第82話 孤狼の矜持 -You and I have seen the same guy-

・1・


 ――ロウガがバー・シャングリラを訪れる数時間前。




「フンッ!!」


 隻腕の人狼が、同族の骨や牙から作り上げたノコギリのような大刀を一振りする。すると、彼を倒そうと無謀にもやってきた大勢の魔法使いたちが、塵芥のように舞い上がった。


「なん……だ、あいつ……強すぎるッ!」

「でも、倒さなきゃ俺たちがやられるぞ!」

「そうよ……化け物は、私たちの手で駆逐してやるわ!」


 彼らが普通の状態ならば、この絶望的状況を前に迷いなく逃げることを選択するだろう。だが、プラシアンはその選択肢を奪い去ってしまう。

 周りには数体のWEEDSの目。本来、住民を守る立場であるはずの彼らが動かないことに、誰一人疑問すら持っていない。

 この状況も、魔法使いたちの勇気も、全て偽りだということにロウガは薄々気付いていた。


「去れ! 貴様ら弱者に用はない」


 一喝する。


(人形と変わらぬ弱者など、倒す価値もない)


 しかし、魔法使いたちは怯みはするものの、誰一人下がろうとはしなかった。さらに彼の恫喝に呼応するように、次元の裂け目が開き、数百体の魔獣が天から降り注ぐ。

 彼が猛るほど魔獣は呼び寄せられ、その度に元凶を潰そうと新たな魔法使いが自分の元にやって来る。そして血が流れる。

 すべてがあの男――宗像一心の目論見通りになっていた。

 ロウガの意志に関わらず。


「きゃあああああああああああああッ!!」


 突然、近くで叫び声が聞こえた。

 ロウガの聴覚はそれを瞬時に捉え、方角・距離を完全に把握する。それは今まさに、小さな人間の少女が魔獣に襲われそうになっていた瞬間だった。


「ッ!!」


 直後、嵐が魔獣の群れを薙ぐ。

 ロウガの刀から放たれた烈風は、破壊の渦となって広範囲に及ぶ。爆発にも似た轟音は少女の声を容易に掻き消してしまった。


「……え」


 だが、少女は無事だった。

 それだけではない。過ぎ去った嵐の後には、ただ静寂だけがそこにある。

 それは一瞬の出来事。あれだけいた魔獣が、少女の前からその姿を消したのだ。一匹残らず。全て。

 泣いていた少女には、きっと何が起こったのか理解できないだろう。


・2・


「キィィィィィィィィィィィ!!」

 耳障りな金切り声をあげ、吹き飛ばされながらも嵐の中を生き残った数百の魔獣が一斉に離れた場所へ落下した。


 その中心で、ロウガは佇んでいた。


「……」

 魔獣たちは相も変わらず、ただロウガだけを凝視している。

 彼らは配下ではない。ただ惹き寄せられただけだ。ロウガにしてみれば、周りをうろつく鬱陶しい存在でしかない。


「俺に惹かれているのは理解している」


 ロウガが一歩前へ動くと、隙間なく密集した群れが一歩後ろに動く。

 常にロウガから一定の距離を保ち、しかし決して離れようとしない。彼らにしてみれば、ロウガから溢れでる魔力は極上の蜜。本能が敵わないと理解しているものの、あわよくばその身ごと喰らってやろうと喉を鳴らしているのは見ればわかる。


「だが……俺は、貴様らの主でも何でもない!!」


 次の瞬間、最前列にいた魔獣十数体の頭部が破裂した。

 主君を失った孤狼の目には、明らかな怒りが見えた。


「向かってくる敵ならばいざ知らず、誇りもなく、弱者をいたぶる貴様らが……俺は気にくわんッ!!」


 その気迫に本能的な恐怖を感じた魔獣たちの体が一瞬、硬直する。そしてすぐにその瞳は、本来の、無差別に喰い尽くす獰猛さを取り戻した。


「「「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」」」


 直後、数えるのも馬鹿らしくなるほどの億千の牙がロウガに襲い掛かった。


「フンッ!!」


 ロウガは駆けた。

 斬って。

 食い千切って。

 また斬って。


 斬って斬って斬って斬って。


「ウオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!」


 他のどれよりも大きく、勇猛な、全て覆いつくすような遠吠えが空に響いた。

 名も知らぬ少女を助けたつもりはない。ただ、自分の矜持に絶対の拘りを持っているだけだ。

 魔獣たちもただで殺されるつもりはないらしい。到底策と呼べるものではないが、際限なく何重にも重なって襲い掛かるうちに、一、二匹、ロウガの腕や足に牙をくい込ませる個体が出始めた。

