第90-3話 科学が産み落としたエゴイズム -No-Name in love-

・1・


「がは……あ……ッ!!」


 突風に舞う落ち葉のように吹き飛ばされ、壁に激突するアリサ。意識を持っていかれそうになるほどの激痛に、魔装を維持できなくなってしまった。


(……危な、かった)


 直前でパンドラの武装を壁にして弩の矢の軌道をずらしたが、それでも衝撃は全く殺しきれなかった。矢はアリサの左肩を痛々しく抉り、骨を砕き、貫通していた。


(感覚が、ない……)


 肩の可動域はもはや絶望的。幸か不幸か感覚も逝ってしまっているため、何とか痛みは我慢できる。だが目視しなければ、自分が今武器を持っているかどうかの判断がつかないのが問題だった。夜白を前にいちいち確認していては、命がいくつあっても足りない。彼女から目を離すことは自殺行為だ。

「……動くだけ、マシですか」

 肩から湧き出る血が、腕を通って指先から滴り落ちる。それは広い空間のせいか、それとも自分の意識がだんだん遠ざかっているせいか。ポタポタと音が反響して聞こえたのでわかった。


「可哀そうに。その傷口から君のお仲間が見えそうだよ?」

「……お気遣い、なく……ッ」


 どこまでも強がってみせる。瞳に抱く光を決して失わない。

(あの人に貰ったこの理想ほのお……絶対に消さない)

 少しでも弱さを見せれば、目の前の白い闇に飲み込まれて這い上がれなくなる。

 それに自分がやられれば、次は御影と夜泉、そして篝だ。彼女たち三人には夜白に対抗できる力はない。だからここで倒れるわけにはいかなかった。

 アリサは眠気にも似た脱力感に抗い、ガクガクに震える足を一歩前に出した。


「はぁ……諦めなよ。もうどうやったって君じゃ完成された僕には勝てない。それこそ、ワーロックくらいの規格外の力でも持たない限りはね。君のそれは、そこまでの代物じゃないだろう?」

「ッ!!」


 夜白のその言葉に、アリサは何か引っ掛かるものを感じた。パンドラの限界についてではない。それよりも前――



「ワーロックと……同じ……」



 そう、これだ。この言葉に何か可能性のようなものを感じた。

 少女は考える。決して多くはない、自分の持つ全てを今一度顧みながら。


(考えて……絶対何かある。何か、あいつに一泡吹かせるものが……)


 遠見アリサの死。この完成され尽くした敗北の法則をぶっ壊すための切り札ジョーカーが。


「ッ!?」


 ふと、感覚のないはずの左手に温もりを感じた。

(これは……タカオさんがくれた……)

 それは戦いの中でタカオが生み出した全く新しいメモリー。彼はこの力で一時的にワーロックへと至り、あのシンジを打ち倒した。


(これには、今を覆せる力がある)


 チャンスは一度。この埒外の力をどう使うか。それにアリサの――いや、仲間の命運がかかっている。


・2・


「さて、次は外さないよ?」

 夜白の右手の動きを追って、巨大な弩の照準が再調整される。



「ずっと……考えていました」



「?」

 ガチっと音を立て、魔弓に矢が装填される。なのにアリサは怯える素振りさえ見せない。


「私だけが生き残ってしまったから。ユウトさんを守るために……いえ、違いますね。同じ悲劇を繰り返さないために、この命で為すべきことは何なのか」


 魂が再配置され、再構成された世界。

 ここは遠見アリサのいるべき世界ではない。


「でもやっと、わかった気がします」


 あの吸血姫カーミラが、この世界に自分を送り込んだその真意が。


「ふーん、何をだい?」


 アリサはタカオから譲り受けたメモリーを取り出す。

「……それは」

 さすがというか予想通りというか、一目でそれが強い力を有していること理解したらしい。自分の知らない未知の力に、夜白の表情は警戒の色を露わにした。


「伊弉冉がもたらす全ての可能性の中で、


 終幕を知る彼女だからこそ、このクソッたれな台本せかいを客観視できる。

 それを最高の形でぶち壊す、最善の方法を見つけることができる。



「だから……私にしかできないことです」



 覚悟は決めた――いや、ずっと前から決めている。


 アリサは矢に貫かれた自分の傷口に、





「ッッッッッッッッ!! く、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!」





 汗が、涙が、涎が、血が、全身の体液が外へ逃げたいと暴れ出す。

 喉が張り裂けそうなくらい、少女は全力で絶叫した。声を止めれば、途端に死んでしまいそうだ。

 濁流のように押し寄せる激痛は、意識を失うことさえ許さない。アリサは文字通りの地獄の苦しみに苛まれる。

(か。あッ……何、これ……ッ)

