空間にできた裂け目があるだけだった。



『Blade』

 ユウトはメモリーを籠手に差し込み、白銀の刀を召喚する。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 刹那に習った魔力による加速で獣型の魔獣の懐に入り込み、刃を突き立てる。そのまま刀を通して増幅された魔力が一気に放出され、魔獣の体が四散した。

(まず一体。だんだんこの刀の使い方もわかってきたぞ)

 送った魔力を増幅させ、斬撃として放出する。それがこの刀の能力。

 体の方もいつもより軽い。思った場所へ素早く動ける。これなら――

(いける!)

 放出された魔力は傍にいた飛行種も巻き込み、地面に落ちたところを刹那がトドメとばかりに雷撃を放った。

 タカオとガイの方を見ると、すでに三体片づけていた。刹那は今ので三体目。残りは一体のみ。

「……ダメ」

 夜泉は怯えたような表情で言った。

「ダメ……まだ来るわ。早く逃げないと」

「GAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」

 遅かった。

 先ほどの戦闘音を聞きつけてさらに岩の影から新たな魔獣が姿を現した。

 周囲を囲まれてしまっている。上空には複数の飛行種が旋回している。

 逃げ場がない。

「はは……これはさすがにマズいな」

 タカオは思わずそう言った。数は軽く三十はいるだろうか。

「GAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」

 獲物を見つけた猛獣は爪を尖らせ、一様に唸り声をあげる。

 群れとは言っても統制も何もない。獲物で遊ぶ趣向もない。

 ただ喰らう。獣のように。


 ユウトは魔獣と戦うのを止めない。

 ただ目の前の魔獣の肉体に刀を突き刺していく。破壊する。


「来るぞ!」

 一斉に襲ってきた。

 その言葉で全身の筋肉に力が入る。


 その時だった。

 ドーン! 爆音が鳴る。ユウトたちの真正面に何かが落ちてきた。

(……岩か? いや、違う)

 煙が晴れその姿がくっきりと見える。

 頭まで隠れた黒衣を纏った人間。顔は面で隠れている。

「あいつも、魔法使いなのか……」

 仮面の魔法使いはこちらを一瞥すると、持っていた身の丈ほどある奇妙な形をした大剣を構える。青龍刀だろうか?

 そのまま目にも止まらぬ速さで一体、また一体と魔獣の首を落としていく。

「……あの剣」

 仮面の魔法使いが持つ大剣に刹那は見覚えがあった。

(間違いない。港で私を襲った剣だ)

 大剣の刀身に描かれた龍の模様が同じだった。


 だが。

 驚くのはまだ早かった。


 そいつはさらに驚くべきことをやってのけた。

「あれは!?」

 取り出したのは紫色の棒状の何か。それはユウトがよく知るものだった。


「……何でアイツがメモリーを」


 左腕を大きく振るい、黒衣の中からユウトと同じ籠手がその姿を現す。配色に若干の違いはあるが、姿形は全く同じ。見間違えようがない。

 仮面の魔法使いは無言で手にしたメモリーを籠手のスロットに差し込む。


『Haze』


 聞き慣れた電子音。

 間違いない。これは――


「……理想写しイデア・トレース!」


 籠手から大鎌がその姿を現した。同時に仮面の魔法使いの周囲に濃い霧が立ち込め始める。

「何、この霧?」

 どうやらあの鎌から出てきているらしい。刃の付け根部分に噴射口のようなものがついていて、そこから蛇口のように止めどなく霧が吐き出されていた。

 やがて鎌を持った当の本人がぼやけて見えなくなると、同時にあれだけ騒がしかった周囲の鳴き声が一斉に止んだ。

(魔獣の鳴き声が消えた……)

 程なくして、周囲を支配していた霧は薄れていった。

 仮面の魔法使いの姿がはっきりと視認できる。

「そんな……」

 刹那は絶句していた。それも無理はなかった。


 あれだけいた魔獣の群れが全て切り刻まれていたのだから。



「……お前は、誰なんだ?」

 ユウトは刀を握る力を強くする。

「……」

 仮面の魔法使いは答えない。

 ユウトと同じ魔法を使う魔法使い。間違いなくユウトよりもそれを使いこなしている。それは無残に倒れている魔獣の山が証明していた。

「誰なんだよ!!」

『Cain』

 仮面の魔法使いは大鎌を消失させ、新たなメモリーをセットする。現れたのは最初に使っていた等身大の大剣だ。

 最初に動き出したのは刹那だった。伊弉諾いざなぎを召喚し、刀身に魔力を集中する。

 ガキン! 両刃が激しくぶつかる。

「……アンタ今――」

「……」

 さらに三度、剣を合わせ、刹那は一度距離を取る。

「……っ!?」

 グッと相手が近づいてきた。上から振り下ろされる刃が刹那を襲う。

「おおおおおおおお!」

 二人の間を割って入るように、ユウトとタカオが刹那を守るように大剣をそれぞれ刀と盾で受け止めた。

 だが、相手はユウトの腕を掴んでグィっと引き寄せ、その勢いを利用して回し蹴りを繰り出す。押し出されるように蹴飛ばされたユウトは受け止めたタカオもろともふっ飛ばされた。

