第85話 終幕ノ産声 -The Beast is awakened-

・1・


 最後の一撃を放った後、海上都市からしばらく音が消えた。


 本当に音が消えたのか、それともタカオだけ聞こえていないのか。それはわからない。ただ、その世界はひどく鮮やかで、美しかった。

(これが……勝利の余韻ってやつ、か?)

 悪くない。そう思えたのはほんの一瞬。すぐに彼は、現実に引き戻されることとなる。


「はぁ……はぁ……う、熱ッ!?」


 タカオは急いで左手首に取り付けたネビロスリングを投げ捨てた。彼の腕輪は想定をはるかに超えるエネルギーの運用で熱暴走を起こし、完全に溶けてしまっていたのだ。

「っぶねー、ほんとにギリギリだったのかよ……」


 一時的とはいえ、皆城タカオの魔法は確実にワーロックのそれに至っていた。


 ネビロスリングの性能?

 人の業とも呼ぶべき呪いの力を、抵抗なく使えたから?

 タカオ自身がワイズマンの力に適応していたから?


 理由はさっぱりわからない。もはや再現はおろか、解明も不可能だろう。

 いったいどれだけの奇跡が彼に味方したのか、想像もつかない。


「タカオッ!!」


「……ミズ、キッッッッ!?」

 タカオの体が一メートル飛んだ。

 ボロボロで満足に動けない彼に、ミズキが思いっきり飛びついたのだ。

「もうッ……バカ……バカバカバカぁ……ッ!!」

 タカオの首に腕を回し、ミズキはあらん限りの力を振り絞って抱きしめる。恥も外聞も投げ捨てた彼女は大泣きしていた。

「い……痛い……苦しい……し、死、ぬ……」

 それに対して、タカオの表情は徐々に青くなっていく。

「み、ミズキ……それくらいにしないとタカオが……」

 どんどん生気が抜けていくそんな彼の表情を見て、ユウトがあたふたしていた。



「……う……ッ」



「「「!?」」」

 自分たち以外の呻き声が聞こえた。


「まさか……この僕が負けるなんてね……」


 破壊の爪痕の中心に大の字で倒れたシンジは、もう立つこともままならないのか、ひどく弱弱しく、そして悔しそうに呟いた。

 タカオはミズキの手を優しく振りほどく。そしてその足でよろめきながらもシンジの元まで歩き、彼を見下ろした。


「俺の、勝ちだ。文句はねえな?」


「あぁ……君の、勝ちだ」


 シンジはどこか満足そうに、勝者を称える。


「けどやっぱり……ごほっ、ごほっ!!」


 パキッと軽い音を立て、シンジの腕が地面に落ちた。

 呪いという規格外の力が一気に抜け、燃えカスとなった体には無数の亀裂が走っている。今の彼はちょっとでも力を加えると、途端に崩れ落ちそうなほどに脆い。


「……けどやっぱり、君とは友達に……なれそうにないや」


 どうやら自分を下した最後の手だけは、お気に召さなかったらしい。

 純粋な力と力の喰らい合いを望む彼にしてみれば、相手の弱体化など絶対に選ばない選択肢なのだから。

「だから最初からそう言ってんだろ。敗者がピーピー言ってんじゃねえよ」

「は、はは……、参ったな。全くその通り」

 笑うたびに、彼の体は崩壊していく。


「さぁ……トドメを刺すといい。僕はまだ、生きてるよ?」

「……嫌だね」

「?」

 シンジは不思議そうな表情でタカオを見つめた。放っておけば死ぬ自分に、何故情けをかけるのかわからないといった顔だ。


「さっきのでは打ち止めだ。もう、お前を相手にする理由がねぇ」


「……はぁ。君、やっぱり嫌なヤツだよ」


 シンジひどく落胆した。しかし、自分を打ち負かした勝者の言葉に異を唱えるつもりはないらしい。戦いに対する彼だけのルールは、それを絶対に許さない。

「ま……いいけどね」

 これ以上この場に留まる理由はなくなった。彼の精神が緩んだのを引き金に、体の崩壊が加速する。


 シンジはようやく巡り合えた好敵手の前で、空気に溶けるように、世界から完全に消滅した。


・2・


『そう、決着はついたのね』


 別行動の刹那たちに連絡を取るユウトは、事の一部始終を伝えた。


「……あぁ」

 どこか表情の暗いユウトに気付いた刹那は、すぐに次の話題へと移った。

『けど!! ロウガが死んだってことは、これ以上魔獣が降ってこなくなるってことよね?』

「そのはず――」



 その時、二人は――いや、は、全身の毛が無条件に逆立つような異様な感覚に襲われた。



(な、んだ……!?)

