第2-1話 ルーンの腕輪 -Magic Ring-

・1・


 とある研究室。そこには人影が二つ。


「おや? この反応……ハハ、ついに見つけたよ」


 神凪夜白かんなぎやしろはパソコンの前でカタカタとタイピングする指を止めずに、喜びの声をあげる。

「……」

 もう一人は何も喋らない。

「……はいはい」

 夜白は両手を広げて、やれやれといった感じでため息を吐いた。どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。

「ところでこれを見てくれたまえ」

 夜白は大型ディスプレイに資料を映し出す。そこに書かれている名前は、


 吉野ユウト。


「なかなか興味深い能力だ。実に面白い」

「何かわかったのか?」

「全くわからない。さすがは使い手のいなかったオリジナルリングと言ったところだね。とはいえ、腕輪を作った僕でさえ未だに理解が及んでいない。どういう経緯で彼に渡ったのかはさておき、是非一度解析してみたいよ」

 またしても夜白はお手上げのポーズをとっている。だがしかし、その表情は心底楽しそうだった。椅子をクルクル回し、まるで新しいおもちゃを貰った子供のような顔だ。

「……この件は報告するな」

「へぇ……了解」

 何故とは聞かなかった。男はそのまま部屋を後にしようとする。

「いつもの薬はそこに置いてあるからね」

 注射器に入った薬を手に取り、男は今度こそ研究室から出て行った。

「フフ……面白くなりそうだ」

 夜白は薄暗い部屋で静かな笑みを浮かべた。


・2・


 失神したのは生まれて初めての経験じゃないだろうか?

 自分がどんな状態なのかまるでわからない。最初のうちはどっちが上でどっちが下なのかも曖昧だったくらいだ。しばらくすると、自分が冷たい床の上にいることをようやく認識した。

 一つ確かなのは、ここは殺人鬼と戦った場所ではないということだ。


 ――ガツンとやってみろ。


 親友のその言葉通りガツンとやってみた結果……


「……なんで俺、縛られてるんだ?」


 目が覚めたら見知らぬ場所で、ユウトは両手両足に手錠をかけられていた。

「おはようございます。気分はどうですか?」

 目の前には椅子に腰掛け、読書をしている金髪の少女がいた。あの時と同じ、どこかの学校の制服なのか、黒いブレザーに短めのスカート。その端整な顔立ちで、ユウトを眺めていた。

 なんというか、思わず息をするのも忘れてしまうほどに綺麗な女の子だ。手錠さえなければ。

「……ここは?」

「ここは私の隠れ家です。あなたはあれから一日中ここで眠っていました。もう月曜の夕方です」

「……で、なんで俺はこんなところで拘束されているんでしょうか?」

「そんなのうろちょろされたら困るからに決まってるじゃないですか」

 さも当然のように答える少女。

「はぁ……不良に追い回された挙句、殺人鬼からも狙われるなんて、そうそうないですよ。いったい何をしたんですか?」

「何って……何も」

 当然、心当たりはない。

「まぁいいです。少しそこで反省していてください」

 少女は微笑む。目が笑ってない。あの時少女の声を無視して前に出たのを怒っているのだろうか?

「……はい」


 自分でも馬鹿なことをしたとは思っている。普通ならあの場は逃げるべきだ。

 でも、あのまま大男を外に出すわけにはいかなかった。絶対に。

「魔力を一気に使ったみたいですね。倒れたあなたをここまで連れてくるのは本当に大変でした」

「……すみません」

 少女はジト目でこっちを見ていると思えば、自分の体を抱くようなそわそわとした素振りを見せる。

「何?」

「……いえ」

 魔法を使った時の記憶が曖昧だった。何かあったのだろうか?

「ん? てことは、あんたも魔法使いなのか?」

 少女は答えず、左の袖を捲ってルーンの腕輪をちらっと見せた。少女の腕輪は自分のと比べて傷だらけで、色も少しくすんで輝きを失っていた。


「そういえばまだ自己紹介をしていなかったですね。私は遠見アリサです」


 アリサと名乗った少女は落ち着いた調子でそう言った。

 よく見ると、自分より一つ二つ年下だろうか。きれいな顔立ちだが、自分がこうして倒れているのに短いスカートを気にしないなど、その動作一つ一つが戦闘時の彼女とはかけ離れていて、どことなく無防備というか、危なっかしい印象を受ける。

