第4-1話 理想写し -Idea Trace-

・1・


 雨だった。


 式はすでに終わり、喪服を着た多くの人間が会場から出て行く。レオンはその大波から少し離れた場所で立ち尽くしていた。

 ラリーの遺体を最初に発見したのはレオンだった。それは一通の不在着信から始まった。ほんの数秒だけの奇妙な着信、そして妙な音。ただ酔っぱらって掛けてきただけかもしれないが、嫌な胸騒ぎがした。


「ここにいたか、イェーガー」

「……リッカさん」


 六条リッカ。彼女はレオン達が属する公安局警務部隊を指揮する局長だ。

「……まさか最後の言葉が『この豚野郎!』になるとは……。勝手に逝っちまいやがって」

「すみません。俺が最後まで付いていれば……」

「気持ちはわかるが、お前に非はない。誰しも自分がいつ死ぬかなんてわからないんだ。それに、まだ終わってないぞ」

 リッカはレオンの肩にそっと手を置く。その手が微かに、ほんの微かにだが震えていた。

(リッカさん……)

「でも、セントラルから圧力がかかってるんですよね?」

「あぁ。上の連中はエクスピアの傀儡だからな。だが身内がやられたんだ。ここまでやられて黙っているほど私も大人じゃない。それなりに手は打つさ」

 そう言うとリッカは一枚のメモを差し出す。そこには電話番号だけが記されていた。

「これは?」

「実は以前から、とある人物にお前を紹介してくれと頼まれていたんだ。力を借りれば、お前はこの事件を追えるかもしれない」

「本当ですか!?」

 レオンは思わず声を荒げ、リッカの肩を掴んだ。八方塞がりだった道にわずかな光が見えた。

「まぁ待て。だがそのためには一つ条件がある」

 レオンを制し、リッカはそれを言葉にした。



 リッカ局長の話を考えつつ、レオンは会場を後にしようとした。ここにいるとどうも気が滅入ってしまう。

 ふと、会場の奥で一人の女性が目に止まった。随分と若い女性だ。女性はレオンに気がつくと小走りで近寄ってきた。

「失礼ですが、レオン・イェーガーさんですか?」

「は、はい。あなたは?」

 よく見るとその女性は妊婦のようだ

(もしかして――)

「カティアと申します。夫の、ラリー・ウィルソンの妻です」

「あの……っ……」

 何と言えばいいかわからなかった。

「いいんです。警察官の妻です。いつかこういう日が来るかもしれないと覚悟はしていましたから。おっ……思って……いたよ……り、早かった……だけですから……」

 崩れ落ちそうになったカティアの体を、レオンはそっと支えた。

「……すみません。私……」

「お気になさらず。お腹のお子さんにも触ります。移動しましょう」

 カティアを近くの空いた席へ座らせ、レオンも横に座った。

 彼女はしばらく泣いた後、ようやく落ち着きを取り戻し言った。

「主人から、あなたのことはよく聞かされていました。自慢の弟分だと」

「ハハハ……一応、俺が上司なんですけどね」

 階級なんて関係ない。レオンにとってラリーはいつでも頼れる存在だった。一緒に鍛錬に励み、走り、戦い、食べた。当たり前だったからこそ今ある喪失感がレオンに大きくのしかかる。

「すみません。主人はああいう性格ですが、あなたのことは本当に認めていたんだと思います。今まであなた以外の同僚の話を聞いたことがありませんでしたし」

「……ずるいですよね。そういうこと言われると嬉しいに決まってる。元気が出てきてしまう」

 本当に嬉しくて、けど恥ずかしくて、思わず文句を言ってしまいたくなる。いつものように。それももうできない。

 しばらくお互いに言葉を交わさないまま時間が過ぎる。


「あの……これ主人の持ち物の中にあったものです。何かのデータみたいですが、お役に立てばと思って」


 カティアは思い出したように、カバンから何かを取り出した。


 それはメモリースティックだった。


***


 しばらくして署に戻ったレオンは、カティアから受け取ったメモリーをパソコンに接続して中身を閲覧した。

「これは……」

 そこにあったのは、ジャック・ザ・リッパーという殺人鬼の詳細なデータだった。ラリーは生前、この殺人鬼のことを念入りに調べていた。その全てがここにある。中には警察内ではまだ共有されていない、上の人間しか知りえない情報さえあった。おそらく警察のシークレットデータバンクをハッキングしたのだろう。

「生きてたら報告書じゃすまねぇぞ……。だけどラリー、お前が繋げてくれたバトン。無駄にはしない」


 今回の犯行はおかしな点がいくつかある。

 資料によると、ジャック・ザ・リッパーの被害者は全て十代後半から二十代前半の若い人間だ。そして必ず遺体の一部を切断し、収集している。これが共通点。

 これに沿うなら、本来三十代のおっさんであるラリーが狙われる確率は極めて低い。となるとたまたま事件現場に居合わせた線が大きいだろう。

 だが、ここでもう一つおかしな点が生まれる。

 今回事件現場で見つかった死体はだったのだ。一人はラリー本人。もう一人は見た目十代前半の少年。問題はこの少年の方だ。

 鑑識の結果、果たして人間と言っていいのかわからなかったらしい。少年の体は六人分の肉体を縫い合わせて作られていたのだ。とても生きている状態とは言えない、まるで素人の継ぎ接ぎのようだったらしい。


