行間7-5 -自分(チカラ)の証明-

「……ここ……は?」


 目が覚めると、自分の部屋にいた。


 いつものように窓から朝日が差し込み、いつものように目が覚める。変わらない日常がそこにはあった。

 ただ一つ。違うことがあるとすれば、ひどく静かなことだ。


(……そっか、いつもは伊紗那が……)


 寂しいと感じてしまったのは、毎朝漂う朝食の優しい香りがないからだろう。

「……ッ!!」

 それで再認識したのか、さっきまであった死の感覚が頭をよぎって、ユウトは思わず飛び起きた。

 動悸も激しく、彼は誰にともなく確認するように呟く。


「はぁ……はぁ……俺は……死んだの、か?」


***


 ガチャっと扉を開けて部屋から出ると、そこは何もない真っ白な空間だった。

「勘弁してくれ……」

 いよいよ自分の死が現実味を帯びてくる。


 夢ならすぐに覚めてほしい。けどもし現実なら――



「よお……ようやく起きたか」



 背後から声をかけられた。

 ユウトがすぐに振り向くと、さっきまで自分がいた部屋は跡形もなく消えていて、代わりに一人、見覚えのある少年が立っていた。


「お、れ?」


 そこにはさっき自分の心臓を抉った、もう一人の吉野ユウトが立っていた。


「何で、ここに?」

 ユウトは訝しむように質問した。

 対してもう一人の自分は、


「簡単な理由さ。俺も、お前も、まだ死んじゃいない。ここは伊弉冉から一瞬を切り取って作り出した空間。さっきの部屋はお前の心象風景だ」


 周りをよく見渡すと、色の異なる無数の光が浮遊していることに気付く。

(これ……)

 訊かなくてもわかる。これはユウトたちが今まで集めてきた、人の『理想』の光だ。

 その『理想』たちが各々星のように強い輝きを放ちながら、自らの存在を誇示している。


「こうしてみると、俺たちかなりいろんなやつに助けられてるんだな」


 悪戯好きの少年のような笑みを浮かべて、そう答えた。

 だが、ユウトはそれを好意的に受け取ることはできない。


「お前は……アリサたちを傷つけた」


 こんな自分を守ろうとしてくれた彼女たちは、彼のたった一撃でボロボロになってしまった。

 彼に対する怒りはもちろん、彼女たちを守れなかった自分に心底腹が立つ。


「俺も悪いとは思ってる。ごめん。はぁ……またアリサに謝る事が増えた」


 もう一人のユウトは不安で胃がキリキリしているのか、表情を暗くしながらお腹を擦り始めた。

「でも心配ない。宗像一心の目を誤魔化すためにちょっと派手に攻撃したけど、あいつらには傷一つ付けてねぇよ」

 嘘ではない。相手が自分だからか、そこは妙に納得できる。

 嘘を吐くときの癖や雰囲気からの推測ではない。もっと根源的な部分の話だ。


「誰にも邪魔されるわけにはいかなかったんだ。お前とサシで話をするためには、今この瞬間をおいて他にないからな」


 もう一人のユウトは、真剣な面持ちでそう言った。


「……」


 鏡合わせのように向き合う二人の視線が今、交わる。


***


「ほら」


 もう一人の自分がユウトに何かを放り投げた。

「ッ!! これは……」

 

「俺がこっちに来たのは、そいつを取り返すためだ」


 それは先ほど一心が彼に与え、莫大な力を発現させた大型メモリーだった。

手を借りてな」

 彼曰く、その人物の力を借りて例外的に伊弉冉の力で復活を遂げたらしい。しかし代償として、心を失った人形となってしまった。


「この時を待ってた。それに記録された思い出が、俺を正気に戻したんだ。要するに、一回限りの裏技だよ」


 このメモリーには伊紗那の力の半分。多くの人間メモリーの記録が貯蔵されている。そして当然、それを形にするためにユウト自身のものも含まれている。いわば、ユウトを取り巻く世界の証明。バックアップとして機能してもおかしくはない。

 まるでその通りだと、考えを読んだようにもう一人のユウトはニッっと笑う。

 しかし、対照的にユウトの表情は暗い。いや、納得がいっていないという顔だ。


「何でだよ……?」


 どうしてそこまでしてくれるのか?

