第93話 最後の魔法 -Elpis-

・1・


「フン、愚かな選択だ。我が子ながら嘆かわしい。これは教育だ。私に逆らうことが如何に愚かな事か。彼女の命でもって知るがいい」


 獣と化した一心の巨大な腕が器用に動き、伊紗那の胸に吸い込まれるように伊弉冉の刃が刺さる。すると彼女の体が発光し、ボロボロと崩れ始めた。


「ッ!?」


 ユウトは奥歯を強く噛みしめた。冬馬を信じていないわけではない。しかし、目の前で大好きな少女が死んでいく。そんなこと、耐えられるわけがない。

 体は勝手に動いていた。

「……ッ」

 だが、そんな彼の肩を冬馬が掴む。

「冬馬……」

「これで、いい……」

 その言葉とは裏腹に、彼の手は震えていた。どうしようもないほどに。


「ハハハ! 自ら下した選択を悔いるがいい。ハハ、ハハハハッ!!」


 嘲笑う一心。ただそれを見ていることしかできない。


 光子と消えた伊紗那の魂が、赤い空へと昇っていく。


 自然とユウトの手が伸びた。僅かでも掴み取れば、まだ何か――そんな淡い期待を抱いてしまいたい。

 わかっている。




 今、確実に――祝伊紗那という少女は

 死んでしまった。




「これで君たちは戦う理由を失った。大人しくここで散るがいい」


『Infinity』


 自身の体内に伊弉冉を取り込み、宗像一心はより一層高まった邪悪なオーラを洪水のようにその身から垂れ流す。

 ユウトと冬馬は、そんな彼を前に立ち尽くしていた。











 その時――












『イヒ、イヒヒヒヒヒ☆ 社長さんよ~、セキュリティザルすぎワロタ。メシウマメシウマ』









 赤夜の空に声が響いた。

「ッッ!? 何だこの声は!?」

 この場にいない誰かの声。その声はひどく愉快そうに一心を嘲笑う。まるで悪人のそれだ。

「スピーカー?」

 肉声ではなかった。音源は屋上に取り付けられた広報用スピーカーからだ。


 


