第87-2話 剣爛舞踏 -Izanagi VS Izanagi-

・1・


 灼火と煌雷。

 互いに美しい光を放つ二つの力は舞い踊る。

 成り立ちも性格も違えど、その美に甲乙を付けることは誰にもできない。


 もはやこれは、伊弉諾という神に捧げられる御前試合。


 それほどまでに、御巫刹那と橘燕儀の決闘は常軌を逸していた。



「「ハッ!!」」


 神雷を宿す建御雷たけみかづちと神炎を宿す迦具土かぐつちが衝突した瞬間、二人の心臓は高鳴った。お腹の中で赤子が元気に動くような、そんな生命の胎動。お互いまだ経験したこともないのに、不思議とそんな気持ちになる。


「私は絶対に負けない! 仇を取るまで、絶対に!!」


 滾る憎悪の炎は、少女の心をそのまま表すかのように牙をむく。ここまで怒りを露わにする燕儀は見たことがない。明らかに普通でないのは、彼女の正確無比な剣技の中に見える、僅かな乱れからも読み取れた。


 幾度も重なる重い一撃。幾度も交差する閃光。

 破壊と再生の余波に耐えられない周りの地面や建物は、ことごとく破裂していった。


「温室育ちのその綺麗な翼、私が毟り取ってあげる!」


 一度距離を取った燕儀。彼女のマフラーの両端が、巨大な炎の腕へと変化する。以前よりも速く、鋭く、そして自在に。まったく動きの予測できない二つの炎腕けものが刹那に襲い掛かった。


「言ったでしょ? 見くびらないでって!!」


 当然、彼女も黙って見ているわけがない。

 刹那は空中で四対八翼を射出する。雷を纏う四翼で盾を形成し、炎腕を迎え撃つ。


「ふっ……」


 しかし、燕儀は予想通りといった笑みを浮かべていた。

 次の瞬間、彼女の炎腕は速度を全く落とすことなく、カットバックで盾を器用に避けた。そしてそのまま標的に迫る。


「もらっ――」

「まだッ!!」


 波打つ炎が止まった。


「!?」

 四翼で平面の盾を形成していた刹那がその二つを繋げ、八翼で立体的な結界を作り出したのだ。燕儀の炎腕をその中に閉じ込めるために。


「捕まえた!」


 刹那の建御雷が捕えた炎を切り裂いた。

 結界の中で膨れ上がる炎の断末魔。それを抑え込み、完全に破壊する。


「はあああああああああああッ!!」


 爆炎を貫き、刹那は一直線に突き進む。

 腕二本を屠るために二翼失ったが、十分許容範囲内だ。

(まだ……行ける!!)


「……炎舞」


 燕儀が両手を合わせた。パチッと音を立て飛び散った火の粉が急激に成長し、無数の尾の長い鳥……いや、槍が彼女の周囲に整列する。


「飛燕」


 彼女の号令と同時に、空に煌くやりが降り注いだ。

 刹那は全神経を集中させる。例え飛燕の翼が彼女の肌を切り裂こうとも、例え虎の子の翼を破壊されようとも。その中に僅かに生まれた隙間に体を滑り込ませ、直撃だけは避けながら、トップスピードは落とさない。

「これじゃ決め手になんないか……」

 次が来る。でもここで立ち止まったら、次は二度と訪れない。そんな予感があった。

「ぐ……ッ」

 残り二翼。だがついに、刹那は己の間合いに達することができた。


(来た! ここッ!!)


 ありったけの魔力を建御雷に込める。技で劣る刹那が燕儀に攻めの場面でここまで近づけるのは、きっと今この瞬間をおいて他にない。

 この一撃で、決めなくてはならないのだ。


「雷斬!!」


「ッ!!」

 勝機に昂った背中に悪寒が走った。見たのだ。燕儀の目が最大まで見開かれているところを。

 振り下ろす速さ、角度、迸る魔力の強さにいたるまで。まるでどんな些細な情報も見逃さないとでもいうように。その目は自分の勝利を疑っていなかった。


 直後、燕儀は


(な……ッ!?)