「俺は吉――」

「吉野ユウト……さんですよね」

 初対面のはずなのに、彼女はユウトの名前を言い当てた。

 ユウトはびっくりして尋ねる。

「……どこかで会ったことがあるのか?」

「いいえ。今日が初めてですよ」

 アリサはきっぱりと言った。寝ている間に学生証でも見られたのかもしれない。

 彼女はにっこり笑い、屈んで握手をしたいのか、細くて綺麗な手をユウトの前に差し出した。

「いや、握手とか今できないからね!? 早くこの手錠を解いてくれよ」

「それもそうですね。私が敵じゃないとわかってもらえたようだしそろそろ……あれ?」

 アリサはポッケに手を入れて鍵を探すが、いつまでたってもでてこない。

「……おい」

「すみません。ここまで運ぶ途中で落としたみたいです」

 ユウトの体から再び力が抜ける。

「……床が冷たい」


「だ、大丈夫です。今から持ってきますから。すぐに。ゆっくりしててください」


 アリサは慌てて部屋から出て行った。

「ちょっと!? ピッキングだよね? 物騒なことしないよね?」

 その夜、とある少年の悲痛な叫びが夜空に木霊したとかしなかったとか。


・3・


 翌朝、一日の始めは灰色の天井からスタートした。

(あぁそっか……)

 ここは自分の部屋ではない。それを再度認識して、ユウトはソファーで横になったまま左手を天井に向け、その手にある金色の腕輪を見上げた。

(……俺の力)

 やっとだ。やっと手に入れた。この力があれば魔獣も、あの時みたいな悪い魔法使いとも戦える。みんなを守れる。

 ユウトは拳を握りしめる。

「俺は……守る力を手に入れたんだ」

 誰に言うでもなくそう呟いた。ユウトは体を起こし、背伸びをする。

「さすがに今日は学園に行かないとな」

 顔を洗うために、洗面台を探す。できればシャワーもあればありがたい。探すこと一分。それっぽい扉を発見した。

(ここか?)

 戸を開けると、モワッとした湯気が顔面を襲う。


「……えっ」

「…………」


 そこには何も付けてない、一糸纏わぬアリサの姿。

 ちょうどシャワーを浴び終わったらしく、濡れた髪がキラキラと極上のアクセサリのように光っている。

 バスルームという狭い室内に、沈黙という名の重圧が下りる。

 何かリアクションの一つでも起こしたいが、アリサの顔には一切の表情がない。どんどん瞳からは光が消えていく。


 動いたら殺られる。動かなくても殺られる。

 なら最後まで抗うべきだろう。


「いやいや待て待て。これはその……顔を洗おうと思ってだな……ちょっと待て! 何でおもむろに籠からナイフを!? それよりもまずは隠すところからだな――ぐへっ」

 アリサはユウトを蹴り倒し、馬乗りになって顔にタオルを被せ、何も見えないようにした。

「ごもっ……ご……」

「どうやらあなたの命を奪うのは、昨日の魔法使いではなく私だったみたいですね。不愉快です」

 羞恥で声を震わせながらアリサは言った。

「ちょっ、ほんとにごめ――」

 暴れるユウトをアリサは抑え込む。その際、いろんなとこが当たってしまっているのに二人とも気づいていない。


 しばらくもがいたが次の攻撃はない。様子がおかしいのを感じたユウトは次第に抵抗を緩めた。


「……今日からあなたは自由です。普通の生活に戻ります。泣いたり笑ったり、きっと楽しいことがまだまだ沢山待っています」


 アリサは変わらず馬乗りになりながら言う。見えないとはいえユウトは心中穏やかではない。が、押さえなければなるまい。


「だからこれ以上魔法には関わらないで。これ以上、自分を危険に晒すのはやめてください。このままだと、あなたは必ず不幸になってしまう。大事な物をたくさん失ってしまう……」


 表情は見えないが、どこか泣きそうで震えた声。

「……」

 求め続けた力をようやく手に入れたのに、それを使うなと言われ、はいそうですかと納得できるわけない。


「……でも俺は」

「そうまでして、他人のために生きることがそんなに大切ですか?」


・4・


「ヤバい!! 遅刻する!!」

 一昨日殺人鬼と戦い、ボロボロの体にも関わらず、ユウトは自分の体に鞭を撃つ。

「どうなってんだここは!」

 あの後アリサと別れ、ユウトは学園に向かっていた。ちなみに覗きの件は、後で思いっきりひっぱたかれて許された。

 現在地は小さな開発区域の離島だ。ユウトはそこから中心である海上都市イースト・フロートに伸びる橋をひたすら走っていた。

 海上都市が日に日にその大きさを拡大しているのは聞いていた。ここも一年とたたず、本土と同じくらいの浮島になるに違いない。しかしいくら将来有望でも、今は人通りもなければバスもない。


