第78話 仮面の奥に潜む素顔 -Joker-

・1・


「一体どういうことだ!!」


 エクスピア社長室。

 宗像冬馬は身を乗り出すほど思いっきり、一心の机を叩いた。

「はい。とりあえず二人とも処置は済んだよ」

「……」

「ありがと、博士♪」

 来賓用ソファには二人の他に、橘燕儀、神凪夜白、そして皆城タカオが腰を下ろしていた。

 燕儀の傷は大したことのないものだったが、タカオはかなり重症だった。しかし、ほとんど焦げているに等しい状態だった右腕が、夜白の処置で今はすっかり元に戻っている。

「君の細胞を採取して生成した人工皮膚だ。しばらくは違和感があるかもしれないけど、直に一体化して傷は治る。後遺症もなさそうだし、案外君はワイズマン適性が高いのかもしれないね」

「……どうも」

 笑顔を向ける彼女から、タカオは顔を背けた。


「私としてもこれは予想外の事態だ」

 冬馬の怒りを他所に、一心は立ち上がる。そして顎に指を当て思案しながら、壁を背に人形のように立ち尽くしている仮面の魔法使いの前に立った。



「ふざけるな……伊紗那を、そいつを俺たちの問題に巻き込むんじゃねえよッ!」

 目の前にいるのは祝伊紗那で間違いない。だが、彼の望む彼女でもない。

 ユウトから話は聞いている。

 元々仮面の魔法使いの正体は、この世界に本来存在したはずの『祝伊紗那』だ。ワーロックであり、冬馬たちの知る『伊紗那』がやってきたことで、彼女は世界から居場所を失った。

 その後力を与えられ、彼女の負の部分も全て引き受け、『祝伊紗那』の平穏を守るためだけの執行者スケープゴートとなったのだ。


 だが一心は納得がいっていないような表情を崩さない。

「確かに伊弉冉の力で復元されている。これは私の意のままに動く人形だ。だが、私の意志ではない」

「何だと……」

 彼の言葉に、冬馬はますます訳がわからなくなる。

(親父が蘇らせたんじゃ、ない?)

 誤作動。バグ。機械ならそういうこともあるかもしれない。だがあの刀に果たしてそんなことがありうるのだろうか?


「私も不用意に彼女を利用する気はない。彼女は大事な交渉材料だ。……ここで消去デリートしておくか」

 一心は抜き身の刀を、仮面の魔法使いの喉ぼとけに突き立てる。

「ま、待て!」

 それを冬馬が慌てて静止した。

「どうした冬馬? お前にとっても不要な存在のはずだ。第一、彼女がここに存在するということは、お前の望むものは存在できないことを意味するんだぞ?」

「……それは」


 同じ魂は、同じ世界に存在できない。


 それが絶対のルール。遅かれ早かれどちらかが必ず世界に殺される。

 ここに祝伊紗那がいると、彼女は戻ってこれない。

(だからって、こいつを殺していいことには……)

