第3話 監視者 -Central-

・1・


 中央情報局セントラル


 噂ではイースト・フロートの全ての情報は、ここに集約しているとさえ言われている。

 彼らは正確には警察ではく、一介の企業が設立した私設調査部隊に過ぎない。問題はその企業が、この海上都市において警察よりも強い力を持っているという点だ。


 エクスピア・コーポレーション。


 元は医療系を掲げる一企業だったが、加速度的に部門を増やし、今では海上都市の如何なる企業・研究機関であっても何かしら関りを持つ超巨大企業だ。むしろ、その全てがエクスピアの支配下にあると言ってもいい。

 現社長最牙一心さいがいっしんは、海上都市建設当初からメンバーで、その見事な経営手腕でもって事実上、このイースト・フロートで最も強い力を持つ人間だ。

 そんな彼が、独自に設立した部署が中央情報局。その仕事内容は多岐に渡る。

 久遠学園には二人の中央情報局役員が訪れていた。


「あーメンドクセェ。たかだか魔獣ブルーメ一匹のために何で俺が出張ってこなきゃいけないんだ?」


 男の名はアーロン。中央情報局のトップを任されている男だ。

「仕事だからです」

 淡々と返答するこの女性の名はレーシャ・チェルベルジー。

 彼らの仕事はブルーメ、ユウトたちが魔獣と呼ぶ生物を隠蔽することだ。そのためだけに、今回警察を学園から遠ざけた。

「すでに魔獣ブルーメの残骸は回収済み。衛星カメラの記録も差し替えています。目撃者は無しですね」

「へぇー」

「もっとやる気を出してください。このブルーメ、誰が倒したのかもわかってないんですよ?」

「興味ねぇなぁ……」

 レーシャは溜め息を付く。この男は火が付けばかなり優秀なのだが、如何せんエンジンが不良品だ。ギアが入るのに時間がかかる。

「これならどうですか? アーロンが好きそうな情報を提示します」

 レーシャは電子端末を開き、資料の中から一枚の写真を展開した。

「……ほぅ。いいもん持ってんじゃねぇか。最初からそれを出せばいいんだよ。よし、こいつらに会いに行くぞ」

 それは体育館内を映した監視カメラの映像だった。


・2・


「ほら、傷は大したことはないぞ」

 ユウトと刹那は保健室にいた。ちょうど校舎内で青子と出会い、保健室に連れ込まれたのだ。

「先生……あの子は?」

「しばらく私が預かるしかないだろう。うちの生徒じゃないし、そんな義務はないが」

「青子さんなら大丈夫だな」

 バシンッと頭を叩かれた。

「せ・ん・せ・い」

「……青子、先生」

「まぁいい。お前たちはもう帰れ」

 青子がそう言うと、保健室の扉が勢いよく開いた。


「やっと見つけたぜ。小僧に小娘」


 百九十センチはある大柄な男は、ユウトを見てニヤニヤと笑っている。

「我々は中央情報局です。吉野ユウト。御巫刹那。あなた方に事情聴取を申請します」

 次に入ってきたのは白人の女性だった。近寄ってくる二人の間に青子は立ち塞がる。

「今日はこいつらも疲れている。聴取は後日にしろ」

「なんだ? このちんちくりんは?」

 アーロンは青子の頭をポンポン叩く。

「戦場青子。この学園の教師ですね」

「えっ!?」

 アーロンは目玉が飛び出るほど驚いていた。

「まったく。レディの扱いもろくに知らんのか。この筋肉ダルマは」

 青子はアーロンの手を軽くはたく。

「失礼いたしました。うちのアホには後程制裁を与えますので、どうかご容赦を」

「レーシャ? おれ局長だぞ? 一番偉いんだぞ?」

 レーシャはアーロンを無視し、再度言った。

