第8話 タダシキオコナイ -fragile-
・1・
「……さて吉野さん。私とデートのお時間です」
「はい?」
次の日、御影は唐突にそんなことを言ってきた。
「えーっと……なんで?」
そんな約束をした覚えはない。
「……Yes。最近いろんな女の子とあっちこっち行っているようなので、私もそれに
(ん? 今不穏な言葉が聞こえたぞ?)
「そんないきなり言われても……」
「……ダメですか?」
御影は表情一つ変えない。変えないが語調は少しだけ落ち込んでいるように感じた。これも一年という月日で培ったスキル「御影ちゃんご機嫌診断」の賜物だ。
「……わかったよ」
「……Excellent。いい答えです。花丸を差し上げましょう」
御影はパチパチと手を叩く。
やって来たのは意外にも、はみだしの入り口だった。
「で? 俺は何をすればいいんだ?」
「……Yes。そうですね。今から買い物をするので荷物持ちをお願いします」
(もはや隠しもしなくなったな)
はみだしへと入り、御影に連れられ建物の角を右へ左へと曲がる。
「よく来るのか?」
「……Yes。材料を買いに」
「材料?」
ユウトは首を傾げる。
「あれです」
彼女の指さす先にあったのは、どこにでもありそうなペットショップだった。
御影は迷いなく店内に踏み込む。
「あれ? お嬢ちゃんまた来たのかい?」
「……Yes。新しいネズミをください」
「……はいよ」
そう言うとお店のおじさんは少し悲しそうな顔をして、店の奥へ消えていった。
「チッチッチ」
御影は待ってる間、籠の中のひよこを見ていた。何か通じ合っている。
「材料ってもしかして実験用マウスのことか?」
「……Yes。ここの店長は非常に状態のいいネズミを育てますので」
一般的に新薬などの実験にネズミが使われるのにはいくつか理由がある。一つは人間と同じ哺乳類であること。そしてもう一つはその高く、安定した繁殖力が上げられる。
しばらくすると、おじさんが少し大きめのケースを持ってきた。
「ほんとんとこ、あまり動物の命を粗末にして欲しくないんだがなぁ」
「……申し訳ありません。ですがこれが私の仕事ですので」
ここに買いに来るようになってもう長い。
彼がそれ相応の愛情をかけ、動物を育てていることを御影は知っている。
しかし、悲しいことにこうした尊い命の犠牲の上に人類が成り立っているのもまた事実。人が生きていくために牛や豚を食べるのと同じ。どうしても必要な犠牲なのだ。
おじさんもそれを理解しているのか、それでも最後に、僅かばかりの抵抗として、一言こう言った。
「今度は、ネズミ以外を買いに来てくれたらおじさん嬉しいな」
「……」
御影は少しびっくりしたように目を開き、そして、
「……Yes。考えておきます」
「おう、待ってるぜ」
そうして二人は店内を後にした。
「……重い。というより中でゴソゴソ動いてるから重心が」
「……Yes。頑張ってください。……弛緩ガスありますけど使いますか? 動かなくすれば少しは――」
おもむろに御影はカバンからスプレーを取り出した。
「何でそんなもの持ってるの!?」
「……Yes。乙女はいろいろです」
(……何それ怖い)
しばらく歩いて、二人は公園のベンチに腰掛けた。束の間の休憩である。
御影は無言で目の前にいる小鳥を見つめていた。ユウトも特に何も話さない。
まるでいつもの図書委員としての二人のようだった。
なんだか心地良い雰囲気だ。
「……吉野さん、私がやってることは酷い事だと思いますか?」
唐突に彼女はそんなことを聞いてきた。
