第92話 命の選択肢 -Who is the most ...-

・1・


 一心けものが咆哮した。

 ただそれだけで空気が爛れ、全身がキシキシと悲鳴を上げる。伊弉冉の箱庭せかいそのものが軋んでいた。

 禍々しくなびく鬣がユウトの視界を覆う。


 今一度、ユウトの赤い双眸が澄み切った蒼に変わった。


『Longinus』


 刹那と共に空を駆けた彼は、視界を遮る漆黒の瘴気を全力で薙ぎ払っていく。

 だが、如何に数多の理想を束ねた理想無縫イデア・トゥルースといえども、常闇を払うことはできない。


「無駄だぁ。今の私は世界の半分そのもの。人が愚かである限り、私は永遠だ!!」


「ッ!!」

 まただ。また自分の知らない映像が頭の中でぐちゃぐちゃに暴れる。吸い込まれそうな感覚に襲われ、ユウトの視界が揺れた。

「ユウト! 槍をしまって!!」

 それに気づいた刹那は、神槍を持つ彼の手を足で叩き落とす。ユウトの手から離れた槍は、そのまま空気に溶けて見えなくなった。


「ふん。どうやら槍を満足に使いこなせていないようだ。何という僥倖!!」


 一心が獰猛な牙を剥き出しにする。

 そして背中、右腕、左腕、右肩。彼の体の四か所がブクブクと不自然に泡立ち始め、腫瘍のように丸々と膨れ上がった。

「「!?」」

 ボトリと足元に落ちたそれはまるで爬虫類の卵のようで、殻を割って中から腕が飛び出した。

「あれは……」

 黒でベタ塗りしたような見た目。輪郭はぼやけ、顔すらまともに判別できない。だが、刹那は四体のうち二体のシルエットに見覚えがあった。

『あああ……うぅ……』

 かつて、燕儀と一緒に命からがら退けた双子のネフィリム。彼女たちによく似ている。


「ネフィリムを……産み出したのか」


 となると残る二体は、牛の頭を持つ巨人と、妖艶な女性の四肢と翼を持つ女面鳥。いずれもガイの配下にいたネフィリムばかりだ。

 理性の欠片すら垣間見えず、涎を垂らしながら肉に飢えた瞳でユウトと刹那を睨みつけている。


「全ての命の情報きおくは私の手の中にある。この程度のこと造作もない」


 本物ではない。だからと言って何の気休めにもならない。何しろ今まで散々味わってきた。


 伊弉冉が魅せる、夢幻うそを。


 例え見た目を模倣した木偶人形でも、おそらく力だけは本物。伊弉冉が記録した、過去のワンシーンを再生した亡霊のようなものだ。

「行け」

 彼の命令で、黒いネフィリムシャドウ・ネフィリムたちは鬼のような気迫で一斉に襲い掛かってきた。

「くっ……鳴神ッ!!」

 刹那の周囲に展開する雷の剣翼が、女面鳥のネフィリムを宙で縫い留める。だが、双子の影はその横をすり抜け、牛魔は大振りの一撃で弾き返した。


『Riot Bios Fork ......』


 魔力で構築された六丁の長銃に、『分岐えだ』の弾丸が装填される。それぞれ逃した三体に照準を合わせ、


『Overdrive!!!』


 引き金を引いた。

 弾丸はシャドウ・ネフィリムの胸を正確に射抜き、その体内で枝を伸ばして内側から肉体を破壊していく。脇から腕の関節を、腿から脹脛を、針のように鋭い枝が貫き、彼らを身動きできなくする。