 今更そんなことを言う資格がないのは百も承知しているが、頭ではわかっていても、何かが冬馬を駆り立てる。


「……ふっ、まあいい。ならば君、その面を外したまえ」


 一心は今や自分の手足となった仮面の魔法使いに、そう命令した。

「何のつもりだ……」

「仮面をつけていては愛しい彼女の顔が見れないだろう? これは私から息子へのささやかなお節介だ」

 本当に。

 宗像一心という男は人の皮を被った悪魔なのかもしれない。心を抉り、利用することにかけては天才だ。同じ血が流れていることが嫌になるほどに。


 仮面の魔法使いは電源が入ったように左腕を動かし、その指が自らの顔を隠す面に触れる。

 カチッと、留め具か何かが外れた音がした。


 そしてゆっくり、その素顔を見せた。そして――



「「「「「ッ!?」」」」」



 全員、あの宗像一心でさえも言葉を失っている。

「……どういう、こと」

「マジかよ……」

「へー」

 親子喧嘩の外にいた三人でさえ、驚かずにはいられなかった。


「ククク……」


 そんな中一人、悪魔は笑う。


「ハハハハハハハハ! なるほど。んー、なるほど! そうか、そう来たか。やはり運命は私に味方しているらしい」

 冬馬はあまりの衝撃に膝を付いた。

「な……んで……」

 目の前の事実が受け入れられない。



 仮面を外した魔法使いは――



・2・


 仮面の魔法使いに邪魔をされ、撤退を余儀なくされたあの日から数日。


「なぁ、なんか最近魔獣増えてない?」

「わかりきったことを言うな」

 飛角の言葉に、凌駕は何を当たり前のことをといった調子で強く返した。

「おい神座、そんな言い方しなくたっていいだろう?」

 こうなるとたまに喧嘩が発生する。ユウトは素早く仲裁に入った。若干苛ついていた凌駕はそれ以上何も言わなくなった。


 ユウトたちは何班かに分かれ、可能な限りの魔獣を駆逐して回っていた。それぞれの班には、分身のユウトを一人ずつ割り当てている。何かあればすぐに本体に伝わるし、よほどのことがない限りは各々の戦力で対処できるだろう。

 ただ、問題はいくら対処しても全く終わりが見えないことだった。

 凌駕がイライラするのもわからなくはない。事が上手く運ばない現状を不安視する気持ちはみんな持っているからだ。


『うちの凌駕はこれで普通なんだよなぁ。これより下はないから許してやってくれよ~ギャアアアユルシテーーッ!!』

 癇に障ったのか、手元のタブレット端末を叩くように操作し始める凌駕。同時に端末の中にいる高山篝が悲鳴をあげた。

「何だかんだであの二人、仲いいよね」

 飛角がユウトだけに聞こえるくらいの小声で囁いた。

 一度自分自身をデジタル情報に変換できることを知った彼女は、こうして機器に潜り込むことが多い。彼女曰く、あっちは何でも思い通りにできて現実より快適なのだそうだ。

(ま、そのせいで神座の思うがままになってる気がするけど……いい感じに緩衝材になってるからそっとしておこう)


「やはりロウガを討つしかない。やつがいる限り、このイタチごっこは続く。宗像一心に辿り着く前に、こちらが倒れるぞ」

「わかってるけど……」


 あれ以降、何度かロウガ討伐を試みた。

 しかし、その度に必ず仮面の魔法使いに邪魔をされる。

 ユウトと同じ理想写し。そのバリエーションに富んだ力は、的確にこちらの弱点を突いてくる。魔装状態の刹那でさえ突破できないところを見ると、ワーロックの力を有しているのは明らかだ。



「っと、噂してるとやっこさんが来たよ」


 飛角が誰よりも早く、仮面の魔法使いの気配を捉えた。

 誰もいない建物の瓦礫からフェードインするように、仮面は現れる。

 相変わらず、仮面のせいで感情を読み取れない。しかし確実に以前よりも冷たい、まるで機械のような雰囲気を感じる。

「いよいよ向こうから攻めてきたか」

 凌駕と飛角はそれぞれ戦闘状態に移行した。

「……伊紗那」

「……」

 しかし、ユウトだけはその場に立ち尽くしたままだった。


 戦えるわけがない。もしも相手が祝伊紗那なら――


「……ッ、私たちだけで仕留めるぞ!」

「あいよ!」

 降霊武装アームド・ネビロスを纏った凌駕と、龍化した飛角が左右から仮面の魔法使いに挟撃を仕掛けた。


『Fork』


 魔法を発動させた仮面は凌駕の方を向く。するとその背にもう一人、仮面の魔法使いが現れ、二人の連携は容易に防がれた。

「「!?」」

 飛角は掴まれた腕を強引に振り払い、体のバネを最大限に利用したフックを放つ。

 荒れ狂う龍のオーラを纏った彼女の拳が仮面を射抜いたかのように見えたが、敵の身体は瞬時に分裂――いや、分岐と言った方が正しいのかもしれない。殴られた可能性からだは消滅し、殴られなかった可能性からだが襲い掛かってきた。

「こいつッ!」

「あああああああああああああああああッ!」

 飛角のピンチに、黒白の双銃剣を召還したユウトは、仮面の魔法使いにがむしゃらにタックルを仕掛けた。

「ありがと、ユウト」

「……あぁ」

 本当なら今の援護、手持ちの剣で刺すことだってできたかもしれない。しかしユウトにはできなかった。

(クソッ! どうすれば……)