 走り続けること三十分。何とか本土まで辿り着きバスに飛び乗った。

 バスを降りる頃には残り時間はわずか五分を切っていた。

「こっから走っても十分はかかるぞ……」

 後は上り坂だけなのだが、忍者でもないユウトは壁をよじ登ってというわけにもいかない。とにかく足を動かし続けていると視界の端に人影が入り込む。

「?」


 それは女の子だった。


「はぁッ!?」

 ユウトは思わず足を止めた。女の子がいるだけなら何もおかしいことはない。その女の子は段ボールの中に入って寝ていたのだ。まるで捨てられた子猫です私を拾ってくださいと言わんばかりに。

 歳は十、十一くらいだろうか。外国人らしく、肌は白く、髪はプラチナブロンド。服は小綺麗な黒いフリルのワンピース。段ボールの中で寝ている姿は人形が箱詰めされてるようにしか見えない。

「お、おい」

 ユウトが声をかけると少女はピクンと反応を示した。

(あ、動いた)

 女の子は童顔をこちらに向けて、欠伸をしながら答えた。

「ほぁーう。……えーと、どちら様でしょうか?」

「……………………」

 ユウトの脳裏に嫌な予感が駆け巡る。合わせて冷たい汗が流れた。

 少女は左右を見回し、寝ぼけ眼で首を傾げる。そして予想していた通りの言葉を漏らした。


「……ここは、どこですか?」


「……勘弁してくれ」

 遅刻を覚悟した。


・5・


 通学中に食パンを咥えて、異性と角でぶつかるシチュエーションは出会いイベントの中では最も王道と言えるものだろう。


(……まさかパンを与える出会いがあろうとは)


「ほら、パン」

「ありがとうございます。あむ……」

 公園に移動し、ユウトはベンチにちょこんと座っている少女にパンを渡した。

「お前、名前は? 何であんな所にいたんだ? いやむしろなんで段ボール?」

 ユウトは兎にも角にもまず聞いてみた。もう後のあれこれは極力考えないようにして。

「……なんででしょう? 私、夜のことはあまり覚えてなくて」

(記憶がないって……夢遊病か何かか?)