 二人とも理解しているのだ。一心から産まれ堕ちた彼らもまた、不死身の肉体を有していると。倒すのではなく、身動きを封じるしかない。


 だが、考えが甘かった。

 ここまでやってもまだ止められない。


「ッ……これでもダメか!」

 ユウトは発動中の理想写しの籠手に、さらなるメモリーを装填した。


『Clock Overdrive!!!』


 弾丸を起点にした一定空間の時流の操作。一秒が千秒に。ほとんど時が止まっているのと同じ状態まで減衰させた。女面鳥ネフィリムも巻き込んで、時の牢獄に封じ込める。

 拘束の重ね掛け。そこまでしてようやく、シャドウ・ネフィリムたちは凍り付いたように動かなくなった。


「これで……う……ッ!!」

「ユウト!」


 ユウトは頭を押さえて膝を付いた。

 まただ。

 四つのメモリーを同時に、しかもシャドウ・ネフィリムを押さえつけるためにその力を最大開放Overdriveし続けている。

 ワーロックとしての肉体は耐え抜けても、力と引き換えに安全装置を失った理想写しは、確実に彼の精神を圧迫していた。


「ふぅん、やはり……君の魔法には決定的な欠点があるようだ」


(まずい……見抜かれた)

 一心はまだまだ余力を残している。力ではユウトが勝っているとしても、それを超える彼の不死性は厄介極まる。今も尚、膨大な黒い魔力が彼の体に吸い込まれていた。彼の言う通り、人が人である限りこの状況は覆らないのかもしれない。

 何よりこれ以上シャドウ・ネフィリムを増やされれば、ユウトの精神がもたない。


「させないッ!」

「無駄だ」


『Zero』


「ッ!? きゃッ!!」

 迦具土を振り下ろす刹那の体が、不自然に折れ曲がった。

「刹那ッ!!」

 受け身もまともに取れず、彼女は地面に衝突した。

「今の私は伊弉諾をも凌駕する!!」


 物理法則はおろか、運命さえも容易に捻じ曲る。


 蒼眼の魔道士ワーロックとなり、一心と同様に伊弉冉の世界を観ることができるユウトですら知覚することのできない、理解を超えていた力。

「……ッ、……」

 魔装が解け、刹那の体から煌光が失われていく。これ以上は無理だ。ここまで休みなしの連戦。中でも確実に、燕儀との死闘が尾を引いている。


「どうした? んん? 全ての人間を救いたいのならば、私を倒してみせろ。世界の秩序たる、このわたしを! ハハ、ハハハハハ!!!!」


 異形の体がまたしても孕む。

「……ッ、また……」

「人間は愚かで脆弱だ。病、寿命、自然災害。あらゆる死の恐怖に怯え、常にいつ訪れるかわからない絶滅の危機に晒されている」

 声高に叫ぶ彼を、止めることができない。

「故に神へと至らせる。誰もが夢見た絵空事むそうを、私の手で……実現してみせる……誰にも私の野望ゆめを邪魔させはしない!!」

 今度は三つ。卵が産み落とされた。

(まだ……いける)