 あまりに突飛な彼女の行動に一瞬注意を奪われてしまったが、極限まで集中力を高めた刹那は見逃さない。燕儀は大剣・迦具土の両刃が分離した一対の小刀を隠し持っている。今彼女が投げたのは軸となる長刀部分。フェイクだ。

 断刃無ひとごろしの技。大振りの一撃に対しては、むしろ小回りの利く小刀こそ相応しい。

 だが、


(させないッ!!)


 ここにきて刹那の剣速がさらに加速した。

「ッ!!」

 それはもはや『雲耀うんようの太刀』すら超え、以前、双子龍戦で燕儀自身が見せた『刹那の太刀』の域に達している。

 危険を察した燕儀は思わず考えていた技を捨て、小刀二本でその一撃を防いだ。同じ境地にいる彼女だからこそ可能な神業だ。だが、刹那の一太刀はそれほどまでに彼女の余裕を瓦解させていた。


 神刃同士の鍔迫り合いで炎雷が踊り狂う。


 大太刀の刹那の方が力では圧倒的に有利。

 しかし、天へと上った焔の長刀が加速を失い、彼女たちの元へ落ちてくるのもちょうどその時だった。

 燕儀の第三の刃。


「……ッ! しま――」


 次の瞬間、燕儀は迦具土の柄を蹴った。急激に方向を変えたその切っ先が、刹那の腹に深々と突き刺さった。


「!! ぐ……っ、ぶ……」


 沸騰した血液が嘔吐のように喉を駆け上がる。

(息……が……ッ)

 どちらかが一撃でもまともに受ければ、この戦いの決着はつく。その一撃をくらったのは刹那だった。

「ッッッ!!!!!!」

 だが、彼女の目から力は失われていない。その証拠に燕儀が長刀を回収しようと伸ばした腕を、刹那はがっしりと掴んだ。

「な……ッ、まだ!?」


「鳴……神ッ!」


 血を吐き出しながら、刹那は強引に声を出して気道を確保する。同時に最後に残った二翼の翼槍が、動けない燕儀の右肩と左脇腹に突き刺さった。

「……ッ!!」


 苦痛に表情を歪ませながら、二人の巫女はもがく。

「はな……せッ!」

「絶、対……イヤッ!」

 自らを燃やしてまで振りほどこうとする燕儀に刹那は手負いの獣のように、あるいは駄々をこねる妹のように、必死にしがみついていた。同じくありったけの雷を撒き散らし、なりふり構わず彼女の意識を奪おうとする。

 もう剣の戦いでも何でもない。意地の張り合いだ。


 やがて体力が尽き、浮力すら満足に制御できなくなった二人は落ちていく。


 真っ逆さまに。

 視界を覆う、闇の中へと。


・2・


 瞼を開くと、満天の星が散りばめられた絶景の夜空が広がった。


(……これ、記憶? でも、誰の?)


 誰かの記憶。体は刹那の言うことを聞かず、勝手に動く。どうやらその人物の視覚情報を見せられているようだ。

 圧巻の竹林に通った一本の獣道。この場所に全く覚えはない。しかし、自分ではない記憶はこう語っていた。


 人が畏怖し、決して足を踏み入れぬ秘境。そこに存在したとある一族の里、と。


 記憶の主は里へと繋がるただ一つの道を一歩、また一歩と歩んでいく。

(……妙ね)

 歩き方がぎこちない。足に入れる力が毎回不揃いで、どうも真っ直ぐ歩けていないように刹那は感じた。


「おう――――の旦那、お勤めご苦労様です」


 竹林で作業をしていた里の人間と思しき中年の男が、記憶の主の名前を呼んだ。しかし、刹那にはその名をよく聞き取ることができなかった。ノイズが入ったように何かが邪魔をする。


「? どうしました? 旦――」


 シュッ!!


(ッッ!?)

 思わず絶句する。

 ボタッとたっぷり水分を孕んだ音を立て、男は地面に倒れた。

(こいつ……ッ)

 あまりに唐突すぎた。

 記憶の主は何の躊躇もなく、目の前の男を殺したのだ。


 右手と一体化した、で。


(伊弉諾ッ!?)

 気分が悪くなった。もはや完全に刃と化した男の右腕が、肉を切り裂く感触がこの手から消えてくれない。

 あまりにあっけなく、あまりにおぞましい。同じ刀を使っているのに、何故こうも感じ方が違うのだろうか?


 そう思っていると、足元でがさこそと物音が鳴り始めた。


(な、何!?)