「聴取を始めます。そんなに時間は取らせません。申し訳ありませんが、あなたにはご退室願います」

「ふん、まぁいいだろう」

 青子はそう言うと、保健室から出て行った。


 するとアーロンが、きましたとばかりにユウトたちに話しかける。

「メンドクセェのはナシだ。お前たち、魔法使いなんだろ?」

「っ!?」

 あまりにド直球の切り出しに、二人は驚愕した。

「別におかしな話じゃねぇだろう? 俺たちはこの街のありとあらゆる情報に精通してる。この街で起こってることは、だいたい全部知ってるさ」

「ここ最近、魔法関係の事件は増え始めています。あなた方が見たものを我々に教えていただきたいのです」

「さぁ、何があった? 言え」


 しばし考えた後、刹那は事情を説明した。おそらくは監視カメラで事の顛末は見られている。隠しても無駄だと判断したのだろう。


「ハサミを持った男……ジャック・ザ・リッパー」


 レーシャは呟いた。その言葉を聞いて、アーロンはニヤリと笑う。

「ほぅ、なかなか面白そうなのが釣れたな」

「私たちが知っていることはこれだけよ。もういいわよね?」

「あぁいいとも。だが――」

 アーロンはベッドで寝ているレヴィルの元へ寄った。


「このガキは連れて行く」


「なんでだよ!?」

「映像だと現場に一番最初に来たのはこいつだ。こいつは何か知っているに違いない。俺のカンはよく当たるんだ」

「そんな……」

「その子には識別コードがありません。つまり、本来この街にいるはずのない人間だということです。身寄りがない以上、どちらにせよ保護対象です」

 今ここでこの二人にレヴィルを連れて行かれたら、彼女は目的を果たせなくなる。兄を探すという目的を。なら、ユウトが彼女にしてあげられることは一つしかない。

「こいつは連れて行かせない」

「あぁ?」

 ユウトは両手を広げ、言った。


「こいつは……!」


「は?」「え?」「……」

 畳み掛けるようにユウトは続ける。

「この街にいる間はうちで預かってる。だからこいつは家族も同然だ」

 しばらく沈黙が流れる。最初に沈黙を破ったのはレーシャだった。

「つまりあなたが保護者だと、そう言いたいのですか?」

「……あぁ」

 見るものをゾッとさせるようなレーシャの冷たい眼差しがユウトを捉える。

「そんな見え透いた嘘が通るとでも?」

「……ッ」

 彼女はそのユウトのわずかな反応も見逃さずそれを嘘だと見抜くと、黙ってレヴィルの方に歩を進める。

「では予定通り、彼女に身柄は我々が――」

「ク、ククク……」

「?」


「だーーーーーッはははははははははははははははははは!!」


 突然、アーロンが大笑いし始めた。

「ア、アーロン?」

 さすがにこの反応は予想外だったのか、冷静沈着が服を着たようなレーシャも戸惑いの表情を見せる。

「面白れぇ。俺たちに歯向かうか? いい度胸だ。いい……おぉ、いいぞ! 小僧、お前名前はなんつったか?」

「……吉野ユウトだ」

 ユウトは答えた。

「よし覚えた。吉野ユウト。俺はアーロンだ。よろしくな。レーシャ!」

「はぁ……非常に聞きたくありませんが、何ですか?」

「聴取の結果、この娘はユウトの家族だそうだ」

 アーロンは大手を広げて断定した。レーシャは冷めた目でアーロンを見ている。

「ですからそれは……」

「俺たちが知りえるのはこの街での事のみ。この街の住民じゃないこの娘の出生がお前にわかるのか?」

「それは、時間をかければ……」

 言いかけて、レーシャは諦めた。こうなったらこの男は言うことを曲げない。

 つまりは見逃すと言っているのだ。

「……わかりました。では我々はジャックの捜査を開始します」

