第96話 動き始めた明日 -Start your magic!!!-

・1・


「おやおや、ご機嫌だね御影」

「……No。いたって平常。何事もありません」


 東京郊外にある特別研究棟。宗像冬馬が世界に名だたるエクスピア・コーポレーション新社長に正式に就任し、東京に本社を移転したのと時を同じくして造設されたものだ。

 そこでは多くの研究員をまとめ、モニター越しの数多の数列、そして検証結果報告書と睨めっこする鳶谷御影と、その後ろで彼女の首に腕を絡める飛角の姿があった。


「ふーん。で、本音は?」

「……二年かかりました。これだけの成果をあげれば、あの人もNoとは言えないはず……ハッ!?」

 ギュッと拳を胸に掲げた御影は、思わず我欲が漏れてしまったことに気付いて顔を赤らめた。

「フフ、疲れてるね。本音が駄々洩れだぞ? やらし~んだぁ~」

「……そろそろ検査のお時間ですよ、?」

 御影が急に他人行儀になっても、飛角はマイペースを崩さない。

「それはユウトとだけの秘密にしておきたかったんだけどなぁ」

 飛角という慣れ親しんだ偽名も、今では必要なくなってしまった。この世界で天城千里という人間は死んだことになっていないからだ。だが、彼女はあえてこの偽名を今も好んで使っている。

 この名と共に生き、そして散っていった者を忘れないためにも。

「……」

 飛角はルーンの腕輪の欠片を使って作ったペンダントを胸にしまった。

「今まで通り親愛と尊敬の念を込めて、飛角お姉ちゃんと呼んでくれてもいいけど?」

「……No。お断りします。あなたは私の部下。私に害がないようにしっかり仕事をしてください」

「むー」

 きっぱり断られた上に仕事しろとまで言われた飛角は口をへの字に曲げた。


「でもそっか……もう二年か」

「……そうですね。ようやくスタートラインに立てます」




 ――あれから二年の月日が経過した。




 あれだけの戦いを繰り広げた海洋に浮かぶ巨大な人工島は、幻のように消え去っていた。そもそも存在すらしていないらしく、跡地もない。

 止まっていた時は確実に明日へと歩を進め、この長いようで短い間にいろいろなものが目まぐるしく変わっていった。


「どうりで髪も伸びて、背もちっと伸びたわけだ。よしよし」

「……ッ、茶化さないでください」


 あの時よりも少し髪が伸び、より女性としての魅力に磨きをかけた御影の変化もその一つ。


 御巫刹那はあの一件を報告するために京都の御巫本家に、橘燕儀を連れて帰郷したまま。


 タカオとミズキもこれからの生き方を模索するため、しばらく世界を見て回ると東京の地を去った。


 レオン・イェーガーとイスカは、死ぬ一歩手前だった重傷を時間をかけて完治させ、その後エクスピアに入社。今は冬馬の護衛をしている。


 冬馬の父。宗像一心の研究の集大成であり、ワーロックにまで昇華した神凪夜白は、その力と頭脳故に扱いがさらに難しくなった。今後どうなるかはわからないが、今は冬馬の監視下にあり、彼女もそれで満足している。昔と同じ、エクスピア技術顧問の席で彼に尽くしている。


 逆神夜泉はエクスピアがスポンサーとなり歌手としてデビュー。その美貌と歌声で歌姫は多くの人々を魅了している。


 御影や飛角だけじゃない。皆、一人一人が自分の道を歩んでいる。自分のできる精一杯をやり遂げていた。



 全ては一人の少年の理想から始まった。

 その理想は伝染し、互いに研磨し合い、そしてついに伊弉冉に囚われていた魂の奪還に成功するまでの強さを得た。



「あいつは本当にヒーローだよ」

 飛角は自分の事のように嬉しそうに彼のことを話す。

「……ユウトさんのメモリーと、伊弉冉を封じ込めて時間をくれた伊紗那さんが起こした奇跡です」


 どうやらこの世界には、伊弉冉以外にも刹那の伊弉諾やアリサのパンドラ、レオンの相棒であるハンナ――ハンニバルのような、強大な力を持つ魔法の道具がまだまだ存在するらしい。

