第94話 『現実』と『理想』のコンフリクト -Extra Magic-

・1・


「はあっ……ああッ!! ぐ……ッ、おの、れ……ッ!!」


 人を捨て、総身を絶対悪に蝕ませた神から、再び人へと堕ちた宗像一心。

 彼は地面に這いつくばりながら、尚も獰猛な唸り声をあげていた。


「……どういうつもりだ、吉野ユウト」

 神話すら打ち砕く一撃を受けたというのに、一心にはまだ喋れるだけの余裕が残されていた。他ならぬユウトが意図的にそうしたからだ。

「お前の体の中のワイズマン因子は完全に焼き尽くした。もうお前は戦えない」

 命は奪わない。たとえどんなに憎い相手であろうと。もしここで憎しみに任せて彼の命を断ってしまったら、ここまで背中を押してくれた全ての想いに顔向けできなくなるような気がしたからだ。

「お前には人間の秩序ルールに従ってもらう」

「……ッ」

 血にまみれた一心の拳が憤怒で強く握られる。爪が肉を裂き、さらに赤く染まった。

「親父。いい加減、夢から覚めろ」


「…………夢? フ……フフ……ハハハハハハッ!!」


 冬馬の言葉に、一心は突然笑い始めた。

「何がおかしい?」


「そんなに、その願い叶えよう。私を倒した報奨だ」


 彼は伊弉冉を取り出し、ユウトたちに見せつけるようにその刀身を輝かせた。

「やめなさい! あんたにはもうその刀は使えないわよ!」

 夜泉に支えられた刹那が警告した。ワイズマンとしての力を失った一心には、もう伊弉冉を強引に使役するだけの力はない。もし使えば、妖刀は底なしの魔力を求めて使用者の身を喰らおうとするだろう。

 だが彼はそれを理解して尚、崩れた笑みを浮かべた。


「今ここで、私が伊弉冉の世界に終止符を打てば、君たちは悪夢から覚める。本来いるべき世界へと戻れるだろう」


 ここは箱庭。伊弉冉が創造せし虚構の世界。であるならば、当然ユウトたちが生きるべき現実があるはずだ。一心はそこに戻れると言っている。だが――


(……何だ? この感じ)


 なのに……心が酷くざわついた。

 何か良くない方向に事態が進んでいる。そう思えてならない。

 その理由はすぐにわかった。


「だが……同時にそれは現実の上書きを意味する。……伊弉冉が魅せた『嘘』は『真』となるのだ」


「「「!!??」」」


 一心の言葉に、この場の全員の背筋に冷たい衝撃が走った。

『え? 何、ドユコト?』

 ただ一人、モニター越しの篝だけは?マークを浮かべて唸っていた。


「よって、現時点で伊弉冉に魂を捕らわれている人間は全て死に絶える。一人の例外もなく。そもそも肉体を持たないのだから当然だ」


『は、はぁっ!? フザけんなこの悪徳社長!!』

 事の深刻さを理解した篝が激怒する。同時に、声は震えていた。無理もない。彼女は神座凌駕のために、一度は折れた心を奮わせてここまで来たのだ。

 誰だってその想いは持っている。


 だからこそ、全てが無駄だったなんて認められるわけがない。


「君たちは私を倒したことで現実へ戻る切符を手にした。だが、悪夢は終わらない。現実こそが本当の悪夢だということをとくと思い知るがいい!! ハハ、ハハハハハハッ!!」


 一心は無造作に、両手で伊弉冉を振り上げる。

「や、やめろッ!!」

 だが間に合わない。ここにはもう誰一人、万全な状態の者などいない。


 ひび割れた刀身が思いっきり、金属の床に叩きつけられる。


「!!」


 次の瞬間、パリンッ! とガラスの割れるような音を鳴らし――




 伊弉冉の刃は儚く砕け散った。




 キラキラと輝く破片は重力に従って、星を散りばめるかのように床に突き刺さる。その様をユウトたちはただ見ていることしかできなかった。

「……なんてことを」

「……ッ、そんな……」

 驚愕で口元を手で覆う御影。そしてその横でアリサは悔しさに歯を食いしばる。


 今この瞬間……ここまできて……目の前で希望いのちは打ち砕かれてしまった。


「……さぁ目覚めの時だ。永遠に消えることのない絶望が……君たちを待っている」


 破片は周囲の光を歪め、伊弉冉を破壊した一心の体を蜃気楼のように虚ろへと誘う。足元からは無数の不気味なうでが彼の体に絡みついていた。

 資格を持たない者が力を使った代償か。それとも神を愚弄した罰か。

 しかし、一心は満足げな顔で己を打倒した勇者たちを見据え、そして消えていった。



 ――全ての命が見ていた、一つの夢が終わる。



 悪の権化の消失を呼び水に、空に崩壊の亀裂が走った。分界への裂け目とは比較にならない。何よりも暗く、そして何よりも深い。世界にとって決定的な致命傷。

『おいおいこれってヤバいんじゃねぇか!?』

「最悪です……」

 世界が音を立てて崩れていく。

「伊紗那……青子さん……みんな……」

 このまま目が覚めれば、彼女たちの存在は『嘘』……なかったことにされてしまう。

(……ッ、そんなことッ!!)