 溜め息をついて、レーシャは屋外にいる部下と連絡を取り始めた。

「行くぞ! 引き上げだ」

 そう言って、中央情報局の二人はその場を後にした。

 ガタっとユウトは側にあったベッドに黙って倒れこむ。

「はぁ、びっくりした。嘘つくならもっとマシなのにしてよ。心臓ドキドキだったわ」

 刹那も安堵の息を漏らす。もう少しで彼らを全面的に敵に回すところだった。

「……悪い。でもあんな状況で機転が利くほど俺はできた人間じゃないからさ。ハハハ……」

「もう……馬鹿ね」

 刹那も釣られて疲れた笑みを浮かべた。


・3・


「どうしてあの子たちを見逃したのですか?」

「あぁ? ん~まぁ、フィーリングだな」

 レーシャは溜め息をつく。予想通りの答えが返ってきたからだ。

「ジャック・ザ・リッパーの情報を手に入れる絶好のチャンスだったかもしれないのに……」

「まぁそういうな! 手がかりの一つや二つなくても、俺とお前ならすぐに尻尾を捕まえるさ。それに、あいつらとはすぐにまた顔を合わせるような気がするぜ」

 アーロンは子供のような無邪気な顔でそう言った。

「……また、カンですか?」

「おぉとも。お前も知ってるだろ? 俺のカンはよく当たるんだ」


・4・


「ったく! 納得がいかねぇ!」

 ラリーは怒り心頭で、料理を口に入れる。

「なんで警察が一般企業ごときにヘコヘコしなきゃならねぇんだ!」

 レオンとラリーは勤務が終わり、二人で大衆食堂へと足を運んでいた。

 ラリーは仕事を取られたのが気にくわないようで、ヤケ酒に入り浸る。レオンは彼の愚痴を聞いて、なだめていた。

「まぁそういうなよ。命令は命令だしな」

 こうは言うが、レオンも納得しているわけではない。

「……今回の山は……若い人間ばかり狙うあの野郎だけは、ぜってぇ許すわけにはいかねぇんだ」

 きっと、生まれてくる我が子のためだろう。

「俺は諦めねぇぞー……ひっく。なにが中央情報局だ! 事件は俺たちの仕事だっつーの……ひっく。俺は一人でも捜査を続けるかりゃにゃー」

「ラリー、飲みすぎだぞ」

「らいりょーーぶ!」

 ダメだ。完全に酔ってる。

「……やれやれ」


***


 それからしばらくしてレオンの介抱の甲斐もあり、ラリーは歩ける程度に回復した。

「じゃ、また明日であります隊長殿!」

 ラリーはまだほのかに赤い顔で敬礼の仕草をして、レオンと別れた。

 しばらく歩くと彼は公園に足を運んでいた。近場にあったベンチに座り、携帯端末を開く。

「今から帰るっと」

 今日は妻には遅くなると連絡は入れてある。だがそれはそれだ。結婚してまだ間もないラブラブな夫婦なのだ。何かと理由を付けて連絡したくなる。

 夜風の冷たさに打たれ、酔いも覚めてきた。

「……帰るか」

 そう思ったその時、遠く離れた街灯の下に黒いコートにヘルメットをかぶった怪しげな大きな男を見つけた。

「なんだ、あいつ?」

 その男はフラフラと身を揺らし、街灯の下で立ち尽くしている。でかい。身長は二メートルはありそうだ。ラリーは不審に思い、男に近づいて声をかけることにした。

「おいそこのでかいの――」

 言いかけたところでラリーの声は止まった。

 少年が倒れていた。年は十二、三歳くらいだろうか。街灯下のベンチに横たわっている。こんな時間だ。寝ているなんてことはないだろう。

「ッッ!!」

 突如、ものすごい殺気を感じた。ラリーの全身から汗が噴き出す。さっき飲んだアルコールが全身の毛穴から一滴残らず噴き出したかと思うほど、一気に酔いが覚め、強制的に覚醒させられる。