 動いているのは先ほど斬られた男だった。

 よかった、まだ生きてる。そんな感想は最初から出なかった。自分が斬ったようなものだ。それが致命傷だと嫌でも理解できる。

 案の定、斬られた男はすでに人ではなくなっていた。


 屍鬼……とは違う。彼は確かに生きている。なのに、死んでいた。

 伊弉諾の持つ生命の炎が魂なき器を活性化させ、体だけを動かしている。

 これ以上ないほど無意味に。無慈悲に。


「アアァァァア……」


 切り口から黒い結晶のようなものが湧き出し、心臓部が太陽のように赤々と輝く屍は、命の灯を求めて彷徨い始める。


(……ダメ……ッ)


 最悪の想像が刹那の脳裏をよぎった。同時に理解した。


 記憶の主……この伊弉諾の所有者もまた、すでに人で失くなっていることに。


・3・


 惨憺たる悲鳴が緋い夜空に木霊する。ものの数分で里は火の海に包まれてしまった。

 こんな状況も、外界には一切伝わらない。

 里の人間自身が張り巡らせた人払いの結界が仇となっていた。


 この結界を含め、所々に見当たる魔術の意匠。そして記憶にない場所。

 この里が断刃無たちばなの里だということはすぐにわかった。

 

 人に仇なす怪異や妖魔。魑魅魍魎を退治し、鎮めるのが御巫のお役目。

 その裏で古くからは悪魔憑き、黒魔女、異端の呪い師。現代では法で裁けぬ悪まで。人斬りを生業とする影の一族、それが断刃無だ。

 その存在を燕儀から聞くまで、刹那はまったく知らなかった。それは御巫本家が隠していたことに他ならない。


 一人、また一人と、記憶の主は里の人間を躊躇なく斬り伏せていく。そしてその数だけ生ける屍も増えていった。

 男は強かった。すでに意思なきただの骸であっても、体に刻み込まれた対人に特化した刀技や体術は、抵抗する里の戦士をも遥かに上回る練度だ。

 おそらく彼もまた、断刃無の人間なのだろう。しかも相当な腕を持った武人だ。


(ッ! 何で……こんな……)


 刹那には見ているだけで何もできない。これはあくまでもう終わった出来事。変えることのできない真実なのだ。

 できることがあるとすれば、自分が意味もなく人を斬る感触をただ延々と味わうことだけ。


「ゆーと……どこ? ゆーとぉ……」


 ふと、どこからか幼い少女の声が聞こえてきた。

(え……ユウト?)

 ここで聞くとはまったく予想していなかった少年の名。刹那は辺りに注意を向けた。

(あの民家……ね)

 彼女に呼応するように、記憶の主は少女の声に誘われ、炎燃え盛る民家の中に足を踏み入れる。

 歩くと鴬張りの廊下が悲鳴を上げた。バチバチと音を立て、炎は次々と燃え移る。


 居間には5歳くらいの少女がいた。


(あれって……もしかして)

 すでにかなり火が回っているのに、少女は泣きながら何かを探している。


「ゆーと……ゆーとぉ! うぅ……ぐすっ」


 ふと、何故か男の動きが止まった。同時に右足に鋭い痛みを感じた。

(痛っ……何!?)

「ワンワンッ!! グルルル……」

 犬だ。体調30センチほどの子供の柴犬が男の足に噛みついていた。


「ゆーと!」


 少女の顔がパッと明るくなった。外で一族を皆殺しにした男が目の前にいるというのに、彼女は犬に向かって駆け寄ろうとする。

(……ッ、ダメ! 逃げて姉さん!!)

 刹那が叫んだ次の瞬間、男の一振りが足に噛みつく子犬を切り裂いた。


「……え」


 ネバっとした真っ赤な血が、少女の頬に飛び散る。

 その直後、視界がガクッと揺れ、そのまま床まで落ちた。背後から誰かが男の首を斬り落としたのだ。

 幸か不幸か、子犬の死が燕儀の命を救った結果となった。


 しかしそれでも、刹那は意識が途切れる最後の瞬間まで目が離せなかった。

 目の前で小さな家族を失った絶望。それだけではない。


 彼女は刹那を見ていた。


 むしろその壊れた表情の方こそが、胸に突き刺さった。


 その目にあるのは、憎悪ではなく――

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