 限界まで抑えた機械の羽音。


 一心は空を見上げた。そして驚愕する。

「何ィ!?」

 そこで彼が見たものは、一機の小さなドローン。

『いただきィ!』

 伊紗那の光は、あっという間にその機械の箱に吸い込まれた。


「馬鹿なッ!! そんなことが……ッ、ありえない。伊弉冉と同質の力でもなければこんな――」



「デューカリオン!!」



「な――」

 一心の体が側面から極光に飲まれた。纏っていた深闇は蒸発し、彼の体は屋上の縁まで投げ出される。

「ッ……さすがにもう、打ち止めです」

「アリサ!!」

 最後の魔装を解き、膝を付いたアリサにユウトは駆け寄った。そしてバランスを崩した彼女を優しく抱き留める。

「……ユウト、さん……よか、った……」

 酷い汗だった。刹那と同様に、彼女も言葉では語り尽くせない死闘を潜り抜けてきたのは容易に想像できる。



「……驚いた。やはりアリサ君は正しいようだ」



 そしてもう一人。屋上へと続く階段から上ってくる者がいた。

「……神凪、夜白」

「やぁ、ユウト君」

 にこやかに会釈する夜白。彼女の瞳を見て、ユウトは絶句した。

 発光する赤い双眸。それは紛れもない魔道士ワーロックの証だ。

「お前……」

 ユウトはすぐに理想写しを構えた。


「待てユウト。少なくともそいつは敵じゃない」


 そんな彼を、冬馬が制した。


「でもこいつは――」

「冬馬!」

 ガバッと、夜白は冬馬に飛びついた。

「君が僕の言葉を信用してくれるなんて……夢にも思わなかったよ」

 白い肌を赤く染め、目尻には涙を溜めながら、夜白は想い人を見上げる。そんな彼女の頭の上に、冬馬は手を置いた。


「正直、半分は疑ってたさ。けど……お前の口からが出てくるとは思わなかったからな。信用してもいいと思ったんだよ」

「いいさ。君が僕を想ってくれた。その事実が何よりも重要なんだ」


 嬉しくて堪らないのか、夜白はじゃれつく猫のように彼の胸に顔を埋める。


「離れて」

 しかし、そんな彼女の首根っこをイスカが強引に掴んで引き離した。

「……無粋だな。僕と冬馬の世界に入ってこないでくれるかな?」

「トーマは渡さない」

 夜白の赤い眼がギラギラと燃え、イスカと激しい火花を散らす。



「そうだ、伊紗那は?」

「……心配ご無用。彼女は無事です」

 夜白が上ってきた階段から、御影が遅れてやってきた。生粋のインドア派にも関わらず、全力で駆け上がってきたのだろう。ゼェゼェと息を切らしている。


「鳶谷御影……一体何をしたぁッ!!」


 一心は彼女の名を叫び、憎々しげに吠えた。


「……篝さんの魔法で、伊弉冉の力に干渉ハッキングしました」


「ハッキング……」


 『夢』を『現実』に変える伊弉冉の力。その神の御業に対して、『現実』を『デジタル』に変える篝の魔法で極小のバックドアを作り出す。

 言葉では簡単に聞こえても、全く想像できない。


『天才美少女ハッカーの篝ちゃんに、不可能はなーい☆ ウハハハハ!!』

 当の立役者はというと、ありとあらゆるモニターにその姿を映し、電子の世界でしてやったりと豪快に笑っていた。


「……とはいえ、どうしても宗像一心が自ら彼女の命を手放すまで待つ必要がありました」

 御影はそっとユウトに寄り添った。

「……申し訳ありません。分の悪い賭けで祝さんの命を危険に晒してしまって」

 今は顔を見られたくないのだろう。彼女はユウトにくっつきながら、少しだけ震えた声でそう囁く。

「……御影……ありがとう。救ってくれて」

「……ッ」

 そこまでしなければ伊紗那を助けられなかった。ならば、最後の最後で何もできなかったユウトに御影を責める資格はない。

 彼の腕が優しく御影の体を抱きしめると、震えは僅かに安らいだ。


「悪い人。そう言えばユウトくんはデレてくれる……でも今はその辺にしておきなさい」

 倒れていた刹那に肩を貸す夜泉が、意味ありげな含み笑いで御影に言った。

「……何のことだかわかりませんね」

 御影はプイっと顔を背けた。


「ユウトさん、これを……」

 アリサは懐から純白のメモリーを取り出し、ユウトに手渡す。

「これは……」

「タカオさんと、ガイさんからです」

 そのメモリーからは確かな強い力を感じた。そう感じたのはきっとあの二人だけではないからだ。

 この中にはもっと多くの、命を救いたいと願う全ての人の理想おもいが宿っている。



「みんな、下がっていてくれ。すぐに終わらせてくるから」


 アリサを御影に任せ、ユウトは一心と再び向かい合う。

 その彼の横に、冬馬も立つ。


「水臭いぜ。俺にも一枚噛ませろよ」

「あぁ、頼りにしてる」

 心強い親友の存在に、ユウトの心は昂った。

子供ガキの頃からずっと親父の実験に耐え続けてきた。すっかり忘れてたぜ。もしこんなクソったれな運命を作った神とやらが目の前に現れたその時には、一発ぶん殴ってやろうと思ってたんだ」

「冬馬、なら今が絶好のチャンスだ」

「そゆこと」


 これが最後の戦い。

 真横に突き出された冬馬の拳に、ユウトは自分の拳を重ねた。


「「俺たちで決着をつける!!」」


・2・


「決着をつける? ならば望み通り地獄へ送ってやろう!!」


 一心の体が爆発し、散弾のようにシャドウ・ネフィリムの種が射出された。

 だが不死身の肉体を持って生まれた悪の権化たちは、冬馬の放つ光が一掃する。


『Execution ... Fire!!』


 両刃の聖魔剣を光で満たす。白銀の翼を羽ばたかせ、冬馬は一心に向かって突っ込んだ。

「おおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 狙うは一心の膨らんだ腹。無限に不死を生み出す胎盤だ。

 突き立てた剣が彼の腹にひびを入れる。その代償として剣身も砕け散った。だが冬馬は構わず、亀裂に自分の拳を思いっきり打ち付けた。

「ぐ……ッ、おのれ冬馬ァ!!」


 バギッバギバギバギッ!!


 亀裂は音を立てて四方に広がり、ついには破裂する。しかし同時に、痛み分けとでもいうように、一心の巨腕が冬馬の体を上から殴打した。


「が……ッ、やれ!! ユウト!!」

 一心の鉄槌の前に、いとも簡単に鎧が砕けてしまったが、それでも冬馬はがむしゃらに叫んだ。

「行くぞ、宗像一心!!」

 ユウトはアリサから受け取った純白のメモリーを装填した。



Elpis希望



 次の瞬間、殺風景なモノリス・タワーの屋上一面に白い花が咲き乱れた。

 白花の花びらは風に乗り、一心を包む不死の闇を連れ去っていく。

「何だ、これは!? ぐ……体が……ッ!!」

 彼の中に巣くう『人類悪』の力が浄化されている。

 一心が取り込んだ呪いも、呪いそのものだったガイも。人から生まれた負の総念。反転したガイの力はいわば、人類悪ネフィリム・オリジンに対する最強のワクチンなのだ。


「これでお前を倒せる!」


 『無限』は消えた。

 もう彼を守るものは、薄っぺらい夢幻やしんだけ。


 ユウトは全力で地面を蹴った。

 その途中で、白花から実がなるようにメモリーが顔を出した。彼はそれらを掴んで、迷わず籠手に差し込む。


『Double Clock ... Mix!!』


「させるか――」

 巨躯の獣の姿がどんどん萎んでいく中、一心が運命操作Zeroの力を使おうとした。だが一対の刃がその『時』を切り取り、不発に終わる。

「ッッ!!」


 連続で魔法を発動しても、頭に痛みはない。

 Elpisの力は、ユウトの理想写しイデア・トレースを完全なものと成していた。いや、あるいはユウト自身の意志が――


(もう、俺は自分を見失ったりしない)


