第88話 繋がる刃 -Be the one-

・1・


「ん……ん、あ……れ?」


 温かい。とても。


「私……生きて……」

「起きたわね、このバカ姉」

 刹那の膝の上に頭を乗せた状態で目を覚ました燕儀は、見上げた先の妹分の顔を見て全てを理解した。


 生まれて初めて、橘燕儀は御巫刹那に敗北したということ。


 そして、彼女に奪われた再生の炎で致命傷だったはずの傷さえも治されてしまったことも。

「私の……完敗、だね」


『そうだ。貴様の敗北だ、娘』


 すでに刀から人の姿へと変化していた伊弉諾。彼の黄金の隻眼が、燕儀を見下ろした。

「あはは……バッサリ言ってくれるね……」

「返してもらうぞ。余の力を」

 伊弉諾は彼女に向かってゆっくり手をかざす。すると彼の手に淡い光が生まれた。炎のように揺らめく光は燕儀の体内にも僅かに存在した。

 一人の少女の人生を狂わせる、最後の残り火だ。


 その灯が彼女からゆっくりと取り除かれ、本来の持ち主へと返上される。


 復讐者の表情はどこか惜しむように、しかしもう悔いがないようにも見えた。

「ようやく、か……」

 力を取り戻した彼の眼帯がシュルシュルと音を立てて解け、隠されていた第二の瞳が世界を明視する。


 緋色の瞳は、あの日の全てを見ていた。


「……男の名は、鳴鳥なとり

「!!」

 その名を聞いた瞬間、燕儀がピクリと反応した。伊弉諾はそれを見逃さない。

「やはりか」

「……」


 断刃無鳴鳥。


 知らないわけがない。だって――


「……お父、さん」


 零れ出たその言葉に、刹那も押し黙った。彼女は伊弉諾に少し怒気を孕んだ言葉で尋ねた。

「何でもっと早く言わなかったの?」

「名前を思い出したのは今しがただ。それに知っていたとして、こやつが聞き入れるわけがなかろう。復讐心は最後まで吐き出させてやらなければしこりが残る」

「それは……ッ」

「いいよ。ねぇ、続けて」

 自分のために怒ってくれる刹那を鎮めて、燕儀は真実を求めた。


(知る覚悟は……できてる)


 彼女の決意を見た伊弉諾はゆっくりと頷く。


「では語るとしよう。あの赤夜の真実を」


・2・


 あの日、二人の剣士による試合が執り行われた。


 一人は御巫から。剣に秀でた者が。

 もう一人は断刃無鳴鳥。同じく御巫一族の中でも最強と名高い剣士だった。


 目的は伊弉諾の再刃。


 如何なる鍛冶の名匠であっても。

 あらゆる術を行使しても。

 二つに分かたれた伊弉諾を復元することは叶わなかった。


 しかしたった一つだけ。

 神の刃を復活させるすべが存在した。


 それが剣の極みに達した者が踊る、雷と炎の打ち合い。


 伊弉諾に捧げる御膳試合だ。


 魔を滅するために極限まで研ぎ澄まされた一振りが雷を。

 人を斬るためにあえて光を捨てた暗く清い一振りが炎を。


 全く性質の違う二人の剣聖が、己のの全てを以てして剣を交える。





 そんな神聖で厳粛な儀式――の





 しかし、試合は刹那の時に終わりを迎えた。

 結果は鳴鳥の勝利。

 彼は相手に一切の動きを許さず、その喉元を斬り割いた。

 目的は命の奪い合いではない。殺す必要はなかった。

 達人同士の戦いにおいては、明確な殺意がなければ絶対に起こりえない悲劇ミス。それが起きてしまったのだ。

 相手が雷の伊弉諾を使役するだけの資質がなかったというのもある。だがそれだけではない。


 すでに鳴鳥の心は喰われていたのだ。伊弉諾という神にも等しい絶大な力に。


 神火が、彼を目に映る全てを斬るだけの鬼へと変貌させた。


 しかし悲劇はそれだけに留まらなかった。

 当時、御巫は鬼となった鳴鳥をついに止めることができなかったのだ。彼の人斬りとしての極みの技。そして斬った者を生ける屍とする伊弉諾の炎に手を焼いたからだ。

 暴走する魔装。

 意思はなく、本能に赴くままに動く彼は自然と故郷を目指した。


 そして、あのような惨劇が起きてしまった。


・3・


「……以上だ」

 全てを語り終えた伊弉諾は、ゆっくりと燕儀を見下ろした。彼女はショックを受けたのか、目を見開いて固まっている。当然だ。一族の仇が御巫ではなく、本当は自分の父親だったなんて。今更遅すぎる。その事実は、彼女の人生全てを否定することを意味するのだから。