「じゃあ名前は?」


「レヴィルです。レヴィル・メイブリク」


「俺は吉野ユウトだ。これ食ったら交番まで連れてってやるから。家に帰れ。あまり親に心配かけるなよ」

 ユウトは姿勢を低くし、レヴィルの頭を軽く撫でた。


 こうして改めて見ると、少女は腕や足にケガをしているのか、包帯を巻いている。見たところすでに巻いてからかなり時間がたっているようだ。

 ユウトはアリサにもらった包帯と消毒液を取り出し、少女の傷を消毒した後に新しいのに変えてあげた。

「優しいんですね」

 レヴィルは小さく微笑む。

「気にすんな。当たり前のことをしてるだけだ。それより交番が済んだら早く病院で診てもらえよ」

「兄を……探してるんです。ユウトさん、知りませんか?」

「いや、俺が知るわけないだろ。どんなヤツなんだ?」

 レヴィルは顎に指を当て、しばらく考える。

「どんな人なんでしょう?」

「おい……」

 まだ寝ぼけているのか、まともに会話が成立しない。


「でも兄はこれをくれました。私の宝物です」


 少女が取り出したのは折りたたみ式のハンドミラー。凝った装飾などはなくどこにでもありそうな普通の鏡だ。

 レヴィルは鏡をしまうと、ベンチから立ち上がり、

「さっきは起こしてくれてありがとうございました。では、私は行きます」

「っておい、交番」

「大丈夫ですぅ」

 フラフラ歩いて行く少女を見て、危なっかしくてしょうがない。

「レヴィル!」

「はい?」

 ユウトは一枚の紙を渡した。バー・シャングリラの住所だ。

「どうしても困ったときは、ここに行ってお兄さん探し手伝ってもらえ。俺もだいたいここにいるから」

 レヴィルは紙とユウトを交互に見て、

「ありがとうございます」

 そう言って少女はトボトボ去って行った。途中、数回こけていた。

「ほんとに大丈夫か……」


・6・


 久遠くおん学園。

 海上都市に数ある学園の中では中の上といったレベルだ。ユウトはここに通っている。

 学園に着いたのはすでに一限目が終了し、小休憩に入ったときだった。

 扉を開け、クラスに入ろうとすると、


「吉野が来たぞー!」

「吉野君大丈夫?」

「殺人犯に襲われたってほんとか? よく生きてたな!」


 クラスメイトがこぞってユウトの元に大集合した。

「ちょっ……お前ら、落ち着け」


「ユウ!」


 とりあえず距離をとろうとしたら、ものすごい勢いで背後から抱きつかれた。

「……伊紗那」

 伊紗那は背中に抱き着く力を、より一層強くした。

「バカ! ほんとに心配したんだよ。あの後、事件があったって……、電話しても全然連絡付かないし、私どうしていいか……」


(あぁ、これは俺が悪いな)


「……悪い。でもほら、大丈夫だから。な?」

 ユウトは抱きつく伊紗那の手をゆっくり解き、彼女の頭を撫でて謝った。

 するとクラスメイトの一人がポンっと、同じくらいの優しい手つきでユウトの肩に手を置いてきた。

 とっても優しい笑みと共に。

「吉野君、話をしようじゃないか。表へ出たまえ」

(あれー? これは俺が知ってる優しい笑みじゃないぞー。肩を掴んでる手が痛いんですが野球部の長谷部くん)

「……待て、俺の話を聞け。これは――」

 見ればユウトを囲むクラスメイト全員の顔からは、心配の表情などとうに消え失せ、殺気にも似た怒りの感情がピリピリと伝わってきた。

「人が心配してみれば何さらしてくれとんじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「え、ちょっ……まだ傷が、ぎゃぁぁぁぁぁ!」


・7・


「なるほど、それでお前は一躍みんなの人気者になったと」

 冬馬はニヤリと笑っていた。

「笑い事じゃねぇよ。ほんとに……今日は厄日か」

「残念ながらだいたい悪いことは立て続けに起きると相場が決まってる。そろそろ次の不幸がお出ましになるんじゃないか?」

「……マジかよ」


 あれから男子には授業中散々恨みつらみのメモを投げられ、授業が終わったと思ったら女子に詰め寄られ伊紗那との関係について目を輝かせて問いただされた。

 今はというと、ユウトは冬馬と二人で学食でパンを買っていた。昼休み開始と同時に冬馬に引っ張り出され、結果的には助かっている。今はとりあえず屋上に向かっているところだ。

 落ち着いたところで食べようと思っていたが、冬馬はもうすでに袋を開けて歩きながら食べている。それでいて一欠片も落とさないところが実に冬馬らしい。

「そういえば伊紗那は?」

「ん? あぁお前は知らないのか。今日転校生が来たんだよ。あいつはその案内。確か名前は――」


「ユウト!」


「ん?」

 背後で自分の名を呼ぶ声がした。

 振り向いたユウトが見たのは、伊紗那とポニーテールの少女の姿だった。ここの学生服を着ている。

「……は?」

 ユウトはその少女の事を知っている。知っているからこそ疑問が浮かんだ。


 なぜここに? と。


 少女の名は御巫刹那みかなぎせつな。今はタカオ達やユウトと行動を共にしている魔法使いの仲間だ。まだこの街へ来るずっと前、ユウトの小さい頃の幼馴染みでもある。

「刹那!? なんで!?」

 グイッと押し倒され、胸ぐらを掴まれた。

「聞きたいのはこっちよ。連絡もしないし、ミズキに聞いたらデートに行ってただぁ? はっ!? まさか朝帰り……でもでも――」

 刹那は一人でいろんな可能性と会話し、一喜一憂していた。二人にデートをそそのかした冬馬はその場で知らん顔し、当事者である伊紗那は隣でオロオロし始めた。

「落ち着け刹那。とりあえず落ち着くんだ。じゃないと――」

「? ……っ!?」

 ユウトは目のやり場に困った。見えているのだ。縞模様の――

「っっっっ!?」

 刹那はボッと顔を赤くして、


「なっ、なっ、何見てんのよ! このド変態がぁ!!」


 理不尽という名の鈍い音が辺りに響いた。

 冬馬の言う通り、三度目の不幸が舞い降りた瞬間だった。

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