 そう尋ねたかった。宗像一心の言った通り、自分を殺せば、彼はこの世界における吉野ユウトと成り代われる。

 過去の死を否定し、それ以上のものを得ることができるのだ。

 なのに――


?」


 彼はさも当然のように答えた。

 反論したかった。何か、少しでも否定したかった。しかし、その答えは十分すぎるほどの説得力を持っていて、ユウトはそれ以上何も言えなくなった。


「あいつは……伊紗那は、今も一番暗くて深い場所に繋がれてる」


「……ッ」


 全身の血が沸き立つ感覚。きっと向こうも同じ感覚を得ているはずだ。

 二人とも理解している。

 まだ、終わってない。まだ、助けられると。


「俺にできるのはここまでだ。俺は……ワーロックになれずに暴走して、挙句最後にはあいつにひどいことをさせちまった」


 ユウトの中にある彼女の記憶が呼応して、何もない真っ白な世界に音のない映像が上映される。


 身の丈に余る力を制御できず、全てを破壊していく自分。

 炎の中、その心臓に泣きながら刃を突き立てる者。

 ただそれを見ていることしかできなかった者。


 そこには悲しみしかない。

 絶望しかない。

 見ているだけでも現実を受け止めきれず、今すぐ逃げ出したくなる衝動に駆られてしまう。それを責めることは、きっと誰にもできない。


 人の心は、あまりにも弱いから。


「……ッ」


 ユウトはメモリーを握る力を強めた。


「理由があるとすれば、俺はお前に感謝してるから、かな」


「感謝?」


「あぁ、ずっと見てたんだ。お前は俺のせいで歪んじまった伊紗那の心を救ってくれた。俺のせいで後悔に縛られてたアリサを解放してくれた。俺が幸せを願ったあいつらに笑顔を与えてくれた。俺ができなかったことを……お前は成し遂げてくれたから」


「俺、が――」



 その時、世界に巨大な亀裂が走った。


 黒より黒い、底なしの深淵。

 そこから、『何か』が自分たちを覗いている。

「ッ!?」

「もう感づいたのか」

 それは伊弉冉そのもの。異物を感知して勝手に動く防衛本能のようなものだった。


「時間がない。そのメモリーの最後の仕上げは済ませた。お前の手で、伊紗那を救え。あいつをこのまま一人にしないでやってくれ!」


 そのためには伊弉冉を破壊して、この作られた幻想の世界をぶち壊すしかない。


「でもそれじゃお前や、もう一人の伊紗那は――」


 なかったことになる。

 今度こそ。完全に。

 伊弉冉の破壊は、世界の収束――すなわち可能性の確定を意味する。


「違う。伊弉冉が作り出してきたのはあらゆる可能性の世界。俺たちは、その全部を合わせて一人だ!」


 自分ユウトが生きることは、お前ユウトが生きることになる。


「無駄なんかじゃない。だからあいつを……みんなを助けるために、力を貸してくれ!」

 もう一人のユウトは叫んだ。しかし、



「……



 彼は目を見開いてユウトを見た。

 ユウトはゆっくりと、彼の元へと近づいていく。そして、いつの間にか現れていた理想写しの籠手を、その拳を前へ突き出した。


「……あぁ、そうだったな」


 さすがは自分。言いたいことは察したらしい。


「力は借りるものじゃない」


 コンッと音を立てて、


「力は――」















「「合わせるものだ!!」」



 直後、輝きは頂点に到達する。


 バラバラだった理想が今――

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