「がはっ! ……くそっ」

 白刀はユウトの手を離れ、霧散してしまった。

(あの大きな剣、あれを出すのは二回目だ。あいつのメモリーは使っても消えないのか?)

「ガイ! 力を貸してくれ!」

 ユウトはガイからメモリーを生成するとそれを差し込む。

『Heat』

 赤い拳銃がユウトの手に出現する。

 ユウトはそれを仮面の魔法使いに向けて発砲する。火球が仮面の魔法使いに向けて飛んでいった。

 仮面の魔法使いは剣で振り払おうとしたが、大剣に触れたその瞬間に火球は激しく爆発した。

「よし、でかした!」

 刹那は煙を突き抜け、刀を構える。

「逃がさない!」

 後方に飛び、煙から脱出した仮面の魔法使いはさらに新たなメモリーを取り出した。

(どんな武器を出そうが、その大剣を消して新しいのを出す暇は与えない!)

 理想写しの弱点。それは新たな武器を出すために、手持ちの武器を一度手放す必要があることだ。それはユウトの理想写しですでに確認済みだ。


『Riot』


「「何!?」」

 さっきの大剣はまだ発動中のまま、仮面の魔法使いは新たな魔法を発動した。

(魔法を、二つ同時にッ!!)

 現れたのは長銃。

 長銃は仮面の魔法使いの前で無数に分裂する。その数はゆうに百を超える。

 その銃口は全て刹那に向いていた。

「っ!?」

 ダダダダダッ!! 一斉に魔力の弾丸が放たれる。

(ダメッ……)

 刹那はせめて頭だけでも守るため、体を丸める。


「間に合えぇぇぇぇぇ!」


 横からユウトが刹那を庇う。

 迫りくる弾丸の嵐。

 次に来たのは骨が砕けそうなほどの強い衝撃。ミシリと左腕から嫌な音が聞こえた。

「ユウト!」

「大丈夫だ。問題ない!」

 あれだけの数の弾だったにも関わらず、思ったより被弾が少ない。


「一度引きましょう。これ以上ここでの戦闘は無理よ!」

 夜泉は叫ぶ。まだ周囲に魔獣がいるのか?

 ユウトたちは仮面の魔法使いに背を向け走り出す。タカオは最後尾で右腕に盾を形成して味方の安全を確保している。これなら仮面の魔法使いの銃弾を少しでもやり過ごせる。

 ふと、ユウトは不思議に思った。

(……どうして追ってこないんだ?)

 だが今はそんなことを考えている余裕がない。


 グニッ。足を何かに取られた。


「GAAAAAAAAA!!」

 再び魔獣の雄たけびが聞こえた。死んだと思っていた魔獣の一体がユウトに飛びついてきた。

 コンクリートの柱さえ噛み砕く強靭な牙。

「ぐあっ!!」

 一瞬の浮遊感。だがその後に胃が持っていかれるほどの落下感がユウトを襲う。

 そのままユウトは魔獣もろとも崖下へ落ちていった。

「ユウトぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 刹那の声が谷間で木霊した。


・3・


「うっ……ん……はっ!?」

 ユウトは目が覚めた。すぐに辺りを見回す。

(冷たっ!? 俺、どうなった!!)

 ユウトがいる場所は川の浅瀬。服はびしょ濡れだ。

 少し離れた所には魔獣の死体が転がっている。どうやら魔獣の体が肉のクッションの役割を果たしたらしい。噛みつかれた腕も籠手が守ってくれたようだ。全身が岩のように重たいが、動けないほどではない。

「ここは……俺は確か崖から落ちて……」

 上を見ても刹那たちを確認できない。どうやら落ちた場所が川でそのまま流されてしまったらしい。

 持ってきたリュックは水流に流されてしまったか……。

(よく死ななかったな俺……)


 ユウトはとりあえず川から出た。なんせ人類未開の地で軽く遭難中だ。できることはやっておきたい。

 とりあえず体温を奪われるのはまずい。

「……どうにか、火を起こせないもんかな」

 ポケットにはメモリーが二つ。タカオとミズキのだ。

「こいつでどうにかするしか……」

 その時、背後の草木から音がした。

(……ッ!? 魔獣か?)