 メモリーを一つ増やすごとに、高熱にうなされるように意識が遠くなる。それでも使わないわけにはいかなかった。

 動けない刹那のためにも。その後ろで今も戦っている仲間のためにも。


「我が野望の礎となるがいい!!」


 パキッ、と殻に亀裂が走った。飢えた瞳が獰猛な光を宿す。




 その時――




『Execution ... Fire!!』


「!?」

 そこには今まさに孵化しようとしていた一心の下僕を、一閃の下に切り裂く剣があった。


『Execution ... Fire!!!!』


 さらにもう一撃。超高密度の魔力を放出し、高熱を帯びた光剣を休ませることなく、ユウトが封じた残りの四体を熱線が塵も残さず消し去る。


「……な、んで?」


 ユウトは、ただただ目を見開いて唖然としていた。


「同じワイズマンの力なら、何とか相殺できそうだな」


 彼の前には、親友ともが立っている。同じ少女を救いたいと願い、全く違う道を歩むと決めた彼の名は――


「……冬馬……どういうつもりだ?」


「あんたの絵空事に付き合うのをやめた。それだけだ」


 宗像冬馬は剣を取る。

 それが何を意味するのか、ちゃんと理解した上で。


「目の前で大事な親友傷つけられて、黙ってられるほど落ちぶれちゃいねぇッ!」


・2・


「フ、フハハハ……ハハハハハハハハハハハハハハッ!!」


 冬馬の離反。そのことに一心は驚きつつも、何がおかしいのかすぐに大声で笑い始めた。


「……愚かな息子よ」


 ギロッ、と爬虫類のような細い瞳が彼を睨みつける。絡みつくような不気味な物言いは、まるで直に心臓を掴まれているようだった。


「よもや忘れたわけではあるまい? 私に逆らうということがどういうことか」


 一心は手をかざすと、モノリス・タワーが振動した。

「下から何か来るッ!?」

 突然、何の変哲もない黒塗りの床だと思っていた場所に穴が開き、そこから長さ一メートルは優に超える一本の真空管が上ってきた。

「あれは」


 中には世にも美しい、妖しく輝く刀が保管されている。


 伊弉冉いざなみ


 幻を現実に誘う神の力。その本体。

 だがその刀身には、未だユウトが付けた傷跡が痛々しく残っていた。

「ふん」

 一心が刀に触れると、刀身から光の粒子がシャワーのように噴き出した。眩しい光に当てられて、目が痛い。まるで蜃気楼でも見ているかのように景色が歪み、現実と虚構の境界線が曖昧になっていく。


 人影が映った。


「「!!」」


 ユウトと冬馬は揃って息を呑む。

 そしてすぐに、憎しみに満ちた瞳で一心を睨みつけた。


「Non non non。忘れてはいけない。私は常に、君たちにとって最高の切り札ジョーカーを持っているということを」


 そこにいたのは――伊弉冉の、最も深い場所に捕らわれた命。

 そしてユウトが誰よりも触れたいと願った少女。



 祝伊紗那ほうりいさな



 宗像一心の傍らに現れたのは、二人にとって何よりも大切な親友の姿だった。

「伊紗那ッ!!」

「……」

 ユウトは思わず叫んだ。しかし、伊紗那が彼の声に反応する様子はない。

 再会を望み続けた少女の瞳に光はなく、まるで蜃気楼のように、今にも景色に溶けてしまいそうなほどにその存在は虚ろだった。

 生気も感じない。ただそこにある無機物。肉体ではなく、魂だけの存在ということなのだろう。


「冬馬、今なら許そう。こちらへ戻ってこい。さもなければ……伊弉冉から彼女の記録たましいを消去する」


 そう言って、一心は伊弉冉の刃を伊紗那の喉に突き立てた。

「……」

 明らかな脅し。冬馬は黙りこくって、血が出るほど拳を強く握っていた。


「ふざけるなッ! そんなこと絶対にさせない!」

「君に選択の権利はない。選ぶのは冬馬、お前だ」

 実の息子に、父親は選択を迫る。



「さぁ、どちらを選ぶ? 吉野ユウトの命か、それとも彼女の命か」



 どちらを選んでも後悔する。これ以上ない残酷な選択を。


「……冬馬」

 伊弉冉から魂が消えるということ。それは完全なる死を意味する。

 夜泉の時のような、蘇生ふくげんの可能性は失われる。

 文字通り、現実の死だ。


「冬馬、戻ってくれ。俺は――」

「伊紗那は俺の親友だ」


 冬馬は背を向けたまま、ユウトの言葉を遮った。だがユウトは食い下がる。今回ばかりは選択肢は一つしかないのだから。

「だからあいつを守るために――」

「悪い……けどやっぱ、それはお前を見捨てていい理由じゃない」

 彼はギュッと強張っていた拳をゆっくりと解く。

「俺は……お前と伊紗那を天秤にかけたんだ。わかっていても、そうすることしかできなかった」

 父親が犯した罪の清算。

 いつの間にか背負いきれなくなっていたその罪と、冬馬はここで決着をつけるつもりなのだ。

 だからなのだろう。彼の口からが出たのは。



「こんな俺をまだ親友と呼んでくれるのなら、一緒に戦ってくれ。ユウト」



「ッッッ」

 自分に自信を持てなかった以前なら、この言葉を受け止めきれなかった。

 きっと自分を犠牲にしてでも、伊紗那を選ばせた。

 きっと、逃げていた。


 でも今は違う。


「……わかった」


 もう、吉野ユウトは彼らの横を歩いている。

 同じ目線で世界を見ている。

 それを自分自身が認めることができる。


 だから、今なら彼を――宗像冬馬の瞳に宿るを見落としたりしない。

 ユウトか伊紗那か。いや違う。


 決して見捨てない。犠牲を伴わない、第三の選択肢を。

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