『ちょ、鳶谷!?』

 ガタッという大きな音が無線から聞こえた。

「おい、御影がどうした!?」

『わかんない! この子、急に倒れ……ちょッ、あんた勝手に!!』

「刹那!!」

 ユウトは向こう側で起きた緊急事態に、居ても立っても居られず大声で彼女の名を呼んだ。

 しかしユウトの呼ぶ声とは裏腹に、無線から聞こえてきたのは別の声だった。


『喚くな小童。主様、しばらくその娘に触れて魔力を流せ。その娘の魂はまだ抜けきっていない。じきに目を覚ます』


 伊弉諾は不機嫌な声で的確な指示を出す。だがユウトは聞き逃さなかった。彼は今こう言ったのだ。


 、と。


「……みんなは?」

 ユウトは恐る恐る尋ねた。


「その様子だと、何が起こったかくらいは理解しているらしいな。むしろそれくらいできずして何がワーロックか。貴様の想像通りだ。ここだけに限らず、魔力の弱いものは皆、今のであやつ伊弉冉に魂を持っていかれただろうな」


「!?」

 何となく彼の言う通り、そうだと理解してはいた。しかし言葉として事実を聞くと、とても認め難い。

 ふと、ユウトが空を見上げると、黒と白の入り混じった何かが海上都市上空を埋め尽くしていた。

「あれは……」

『ここは伊弉冉の腹の中だ。その気になれば、あやつは何でもできる。全世界の人間から魂を抜き取ることも容易にな』

 問題はその力を全開で使える人間がいないということだと、伊弉諾は言った。あの宗像一心でさえも不可能らしい。

 だが現実に、事は起こった。力を持たないほぼ全ての人間から、命の火が奪われてしまったのだ。


「宗像一心、あいつが何かをしたってことか……」


『そうい――ピーーーーーーーーーーーーッ!!』

 突然、端末のスピーカーからけたたましいノイズが鳴り響く。

「うっ、何だ!」


『気に入っていただけたかな? 吉野ユウト。並びにそれに組する愚かな者たちよ』


 次にそこから聞こえてきたのは、耳にこびりついた男の声。

 全ての元凶たる、宗像一心その人だった。

「どうやって!?」

『海上都市の無制限通信サービスは我が社の商品の一つだ。この程度の雑事、何故できないと思う?』

 今までの会話も全て筒抜けだと、彼は暗に語っていた。


『彼はシンジを倒したようだね。まずは君たちに賛辞の言葉を贈ろう』


 パチパチと通話の向こうから軽い拍手の音が聞こえた。一心はあくまで、タカオはシンジを楽しませるための捨て駒として考えていたはずだ。

(なのに何だこの余裕……)

 自分共々、彼はワーロックの貴重な成功サンプルと称していた。その一人を失ったことは確実に痛手のはずだ。それに、

「ロウガも死んだ。俺もお前の言いなりになるつもりはない。お前の計画はもうこれでお終いだ!」


『確かに。ネフィリムが人間に味方するなど考えもしなかった。だが!!』


 一心は全く気にもしていなかった。


『私の計画が破綻することなどありえない。その証拠を見せよう。空を見たまえ』


 言われるがまま、この通信を聞く全員が空を見上げた。


 そこには――


「な、に……ッ!?」





 モノリス上空に、ぱっくりと大きなゲートが穿たれている。





 そしてそこから、長い首を垂れおろす二体の龍型魔獣の姿。


「ヨルムンガンドが……二体……ッ」


 かつて分界リンボにてユウトたちが戦い、倒しきることのできなかった超大型魔獣。それが二体もこの世界に首を突っ込んでいたのだ。

 そしてそれに続くように、魔獣の大量発生が再開する。天空の大穴からだけではない。海上都市のいたる場所で、同時多発的に。

(まずい、二人を早く安全なところに……ッ!)

 そんな中、ヨルムンガンドの一体が口から閃光を迸らせる。上空から降り注ぐ一条の光がイーストフロートを一直線に走った。

 次の瞬間、そのたった一撃が、海上都市を炎の海に豹変させた。

「う……くっ!」


『私の手を一つ潰したところで大局には何の問題もない! 奥の手は常に最後まで隠し持つ。それが真の経営者というものだ! ハハハハハ!!』


 高らかに笑う一心。しかし、


『だが認めよう。君たちは私にその奥の手を使わせた。特に吉野ユウト、君の力を私は侮っていた』


 彼はこうも言った。自らを戒めるように。

 空を流れる魂の光。それら全ては海上都市の中心にそびえ立つ黒き巨塔モノリスへと集まっている。魔獣の侵攻が止まらないのも、きっとそこに原因があるはずだ。一心が座すあの場所に。

『計画は最終段階に移行した。もはや誰にも私を止めることはできない。だが、念には念を入れさせてもらう。多少の時間稼ぎにはなるだろう。ククク』

「何をする気だ?」

 これを最後の手というならば、よほどの自信があるのだろう。


 一心は答えた。



『言っただろう? 進化だよ。私が選び、整え、与える……人類の進化だ!』



 モノリスの頂上、あの場所で何かが目を覚ました。こんなに離れていてもわかる。憎悪で研ぎ澄まされた獣の眼光が、ユウトの胸を突き刺す感覚を。

 そう思えてならなかった。

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