 ユウトの眷属になって、常人より頑丈な体を手に入れているにも関わらず、体内を虫のように蠢く魔力は、少女の心を狂わせるには十分すぎる恐怖と痛みを与える。

 いくら『呪い』が転じて『祝福』に変わったといえ、それが純粋で圧倒的な力の塊であることには変わりない。身の丈に合わない力。一歩間違えれば魔獣のように体が変質し、人間に戻れなくなってしまう恐れもあった。


(怖い……怖くて堪らないッ! でも……ッ)


「……どういうつもりか知らないけど、そんなに死にたいなら望み通りにしてあげるよ」

 夜白は再び魔弓を放つ。


『Overflow ...... Liberation!!』


 魔力渦巻く科学の矢は、アリサの胸を今度こそ寸分の狂いなく貫いた。


「これで…………なッ!?」


 完全な勝利を確信した夜白の顔が驚愕に塗り潰された。




 倒れない。




 必滅の矢を受けてもなお、少女は生きている。

 アリサは胸に刺さった矢を掴んで、強引に引き抜いた。

「……ッ」

 彼女の苦痛に歪む表情とは裏腹に、見るも無残な傷口は瞬く間に修復していった。左肩の傷も一緒に。

「常識外れの魔力があの異常な自然治癒を促しているのか……」

 夜白の顔の正面に現れた立体映像。そこで狂ったような数値を弾き出す解析ツールは、泣き出すようにアラートを鳴らす。

「まるで魔獣だね。だけど長く保つはずがない。ワーロックでもない君が――」



 次の瞬間、アリサは音速を超えた。



「!?」

 夜白の腹部に拳がくい込み、彼女は盛大に吐血した。


「こんなもので、僕を倒せるわけ――ッッッ!?」


 だがその動きが急に止まる。その表情からみるみる余裕が失われていった。ようやく夜白は、自分の体に起きたに気が付いたのだ。

「ご……ぶッ、な、にを……」

「おすそ分けです……まだまだ、お代わりはありますよ!!」

 アリサは跪いた夜白の顎を思いっきり蹴り上げる。そして、浮いた体に拳による連撃を叩き込んだ。


 体が触れるたびに、自身の内にある莫大の魔力を流し込みながら。


「所詮、ワイズマンはワーロックの真似事です。神の如き力を再現できても……無限に魔力を内包することはできない。そこだけは人と変わらない。だからあなたたちは……ッ、今も腕輪に頼っている」


 黄金比の体現。アリサがやっていることは、いわばそれに泥を塗る行為。完全な蛇足だ。

 血管が破裂して、すぐまた治る。破壊と再生が繰り返される体で、彼女は言った。きっと今、夜白も同じ感覚に襲われていることだろう。そして彼女の中で、何かが音を立てて崩れ始めているはずだ。