「何言ってんだ?」
「……え?」
「誰かの役に立てるんだから、酷いなんて思うわけないだろ。お前は立派だよ」
ユウトはそう言った。
さも当然のように。
「……そう、ですか」
表情は髪で隠れていて見えない。
ピピピ。その時、御影の携帯が鳴る音がした。
御影は送られてきたメッセージを開いて、
「……すみません。今日はお開きです。急用が入りました」
「そっか。どうするこのネズミ? 一度引き受けた以上最後までやるぞ?」
ユウトはケースをポンポン叩く。
「……No。そうやって私の部屋にしけしけと上がり込む寸法ですねそうはいきません」
「何でそうなるんだよ……」
「……冗談です。業者を呼びますので大丈夫です。今日はありがとうございました」
御影はお辞儀をする。
何というか、こんなに素直な彼女も珍しい……気がする。
(あれ? だったら初めから業者を呼べばよかったんじゃ……ま、いいか)
「わかった。また手伝いが必要なら行ってくれ」
「……はい」
そう言ってユウトはその場を去った。
御影は彼が見えなくなるまで小さく手を振る。そして完全に見えなくなると小さく呟いた。
「……誰かの役に、ですか」
・2・
「イデデデデデ!! やめろ!!」
「自業自得です。我慢してくだ……さい!」
レーシャ・チェルベルジーの足元にはハサミから包帯、尿瓶まであらゆるものが落ちている。強引にアーロンの包帯を引っぺがす。これでも看病……しているつもりなのだ。
「鬼かお前は!」
「レーシャです」
「知ってるよ!」
夫婦漫才じみた会話をかますのは、中央情報局局長とその部下だ。
アーロンはユウトに敗北した後、この病院に運び込まれていた。あばら骨を二本と右足の骨がやられていた。
「単独行動……命令無視……
「それを読むのは俺だがな」
「フン!」
「ぎょええええええええ!!」
レーシャはアーロンの右足、つまりは折れた足に手刀を入れた。
「……でも
レーシャは固定された彼の右足をもう一度チョップする。
「あがぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
それを見た彼女はフッと少しだけ笑う。普段は感情を表に出さない彼女には珍しい嗜虐的な笑みだ。
「いい機会です。今後のことも考えて、もう二度と勝手に爆走しないように一度私が徹底的に調教してあげましょうか?」
目がマジだった。弱った獲物にとどめを刺す猛獣の目だ。
「私たちの存在価値は一心様のお役に立つことでしょう?」
「わぁってるよ」
レーシャとは長い付き合いだ。
二人は最牙一心により拾われ、今まで育てられてきた。
勘違いしないで欲しいが、そこには愛情や憐みなんてものはない。
求められたのは役に立つ人材。
厳しい訓練は休みなく続いた。それでも彼に縋るしかなかった二人は死に物狂いで暴れ馬のような日々に振り落とされないように頑張った。
そして今がある。
(ったく。真面目すぎるんだよお前は)
トントン。戸が叩かれる音がした。
二人は顔を合わせる。この時間に誰か面会に来る連絡は受けていない。
「どうぞ」
アーロンが答え、レーシャがスライド式のドアをゆっくり開けた。
「やぁ」
「あんたは……」
中央情報局の母体であるエクスピア・コーポレーションで技術顧問をしている。戦術武装の生みの親でもあり、一心の右腕でもある。アーロンは何度か戦術武装のメンテナンスで顔を合わせたことがあった。
中性的な顔立ちで、真っ白な髪にフード付きのグレーのコート。白衣姿しか見たことがなかったが私服だろうか?