 ユウトは姿勢を低くして息を押し殺す。

 ザザ、ザザ。草が擦れる音が聞こえる。

(こっちに来てる……)

 ザザ、ザザ。影が見えた。

(来た!)

「ようやく見つけましたよ。ユウトさん」

「アリサ……」

 草むらの影から現れた人影。そこには遠見アリサが立っていた。



「ほらこっち来てください」

 ポンポンとアリサは座れそうな岩を叩く。

「あ、あぁ」

「どうぞ」

 ユウトが座ると、アリサはパンを一切れユウトに渡す。

「ありが、いっ……!?」

 突然の激痛に思わずパンを落としてしまう。

 ユウトは思い出したように右腕を抑える。今まで神経使ってきたのが一気に気が緩んで、麻痺していた感覚が戻ってきた。

(川に流されてた時に岩か何かに当てたのか?)

 右腕が青く腫れていた。内出血を起こしている。

「はぁ……。ちょっと我慢してください?」

 そう断りを入れてアリサはナイフでユウトの服を裂いた。

「ちょっ……!?」

「じっとして!」

「……はい」

 アリサはまるで登山家が持つような背中のバックパックから救急キットを取り出し、応急処置をしてくれた。

 幸い、右腕以外に大きな怪我はない。手近にあった木の棒と破った服で右腕を固定する。


 的確な処置を済ませ、アリサはふぅっと息を吐く。

「はい、これで大丈夫です」

「ありがとうアリサ」

 ユウトはお礼を言った。

「い、いえ。これくらい当然です」

 アリサはワシャワシャと両手を振る。

「あと、しばらくこれを持っていてください」

 アリサはポケットから赤い石を取り出す。

「これは?」

 宝石のように透き通った綺麗な赤い石だ。

「魔法石です。消耗品ですが持っていると魔力が回復します。体内の魔力が活性化すれば怪我の治りは劇的に早まります」

 確かにこの前の戦いの時といい、魔法が使えるようになってからというもの、傷の治りが早いとは思っていた。

 左腕の方には問題ないことを確認すると、ユウトはさっき落としたパンを拾う。軽く振ってそれを口に運ぶ。

「ちょっと! 汚いですから。今すぐ新しいのを……」

「いいよこれで」

 ユウトはニコリと笑った。

「……」

 アリサは少しだけ不満そうな顔をしたが、自分の分を取り出し食べ始めた。


「それにしてもどうしてゲートをくぐったりなんかしたんですか?」

「それは……」

 夜泉のことを言ってもいいものか。彼女は何も知らない。ただでさえ何度も助けてもらっているのだ。関係ないことには巻き込みたくない。

 この場はとりあえず嘘をつくことにした。

「その……魔獣がここから出てくるから、住処とかないかみんなで調査を……」

「じー」

 アリサは疑惑の目でユウトを見ている。

「と、とにかく助かったよ。なんで俺がここにいるってわかったんだ?」

「あれだけバカでかい音を出して気付かないとでも?」

(ですよねぇ……)

