第2-2話 ルーンの腕輪 -Magic Ring-

・8・


「大丈夫?」

「……今なら泣いてもいいと思う」

 伊紗那は絆創膏をポケットから出して、ユウトに張り付けた。

「いつっ……何も思いっきり殴らなくてもいいだろ」

 ユウトは抗議した。

「うっ……うるさい!」

 刹那はまだ顔を赤くして怒っている。これ以上口論してもユウトが全面的に悪いので、もう諦めて怒られることにした。


「ところでユウと御巫さんは……その……どういう知り合いなの?」

「いやそこはどういったご関係なっ、痛い痛い!」

 伊紗那は冬馬の太股をつねった。最後の逃げ場である冬馬を失ったユウトは、観念して説明した。

「こいつは御巫刹那。お前らは知ってると思うけど、俺は両親がいなかったから小さい頃、刹那の祖母が経営している施設で世話になってたんだ。そこで刹那とはよく遊んでて、幼馴染……ってことになるのかな」

 御巫家が経営する孤児院『さくら』。引き取られるまでの幼少期を、ユウトはそこで過ごした。

 刹那とは一か月前にバー・シャングリラで再会していたが、およそ八年ぶりということになる。

「御巫刹那です。挨拶はもうしているから大丈夫よね。誰かさんは今朝、小さな女の子とおしゃべりしていたせいでいなかったけど」

「ちょっ……なぜそれを……!」

「おやおやおや~」

「ユウ……ロリコンはダメ」

「う……ぐ……」

 ユウトはますます困惑した表情になって、

「待て、違う。話を聞け。あれはそういうんじゃ――」


「ほう。貴様は私の授業より幼女と戯れる方を選ぶのか?」


 振り向きざまにおでこをベシッと叩かれた。声の主は明るくウェーブのかかった髪を風になびかせ、仁王立ちしている。

「……青子……さん」

 ベシッと今度は脳天に本の角が直撃した。

「先・生・だ」

 戦場青子いくさばあおこ。ユウト達の担任教師だ。年齢は二十八歳らしいが、その姿はどう見ても小学生にしか見えない。以前教員免許を見せてもらったが、本物なので信じる他ない。

 小柄で顔立ちもよく、妙に凄みもある。そのせいか生徒達の間では人気の教師だ。少しサイズが大きめの白衣を適度に着崩していて、見た目は幼くても何となく大人の色香を感じる不思議な先生だ。

「……言っておくが、私をそういう目で見るなよ小僧。潰すぞ」

「見ませんよ!」

 青子は心底嫌そうな顔で自分の身を守るように構え、ユウトは全力で抗議した。しなければ今後の立場が危うい。

「私は占い師ではないが、お前には女難の相が見える。今日も教室で誰かさんとラブコメかましていたらしいじゃないか?」

「「……」」

 伊紗那はカァっと頬を染めた。


「……まぁいい。吉野、お前にこれを渡しに来た」

 青子は数枚のプリントを差し出した。

 そのプリントを見て、ユウトは膝をつく。圧倒的な絶望が形を成して手渡されたのだ。

「そうだった……昨日は、テストだった……」

 でかでかと『補習』と書かれた一枚のプリント。そして罰として期限が今日の課題プリントが数枚。なにより端の方には人を小馬鹿にしたような手書きの顔イラストが書かれていていっそう腹立たしい。しかも上手い。