「ッ……ハハ……確かに、僕にも限界はある。けど、こんなの……君もただでは済まないよ?」

「く……ッ」

 膝を付くアリサに、夜白は信じられないといった顔で言った。

 外傷は治る。けれど苦しみは終わらない。こうなっては力の優劣どころではない。あるのはただの根性論だ。


「私は、あなたを倒します。この世界に生まれた、もう一つの歪みであるあなたを!」


 吉野ユウトを守るだけではダメだ。たった一人で腕輪を作り上げたこの女――災禍の根源を絶たなければ。


「歪み、と来たか……酷い言われようだなぁ。でも僕も負けられないんだ。冬馬のために」

「……ふ、お互い……好きな人がいるとつらいですね」


 アリサは漆黒のキューブを強く握りしめ、再び魔装を展開した。


・3・


「はああッ!」

「ああッ!!」


 鎧に包まれた拳が交差する。

 血が飛び、肉を裂き、骨を砕く。だがその度に少女たちの体は綺麗に復元されていった。まだまだ極上の魔力は底が見えない。


「どうして……ッ! そこまで人を想えるのに、あなたは寄り添おうとしないんですか!?」

「君にはわからないだろうね。選ばれないことの恐怖が! 冬馬は僕の全てなんだ! 彼の道具になれない僕に……価値なんかないだッ!!」


 夜白はアリサの顔面を怒りに任せて殴りつける。すぐに治るとはいえ、歯と鼻が同時に折れる音が脳に響くのはとても不愉快だ。


 この無限地獄が始まってからというもの、夜白は得意の魔法を使わなくなった。いや、きっと使えないのだ。おそらく彼女は魔法の暴走を恐れている。

 アリサ自身、過去に消滅の魔法を暴走させてその怖さは身に染みている。何よりもっと酷い、箍が外れてしまった自分を見てしまっている。

「……くっ」

 ワイズマンという芸術品。神が定めた黄金比には、わずかな誤差も許されない。



 逆にそれが、完全無欠だった彼女のになってしまった。



 たった一つでも歯車が狂ってしまえば、それだけで全体に不協和音を撒き散らす。無理に動かそうとすれば、あとは自壊するだけだ。

 夜白の歯車の天翼はまさにそれを象徴している。耳を塞ぎたくなる怪音を鳴らして、火花を散らしていた。


「価値は……自分で作るものです」

「!!」

 アリサはパンドラにありったけの魔力を喰わせ、右手に対艦砲クラスの巨大な砲台を構築し、夜白にぶちこんだ。

「う……ッ、ぐああああああああああああああああああ!!」

 殴る蹴るの痛みなど比較にならない。身の丈ほどの弾丸が夜白の体をバラバラに砕く。


「あなたのその才能は、人を幸せにだってできたはずなのに……」

「うるさい……うるさいうるさいッッ!!!!」


 いつの間にか、神凪夜白の顔から『仮面』は剥がれ落ちていた。


「僕に説教するくらいなら、君は自分の心配をしたらどうだい!」

「みんな、命を守るために……自分にしかできない事をやっている。私だけが役立たずなのは不愉快です!」


 ユウトのことを悪く言えないなと、アリサは心の中で想う。

 ユウトに危険を冒して欲しくなかった。魔法に関わって欲しくなかった。それが彼を守る最善の方法だと、ずっと信じていたから。

 けどそもそも不可能な話だったのだ。

 誰かの役に立ちたい。自分だけの価値が欲しい。そんなカッコいい理想を、否定できるはずがないのだから。


 自分にしかできないことを見つけてしまったのなら……尚更だ。


・4・


 どれだけの時間がたっただろう。

 一時間も立っていないはずだが、体感ではその十倍以上に感じた。


「……はぁ、はぁ……うっ……しぶとい、ですね」

「……きみ、こそ……言っただろう、僕は……忙しいんだ」


 目が霞む。自分が今人間でいるのかすら怪しいところだ。足元の影を見ることすら恐ろしい。

 アリサはもう一度、メモリーを自分に突き刺した。

「あ、ああああああああああああああああああああああッ!!」

 彼女の絶叫に呼応して、破損したパンドラの魔装が復活していく。それに比例して身を斬るような苦痛がさらに倍増した。

「さぁ……次は……あなたの、番ですよ」

「君……さては馬鹿だろう?」

 額から大量の汗を流しながら、夜白は呆れた顔で言う。


 プツン、とアリサの中で何かが切れる。


 その怒りは彼女の胸部にメモリーをぶっ刺すことで吐き出された。世界を満たすほどの魔力はまだまだ底を知らない。何度目かわからない激流のような魔力が、夜白の体の中を暴れ回った。


「ぐ……あああああッ……あっ……ん?」




 だが夜白の表情は。彼女は不思議そうに首を傾げた。




「!!」

 至近距離で見つめ合う夜白とアリサ。


 宝石のようなが、吸い込まれそうなほど妖艶な輝きを放っていた。


(そんな……そんなはずッ!!)

 アリサは頭によぎった推測を塗り潰すために、魔装パンドラから最大火力を引き出そうとした。幸い、喰わせる魔力だけはいくらでもある。



「開け、天界の門。祖は全てを無に帰す災禍の波濤――デューカリオン!!」



 次の瞬間、彼女の背後から現れたのは巨大な漆黒の飛行ユニット。

 両手に大口径ビーム兵器、千の武器を発射するミサイルポッド、大型ガトリング。内包された武装はあげればきりがない。

 まさに災厄の象徴。文明を消し去った対界兵装ワールド・デストラクターだ。


「……へぇ」


 興味深そうにそれを観察する夜白。彼女の翼を形成する天輪はぐるまからは、すでに不協和音は消えていた。

「くっ……!」

 本来ならこれで飛んで、空から爆撃でもするのがベストなのだろうが、ここは屋内。常識外れの推進力が逆に仇となる。だが、撃てれば問題なかった。


「決着です! 神凪夜白ォォォォ!!」

「ハハ」


 直後、音が死んだ。

 色は消え、漫画の一ページのように視界は黒と白だけで塗り潰された。

 これがアリサの――持てる全て。正真正銘最後の一撃だ。










 だが――










「本当に……君たちは愚かだよ」


 理を超えし者ワーロックは、静かに呟く。


「……ごッ、ッ!?」


 直後、アリサの世界に空白が生まれた。


 何かが起こった。何かされた。何が起きたかわからなかった。


(……く、そ……ッ)


 霞む視界に爛々と輝く赤眼を捉えながら、少女の魔装は無残に砕け散った。

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