 男はどこからか巨大なハサミを取り出す。それで理解した。


「お前が……ジャック・ザ・リッパーか……ッ」


「へー、そんな風に呼ばれてるのか。そりゃあいいっ!!」

 そう言うと男は急に突貫してきた。だがラリーは冷静だった。体を少しだけ反らし、最小の動きでハサミを避ける。そしてすかさず相手の勢いを利用し、

「ふんっ!!」

 男のヘルメットを強引に地面に叩きつけた。長年警務部隊で鍛え続けた武術は伊達ではない。自分より体の大きい人間との戦い方は心得ていた。

「警察だ! お前を連続殺人の容疑で逮捕する!」

 ラリーが手早く腰の手錠に手を伸ばそうとしたとき、悪魔のような声が聞こえた。

「……クク、クククク」

 腹の底まで響く不気味な声。さっきまでの静かな不気味さは影も形もなく、人が変わったかのような狂気の笑い声をあげた。


「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」


「っ!?」

 次の瞬間、地面から無数の黒い何かが突き出た。ラリーは咄嗟に離れるが、避けきれず右足にそれは突き刺さる。

「あ、がぁぁぁぁぁぁ!!」

 それは刃物のように、いやそれ以上のもっと鋭い切れ味の何かだった。何の抵抗もなく肉が切れるほどに。

「うっ……く……貴様」

 ラリーはその場に倒れこむ。足をやられたのは痛い。上手くいけば寝ていても相手を抑え込むことはできるかもしれないが、それはの話だ。

 訳のわからない黒い刃は武術でどうにかできる範疇を確実に超えている。それに男には遠距離からの攻撃手段がある以上、もうさっきみたいに不用意にラリーに近づくことはないだろう。

「ククク……おっさん。人の作業の邪魔をしたんだ。楽には殺さねぇぞ!」

「おいそこの坊主! 起きろ! 起きるんだ!」

 ラリーは少年に向かって叫んだ。ゆっくりと男は近づいてくる。黒刃で突き刺せば一撃なのに、男はあえてそれをせず、ラリーにギリギリ当たらないところで刃を蠢かせながら、ゆっくり、ゆっくりと歩を進める。

「起きてくれ!」

「ン……ん……」

 少年に反応があった。あと少しだ。ラリーは叫ぶ。

 だが影はラリーの負傷した足に巻き付き、思いっきり彼を街灯に叩きつけた。

「ぐっ……に、逃げるんだ! 早く!」

 影は全身に絡みつく。縄のように彼の体を街灯に張り付けた。もう逃げるのは不可能だった。


「んだ? もう終わりか?」

「……へへ」

「あん?」

「……俺はちっとばかし手癖が悪くてね」


 カチャン、と男の足に何かが当たる。

(何だ?)

 ラリーはある物を男の足元に転がしていたのだ。

 次の瞬間、眩い光が周囲を飲み込む。

「アァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」

 周囲の黒い刃は掻き消され、男は苦悶の声を上げる。

(理由はわからんが、あの黒いのは光に弱いのか? 自前の閃光弾がこんな所で役に立つとはな……)

 正直賭けだったが上手くいった。ラリーは痛む足を堪え、少年を担いで走り出す。目くらましには成功したが、この足ではあまり遠くには行けない。なのでとりあえず物陰に隠れた。銃は持っている。さっきのように不意打ちで捕まらなければ手足を撃って無力化できるかもしれない。

(すぐに応援を――)

 携帯に手を伸ばそうとしたそのとき、眠っていた少年が目を覚ました。

「っ!? 坊主目を――」


 バンッ。


「なっ……」

 腰に仕舞っていたはずの銃を少年が持っていた。銃口からは煙と、硝煙の臭い。


「「……同期完了」」


 二つの声が重なった。一人はいつの間にか背後にいる男。そしてもう一人は目の前の少年だった。

「お……前……」

「「ハッハァァァァァァァァァ!!」」

 少年の足元から四本の黒い刃が突出し、ラリーの体を貫いた。少年は串刺しになり、宙に浮いた状態の彼を仰ぎ見て言った。

「残念だったなおじさん。これが現実だ」

 すると嘲笑う少年の腕がもげた。

「ちっ……あんまりいい出来じゃねぇな」


(何を……言ってる……)

 もう体の痛みすら感じなくなっている。視界が徐々に薄らぐ。

「もうちょい補強しねぇと、合わす顔が――」

「……いつか」

 それでも声を振り絞る。

「……いつかお前は……裁かれる時が来る。どんな力を持ってようが、人を……殺した時点でもうお前は悪人だ。……俺たちは悪人を必ず捕まえる。……この街の平和を……秩序を守るのは俺たち警察の仕事だ!」

 それは覚悟を決めた男の目だった。自分は助からない。それでも希望は残る。その証拠にラリーのポケットの中の携帯は点滅していた。お堅い上司様にはすでに連絡済みだった。常日頃、連絡することが多い関係だ。すぐに掛けれるようにショートカット設定をしていたのが功を奏した。目を瞑っていても連絡できる。

(ヘヘ……うちの上司は優秀でね……)