 刹那はそんな彼女にかける言葉を見つけられなかった。


「断刃無の娘、これで満足か? 鳴鳥には余を扱うだけの力がなかった。ただそれだけのことだ」


「ちょっと! そんな言い方ッ」

「いいよ刹ちゃん」

 燕儀は手を付いてゆっくりと立ち上がり、伊弉諾と正面から向かい合う。

「……」

 何も言わずとも、その目は未だに憎悪の炎を抱いている。

「許しを請うつもりはない。余はだからな」

 彼は人ではない。破壊そのものだ。


「だが……お前には余を恨む権利がある」


 刹那は驚いた。無遠慮が服を着て歩いているような彼の口から、そんな言葉が出るとは夢にも思わなかったからだ。


「お前が望むのなら、主様に代わって今ここで復讐を受けよう。無論、死を覚悟してもらうがな」


 勝てるわけがない。伊弉諾の神炎を持っていた頃ならいざ知らず、今の燕儀には対抗するだけの力はない。我流の魔術など、完全に力を取り戻した彼の前では無力に等しいだろう。


 橘燕儀は彼の言葉に強く拳を握り、歯を食いしばった。そして――


「……もう、終わりにしよっか」


 矛先を完全に失った憎悪の残り火は、ついに彼女の中で息絶えた。


・4・


「ふむ。賢明な判断――だッ!?」

 偉そうに頷く伊弉諾の脳天に、刹那の拳が落ちた。

「な、何をする!?」

「い・い・か・た」

 文字通り、神様も縮こまる刹那の恐ろしい笑み。近くにいたユウトですら若干引いた。

「む、むぅ……す、すまぬ」

 伊弉諾も例外ではなかった。


「はぁ……まぁいいわ。なら次は私の番ね」


 刹那の言葉に、燕儀は首を傾げた。

「はて?」

「とぼけないで。負けた方は勝った方の言うことを何でも聞くって約束したでしょ?」

「あー、勝った方がユウトくんのになるって話だったよね♪」

「およッ……ってそうじゃない!!(いやそうとも言い切れなくはないけど……)」

 刹那の顔が赤くなった。上手く聞き取れなかったが、ブツブツ何かを言っていたようだ。

 彼女はすぐに咳ばらいをして、燕儀に勝者の特権を行使する。



「姉さん。



「……は?」

「え……」

「なん……だと……ッ」

 彼女の言葉にユウト、燕儀、伊弉諾は揃って目を丸くした。


「ば、馬鹿を言え主様! 勝ったのは主様だ! なれば陪臣が妥当だろう? 何故なにゆえ――」


「私は姉さんと対等でいたいの。もう馬鹿になんてさせないし、するつもりもない。一回勝ったくらいでそんな恥ずかしい真似はしないわ」


「うわー、相変わらずムカつくほどお綺麗な理想で……」

 燕儀は目を細めて、彼女の言葉に呆れていた。しかし、その表情はどこか笑っているようにも見えた。

「それにこれはユウト、あんたのためでもあるのよ?」

「俺の?」

 刹那は頷く。

「今後、私やアリサ、飛角だけでは足りないかもしれない。伊紗那さんを……いいえそれだけじゃない。宗像一心から一人でも多くの人たちを救いたいんでしょ?」

「当たり前だ」

 間髪入れずにユウトは頷く。

「だったら姉さんの力は絶対に必要になるわ。だって伊弉諾が無くたって、姉さんは強いもの」

「いや~それほどでも~あるかもだけど~♡」


「「調子に乗るな!」」


 刹那と伊弉諾が同時に叫んだ。

「しくしく……妹が冷たいよ」

 すっかりと、いつもの調子に戻っていた。さっきまでゾッとするような一撃必殺の死合をしていたとは到底思えない。



「でも眷属にするってことは……その……つまり……、だよな?」



「……ッ!!」

 『アレ』を思い出したのか、刹那の顔がこれ以上ないほど真っ赤に燃え上がった。燕儀が持っていた焔の力を得たからか、本当に炎が出たようにさえ見えた……気がする。

「ふむ……今後のことも考えて、小僧には眷属化の正しい作法を叩き込まねばなるまい。これも主様のためだ」

 伊弉諾は何やら一人でうんうんと頷いていた。

「ん? アレ、って何?」

「いや……その……困ったな」

 ユウトも頬を赤くして、どんな顔をすればいいのか皆目見当がつかなかった。


「いいからさっさとしなさい! 時間はないのよ!」


 刹那はユウトの尻を蹴って急かす。

 時間はない。やるべきことは早急に済まさなければならない。


「それと……い、いい!? 『B』までだからね!! それ以上は絶対ダメよ!!」


(B?)


「え!? 私今から何されちゃうの!? ゆ、ユウトくん!? ……お姉ちゃんをこんな暗がりに連れ込んで、いったいどうする気かな~ッ? その……壁に手なんかついちゃってさぁアハハ……ね、ねぇ?」


「姉さん、とりあえず……謝っておく。すぐ終わらせるから」


 若干涙目の姉にこれから行う儀式を思うと、弟は素直に謝る事しかできない。


(刹那の言う通り、時間がない……南無三ッ!)


「ちょっ、ゆ……ひゃッ!!」


 その直後、復讐者の初心な嬌声が戦火の空に響き渡った。

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