瞳は死んだように虚ろ。だがそこには何か、得体のしれないギラギラした光が見え隠れしている。
率直に言って、アーロンはこの博士が苦手だ。
「何用ですか?」
レーシャが代わりに聞いた。
「ん? お見舞いだよ? マスラオがやられたって聞いたからその話を聞くのも兼ねてね。あ、やっぱり僕なんかがお見舞いに来たら気分を害してしまうかな?」
首に蛇が巻き付いたようなねっとりとした、だがどこか艶やかな口調。何を考えているのかまるでわからない。
「……いえ」
「そっか。それは嬉しいな」
夜白は見舞いの品をテーブルに置くと、手近にあった椅子に座り、ニコリと笑みを浮かべる。
「さて……君たちの話を聞かせてもらおうかな。あの場所で見たものを」
「わ――」
アーロンはレーシャを制止し、
「あそこには大量の
と言った。
夜白はその話を聞いてしばらく考えた後、
「なるほど。それはなんとも迷惑な話だね。まぁあそこはさほど重要な場所でもない。それで? ジャック・ザ・リッパーはどうなったんだい? ……あぁ、別に疑ってるわけじゃないんだよ? あの日を境に活動がピタリと止んでいるから気になってさ」
「やつには俺が深手を与えてやったよ。逃げられはしたが、しばらくは大人しくしてるだろ。なぁ?」
「……えぇ」
アーロンの言葉にレーシャも頷く。
「……そっか。それはいい。君たちのおかげで多くの命が救われたということなんだね。すばらしいよ」
「はぁ……」
夜白は両手を広げて大げさに言った。
二人は唖然としてその姿を見ていた。
「あ、ごめんね。怪我人にこれ以上無理をさせたら悪いよね。僕はこれで失礼するよ。アーロン君、怪我が治ったらまたいつでも連絡してね」
そう言って夜白は笑顔を見せると、病室から出て行った。
「……アーロン、今のはどういうことですか? いつも仕事をサボっていると思ったら」
「え!? いや俺はそんなこと……だからお前、目がマジだって!!」
絶叫再び。
神凪夜白は病院のエントランスを出て、太陽の眩しさに思わず手をかざして影を作る。まるで太陽に、自分の笑う表情を隠すようにも見える。
「ま、
夜白は笑う。
別に怒ってはいない。これは楽しくて仕方がない笑いだ。
夜白はあの日、あの場所で何があったか全て知っている。知っている上で彼らに話をしに行った。これはちょっとした遊び心みたいなものだ。
それだけでなく全体で見るならば、あの場にいた者たち以上に事情を知っているだろう。だからこそ思った通りに事態が動くことが何より愉快だった。
「あぁ、楽しみだなぁ。ワクワクが止まらないよ」
神凪夜白は笑いながらその場を後にした。
・3・
逆神夜泉は真夜中の境内に一人で足を運んでいた。
「こんな島にも、神社はあるのね」
街灯がチラチラついたり消えたり。かなり高い場所にあるため、きっと参拝客は階段を上るだけで息が苦しくなってしまうんだろう。
「Ah~~」
それは何とも美しい歌声だった。力強く、どこか消え入りそうなほど悲しい。そんな歌。
声は夜の冷たく澄んだ空気に響き渡る。ここから見える夜景は天然のスポットライトだ。彼女はその舞台で踊り、歌う。
唯一残念なことがあるとすれば、ここには観客が一人もいないことだろう。
最後にこの歌を歌ったのはいつだったか……。思い出せない。そんなに昔ではないはずなのに。
(懐かしい。口から歌詞が勝手に溢れてくる)
歌はいい。空虚な自分の心を満たしてくれる。
一時の救いだ。
そんな懐かしさに引き寄せられた者が一人。闇の奥に佇んでいた。
「あら、お久しぶりね。そろそろ来る頃だと思っていたわ」
「……」
その者は一言も口を開かなかった。
だが夜泉はそれが何を意味するのか理解している。別に文句を言うつもりもない。
「……そう。でも少しだけ待ってくれないかしら? 私にはまだもう一つだけ確かめたいことがあるの」
そう。どうしてもこの目で。
「せっかく彼女に貰った機会なの。それさえ終われば邪魔者は退散するわよ。だって私は――」
ヒューーッ! 突風が少女の頬を撫で、髪を掻き上げる。
長い髪を手で抑え、再び正面を向いた時には、すでにそこには誰もいなかった。
「……ありがとう」
月光の下で、少女は安堵の微笑みをした。
・4・
翌朝、ユウトがベッドで寝ていると部屋の呼び鈴が鳴った。
「ん……なんだよ……伊紗那か?」
まだ五時半。それも土曜だぞ?