 世界を回るタカオの情報などを元にその魔具を収集、研究し、真理を見抜く神凪夜白の協力も得て、御影はようやく一つの光明を見つけ出すことができた。


 それは人の理想ほんしつを記録したユウトのメモリーと、伊弉冉が捕らえた魂。その二つの波長が非常によく似ているということ。

 外部から折れた伊弉冉に干渉し、それを数値として精査することができるのなら、後は科学こっちの領分だ。


 その努力は実り、海上都市で命を落とした者。一心に魂を抜き取られた者。その数およそ百万に上る人々を、日常に戻すことができた。


 御影の姉、鳶谷赤理もその一人。彼女はアーロンと婚約した。同時期に寄りを戻した戦場青子とレオン。どちらがレヴィルを養子にするかで口論していたのが記憶に新しい。


 意識を取り戻した神座兄妹。そして高山篝も健在だ。彼らはエクスピアに所属はせず、アメリカへと渡ったと聞いている。凌駕は時折、冬馬と顔を合わせているらしい。



「……残すところです」


 御影はガラス越しの病室に目を向ける。

 そこには今も尚、静かな寝息を立てて眠り続ける一人の少女の姿があった。


 囚われたままの魂は二つ。

 一つはあの大事件の首謀者である宗像一心。

 そしてもう一つは、全ての命を助けるためにその身を賭して、未だ伊弉冉を封じ続けている祝伊紗那だ。


 一心の体は日本政府が厳重に収容している。

 非道な人体実験を行った証拠は冬馬が全て提出した。彼が目を覚ましたその時、人間の秩序ルールに従わせるために。


「でもどうするよ? 伊紗那は他の連中のようにはいかないんだろ?」

「……そのために、今皆さんが全力で新たな魔具を探しています。可能性はゼロではありません」


 人が抱く飽くなき理想は、人を進化させる。

 今は無理でも、いつかきっと、ということは十分あり得る。実験や研究、臨床を積み重ねていけば、望む未来を手繰り寄せることはきっとできる。


「……だから、私も彼らの理想に応え続けなければなりません」

「恋敵、増えちゃうよ?」

「……ッ、それとこれとはまた別の話です。そもそも私は誰にも負けるつもりはありませんので」


 未だあの悪夢の中で戦い続ける伊紗那を放っておくなど論外だ。それこそユウトに顔向けできなくなってしまう。


「フフ、私も負けてられないな」


 今もきっと、どこかで頑張っている少年の事を想い、二人は笑顔になる。


・2・


「義手の調子はどうだ? 宗像」

「良すぎて怖いくらいだ」


 自由の女神が観える海に面したオープンテラスでは、二人の少年が食事をしていた。


「まだ脳の電気信号を受信するアクチェーターには改良の余地がある。また近々うちに寄るといい」

「おいおい、義手を作るのはの仕事じゃないだろ?」


 呆れた顔で目の前のお医者様が作った義手でコーヒーを啜る宗像冬馬。対して神座凌駕はこう返した。


「人をより良い状態にするのが医者の本分だ。例え治療する箇所が機械であってもそれは変わらない。私にはできる。それだけのことだ」

「そうかい」


 随分変わったものだと、冬馬は凌駕を見て思う。思想も人との関係も。


「何で医者を目指したか、聞いてもいいか?」

 唐突に、冬馬は凌駕にずっと疑問に思っていたことを尋ねた。

「何故だ?」

「いや、正直お前なら何にでもなれる可能性があった。医者を軽視するわけじゃないが、てっきり俺は研究職を選ぶとばかり思ってたからな」

 目を覚ました次の日には日本の大学病院に席を置き、アメリカへ留学。最先端の技術を早々と習得し、異例の速さで医師免許も同時取得。まだ形式上、医学生という扱いだが、すでに現場で仕事をしている紛れもないプロフェッショナルだ。

 何というか、さすがとしか言いようがない。

 だが、何故彼がこの道にこだわるのか。それはよくわからなかった。


 そんな冬馬の疑問に凌駕は少し思案し、そして口を開いた。


「伊弉冉は折れ、世界は元の本来あるべき姿を取り戻した。鳶谷御影を始めとする多くの協力のおかげで、私を含め犠牲になった人間の多くを救い出すこともできた」


 海を眺めながら話していた彼は、そこで冬馬の方を向いた。


「だが私は、未だ根本的な脅威は去っていないと考えている」

「……」


 その通りだ。

 魔獣の問題が消え去ったわけではない。今も世界中でその存在が多数確認され、倍以上の死傷者を出している。

 加えて『魔具』と呼ばれる神にも等しい力の存在。それを人間が使うことがどんなに恐ろしい事か、冬馬たちは身を持って知ったばかりだ。今後、第二第三の宗像一心が生まれてもおかしくはない。


「この先、確実に戦いの時がやって来る。真理の追及は君のところの魔道士ワーロックにやらせておけばいいだろう。私は、私のやるべきことをしているにすぎない」



Noblesse obligeノブレス・オブリージュ



 凌駕の言葉はつまるところそういうことだ。

 最前線だけが戦場ではない。その後ろで、傷ついた人間の未来を繋ぐのもまた立派な戦いだ。

 一人の医者が、生きているうちに何人の人間を救うかはわからない。

 だが神座凌駕という天才は、きっとこれからその何倍もの人間を救うことだろう。

 彼は自分の知恵を、自分の才を、最も合理的かつ効果的な場所に捧げている。


「宗像、君ならわかるだろう?」


 きっと凌駕もまた、吉野ユウトの理想にあてられた一人なのだ。自分と同じ。

 今なら彼を友と呼ぶことができそうだ。



「フッ、まぁな。それより最近あのちんちくりん……高山篝ちゃんとはどうよ?」

「?」

 凌駕は何を言っているのか本当にわからないといった顔で首を傾げた。


「……お前のそういうとこ、ほんとにユウトに似てるよ。泣けてくるほどに」

「心外だ」


 彼は少しだけ怒りをあらわにして、運ばれてきたジェラートにスプーンを差し込んだ。

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