第81話 世界ヲ狂ワスモノ -The Beast-

・1・


「あああああああああああああああッ!!」


 宗像一心は何とか自分の執務室に戻るなり、獣のような唸り声をあげた。沸々と滾る怒りの矛先は、室内にある物全てにぶつけられる。

 仕事には欠かせないパソコンをはじめ、聞けば卒倒する額の名だたるワインボトルも。それを楽しむための世界に二つとない高級グラスも。観葉植物も、絵画も全て。

「はぁ……はぁ……」

 一着100万は下らないスーツはズタズタに引き裂かれ、今やその価値は消え失せていた。それがまるで持ち主を象徴しているかのようで、身を焼くほどの激情は高まるばかりだ。


「ありえない……この私が、敗れるなど……神凪夜白!!」


 怒鳴り散らすように、一心は夜白の名前を呼ぶ。

「何かな?」

 しかし、夜白はそれを気にすることなく、笑顔をまったく崩さない。

「今すぐモノリスを起動させる! 準備を始めろ!」

「でも配布したプラシアンのデータ収集はまだ――」


「構わん!!」


 一心は夜白の言葉を断ち切った。

「君は、私が生み出した……私の道具に過ぎない。異を唱える権利は君にはない」

「……」

「フン……案ずることはない」

 彼は机と一体となった端末を操作し、何もない空間に立体グラフを投影させた。右上がりに上昇する売り上げを表す折れ線や、シェアを示す円形のもの。あるいは売上伸率、利益率。様々な数値が所狭しと羅列している。

「すでにプラシアンを所有している魔法使い住民は90%に達している。十分な成果を得ることが可能だ」

 当然、彼の言葉は予測などではない。確定事項だ。


「人間の精神に干渉し、魔法こじんを塗り替える……」


 本来、どれだけ人間の精神を歪めても、その人間の魔法の在り様が変わることはない。

 しかし、伊弉冉の複製品レプリカであるプラシアンならばそれが可能となる。


 人のコードに直接命令スクリプトを刻み込む神の業。


 実験で完全な別人格を生み出したレヴィル・メイブリクなど比較にならない。完全な魔法の変質。より深い部分を――魂の根源を書き換えてしまう。


 人は変わることなく、のだ。


 その命令文は至ってシンプルだ。

 恐怖などの負の感情を排する。

 恐れを失った人間の中身は、自然と欲望で満たされる。何かを失った時、または失敗した時の恐怖を感じないからだ。より強く、より至高の存在になろうと、人間は進化への階段を盲目的に上り始める。

 そんな人間がいつの間にか失ったさがは、より攻撃的な魔法を生み出すのだ。


「わからないな。完璧な人間ワーロックを作り出そうとしているあなたが、こんなことをする意味があるのかい?」

 夜白は白く細い指を顎に当てて問う。彼女に否定する気はまったくない。ただ、少なくともプラシアンで矯正した人間が、彼の求める進化の形だとは到底思えないだけだ。


 道具に頼らなければ至れない至高などに、一体どれほどの価値があるというのか?

