第87-3話 剣爛舞踏 -Izanagi VS Izanagi-

・1・


「刹那! おい刹那! しっかりしろ!」


 声が、聞こえた。

 自分を呼ぶ声。不思議と安心できる少年の声だ。


「……ん、……う、私……」

 魔装が解け、ユウトに抱きかかえられた刹那はゆっくりと目を開いた。

「……ッッ」

(ち、近い……ッ)

 自分の今の状況に思わず顔が熱くなる。

「よかった……体は?」

「ひゃい!? ……って、あれ?」

 何ともない。腹に深々と刺さったはずの迦具土は失くなっていた。それどころか傷口もなければ痛みもなかった。

「……何、で?」


『上出来だ』


 突然、右手で掴んでいた伊弉諾かたなが振動した。ユウトにも聞こえる声で刀が喋っている。

「……どういう意味?」


『あの娘からさらに余の力を取り返した。主様の力が、あの娘を上回ったのだ』


「私、が……」

 彼の言う通り、未だ完全ではないが、ちょうど半ばで折れていた伊弉諾の黒い刀身が少し伸びている。ずっと共に戦ってきたのだ。間違いない。

 致命傷に近い傷が塞がったのは、伊弉冉の炎が持つ治癒能力のおかげだろう。刹那の中で、その力もさらに一段と強くなっている気がする。




「な……に、いま、の……」




 瓦礫を押しのけて立ち上がった燕儀の口から、そんな言葉が零れ落ちた。

 肩と脇腹の刺し傷がまだ完全に癒えていない。刹那とは逆に、治癒の力が弱まったからだろう。加えて鋼と化していた彼女の右腕も、一部生身に戻っていた。

「……だめ」

 燕儀はこれ以上ないほど青い顔になって震えている。いつも、どんな時でも明るい彼女からは想像できない光景だ。

「私……ゆーと……殺され……ッ!!」

 この取り乱し様、ふらついている原因は明らかに別にある。


「……知らない……あんなの、知らない……嘘だよ、全部嘘ッ!」


 燕儀は否定の言葉を吐き出し続ける。彼女も刹那と同じものを見たのはすぐにわかった。


 赤い夜。断刃無の記憶。


 燕儀と、そして二つに分かたれた伊弉諾と。それぞれの欠けたピースを繋ぎ合わせるようにして浮かび上がったものは、断刃無燕儀という復讐者にとって、絶対に認めることのできないものだった。

 何故ならそれは、彼女の復讐そのものを根底から揺るがしかねない。



 あの夜、という事実なのだから。



「……姉さん」

「……ッ、返して……私のちからッ!!」

 憎悪に取りつかれた燕儀の瞳は、もはや刹那を敵としか見ようとしない。

 もう、お互い真実を知っている。知っている上で、刹那を斬ってでもそれを否定しなければ、彼女は生きていられないのだ。

 だから彼女は紡ぐ。


「……其は神が産み落とせし深紅の種火」


 一度使えば後戻りはできない、呪詛の言葉を。

 呪いの言葉は少女の体を這い、深い傷口の深淵から獄炎を引き出した。

「!!」

 鮮血の如き赤々しい炎は、燕儀の体を飲み込む。


『娘、己が心まで喰わせるか!』


 この世の神秘を人の知恵によって術式化したもの。奇跡に与える指向性。それが魔術。その概念は一種のプログラミングに近い。長い年月をかけ、熟考を重ね、最適化され、テンプレート化されてきた。


「幾千の敵を燃やし、幾万の命を耕す開闢の焔」


 燕儀が今口にしているのは、そうした歴史を全て無視した荒技。


「我が身は『鋼』。我が意思は汝が為の『薪』なり」


 単なる即興。バグなんてお構いなし。

 意図的に暴走オーバーフローを呼び起こす。ただそれだけの、無茶苦茶な術だった。


「遺子はただ、焔の中でこの身を鍛つ!!」


 この瞬間を以て、断刃無燕儀の復讐心は刃となる。


 目に映るもの全てを斬る。ただそれだけの――


・2・


 カツッ。


 暗き炎を纏う復讐者が一歩歩くだけで、コンクリートの道路が熱で分解されていく。

「ッ!!」

 不完全。一目でそんな印象を受けた。だがそれ故に、完全に箍が外れてしまっている。


『残った余の刃に全て喰わせたか』


 その姿は魔装のような荘厳な美しさからは完全にかけ離れていた。

 聖なる輝きを放っていた炎は暗く蠢き、全身を包む鱗のような黒き刃の熱で周囲が歪む。


 何より、そこにいるのはもはや人間ではなかった。鬼だ。


 燕儀の光を失った瞳が、額から突き出た刃が、より一層そう思わせる。


『油断するな主様。残り火とて、精神力だけで余を使ってきた娘だぞ』

「わかってるわ」

 刹那は伊弉諾を正面に構えた。あくまで静かに、冷静に。

 心を乱せば、同じだけ刃が乱れる。

 今求められるのは、針の穴を一突きで射抜くほどの集中力。そして今度こそ自分が勝利するという明確なヴィジョンだ。


「……魔装」


 緩やかに、刹那の姿が神気に包まれ変化していく。

 煌く雷の青だけではない。新たな神衣には絢爛と輝く炎の赤も組み込まれていた。

 より本来の姿に近づいた、伊弉諾の魔装。


(今の私なら――)


 右手に建御雷。左手には迦具土を。


『断ち斬れ。あの娘を縛る怨讐ごと』

「参るッ!!」


 次の瞬間、最後の一閃が走った。


・3・


 断刃無燕儀は考える。


 自分が歩いてきた道に、はたして意味はあったのかと。

 無論、後悔はない。だが、これが本当に自分のやりたいことだったのか? YESと即答できない自分がいた。

 眼前で繰り広げられる、自分と刹那の戦い。

 まるで映画でも見ているようだ。今の自分を動かしているのは、自分ではない。刃に喰わせた自分自身の復讐心。思考停止した自分の代わりに、全部勝手にやってくれる機械のようなものだ。