 きっと気付いてくれる。

「はっ、秩序? そんな大層なもんじゃねぇだろう? この街を守る? 警察? 笑わせるな。この街が一番イカれてるってのによぉ!」

 ラリーの周囲に無数の黒刃が集まる。その全てがまるで生きているようで、今か今かと狙いを定めている。

「さぁ、最後だ。いい声で鳴いてくれよ? 人生のフィナーレは盛大に行こうぜ! 惨めったらしくピーピー命乞いの演奏か? それとももう諦めて走馬燈にでも浸ってんのかぁッッ?」

 少年の言葉は狂気に満ちていた。

 だが、ラリーの目は死んでいなかった。そこにあったのは一警察官としての誇りではなく、男としての誇りだ。彼は少年に唾を飛ばして言った。


「……警察ナメんな」

「あぁ、そうかい……」


 興が削がれたかのように、少年は手を振り下ろす。

 黒の刃が一斉にラリーに迫った。


・5・


 とある研究所。華奢な体とは不釣り合いの大型武器を持つ少女・イスカは、壁一面真っ白な廊下に立っていた。


 すでに研究員、警備員は全て無力化した。足元には気を失った研究員が倒れている。イスカは軽々と男を持ち上げると、壁に押し当て網膜認証にかけて扉のロックを解除させた。

「……ここも違う」

 イスカはため息をつく。これで三十カ所目だ。目的のものは未だ見つけ出せない。

 今夜中にもう一か所を回るつもりでいた。次の場所に向かおうとしたその時、背後で銃声が鳴った。

 ガギンッ。

 しかし銃弾は少女に当たることなく、激音は廊下で反響する。

「なに?」

 イスカは小さく首を傾げた。

「くっ……何なんだお前ッ」

 気を失っていた警備員の一人がイスカに銃口を向けていた。彼はこの研究所を任されている警備隊長だ。

 男には目の前の少女くらいの娘がいる。そんな彼が少女に銃口を向けている。それほどまでに危険だと判断しているのだ。毎日鍛錬を欠かさない屈強な肉体は、ライオンを目の前にした野鹿のように、たった一人の少女相手に怯えていた。

「動くな! 次は、当てるぞ……」

 これは嘘だ。

 イスカは男が撃つ前にはすでに気配を察知し、銃弾をちゃんと見た上で避けていた。尋常ではない反応速度だ。

「えい」

「おわっ!」

 イスカは握っていた大型ブレードを振り降ろす。男は咄嗟に横へ避けた。

 『テンペスタ』。ライフルと大型電磁ブレードが一体化した少女の愛用武器だ。イスカは自分の伸長と同じくらいの大きさの得物にも関わらず、片手で軽々と持ち上げる。

「敵……無力化」

 自分に言い聞かせるように、少女はぶつぶつ呟く。


 イスカの体にはナノマシンが埋め込まれている。元はこの街で開発された再生医療用のものだ。内部から治癒力を高め患者の早期回復を目指すというものだった。だがそんなものは建前で、実際裏ではその治癒機能を最大限に増幅し、不死の肉体を作ろうとする実験が行われていた。彼女はその被験者の一人だ。


 結果から言うと実験は失敗。計画は白紙になった。

 彼女の怪力は正確には怪力ではない。巨大な武器を持ち上げれば当然それだけ体に負荷がかかる。実際、彼女の体は自分より体の大きな男たちを投げ飛ばしたり、壁を破壊したりするたびにミシミシと悲鳴を上げている。

 痛みが脳に到達するよりも速く、骨が折れるよりも早く、壊れた肉体を瞬時に修復しているに過ぎない。銃弾さえ避けてしまう反射能力も、本来人間が持ちうる能力のタガが外れている影響だ。


 超速回復能力。


 もちろん所詮は失敗の烙印を押された出来損ないだ。不死身ではない。しかしある意味では、少女は人間の究極系として完成していると言えるかもしれない。

 魔法ではない。純粋に科学によって生み出された奇蹟。


 ガンッ。男の瞳孔が上を向き、崩れ落ちた。前にばかり注意を向けていたため、背後の存在に気付かなかったのだ。

 背後には金髪の少女。手に持つ銃の尻で男の後頭部を殴打したのだろう。

「誰?」

「私はあなたの敵ではありません」

 少女、遠見アリサはそう言った。

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