第83話 秩序の塔 -The tower of order-

・1・


「ん……」


 視覚が光を捉え、賽鐘ミズキの意識を覚醒させた。


「ここ、は……」

 板張りの天井。お世辞にも綺麗とは言えない。

「店……」

 となりのベッドには神座凌駕が眠っていた。怪我をしたのか、頭に包帯を巻いている。

 彼を見ていると、自分も頭部に僅かばかりの熱を感じ始めた。

(あ……やばい……これ、たまにあるやつ)


「あら、起きたのね」


「逆、神さ……ッ!!」

 次の瞬間、彼女は弾かれたように勢いよくベットから飛び起きた。


「え!? 逆神さん!? え、何? 私、死んだの!?」


 突然脳裏にフラッシュバックする映像と感情。これは、自分のものではない。

「あなたね……」

 混乱気味で、狼狽するミズキを夜泉は冷めた目で見ている。彼女は読みかけの文庫本を音を立てて閉じた。

「どうやら起き掛けで魔法が一瞬暴発したようね。私も何回か経験あるからわかるわ。私たちのような『見る』魔法使いの悩みの代表格だもの。大方私の記憶を見てしまったんでしょうけど、かなり酷いこと言ってる自覚はあるかしら?」

「うっ……」

 彼女の言う通り、考えてみれば自分は相当酷い事を言ってしまった。

 ミズキが体験したのは、自分が死だ。

 止めどなく溢れる血と共に、何か大事なものも一緒に抜け落ちていく感覚は、擬似体験とはいえ彼女を凍り付くような恐怖に陥れた。

 他の人と違い、夜泉はそんな正真正銘の死を記憶している。だからこそ冗談でも言ってはいけない言葉だった。その恐怖を、一瞬でも見てしまったなら尚更。

「……ごめんなさい」

 ミズキは素直に謝った。


「ふぅ……まぁいいわ。今度私に何か美味しいものを奢るということで手を打ちましょう」

「わかった! 絶対奢るから! 約束よ!?」

 ミズキはガバッと勢いよく、夜泉の白く細い手を両手で掴んで力ずよく答えた。人の心を覗くことのできる彼女だからこそ、この償いは誠心誠意、本気でするべきだと考えるのだ。

「え、えぇ……楽しみにしているわ」

 しかしそれを知らない夜泉はミズキの気迫に押され、いつもの大人びたペースを崩していた。



「お? おっ? おーッ!? ミズキが目ぇ覚ましてるぞー?」

 神座の側で寝落ちしていた高山篝が、ミズキの回復に気付いて大声をあげる。

「え!? それホント!? お姉さまぁ~!!」

「え、ちょ……ッ!!」

 篝の声の後、まず我先にと神座奏音が起きたばかりのミズキに飛びついてきた。彼女はグリグリと胸元に頬ずりしている。というより嗅いでいる?

「えぇーい! 離れろ!」

「あぁ~ん♡」

 続いて他のメンツも数人、ぞろぞろとやって来た。

「よかった……ミズキ」

 その中でも刹那は、目元に涙を浮かべながらミズキの回復を喜んでいる。


「えっと……ごめん。私、確かエクスピアの社長に何かされて……それで……」

 宗像一心に何か、底の見えない黒い塊を浴びせられて……そこから先はプツリと記憶が途切れていた。


「ミズキの体を蝕んでいた呪いは、


 ユウトはミズキが眠っている間に起きたことを、掻い摘んで説明した。

 一心が自分に呪いを植え付け、その治療のためにタカオに絶対勝てない戦いを強要していること。

 タカオが自分を救うために、それを受け入れたこと。

 そして突然店を訪れたロウガが、体を蝕む呪いを抜き取ってくれたこと。


「でも……何で?」

 まずこの疑問が浮かぶ。ロウガといえば、リセット前に世界を破壊しようとしたネフィリムの一体だ。そしてガイの……ワイアームの配下でもある。人に仇なす獣が自分を助ける理由がわからなかった。