 だからもはや、完全に他人事のようにさえ思えていた。

 けど、だからこそ思う。

 お互い牽制の一撃など存在しない。放たれる斬撃全てが一撃必殺の殺し合い。


(どうして、そんな真っ直ぐに……)


 少し前まで答えは知っていたはずだった。

 でも過去あれを見てからというもの、燕儀は自分の刀を完全に見失ってしまっていた。

 刹那の剣が輝く太陽を指し示すならば、今の自分はさながら水面に浮かぶ月。小石を投げられればそれだけで揺らぐ弱い刃と成り果てた。


『ハッ!』


 刹那の振り下ろした迦具土が、降り注ぐ幾万の炎の槍を薙ぎ払う。


『ハアアアアッ!!』


 そして頭上に浮かぶ黒き太陽を、建御雷が切り裂いた。


(ダメだ。これじゃ勝てない)


 如何な技を以てしても、あの二つの神の刃の前では相殺が関の山。刹那には届かない。むしろ、まだ彼女はさらなる刃を持っているはず。


「ク~ン」

「……ッ、ユー、ト……」


 隣の座席に、あの子犬がいた。

「ごめん、ね……」

 燕儀は子犬を優しく抱きしめて、震える声で謝った。

 忘れていた。いや、思い出そうとしなかっただけかもしれない。自分に必要だったのはあの夜、一族が皆殺しにされたという理由だけで充分だったから。それ以上はむしろ重荷になる。

 頬を流れる涙を、子犬は優しく舐める。いつもと変わらず、彼女を元気づけるように。


 今一度、は考える。


 復讐心では彼女に勝てない、と。

「……そうだね。私が私以外の力で負けるとか、カッコ悪いよね?」

「ワンッ!」

 賛同するように、子犬は元気よく吠えた。

「ふふ。ありがとね、ユート。おかげで元気でたよん♪」


 その言葉に満足した子犬は光と消え、刃となって彼女の右手に収まった。


「行こう。私が、私であるための戦いに」


 そう言って、彼女は刹那が映るスクリーンを切り裂いた。


・4・


「……ッ」

 最後の剣を振りかざした瞬間、刹那は何かを感じた。

 その予感とも呼べる何かは気のせいではない。

 強大な力と引き換えに、かつての精細さを失った燕儀が、あろうことか刹那の一太刀を白刃取りしてみせたのだ。


(!? 雰囲気が……変わった)


 カチカチ、と刃と黒鉄の鱗がこすれ合う。


「認めてあげるよ……どうも刹ちゃんを仕留めるには、復讐心だけでは足りないみたい」

「嬉しいわ、姉さん!」


 もはやお互いの力、才能、そして技量。その全てを合わせてほぼ五分。


 故に求められるのは、絶対無敵――自身の死すら計算に入れた最大最強の一撃となる。


「黒炎舞」


 再びさっきよりも巨大な、空をも飲み込む黒い太陽が生まれた。その熱だけで、結界に守られたモノリス・タワーを除く周囲の全てが燃えていく。

「ッ! まだあんなの出せるの!?」

 その太陽が急激に凝縮され、燕儀の手の中に大剣として姿を表した。

『避けようとは思うなよ主様。あれを避ければ、この浮島そのものが消えるぞ』


 あれは歴史に名を残すどの神剣とも違う。今この瞬間に生まれた、神さえも焼き殺す覇の剣。刹那はそれに見合った剣で応じなければならない。


「……上等じゃない」

 刹那は頭上で建御雷と迦具土のオーラを共鳴させる。すると今まで互いを喰らい合うように対立していた二つの剣は溶け合い、一つとなった。


天之尾羽張あめのおはばり!!」


 これぞ伊弉諾が持つ最上の刃。全ての礎となる開闢の剣。


「絶覇!!」


 振り下ろされる両刃。一瞬でも気を抜けば、存在ごと塵に消えるだろう。


「「はああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁ――――!!」」


 だから少女たちは吠えた。ありったけの声で生にしがみ付く。

 二つの斬撃の衝突によって拡散する膨大な魔力は、ユウトの身さえ強張らせた。世界が狂う。伊弉冉の天獄けっかいすらその熱で波打った。今この瞬間において、海上都市に安全な場所などどこにもない。全ての生命が彼女たちの力を畏れた。


(初めて、認めてくれた)


 それだけで充分嬉しかった。本当に嬉しかった。

 自分が憧れ続けた背中に、ようやく届いたのだから。


 だが欲を言えば、もう一つだけ、今の刹那には願いがあった。

 勝って、その願いを為す。それが御巫刹那を強くする。


「ハッ!!」


 次の瞬間、お互いの神剣が砕け散った。





 





 魔装は解けた。

 だがしかし、刹那は爆炎を気にもせず飛び出す。思った通り、煙を切り裂き燕儀も走っていた。


 二人が目指すのは、魔装解除の衝撃で刹那が手放してしまった妖刀・伊弉諾。


 これを掴めば勝者が確定する。

 おのが急所を晒すことも厭わず、二人は腕をありったけ伸ばした。


「取った!!」


 先に伊弉諾を掴んだのは燕儀。


 しかし、求め続けたその刀を握ったことが、燕儀にとって最大の失敗となる。


「ッ!?」


 


(これが、私の全て!! しっかり受け取りなさい!!)


 刀を掴んだことで生まれた致命的な遅延。


 がら空きになった燕儀の胸に、刹那のやいばが突き刺さった。

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