 急ごしらえの牙剣も、その波にもまれついに砕け散る。

「ぐっ……!」


 その時。


 ゴゴゴゴッ! と、ロウガとは別の力が魔獣の群れを一掃する。

 圧倒的熱量は一条の光となって地面を抉り、溶かして、後には肉片の一つさえ残さない。


「貴様は……」


「……ッ! まだ少しキツいな……ッ。よお狼さん。魔獣退治なら手、貸すぜ?」


 白き降霊武装アームド・ネビロスを纏った皆城タカオは、暴れ狂う炎を宿した右拳を構えた。


・3・


「どういうつもりだ? 人間」

 一帯全ての魔獣を蹴散らして、ロウガは尋ねてきた。


「タカオ」


「?」

「俺にはタカオって名前があるんだよ。皆城タカオ。覚えとけ」

 タカオは最強の魔獣を前にしても、一切物怖じする様子を見せない。

「奇妙な男だ」

「お前、ガイの仲間だったんだろ?」

 彼は倒れ込むように腰を下ろした。すると、


「ワイアーム様だ」


「は?」

 タカオは首を傾げた。

「あのお方を貴様ら人間が勝手につけた名で呼ぶな。無礼である」

 どうやらロウガの琴線に触れたらしい。しかし、タカオはあくまでも自分を通すことにした。

「嫌だね。俺にとってガイはガイだ。ワイアームなんてやつは知らねーな」

「貴様、我が主を愚弄するか!」

 中腰になったロウガは刀を握った。その構えは居合のように見える。この距離。どうやってもタカオが彼の間合いから逃げることは不可能だ。


 しかし、


「どした? 俺の首くらい簡単にはねれるだろ?」

「……」


 ロウガの刃はそれ以上微動だにせず、小さく唸り声をあげている。

「あのお方は……最後に貴様を守った。それを無碍にするは臣下の恥だ」

「ホ~。つまりお前は俺に攻撃できないと?」

 タカオはニヤつく笑みをロウガに向ける。

「勘違いするな。殺さずにいたぶる手段などごまんとある」

 ロウガも同じようにニヤつく。しかし彼の場合、鋭利な牙が剥き出しになってまったく冗談に見えない。

「……」

 これ以上ふざけると、本当にどうにかされそうだ。タカオは一旦深呼吸して息を整えた。

 正直、ロウガに対し全く恐怖心がないと言えば嘘になる。自分の意志とは関係なく、指先は気を紛らわせようと近くに転がった石を弄んでいるのがその証拠だ。さっきもそうだが、そもそも彼が本気になれば、自分など一瞬でお陀仏だろう。

 しかしそれでも、タカオはどうしても彼とサシで話をしておきたかった。


 同じ人間けものと共にあった者として。


「ワイアーム様は何故、貴様のような男を……」

「それはちょっと違うぞ?」

 タカオはロウガの言葉を否定した。

「……何?」

 タカオには獣の表情を正確に理解することはできないが、相手の目が言葉を間違えればただでは済まさないと言っていることだけはわかった。


「ガイはそんなちいせぇやつじゃねぇよ。あいつは、最後に自分の心に従って行動したんだ」


「心……だと?」


 世界の悪意の総体。世界を狂わし、歪め、喰らうもの。

 受肉してもそれは生命ではなく、むしろ呪いだ。

 当然命はなく、心さえないと言われていた。


 しかしあの時確かに、タカオは見たのだ。

 揺るぎない信念を持つ者のみが見せる表情を。その命の輝きを。


「きっとあの場にいたのが俺じゃなくても、あいつは同じことをしたさ。自分の心を曲げないために。だからあの時、お前だってあの子を助けたんじゃねぇのかよ?」

「!!」

 孤狼の目が大きく見開かれる。

 タカオは見ていたのだ。だからこそ、彼はロウガに助太刀した。

 もちろん彼自身、あの時少女を助けようと体は動いていたが、ロウガの一太刀の方がずっと早かった。


 だから誰が何と言おうと、あの少女にとってヒーローはロウガだ。


 お株を横取りされたようで若干歯痒いが、悪い気はしない。


「お前だって自分の誇りを曲げたくないから、体が勝手に動いたんだろ?」

「俺が……人間を助けた、だと?」


 心を持つから、言葉は響く。

 心を持つから、矜持は輝く。


 人と獣の境界線は、実はものすごく単純なのかもしれない。

 別に理解してくれなくても構わない。例え彼が依然変わらず、人類すべての敵だとしても、タカオはどうしてもこれだけは伝えたかった。

 同じものを通じた、同志として。



 親友ガイが、この世界を愛していたということを。

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