(今回の件もだが、他にも気になる点がある。アクアパークと久遠学園。この二件だけ、激しく争った形跡があった。しかも、久遠学園に至っては死者が一人もいない)


 これほど体の収集に固執していた犯人が、死者を一人も出さないなんてありえない。この二ヶ所だけ明らかに手こずっているよう見える。

「……誰かと戦っていた? それも互角以上に力を持った誰かと」

 まだ何か知らないことがある。きっとそれこそが、犯人に迫ることができる最大のポイントだ。そしてそれに辿り着く手がかりをレオンは一つだけ持っている。

 レオンはリッカ局長から受け取ったメモを取り出した。


『もし話を受けるなら、お前は警察ではなくなる。警察という肩書は邪魔になるからな。それくらいこの街の深い部分に足を踏み込むことになるかもしれない。最悪、私たちさえ敵に回すことになる可能性もある。それでもやるか?』


 リッカはそう言っていた。

「……俺に何ができる?」

 ラリーには守るべき家族がいた。レオンはそれを羨ましいと思っていた。

「なぁラリー……俺にだっていたんだよ」

 レオンはネックレスの蓋を開け、その中に収められた写真を見る。そこにはレオンと女性が一緒に写っている。かつて彼が愛し、守れなかった女性だ。


「……アオ」


 結果的に、守りたかった存在をレオンは二度も守れなかった。ならせめて、残された者の責務として、相棒が守りたかったものだけは守らなければならない。

「やってやるさ……」

 レオンの覚悟は決まった。彼はメモに書かれた番号に電話を掛けようとボタンを押し始める。途端、まだ入力途中だった彼の携帯端末が鳴り始めた。

「!!」

 表示された番号は、メモの番号と同じだ。レオンは恐る恐る、通話ボタンを押した。


『やぁ、レオン君。そろそろだと思ったから、こっちから連絡させてもらったよ?』


「あなたは……」

 声の主は告げる。この名を聞けば、もう後戻りはできない。


『僕の名前は神凪夜白。ようこそ、素晴らしき魔法の世界へ』


・2・


 セントラルの二人が保健室を出て行った後、すぐに青子が戻ってきた。相変わらず意識の戻らないレヴィルは、青子が一時的に保護することになった。

 伊紗那は意識を取り戻し、帰宅したと連絡をもらっている。夕方の事件をガイに連絡し、お店のバイトを急遽休ませてもらい、ユウトは伊紗那の様子を見に行くことにした。

(そういえば、伊紗那の部屋には一度も行ったことがないな)

 一度大きく深呼吸して、ユウトはゆっくりとインターホンを押した。

「はい」

「よお……その、具合はどうだ?」

「……入って」

 扉のロックが開かれ伊紗那が顔を覗かせる。

「いらっしゃい」

「あぁ」


 家にあがるととても良いにおいがした。アロマとかそういうのではない。何か、もっといいものだ。

(何考えてんだ俺……)

 ユウトはそわそわしつつも伊紗那の後ろ姿を見た。

 伊紗那もまた印象が普段とは違う。紫のニットは大きめなのか袖口は手元まですっぽり隠し、鎖骨まで覗いている。艶やかな長髪は、以前ユウトがプレゼントしたリボンでまとめていた。そして普段と一番違うのは、黒い眼鏡をかけているところだ。

「私の部屋に来るのは初めてだね」

「え? あぁ……そうだな」

(落ち着け俺。落ち着くんだ。よしここで周りを見てみようじゃないか)


 意外にも居間には必要最低限の物しかなく、とても簡素な感じだった。もっと女の子らしい部屋だと思っていたが、これはこれでとても清潔感がある。

 伊紗那は台所からお茶を注いで持ってきてくれた。

「ごめんね心配かけて。今日は夕飯作れなかったけど、明日はちゃんとするから」

「いや、いいよ! しばらくは俺が飯を作る。お前は休め。俺は何ともなかったんだから当然だ」

 ユウトは伊紗那の肩を掴んで言った。こういう時、彼女には強く言っておかないと平気で無理をする。

 伊紗那はびっくりしたような顔をしたが、すぐに立ち上がると部屋の奥に行ってしまった。

「……ちょっと強く言い過ぎたかな」


 しばらくすると、彼女は大きめの箱を持って再び戻ってきた。伊紗那はユウトの足元で箱を開け、取り出したガーゼに適量の消毒液を染み込ませる。そして、屈んでいる状態から急に立ち上がると、ユウトの頬にズキッと痺れるような痛みが走った。