フラフラの足取りで壁の応答用スクリーンを見ると、そこには刹那が映っていた。
ユウトはボタンを押して答える。
「……なんだよ刹那? こんな朝っぱらから……」
「特訓よ」
彼女は両手を腰に当てて、そう言った。
連れてこられたのは木々が立ち並ぶ林だった。こんな朝っぱらにこんな場所に来る人間はそうはいないだろう。だからこそ特訓場所には相応しい。
ここはイースト・フロートには珍しい、人工的に小さい山が作られた場所だ。今がちょうど山の中腹くらいで、確かこの上をさらに上っていくと神社があったはずだ。
「特訓って何をするんだ?」
「ふふん。見てなさい」
そういうと刹那は手近にあった木の幹に右手を当てる。
バギィ! 轟音が鳴る。木の幹が、刹那の触れていた部分が抉れた。
「っ!?」
「今のは魔法じゃない。これは魔力の力よ」
「魔力?」
刹那が言うには魔法とは、車にガソリンを入れて走り出すように、人が魔力を取り入れることで初めて起こる現象らしい。
どんなに機械で精巧に作っても、ミクロン単位で全く同じ車は存在しない。
そしてその微妙な違いで魔法は千変万化する。
だからこそ人によって発現する魔法は違う。
「魔力は体に流れる生命力みたいなものよ。生物が生きるための力。自分というフィルターを介さず、ただ魔力を放出。その力を一点に集めて攻撃や防御に転化させる。今のはその一例」
自分というフィルターを介さないが故に、誰でも扱うことができる。
手のひらに魔力を集め、頭の中で鋭利な棘をイメージして一気に噴射する。
「アンタの魔法は確かに強力かもしれないけど、使ったメモリーが消えてしまうっていう弱点もある。せめてこれだけでも使えたら、自分の身も守れるでしょ?」
「教えてくれ!」
バッ! 刹那の両手をユウトは掴んだ。
「えっ、え……」
突然のことに動揺して、刹那の顔がみるみる赤く染まっていく。
「ばっ……」
「ば?」
「ばかぁぁぁぁぁ!!」
魔力を帯びた拳がユウトの腹に吸い込まれた。
「……ごめんなさい」
刹那は悲しいそうな顔でユウトに謝る。
(やってしまったぁぁぁぁ……だっていきなりだったんだもん! でもまだ時間はある。何だか最近ライバルが多いし、頑張らないと!)
子供の頃はユウトの傍には刹那しかいなかったから。
だからこんな気持ちになったことがなかった。
ユウトは刹那が教えた練習法を熱心にこなしていた。
教えたことは非常に単純。だが繊細さを求められる。
それはひたすらジャンプすることだ。これは刹那自身、小さい時から御巫の修行で何度もやらされてきたことだ。実はこれ、結構キツい。内臓が上下に揺さぶられるし、おまけに足の筋肉も張る。
もちろんただジャンプするだけじゃダメだ。指先や足裏は一番魔力が出しやすい場所だ。足裏に魔力を集中して、バネをイメージする。そうすれば高い飛翔力と加速力を得ることができる。タイミングと柔軟性。どちらも高いレベルで求められる。
戦闘において足が止まることは何よりも避けなければならない。これを習得すれば今よりも速く、そして自由に空間を移動できる。
戦うにしろ逃げるにしろ、生き残る確率はグンと上がる。
刹那は汗だくのユウトを見て、ふと昔を思い出す。
(昔はあんな感じじゃなかったのに……)
昔のユウトはとにかく周りとの関わりを拒絶していた。それがこの街に来てみればどうだ? まるで人が変っていた。もちろんいい意味でだ。
いや、戻ったというのが正解かもしれない。青子先生に引き取られ、孤児院を去ったあの日から数年。その数年間がユウトの心の傷を癒したのかもしれない。
なんか、気に食わない。
それは間違いなく喜ばしいことのはずなのに。
嫌だ。
なんだか自分の大切なおもちゃを取られたような。そんな気分だ。
(私の役目だと思ってたんだけどなぁ)
「できた!」
物思いに耽っていると、頭上からユウトの声が聞こえた。
見ると、二メートル上の太い木の枝に乗っている。
その目は今までできなかったことを初めてやり遂げた少年のようだった。
「ふふ」
刹那はそれを見て笑った。
「じゃあ午前中までにそれをあと百セットね」
・5・
特訓を終え、ユウトと刹那はバー・シャングリラのドアを開けた。
扉の上部に付いた鈴が気持ちのいい音を鳴らす。
「いらっしゃいませ……ってユウトと刹那か」
もちろん代金はちゃんと払う。
「どーよ二人とも。なんか今日の俺、大人の男って感じがするだろ?」
二人は顔を合わせ、
(別段いつもと違うところはない、な)
(いつも通り、アホね)
「一応聞いてあげるけど、そのサングラスは何?」
刹那は呆れた声で言った。
「サングラスだぞ! 大人の男のマストアイテムだぞ! かっこいだろうが!」
また何かテレビの影響を受けたのだろうか?