 そこには、黄金比のような美しさを感じない。


「君は聡い子だ。いいだろう、その質問に答えよう。ワイアーム……だったか? 君はあれが何だったか理解しているかね?」

 一心は唐突に尋ねた。すでにいつもの調子に戻っている。むしろ口調はとても穏やかだが、刃のような言葉は切れ味をさらに増していた。


「あれはそもそも魔獣などでは――いや生き物ですらない。あれは正真正銘、人の悪意の塊なのだよ」


 人の心を狂わせ、歪める『何か』。

 人の叡智の外にあり、人の内に潜むもの。

 それらが集い、形を、意思を持った結果があの邪龍けものだ。


「ッ!!」

 言葉の意味を理解した夜白は目を見開く。それを見た一心の唇が吊り上がった。


「そう。彼の世界に存在したように、この世界にも確実に存在するのだよ。人の心の住み着くが」


 ネフィリム・オリジン。


 プラシアンは、その呼び水でしかない。


 敵は用意した。

 力は与えた。

 迷いは捨てさせた。


「愛憎、愉悦、恐怖、快楽、嫉妬、蛮勇……そして絶望。この海上都市には今、終わらぬ戦いが生み出した人間の醜い膿が溢れ出している」


 モノリスはその流れを操作し、一か所に集約させる。


「進化とは、常に捨て去ることから始まる。新しい秩序を受け入れるために」


 それはまるで濾過のように。

 不純物のろいを取り除く行為。


 それはいわば、人類全ての洗礼。


「人が人を憎む世界は終わりを告げ、新しい世界の秩序である私が、それを制御する」


 そのためにまず、人類悪けものを作るのだ。


・2・


「ユウトさんッ!!」


 店の扉を開けるなり、レヴィルが抱き着いてきた。

「レヴィル!? 無事だったのか!?」

「はい。私、頑張りました!」

 甘えるようにグリグリと顔をユウトの腹に埋めて、涙声で少女は答える。

「そっか……」

 ユウトはそんな彼女の頭を優しく撫でた。


「戻ったか」

「青子さん。それにアーロンまで」

 店内を見渡すと、イスカ、それに青子の同僚で御影のお姉さんの鳶谷赤理までいる。


「ねーあなた、私に!!」


 何やらやけに興奮した面持ちで、赤理はロシャードに迫っていた。

「何だあなたは……あ、おい、やめろ!!」

「ふむふむ……私が基礎理論を提唱した戦術武装アームド・フォースをベースにしてるのね。このフォルム……高軌道での活動を目的としてるのかな? 元々無人機として扱うことも想定してたけど、でもでも、こんなに感情豊かなAI、スクリプトどうやって構築してるんだろう? ねぇあなた、親は誰?」

 ロボットに生みの親を訪ねる彼女の手の中には、いつの間にかロシャードの片腕があった。


(((今何が起こった!!??)))


 全員に戦慄が走る。

 普段、学園ではおっとりド天然で通っている鳶谷赤理にはあるまじき速度。いつも持ち歩いているのか、彼女はどこからか取り出した折り畳み式ドライバーを使って、ロシャードの機械関節のねじを全く傷付けることなく、あたりまえのように自然に取り外したのだ。

「……姉さんは、機械にはめっぽう強いので……」

「いや、強いとかそういうレベルじゃなかっただろ今の」

 すかさず飛角がツッコミを入れる。身内故、人目も憚らず興奮する姉が恥ずかしいのか、御影は明後日の方向を向いていた。

 しかしそんな妹を他所に、お姉ちゃんの暴走は止まらない。


「ねぇ……分解バラしても、いい?」


 上目遣いでキラキラした瞳を向ける赤理。

「いいわけないだろう!?」

「そっかぁ……」

「いや、私が許そう」

 何故か飛角が許可を出した。

「飛角、お前!?」

「一応その人、元を正せばお前の生みの親みたいなもんだろう? 悪いようにはならないって」

 とは言うものの、彼女の笑みは明らかに悪戯っぽいものだった。


「やった♡ じゃあまずどこから弄る? やっぱり関節部のアクチュエーター? それとも各種センサーのアップデート? あぁん迷っちゃう。もういっそのこと、ボディを新調してみようか!!」


「くっ……憶えていろ……あ、ちょッ!! やめてくれーーーーッ!!」

「達者でな~ロシャード~。強くなって帰っておいで」

「任せて飛角ちゃん!! 完璧に仕上げてあげるから!!」

 フンスっと興奮で鼻息は荒く、まるで恋する乙女のように上気した顔。赤理には全くその気はないのだろうが、はっきり言ってかなり、無駄に煽情的だ。この状況を知らない男なら、誰だってドキッとしてしまうだろう。


「……じー」


 ユウトは御影が細い目で自分を見ていることに気が付いた。というより、睨まれている。

「な、何だよ?」

「……いえ。姉のような明るい性格の方が好みという男性が多いのは理解していますので」

 興味なさそうにそう言った御影のつま先は、コツコツと床を殴っている。

 若干腑に落ちないユウトは首を傾げた。


「そうだ、神座の様子は?」

「……傷の処置は済みました。今は夜泉さんと奏音さん。それに篝さんが近くで見ています」

「そっか……よかった。助かったよ、御影。ありが――」

 突然、御影はユウトの襟を掴んで、強引に彼の目線を自分のレベルまで下げた。


「御影……さん?」

「……そういう事は誠意で……示してください」

 彼女なりに勇気を振り絞って紡いだ言葉。間近で見る彼女の顔は見間違えようがないほど赤い。しかし、


「はーいストップ~。ここは眷属一号の私が最初でしょ? さっきの戦いでも私が一番活躍したし。な、ユウト?」


「「ム……ッ!!」」

 さらに二人、その明らかに挑発を含んだ言葉に眷属二人が反応を示した。


「聞き捨てならないわね。あんたたちの危機を救ったのは私よ? ……べ、別にご褒美が欲しいわけじゃないけど(ごにょごにょ」

「いえ私です。私の方が早かった」

 意見が真っ向から対立した刹那とアリサの間に、激しい火花が散る。

 さらに、

「いやいやお二人さん、もう一人のユウトに一撃でやられてたじゃん?」

 危険地帯に油を注ぐ飛角。


「「始めからやられてたあんたに(あなたに)言われなくないッ!!」」


 案の定、大炎上。

「いや、誰がとかじゃなくて……みんな無事に帰ってこれたんだから……な、な? 御影?」

 これ以上彼女たちの喧嘩がヒートアップするとまずい。ユウトは御影に助けを求めた。しかし、


「……No。都合のいい時だけ私を頼らないで。私は彼女たちのように、あなたのになる気はありません」


「め……ッ!!」

「犬……」

 どうやら間違って起爆スイッチを押したようだ。

 刹那とアリサ、二人の顔はあの夜の事を思い出してか、これ以上ないほど沸騰する。


(あ、これやばい……)