「わからない。けど、変なことはしてないぞ。ずっと見てたから」

 ミズキは少し顔が熱くなった。気を許している相手とはいえ、寝顔を見られるのは少し抵抗がある。女子として。

「もうちょっと言い方を考えなさい!」

 バシッと、察した刹那がユウトにチョップを入れた。

「イテッ……何だよ」

 何故叩かれたのか理解していないユウトは首を傾げていた。その顔にはデカデカと理不尽という言葉が書いてある。

「ハ、ハハ」

 でもミズキはそれがおかしくて、自然と恥ずかしさは笑い声に変わっていた。おかげで、一番聞くのが怖かった話題に切り出せる。


「ねぇ……タカオは?」


 想い人の名を口にする。

 願わくばここにいてほしい。向こうの部屋でくつろいでいるとか、そんな言葉でいいから。


 近くに……いてほしい。


「…………タカオは?」


 ユウトの顔は一瞬暗くなる。明らかに言葉を選んでいた。きっとろくにできもしない優しい嘘を考えている最中なのだろう。

 そもそも、ミズキの前では隠し事は無意味に等しい。それはユウトもよく理解していた。

 やがて、観念したユウトは嘘偽りなく答える。


「ロウガの話だと、明日、シンジと決着をつけるらしい」


・2・


 エクスピアコーポレーションの本社にして、海上都市の中枢を担う黒き巨塔・モノリス。

 宗像一心はその中でも限られた人間しか知らない、設計上存在しないはずの秘密の部屋にいた。彼は中央から天に伸びる光の柱を見上げ、満足げな笑みを浮かべている。


「フッ……」


 準備は整った。

 今こそ、伊弉冉の真の力を解き放つ時。


 今まで一心はいつも腰につけている機械的なデザインの鞘を使って、伊弉冉を操作してきた。鞘はネビロスリングの魔力武装展開機能と、オリジナルのルーンの腕輪に非常に近い安定化装置の二つの機能を有している。

 強大すぎる伊弉冉の力を限りなく薄め、ZeroとInfinity、運命を操る二つの能力だけに特化させるために。


 そしてこのモノリスは、宗像一心の


「さぁ、進化の時だ」


 彼はひび割れた伊弉冉の刀身を、中枢に設置された小さな穴――鞘の鯉口へと突き刺した。


 鞘が起動する。

 妖しき刀の枷ははずれ、抑えられていた力を無尽蔵に垂れ流す。血管のように張り巡らされた動線はモノリスを駆け回った。


『Zero ...... Zero ...... ZeroZeroZeroZeroZeroZeroZeroZero ――』


 けたたましい音が鳴り響いた。


「ククク……ハハハハハッ!!」

 一心はたまらず笑いだす。


「見ろ! 世界よ!! 新たな秩序の誕生だ!!」


 今、モノリスは本来の機能を起動した。

 世界に蔓延る悪意を一手に担い、生命を浄化する秩序の塔。

 個では決して扱うことのできない神の力は、急速に世界を彩り始める。


「まもなく世界からは消える。人は神となるのだ!」


 一人残らず、だ。

 世界にいるかどうかもわからない、己と完全に同質の魔力を持つ者を殺し、その魔力を取り込むことで生まれる魔道士ワーロック

 赤い糸で結ばれた、まさに運命の相手とも呼ぶべきこのシステムに、これから一心はある細工を施すのだ。


 それは人々から『呪い』を抜き取り、個の境界線を消すこと。


 そもそも一人一人違うから、彼の存在は生まれないのだ。

 前哨戦としてプラシアンをばら撒き、人の欲望を活性化させてみたが、人が人である限り――心を狂わす『呪い』を持っている限り、真の意味での進化はあり得ない。

 世界という一個のカンパニーを統べる者として、これは正さなければならない経営課題だ。


 改革は速やかに行われる。


 人が各々持つ個を消し去り、寸分違わず揃える。


「境を失った人間たちは他と溶け合い、やがて……神は生まれる」


 穢れなき魂。穢れなき精神。

 そこに違いなどないのならば、いったい誰が拒絶するものか?

 もう殺し合いをする必要もない。そんなことをせずとも必然的に個は統合される。全ての宝くじが1等になるのだ。憎しみが入り込む余地などどこにも無い。


 そうして最終的に、世界はたったの二色に分断されるのだ。

 一つは魔道士ワーロックへと昇華する清浄なる魂。

 そしてもう一つは――


「そのためにもここに誕生する感情のゴミ人類悪は私が制御する。世界の秩序である、この私が」

 

 もうすぐ、神は特別ではなくなる。

 生まれ変わった世界で、運命を手にするのは神ではない。


 神をも統べる秩序ルールは、静かに愉悦した。


「運命は……私の手の中だぁ!! ハハハ、ハハハハハハハハハハハハッ!!」


 それは今まさに、伊弉冉の腹中に生を受けたこの世界が、産声をあげ始めた瞬間だった。

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