タカオは滑るようにカウンター席に座ると、ユウトですら思わずイラッとくるような口調で、
「……マスター、いつもの」
注文を受け付けたガイはというと。
「……」
シュタッ。ポケットからサングラスを取り出し、装着する。
「「ガイ!?」」
女子二人は揃って思わず声を上げた。
なかなか珍しい光景が見れた。
「へー。それじゃあレヴィルはあのちっちゃい先生が預かることになったのね」
ミズキはそっと胸を撫で下ろす。
彼女はレヴィルが入院中ほぼ毎日通っていた。ミズキなりに何か思う所があったのだろうか?
「よし、それじゃあ今度その子を呼んでパーティでもするか?」
「タカオ……そのサングラス外せ。イラッとくる」
「嫌だね。もうこれは俺の一部。俺はこいつとともにハードボイルドな男になる!」
ガイがちょいちょいとユウトを手招きする。
「……昨日夜中までこれを見ていた」
俺の相棒はハードボイルド
「うわぁ……何これ」
刹那は苦虫を潰したような顔をしている。
裏面を見てみると、どうやら熱血刑事モノのようだ。いかにもタカオが好きそうな映画だ。
「……温かく見守ってやってくれ。しばらくすれば元に戻る」
その時、ドアの鈴の音が鳴る。
「あら、いい場所ね」
逆神夜泉。転校してきたばかりの彼女がそこにいた。
夜泉はユウトと刹那の間の席に座った。
(こ、この女……)
「ねぇユウト君。おすすめは何かしら?」
彼女は耳元で囁く。今朝の教室での出来事を思い出して、ユウトは自分の顔が熱いのを感じた。
「おすすめはこちらの特製コーヒーになります。お嬢さん」
サッ、とタカオはガイが淹れたコーヒーを夜泉に差し出した。
「ありがとう。あら? あなたさっきサングラスをかけていませんでしたか?」
タカオはサングラスをかけていなかった。もとより薄暗い店内でサングラスをかけること自体まるで意味がないのだが。ガイの言った通りブームは一瞬で過ぎ去ったようだ。
「ハッハッハ。サングラスをしていたら、あなたのような美しい方をよく見ることができないじゃないですかぁ。ハッハッハ」
「あ゛ぁ゛?」
ユウトの目の前でカップを磨いていたミズキがものすごいドスのきいた声を出した。
(怖っ!!)
「そう。嬉しいわ」
夜泉はそれだけ言うと、白い指をカップの取っ手にかける。
「……ふぅ。おいしい」
「あなた、いったい何なの?」
刹那は問う。
ここに来たのは偶然ではないはずだ。はみだしはただでさえ人の出入りが少ない区画だ。普通の学生がこんな隅っこの店に何の躊躇いもなく入るはずがない。
「あら、同じ魔法使いなんだから仲良くしましょ?」
夜泉はカップを置き、左腕の裾を捲る。左手にはルーンの腕輪が銀色の光輝いていた。
「ごめんなさい。あなたたち二人をつけさせてもらったわ」
「あなた一体何者なの?」
刹那はこの時期に転校生なんて不自然だと思っていた。それに加えて魔法使いなら尚更だ。
「私が何者か……答える意味はないわ。私はただあなたたちにお願いがあってここに来ただけよ」
夜泉はユウトと刹那の方に向き直って言った。
「協力して欲しいの。私の大切な探し物を見つけるために」
・6・
薄暗い庭園。ここはとある高級マンションの最上階。
鋼鉄の壁に囲まれたこの一室は、空調、水、土、全てが植物にとって完璧な環境に調整されている。鳶谷御影が所有する研究室の一つだ。
「……ル~ルルル~。じょ~うろ~に躓い~てへ~たこいたよ~」
空中で現代アートのように宙吊りになったジト目研究員・御影は諦めと悲哀に満ちた声で力なく口ずさむ。彼女の体には無数のツタが絡みついていた。
「……何してるんですか?」
「……Yes。見てわからないの? ツタに絡まっているのよ。ちょっとミスをしてしまって、私には抜け出す術がないから、もう歌うしか……」
「やめてください。そんな悲壮感丸出しの歌を聞かされたらこっちが滅入りそうです」
「……No。知らないの? 植物は歌を聴かせると育ちがいいのよ? 人間の胎児と一緒」
それじゃあ余計絡まってしまうんじゃないか?