「ユウ。私も手伝うから」

 どうしようもない事とはいえ、伊紗那は事件に巻き込まれたことに少し罪悪感を感じているようだ。

 青子はユウトにプリントを渡すと、「貴様に休みなどない! ワッハッハッハ!」と笑いながら去って行った。その姿たるや、まさに小さな悪魔。

「なんだろうこの名状しがたい感情は……」

「まったく、そんなことくらいでだらしないわね」

 刹那は呆れた顔でそう言うと、青子の声が再び聞こえてきた。


「あ、それと転校生。お前も居残りな。私が今日中に一年分の内容を叩きこんでやる。授業の遅れを取り戻せ。安心しろ。死にはせん。自分の若さに感謝しろよ」


 刹那の顔からも血の気が引いた。


・9・


 鬼の補習が終了し、ユウトと刹那はようやく教室から出て新鮮な空気を吸うことができた。

「まぁ、今日はこのくらいで勘弁してやろう。これに懲りたら私の授業はサボらんことだ」

「私はサボってないのに……」

 刹那は頭に手を当てて未だに唸っている。信じられないことに、青子はたった二時間程度で、今年ユウトたちが受けた全ての授業範囲を要点だけ抑えてすべて説明してしまった。刹那は目をクルクル回しながら、膨大な情報を詰め込まれた。


『できない? そうかそうか。ならできるようになれ』


 すべての壁は、この一言で一蹴される。



「これからシャングリラに行くだろ?」

「えぇ」

 おそらくレヴィルが来るはずだ。もとより来なくてもユウトは少女を探し出し、人探しを手伝うつもりでいた。

 加えて廊下を歩きながら、休みの日に起きた事を刹那に話した。

「そう、魔法を発現できたのね」

「あぁ。弓の魔法。でもあれから一回も使えないんだ。籠手まではでるんだけど。やっぱりこの腕輪、どこか壊れてるのかな? 金色だし……」

「正直腕輪のことは私もよくわからないの。でも魔法は人を写す鏡って言われてるから、あんたの方に何か問題があるんじゃないの?」

 刹那ももちろん魔法使いだが、彼女は魔法使いとして特別だ。


 


 腕輪の力がなくとも魔法を発現できるからだ。

 元々御巫家は代々魔法に縁ある家系で、魔術・呪術という別系統の力を受け継いできたらしい。その中には決して多くはないが、特別な力を宿して生まれる子もいるのだという。刹那がまさにそれだった。

 そんな御巫の神童である刹那は、ユウトが知る限り魔法に関しては他の誰よりも詳しい。しかしその彼女でさえ、腕輪の情報は少ないようだ。

「まぁよかったんじゃない? あんた、ずっと魔法が使えないって根詰めてたし」

「そうか?」

「そうよ。あんたのことは私が一番よくわかってる。だって昔と全然変わってないもの。ちょっと、雰囲気が明るくなったくらいで」

 刹那は振り返ってそう言った。

「そういえば、改めて見るとお前、昔はそんなに髪長くなかったよな。この街で初めて顔を合わしたとき、すぐには刹那だってわからなかったよ」

 刹那はムスッとした顔で、

「……あんたが、長い髪の方が女の子らしいとか言うからでしょ」

 小声で言った。

「ん?」

「なんでもない! ……って、どうしたの?」

 ユウトは窓の外を見ていた。その先には――


「レヴィル?」


 朝の段ボール少女が体育館に入っていくのが見えた。

 同時に全身に悪寒が走った。まるでジェットコースターの頂上から今まさに滑り落ちるような、内臓にくる圧迫感とでも言えばいいだろうか。

「ユウト。感じた?」

「あぁ、でもなんだ? この感覚」

 次いで襲い掛かる睡魔にも似た感覚。ユウトは思わず膝をつく。

「高密度の魔力を衝撃として飛ばしてる。これだと並みの人間は気を失ってるわね」

(高密度の魔力? ということはこれは魔法使いがやったのか?)

 脳裏にあのハサミの大男がよぎる。

「伊紗那は!? まだあいつは委員会の仕事で残ってるはずだ!」

 ユウトは勢いよく走りだした。目指すは三階の会議室だ。

「ちょっとユウト!」


 会議室の前に到着したユウトは力任せに扉を開けた。そこには伊紗那を含め六人ほど人が倒れていた。

 ユウトはすぐに窓際に倒れている伊紗那の元へ向かった。ゆっくりと顔に耳を近づける。

(大丈夫。呼吸は聞こえる。他のみんなも大丈夫そうだ。冬馬は……何か用事があるって言ってたな。もう帰ってるはずだ)