 かつて、ミズキは言った。


『Defender Raider Heat ......... Mix!!!』


 魔法を得たところで人の本質は変わらない、と。


『Drain Bios Scale ... Mix!!!』


 魔法が――自分だけの唯一が手に入れば、世界が変わると思っていたあの時のユウトにはわからなかった。


『Haze Riot Fork ... Mix!!!』


「ぐうッ!! いったい、どれだけの魔法を……ッ。なぜ無事でいられる!!」


 けど、今なら。

 人の本質こそが魔法なのだと理解できる。欲しいものは最初からこの手の中にこそあった。


『Greed ... Exterminate』


「当たり前だ! 俺は一人で戦ってるんじゃない!」

 一人では何もできなかった理想写しユウトが、こんなにも多くの理想を束ね、大きな力としている。

 ならば、吉野ユウトの本質はきっとそこにある。



「これが俺の……いや、俺たちの理想の力だ!!」



 蒼眼の魔道士はさらに前へ出た。

「確かに人間は争うし、自分のために他人を傷つける。お前の言う通り愚かな存在かもしれない」

 次々と花からメモリーを摘み取りながら、ユウトは理想を開放する。


「けど一人一人が自分の弱さを知ってるから……その弱さを認めて、こうなりたいと理想を抱けるから、人間は止まらない。前に進めるんだ!」


 そう。人は前に歩き続ける。

 一歩踏み出せば世界は明るくなる。もう一歩前へ出れば可能性が広がる。

 たとえ愚かに見えたとしても、この理想は絶対に間違いなんかじゃない。


 だから――


「お前の身勝手な救済は必要ない!!」

「吉野ユウトォォッ!!」


『Infinity』


 夢より誘われた幻の刃が、一心を守るために、そして神に抗う反逆者を串刺しにするために、全方位から襲い掛かった。


「そんな紛い物で、本物この力は止められないぞッ!!」


『Unlimited Overdrive!!』


 輝く籠手が全てを消し飛ばした。相対した一心の拳すら砕き割る。


「ぐ……ッ、GAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」


 まだ浄化しきれていない最後の力を振り絞るように、彼は呪いのブレスを吐いた。その威力も範囲も、もはや天災レベル。触れれば朽ちて塵と消える。避けることは不可能に等しい。


 だが心配はない。ユウトは一人じゃない。

 彼の野心そのものであるその一撃は、天から降り注ぐ幾千の理想写しの武具によって打ち砕かれた。


「!!」


 例えどんな魔法であっても、今ならきっと彼の助けになる。

 生きたいと願う人の総意がそうさせる。

 この運命は、例え伊弉冉であっても侵すことはできない。

 

『Eclipse Blade ... Mix!!』


 ユウトは黒白の双銃剣の柄を合わせ、比翼の大弓へと変形させる。そしてその弓に希望Elpisのメモリーを装填した。


『Elpis Overdrive!!』


 さらに。


 『理想写し』は『理想無縫』へと昇華する。


『Longinus』


 少年は神殺しの槍を矢として、大弓につがえた。

 必滅の一矢は重く、そして熱い。

 だが、ユウトの後ろにはアリサと刹那がいる。彼女たちだけではない。多くの仲間たちの理想が彼を支えている。


 だから魔道士は、渾身の力を込めて弓を引ける。

 何も恐れる必要はない。


「宗像一心! お前の運命は俺がここで終わらせる!!」



『Ultimate Break!!!!!!!!!!!!!!!!!!』

『Infinity!!』



 ギリギリまで張った弦の拘束が解かれ、収束した意思の光が弾ける。

 一心の伊弉冉からも、歪んだ極光が迸った。


 二つの力が激突した。

 『世界を支配する魔法』と『世界を拡張する魔法』。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「ああああああああああああああああああ!!」


 輝きはさらなる輝きを呼び起こし、赤い夜を白く染め上げていく。

 その赫耀かくやくに、世界は停止した。

 そこは伊弉冉の深淵。全ての可能性が集う場所。

 夜よりも暗きその場所で、ユウトの蒼い眼は勝利へと続く僅かな光を見逃さない。

 理想を紡ぐその手が、希望を掴み取る。

 


 均衡は崩れた。



「ッッッッ!!」


 理想がはしる。

 理想が吼える。


 純粋なる魔道士ワーロック理想無縫イデア・トゥルースと連動し、束ねた意思は人の真価を呼び覚ます。


 解き放たれた人々の理想の光は、夢幻もろとも一心を呑み込んでいく。


 偽りの世界が震える中、悪の権化たる魔性の巨躯は自らが愚かと罵った灼熱の光に焼かれ、声にならない絶叫を振りまいた。

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