「……はぁ。なんだかいつになく上機嫌ですね?」
「……そうかしら?」
遠見アリサが額に指を当て、呆れた目で見ていた。
普通ならツタが絡まったなら強引に引き千切ればいい。
しかし御影を縛るツタはただのツタではなかった。
遺伝子操作で改造された、鉄を生み出す植物だ。
正確には鉄ではなく、鉄のように固い物質。あくまで生物だ。
そのツタは繊維状の鉄が何重にも重なっていて、一本一本はしなやか、かつ束ねれば鉄と変わらない強靭さを生み出せる。
何より一番の売りはその尋常ではない成長速度だ。特殊な養分を混ぜた水をやると、数分で二~三メートルは成長する。御影が躓いたあのじょうろがまさにそれだった。
アリサはナイフでツタを少しずつ削り、御影を解放した。
「……礼を言います」
御影の研究分野とする生物医学。それからは少し逸れてはいるが、彼女は定期的にここに来てこの植物を育てていた。
「装備の補充をお願いします」
御影はその言葉を聞くと、すでに切り分けられた鉄花を特殊な機械にかける。この機械は3Dプリンターに似ている。鉄花の繊維を紐解き、一本の鉄繊維を抽出しある物を形成する。
「……三十分もあれば完成するわ」
作り出されたのは、拳銃のパーツ、弾、ナイフなど鉄で構成される武器。
御影はアリサの協力者だ。主に武器の提供をしている。
魔獣という未知の存在に襲われてしまった彼女をアリサが助けてから、この協力関係は続いている。
イースト・フロートのセキリュティーは非常に厳しい。一般人が街中で殺傷武器を手に入れることはまず不可能だ。もちろん外部から仕入れることもできない。
鉄花は植物だ。土と水さえ与えれば根を張り勝手に成長する。後は専用の機械にかければ立派な武器の完成だ。火薬に関しては別途で用意する必要があるが、木炭と硫黄、硝酸カリウムなどで簡易的なものは作れる。それで十分だ。
「感謝し――ッゴ!?」
出来上がった拳銃を確かめながらそう言ったアリサの脳天に御影の電子パッドがヒットする。
「……No。魔獣のサンプルはどうしたの?」
御影はアリサにそう言った。彼女が武器提供の対価としてアリサに要求したことだ。
「痛ッ……。この間爪をお渡ししたでしょう?」
「……No。あれじゃ足りないわ。せめて生殖器。可能なら全部持ってきてほしいくらいよ」
魔獣という存在を解析する。
御影は今、所属している研究所には内緒でこれを進めている。そのためのサンプル提供を御影はアリサに頼んでいた。
「あの巨体をこんなところには――キャッ!!」
足払いを食らった。
「……あら、今日は調子がいいみたい。体が思った通りに動くわ」
「……それは、何よりです」
やはりいつもよりテンションが高い気がする。表情こそ変わらないが、軽やかにステップしてるし……。
「……さぁ、さっさと行きなさい。今月分のみかじめはまだ受け取っていないわよ」
「……ヤクザですかあなたは」
とりあえず契約は契約だ。今後の武器提供のためにも仕事をこなさねばなるまい。
アリサは武器をカバンに偽装用のギターケースにしまい、部屋を出て言った。
「……」
御影はアリサが出て行くのを確認して、
「……右の戸棚を二回。後ろの引き出しを三回……いい観察眼だわ」
御影は後ろの引き出しからメモリーカードを取り出した。
おそらくここ最近彼女が探していたのはこれだろう。
たった数回の訪問で御影の収納の癖を見抜き、隠し場所を絞ってきた。
この中にはかつて、彼女が診たある患者の診療記録が残されている。
御影はメモリーカードを目線の高さまで持ってきて、まるで宝石を見るかのように見つめる。
ラベルにはこう書かれていた。
――Wiseman's Report 05
グシャ!
御影はそのメモリーカードを地面に落とし、情け容赦なく踏み潰した。
「……やっぱり未練がましく持ってるような物じゃないわね」
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