「ちょっと、いきなり走らないでよ!」

「大丈夫。みんな気を失ってるだけみたいだ。それよりさっきの話だと、これをやったのは魔法使いってことだよな?」

「まぁこんな器用な芸当、魔獣じゃまずできないわよね」

 確かにここまで来るのに裂け目ゲートは見えなかった。魔獣がいるところには必ずゲートがあるはずだ。


「っ!? ユウト!!」


 刹那が叫んだその時、会議室中心のテーブルから、そいつは姿を現した。


「……お前は」


 あの時の殺人鬼だ。

 ユウトはすぐに腕輪を発動させ、籠手を展開する。振り下ろされた大きなハサミを何とか受け止めた。

「くっ……魔法を」

 あの時の大弓を出せばこいつは倒せる。ユウトは籠手に意識を集中させる。だが何も起きない。

「やっぱりだめか……ッ」

 あの時から一度も成功していない。何かが足りない。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」


 大男は耳障りな大声で叫び、ユウトを蹴飛ばした。そのままユウトに止めを刺そうとする。

(まずいっ!)


 しかし直前、大男に眩い光が襲った。


 雷だ。刹那が魔法で男の動きを止めた。

「はぁぁぁぁっ!」

 刹那は雷撃の槍を放つ。

 煌雷こうらい。彼女は雷を自在に操ることができる。

 槍は大男に直撃し、ジュウっと不気味な音と煙を放つ。そしてそのまま大男は霧のように消えてしまった。

「今の……」

「前に俺と伊紗那がアクアパークに行ったときに襲ってきた魔法使いだ」

「……ふぅん。一緒にねぇ」

 刹那はじーっと睨む。

「今はその話はいいだろ。俺は以前あいつを倒した。なのにまた現れた。倒せてなかったんだ。あいつはきっとまだここにいる」

「さっきの子を助けに行かないと」

 ユウトと刹那は体育館を目指した。

 走りながら、ユウトは無意識に拳を強く握る。こんな時に不甲斐ない自分を許せなかった。



 幸い、多くの生徒は帰宅していた。校舎の中には教師や伊紗那たち以外ほとんど人は見当たらなかった。

「なぁ、あいつは何でこんなことしたと思う?」

「可能性はいくつかあるけど、たぶん魔法使いを探してるんじゃないかしら? さっきの衝撃波は魔力を体内で生成できる、つまり、腕輪を付けている人間にはただの立ち眩み程度だったでしょ? きっとあれは一種のソナーだったのよ」

(……魔法使いを、探してる?)

 ユウトが上から経路を確認しようと、窓を開けたその瞬間、

「っ!!」

 視界の端を何かが高速で横切った。考える間もなく、ユウトは弾かれたように窓を開けて三階から飛び降りる。

 ズシッ、と両足から嫌な音が聞こえた。しかし、ここで音を上げてる場合ではない。

「ユウト、いきなりどうしたの!?」

 刹那も彼を追うように、磁力を使って校舎の壁に張り付きながら静かに降りてきた。


「さっき、あの大男が体育館に入っていくのが見えた。レヴィルが危ない!」


 それだけで刹那も理解したようだ。二人はすぐに体育館へ入り込む。

 案の定、レヴィルが倒れていた。近くには先ほど刹那が撃退した大男。

「……テメェ」

 ユウトは籠手を展開する。すると中央の宝玉が光を放った。

「これは……」

 これはあの時と同じ。あの感覚。


(……思い出した。確かあの時、俺は——)