 どうやらあの人影はアリサだったようだ。

「ん? でもどうしてこんなところにアリサがいるんだ?」

「あなたには関係ありません」

 アリサは答えてくれなかった。

 だけど、まだ聞きたいことはある。

「だったら教えてくれ。アリサ、ここはどこなんだ? あの黒い太陽と言い、ここは俺たちの住んでいる世界じゃないのか?」

 アリサは無言で座っている。やがて口を開き、

「ここは分界リンボ。終わった世界の成れの果てです」

「終わった世界?」

「付いてきてください。出口まで案内します」

 アリサはキットを片づけ歩き出す。


 刹那たちは上手くこの分界という世界から抜け出せただろうか? どの道ここがどこかもわからない状況だ。ユウトには彼女に付いていく以外に選択肢はなかった。


 この壊れてしまった真っ白な世界をただ二人、歩き始めた。


・4・


 タカオたち四人は来た道を戻り、裂け目をくぐって元の場所まで戻って来ていた。

「だはぁ!! はぁ……はぁ……さすがに死ぬかと思った……」

「ちょっと、みんな大丈夫!? 怪我は? ええと、こういう時は……」

 皆の異様な消耗具合にミズキはパニックになっていた。水、水と少しでも回復させようと右往左往している。

「なんで! まだユウトが!!」

「……落ち着け刹那!」

「落ち着いてられるか!」

 ガイの静止を振り切り、刹那は再び裂け目に入ろうとする。

 バシン! 乾いた音が鳴った。

 ミズキが刹那の頬を引っ叩いた。

「……あ」

「落ち着いて。まだ大丈夫」

 大丈夫なんて言葉は無責任すぎる。それは理解している。生きている保証だってどこにもないんだから。

 しかし。

 死んでいるという確証もどこにもない。

 だからミズキにはこれしか言えない。

「次は私も行くから」

「……ごめん」

 刹那はミズキに体重を預け、やがて膝をついた。

 ミズキは優しく刹那を抱きしめる。

「あぁあ。その役目は俺だと思ってたんだけどなぁ。美味しいところ取りやがって」

 タカオは冗談混じりに言った。

「「それはない」」

「……そろそろ俺にも春が来てもいいと思うんですよ」

 タカオは隅っこで小さくなってしまった。

「だがどうする? 逆神の依頼どころではなくなってきたぞ」

 ガイの言葉に夜泉はやむを得ないと言った顔で頷く。

「問題はまだあるぞ。あのお面を付けた魔法使い。あれは全員でかかっても難しい」

 タカオが言っているのはユウトと同じ魔法を使う魔法使いのことだ。一つ一つが強力な魔法の豊富さに加え、あの驚異的な身体能力。まだまだ底が見えない。

 間違いなく強敵だ。

「私があいつを足止めする」

 刹那は拳を握りしめて言った。

 相手が誰であろうと、今この瞬間、仮面の魔法使いあいつは邪魔だ。

 その瞳には確かな意志が見えた。


 タカオは一度だけ頷いて、全員に聞こえるほど大きな声で言った。

「みんな聞いてくれ! これから俺たちはユウトを助けに行く。奥へ行くメンバーは俺たちだが、ゲートが開いている間、魔獣から入り口を死守するのはお前たちの役目だ」

 みんなタカオの声を聴いていた。

「確かにゲートの先には魔獣がウヨウヨいやがった。怖いなら辞退しても構わねぇ。でも考えてみてくれ。待っていても魔獣はまた来る。大事な仲間を見捨ててまで、わざわざやつらを待ってやることはないとは思わねぇか? それは俺たちのやり方じゃねぇだろ!!」

「おおおお!!」

 全員が声を張り上げた。ここにいる全員が同じ思いのだ。

「よっしゃぁ! じゃあとりあえずメシだぁ!!」

 タカオがさらにそれを上回る声を上げた。

「おおおおおおおおおおお!」

 さらに声が大きくなった。

「ふっ……アイツらしいまとめ方だな」

「ふふ、そうだね」

 いつだってそうだ。ここにいるみんなはタカオの言葉きれいごとを待っている。その言葉が大人のそれよりも、いや他の誰よりも綺麗だから。

 だからついていきたい。

「ほら、みんな! スープ作ったよ! 並んだ並んだ!」

 ガイとミズキを中心に、店から持って来ていた食材を使って即席のスープを振舞った。疲労した体にスープは染み渡る。


 夜泉は近くの壁に背を預け、そんな彼らを外側から見ていた。

 タカオ、ミズキ、ガイ。

 あの三人を中心にこの集団は回っている。それがよくわかる。

 特にタカオはただの一声で全員の心を一つにしてしまった。それが意図したことなのかそうではないのか。いずれにしても、それは誰にでもできることではない。

(……何だか懐かしい光景ね)


「なんでまた私が電源にならないといけないのよ!!」

 さっきまでの諦めムードはどこかへ行き、みんなユウトを助けるために今自分にできることをしている。


 その時、背後からカツカツと足音がした。


「あら、偶然ね」

「……No。呼んだのはあなた」

 鳶谷御影は静かに夜泉の横に並び立つ。

「……あの時の答えを聞こうかしら」

「それはもうとっくにわかってるんじゃないかしら? あなただってそれがわかってるからこそ、ここに来たんでしょ?」

「……」

 今までずっと夜泉は御影の監視下にあった。

 御影は夜泉の服の襟に付けた小型カメラでユウトたちをずっと見ていた。

 その様子を観察していた。

 

 彼女が御影に言った、人を突き動かすものを。その正体を知りたくて。


「その人は逆神さんの知り合い?」

 御影の存在に気付いたミズキは夜泉に聞いた。

「……Yes。鳶谷御影と申します。以後お見知りおきを」

「あ、これはどうも」

 二人は軽く握手をする。

「それで? あなたは彼のために何ができるのかしら?」

 ちょっとムッとしたのか、御影は夜泉を睨み、やがて指をパチンと鳴らした。

 ゴゴゴ! 突然二台のトラックが入り込んできた。

 プシューっと音を立て、トラックの荷台が開く。


 そこには――

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