 させない。


 しかし、ユウトの足が動くよりも遥かに早く、冬馬が前を歩いていた。

「……冬馬、お前……」

「身内が最後まで迷惑かけて悪いな。心配すんな。俺が何とかするさ」

 彼は振り返らずに、折れた伊弉冉の柄を握った。

「俺の中にも、長年クソ親父の実験に耐え続けて馴染んだワイズマンの因子がある。だからもう一度……死ぬ気で頑張れば伊弉冉を再起動できるはずだ」

 冬馬は上着を脱ぎ捨て、上半身を露わにする。

「……ッ」

 以前にも見た、彼の体を蝕む亀裂。それは前よりも確実に広がっていた。体の半分以上を覆い尽くすほどに。きっと戦う度にワイズマンの力がどんどん強くなって、体がそれに耐えきれていないのだ。


「させないよ。それだけは絶対に」


 夜白が赤い双眸を光らせ、冬馬の前に立った。きっと彼女にも、これから先が見えている。

「君を失ったら……僕は……」

「悪いな夜白。お前の気持ちを裏切ってばっかりで」

「とう――ッ!!」


 冬馬が夜白の頭に触れたその瞬間、彼女の姿が消失した。


(あれは前に伊紗那がやったのと同じ……ッ)

 強制的に世界から切り離す伊弉冉の技。なら夜白はおそらくもう――

「ッッ……思ってた以上に……きついな」

 刀という形を失ってもなお、夢と現実の境界線を失くす力はそこにあった。

「……次はお前らだ。一足先にあっちで待っててくれ」

 冬馬が伊弉冉を振るう。すると床一面に散らばった刀身の欠片が淡い光を取り戻した。

「ユウトさんッ!!」

 その光は手を伸ばしたアリサたちを――いや、それだけに留まらない。

 海上都市全域を一瞬で呑み込む。


・2・


 魔法という奇跡が狂わせた、海に浮かぶ科学の孤島。


「はぁ……やっぱりお前には効かねぇか」


 イースト・フロートにはもう、


「冬馬……お前はいったい、何がしたいんだ?」

 たった一人。ユウトは友に問う。

「もう一度、あの頃を創り直す。誰もが幸せだった日常を……俺が、この手で取り戻す」


 そう語った冬馬の瞳には、今まさに希望から野心に転じようとする暗く強い光が見えた。

「何だよそれ……そんなのただの幻想だ!」

「幻想でも!! ……それでも伊弉冉こいつがあれば、現実にできる。お前も散々味わったはずだろ」

「でもそれじゃあ冬馬が……ッ」


 三回目の世界の再起動リセット。だがユウトや夜白の想像通りならば、そこにはきっと宗像冬馬はいない。

 諸悪の根源である宗像一心を否定すれば、当然その息子である彼の存在は同様の扱いを受ける。

 自己犠牲。今の冬馬はかつてのユウトと同じだ。だからすぐにわかった。


「お前はこのまま伊紗那の死を認められるのか? 大勢を犠牲にできるのか? それで本当に後悔しないのか? 俺一人の命でどうにかなるんだ。大人しく――」

「認められるわけないだろ!! このままあいつを見捨てるなんて。誰一人、死んでいいわけない……冬馬……お前だって」

 何か方法がきっとある。

 映画のラストを彩るような、都合のいい大逆転劇が。可能性を司る伊弉冉が、そんな誰もが求めるハッピーエンドを用意していないわけがないと……そう信じたい。


「……まぁ、お前が素直に言うこと聞くなんてはなっから思ってねぇよ」

 冬馬は無き父が使っていた機械仕掛けの鞘を拾った。

「それは……」


『Utopia ...... Open』


 ワイズマンが伊弉冉を制御するために使う神縛りの鞘。それを起点に、冬馬は黒碧の衣を纏う。同時に、体を這う亀裂はついに彼の頬にまで達した。




「俺は俺自身を捨ててでも、未来を繋ぐ。俺を信じてくれるお前たちのために」


 一人は友のために。現実を説いた。


「お前にはもう負けられない。勝って証明してみせる。捨てるだけじゃない。未来みちは自分で作り出せるってことを!」


 一人は友のために。理想を謳った。




 同じ願いを胸に抱く少年たちは、誰一人望まない最後の戦いの火蓋を切る。

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