 ユウトはすぐに刹那の元に寄った。

「え? ちょっとユウト?」

「悪い、少し我慢してくれ」

「あっ……」

 ユウトが刹那の胸元に手をかざすと、光が爆発する。

 そしてその光の中から新たにメモリーが一つ、生み出された。

 ユウトはそれを握りしめ、

「覚悟しろハサミ野郎。これ以上誰も傷つけさせねぇぞ!」

 籠手にメモリーをセットした。


『Blade』


 ユウトの左の瞳が赤く染まる。あの時と同じ、魔法発動時に起こる現象だ。

「よし!」


 目の前に現れたのは白銀の刀だった。柄も鍔もなく、代わりに持ち手には鎖が巻いてある。刀身には一切の曇りもなく、美しいとさえ思えた。


 あの時感じた確かな手応え。この感覚だ。ユウトは思いっきり地を蹴り走り出す。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 白刀の力か、迫りくる影をしっかり見極め、ユウトは前へ進む。

 大きく振りぬき、邪魔な影を一掃した。

 斬られた影は魔力となり刀に収束する。すると力は一気に跳ね上がった。

 もうここはユウトの間合いだ。

「これで終わりだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 返しの一撃。

 障壁として展開された影を意にも介さず、白刃は大男を切り裂いた。


・10・


 事件の連絡を受け、レオン・イェーガー以下数名はすぐに久遠学園へと向かった。

 彼らは都市警務部隊。都市内での治安維持が主な仕事だ。一応立場としては日本の警察組織に属する形になっている。

 イースト・フロートは機密保持のために、出入りには何重もの厳しい審査が必要となる。それは外からくる日本の警察も例外ではない。彼らは都市内での迅速な対応のために、警察の権限を与えられてるのだ。言ってしまえばイースト・フロート限定の警察だ。

 部隊に入って二年と半年。レオンは持前の体力と粘り強さで、若手ながら都市警察組織の中でも、武闘派の集まる警務部隊の部隊長にまで昇格した男だ。


「レオン坊。また例の連続通り魔だそうだぜ」


 運転席の三十代くらいの男。ラリー・ウィルソン。レオンの部下だ。ラリーはまるで同期に話しかけるようにそう報告した。彼曰く、年も経験も自分のほうが上だし、公の場以外で敬語なんて馬鹿らしいとのことだ。

 こう見えて、いざという時の冷静な判断力はずば抜けている。そんな彼の助力は、今やレオンにとってなくてはならないものだった。

「ラリー。嬉しそうに言うなよ」

「そうは言うがあの恥ずかしがり屋さん、今まであんな人が多そうな場所に自分から出たことはなかったんだぜ? これは何かがあると見るべきだ。いやー、ヤツを捕まえれば俺も昇進間違いなしだぜ。家内にも美味いもん食わせられるってもんだ」

 ラリーは幸せそうに笑った。彼はもうすぐ結婚して一年になる。無理矢理何の前触れもなく結婚式に連れてこられたのは今ではいい思い出だ。

「奥さんは元気なのか?」

「あぁ元気だとも。もうすぐ新しい家族も増える。あ、これがうちの嫁だ」

 ラリーはいつものように懐から嫁の写真を取り出した。

「はいはい。子供か……おめでとさん」

「ありがとよ。お前も早く結婚しろ。犯罪者なんか相手にしてっと、あっという間に婚期逃すぞ? ほら、学生の頃好きなやつとかいなかったのか? おじさんに言ってみ?」

 レオンの表情が少しだけ曇った。

「俺は、いいんだ……」

「はいはいそうかよ。仕事馬鹿め。ボーっとしてるとあの行き遅れの局長様みたいになっちまうぞ?」


『その行き遅れの局長様からありがた~い指示があるんだが? どうだ聞きたいか?』


「はいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

 突然無線から声が聞こえた。ラリーは叫びにも似た大声を出して、思わず敬礼する。

「ちょっ、運転!?」

『ラリィィィィ♪ 後で執務室な』

「……はい」

 それは本部からの連絡だった。しかもオペレーターではなく局長から直々にだ。ただ事ではないことは二人とも理解していた。

『イェーガー、並びにウィルソン。久遠学園の調査は中止だ。直ちに引き返せ』

「はぁ!? もう目の前ですよ?」

 ラリーは抗議の声を上げる。


『上からの命令だ。どうやら今回の件、中央情報局セントラルが事に当たっているらしい』

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