 もはや暴発寸前。回避手段はない。経験則に則って、ユウトの思考が止まる。

 その時、


「おら小僧ども~、買い出し班のお帰りだぞー。おじさんの前に並べ並べぃ!」


 珍しく救いの神が舞い降りる。


・3・


 ベストなタイミングでラリー・ウィルソンと、共に都市部に食料を調達しに行っていたレオンとハンナがシャングリラに戻ってきた。

「何かおじさん、めっちゃ鋭い眼で嬢ちゃんたちに睨まれたんだけど……何で?」

 ラリーのその言葉に、飛角は肩を竦めて笑った。


「元上司の女はどうした?」

「リッカさんなら仕事に戻ったよ。こんな状況だからな」

 青子の疑問にレオンが反応した。彼女はそれを聞いて「そうか」と一言頷く。

 都市部だけではない。海上都市全域で、人間と魔獣の戦いは続いているらしい。

「あれはまるで、自分が負けて傷ついても、何も問題ないと思ってるような感じだった」

 いくらプラシアンの力で戦う力を得たと言っても、当然彼らは無敵ではない。なのに、まるでゲーム感覚のように戦いを求める。街中に配置されたエクスピアの死体部隊WEEDSは、さながらそれを監視・管理しているようだ。


 一通り報告し終わった後、レオンは青子の側にいたユウトに気付いて話しかけてきた。

「君がユウトくんか。アオから話は聞いてるよ」

「え、えっと……」

「そっか、自己紹介がまだだったな。俺はレオン・イェーガー。アオとは古い付き合いでな。まぁその……いわゆる恋人――ごぼぁッ!!」

 顎を下から抉り抜くような、青子の鮮やかすぎるアッパーが決まった。

「な、何すんだよ!?」

「『元』だ。言葉には気を付けろ」

 凍てつく瞳でレオンを見下ろす青子。取り付く島もないほどに、壁が形成されている。

「い、いや、それ今初めて聞いたんだけど!?」

「今言ったからな。再会したと思ったら、ガキ作ってるような男なぞ私は知らん」

「いやだから、ハンナについてはさっきも説明した通り――」


(青子さん、怒ってる?)


 正直、本気には見えない。それどころか確実に普段彼女が見せない表情だ。

 そんなレオンは、きっと只者ではないとユウトは思った。

(それにあの女の子……)

 件の少女、ハンナ。あちらも明らかに普通の少女には見えない。見た目こそ普通だが、ユウトの目には得体のしれない力が彼女の周りを血流のように流れているのが見えた。まるで擬人化した刹那の伊弉諾と同じだ。



「あ、そうだユウト。今のあんたなら、ミズキにかかった呪いをどうにかできるんじゃない?」

 刹那は手を合わせて言った。

 宗像一心によって、ミズキはその身に呪いを埋め込まれた。あの日から彼女は一度も目を覚まさない。

 全てはタカオを意のままに操るための彼の策略だ。

「あ、あぁ……やってみる」

 新たに手に入れた一心とも渡り合えるこの力で、もし彼女を救うことができれば、これ以上、タカオが無茶をする理由はなくなる。

 ユウトはミズキが眠る部屋へと向かった。

「……」


 一つずつ。確実に全てを取り戻しつつある。


 その小さく確かな希望をユウトは感じていた。










 しかし、彼は違った。



「その必要はない」



 店の扉が独りでに開く。

「!?」

 突然、一メートル以上はある大型犬がゆっくりと店に入ってきた。

「犬?」

 その犬には

「みんな下がれ! そいつはッ!!」

 ユウトは慌てて警告する。

 犬なんて生易しいものじゃない。

 この荒々しい闘気。この感覚。

 覚えがある。


「フン、どうやら己の力に磨きをかけたらしいな」


 喋る犬は一目でユウトの変化に気付いたのか、不敵な笑みを見せた。

 彼が一歩前へ歩くごとに、その体を肥大化させていく。獣の風貌はそのままに、肉付きは人に近いものへと変化していった。


 犬から狼へ。研ぎ澄まされた覇気は、店内を一瞬で支配する。


 やがて、彼が二足で歩くようになった時には、その全長は2メートル以上に達していた。


「……ロウガ」


 この世界に際限なく魔獣を呼び寄せる、その元凶が向こうからやってきたのだ。

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