「っ!」

「自分だって怪我してるくせに……」

「いや、これは……あの……怒ってます?」

「別に」

 伊紗那はムッと頬を膨らませ、ガーゼをユウトの傷口に少しだけ強めに押し付けた。

「いっ……!?」


「ユウ、覚えてる?」


「ん?」

 伊紗那は傷薬を取り出しユウトの頬に塗りながら、

「ずっと前、一度だけユウが主役になった演劇があったでしょ?」

 懐かしむように言った。

「あぁ、『愚かな小人Foolish small』か? でもあれは結局完成しなかっただろ?」

「残念だよね。私は好きだったのに……」


 『愚かな小人』とは演劇部の先輩が作ったオリジナルストーリーだ。あの時ユウトは主役を任せられたが、結局ラストまでストーリーが完成せず、練習だけでお蔵入りになってしまった。確か冬馬と伊紗那は何度か見学に来ていたのを覚えている。



 昔々、優しい小人の少年が一人で暮らしていた。

 小人の少年はキラキラ光る大都会で暮らす人間に憧れていた。彼は人間になりたかったのだ。

 ある日、人間は小人を大きくする魔法の石を譲る代わりに、上等な靴を百足作るように言った。小人は物作りが得意だったので、喜んで作業をした。毎日寝る間も惜しんで一足、また一足と最高の靴を仕立て続けた。

 だが念願叶って手に入れた魔法の石は、小人の願いを叶えることはなかった。叶えるどころか小人を巨人へと変貌させ、逆に人々から恐れられる存在になってしまったのだ。

 元々、それは願いを叶える魔法の石ではなかったのだ。人間もまた、それが化け物を生む石だと考えもしていなかった。


 強すぎる憧れが生んだ哀れなお話。その後、小人がどうなったかは誰にもわからない。



「私、あの小人は本当にユウにそっくりだと思ったの」

「俺が?」

「うん。あれは人間と友達になりたかった、優しくて頑張り屋さんな小人のお話だから。彼は友達が欲しくて……だから努力し続けたの。きっとそれだけなんだよ」

 伊紗那はゆっくりと、ユウトの頭を抱き寄せる。

「ユウは優しいから、きっと手を差し伸べちゃう。あの小人と同じように。誰かのためにがんばれるユウは本当にかっこいいよ。けど……それでユウが傷ついちゃうのはダメ。私は……そんなの嫌だよ」

 彼女の細い指がユウトの髪を優しく撫でる。

「お願いだからあまり危ないことはしないで……」

 その言葉を聞いて、

(あぁ、そうか……)

 ユウトは気付いた。


()


・3・


 翌日、学園は不審者が侵入した事件があったものの、通常通り授業をした。

 ユウトは昼休みの時間に食堂に向かって歩いていた。何故だか今日は調子がすごくいい。溜まっていた疲れが嘘のように消え、体が羽のように軽い。


(いくら魔力で治癒力が活性化してるとはいえ、何だが効き過ぎてるような……)


 夕べの伊紗那とのこともあり少々気まずかったが、当の本人はいつもと同じ様子だった。それでも自分が悪いのは確かだから、今度何か埋め合わせをしようとユウトは決意した。

 そんなことを思いながら歩いていると、正面の曲がり角に見知った顔を見つけた。

「あいつは……遠見?」

 そこにいたのは自分を助けてくれた魔法使い、遠見アリサだった。見たところ中等部の制服を着ている。何かを探しているのか、周りをキョロキョロしていた。

(ていうかあいつ、中等部の生徒だったのか?)

 ここは高等部の校舎だから人でも探しているのだろうか? ユウトは後ろから近づいてアリサに声をかけた。

「よっ。お前こんなところで何してるんだ?」

 ピクッと肩を振るわせゆっくりこちらを見たアリサは、ユウトだと知ると小さくため息をつく。

「はぁ……吉野さんですか。びっくりさせないでください」

「なんだその反応は……」

 ユウトは溜息を吐く。

「吉野先輩。何かご用ですか?」

「いや、たまたまお前を見つけたからな。まだあの時のお礼もちゃんと言って……って遠見?」

「……先輩……先輩……イイです」

 気付けばアリサは「先輩……先輩……」と何やら呪文のように呟いていた。まるでその響きが気に入ったのか、言葉にしてはクスッと笑顔を洩らす。

「……あの」

「……はっ!? 何でも無いです。私は今忙しいので失礼します」

 我に戻ったアリサは素っ気ない態度でユウトから離れていく。

「あ、そうだ。あまり他の人とベタベタしないでくださいね。先輩がどうしようもない変態さんだということは、この前ん嫌というほど実感しましたので」


 そう言ったまさにその瞬間。


 換気のために少し開いていた窓から強風が吹き抜けていった。絶妙なタイミングで。

 短いスカートがフワリと舞い上がる。

 ユウトはその場で時が止まったかのように静止した。しかし悲しいかな、視線は一点に向いてしまう。実際、見るなという方が無理な話だ。ダッテオトコダモノ。

 アリサも凍り付いていた。そして重たい空気の中で、

「……見ました?」

 冷たい声を発した。

「……ちょっとだけ」

「……変態」

 正直に答えたユウトに、軽蔑の眼差しを向けてアリサは言った。そして今度こそどこかへ行ってしまった。

「何なんだよ……」

 どうも自分は彼女を放っておけない。通り魔とのすさまじい戦闘を目の当たりにしたが、やはり冷静そうに見えてもやっぱり子供だと思う。

 見ていてどこか危なっかしく感じるのだ。

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