 そんな少年の苦悩を他所に、一切抵抗なく地面を転がった仮面の魔法使いは、不気味なゾンビのように立ち上がった。

 そして新たなメモリーを籠手に差し込む。


『Trick』


 直後、ユウトの両手にあった武器が消えた。

「……ッ! 奪取の魔法か!」

 彼の言う通り、双銃剣は仮面の手にあった。


『Riot Hide&Seek Overdrive!!』


 仮面の魔法使いは奪った二つの銃剣にそれぞれメモリーを差し込んで、容赦なくトリガーを引いた。


 弾丸の雨。


『Defender Overdrive!!』


 全方位を包む結界でユウトは二人を守ろうとしたが、


 カチッ。


「ッッッッッッ!!」

 すでに結界の中には、一発の弾丸が潜り込んでいた。

 背筋が凍るような音を終え、結界の内外で激しい爆発が連鎖的に炸裂した。


・3・


「う……ッ」

 瞬間的に許容量をオーバーした音と光のせいで視界がぐらつく。シンジ同様、ワーロックの再生能力のおかげですぐに動ける程度までは回復したユウト。

 だが、


「かは……ッ!」


「神座!」

 凌駕はそうはいかない。彼の鎧は完膚なきまでに破壊され、ネビロスリングは火花を散らして砕け散った。

『凌駕! おい凌駕ぁ! しっかりしろよー!』

 篝が今にも泣きだしそうな震え声で彼の名前を叫ぶ。

『あわわ、こういう時はどっちコールすんだっけ? 1……1……ぜ、0?』

「……ッ、9だバカ、者が……」

 完全にテンパっている篝に凌駕は渾身の喝を入れた。

「よかった……」

 安堵するユウト。しかしそんな彼の胸倉を凌駕が掴んだ。重症とは思えない、強い力で。


「貴様……いい加減にしろよ?」


「ッ!?」

「宗像とは戦う覚悟ができて……相手が祝さんになった途端にこの様かッ!! ウ……ッ」

 らしくない怒号をあげた彼は、苦しそうに仰向けになった。


「……さっさと、戦え。止まっていては……何の改善にもならない。戦いの中で、お前の望みを、果たせ」


「……神座」

 何も言い返せなかった。

 こうなったのは全て、自分が迷ったせいだ。祝伊紗那と戦うことへの拒絶が、隙を生んでしまった。


「……わかった、よ」


 どこまでも半端な自分が嫌になる。

 無限に等しい可能性を持つワーロックになったって、吉野ユウトは何も成長していない。


(俺の、望み……)


 わかっていたはずだ。

 このまま止まっていても、状況が改善されることは決してない。

 だから――


 ユウトは拳を強く握りしめた。


「高山さん、君の能力で神座をデジタル化してここから逃げてくれ」

『私に命令すんなよな! ………………うーん……あーもうッ!! はい喜んで!』

 反射的にユウトに噛みついた篝だが、考え直して渋々了承した。

「悪いけど今は止血する所までしか余裕がない。御影を頼ってくれ」

 今も漂う煙の向こうから、仮面の魔法使いの気配が強まった気がした。ユウトは気を失った凌駕を、篝が潜む端末の近くまで寄せた。

『……その、……と、な』

「え?」

『ッッ! うっせー、バーカバーカ!』

「えぇ……」

 謎の罵倒の後、篝は自身の魔法で凌駕の体を電子化保存し、電脳の海に潜り込んだ。



「よし」

 視界が煙に覆われていても、今のユウトには敵が見えている。


『Cross Eclipse!!!!!!!!!!!!!!!』


 黒衣を纏ったユウトは右手に顕現した拳銃を握りしめ、気配を消して仮面の魔法使いに迫った。

 だがこの程度で相手が後れを取ることはない。なんといっても相手は自分よりも理想写しの使い方を熟知している。

「はあああああああああああッ!」

「ッ!!」

 こんな生きるか死ぬかの瀬戸際にいるのに、ユウトの思考は限界以上に冴えわたっていた。


 正確に。精密に。照準を合わせて黒銃の引き金を引く。


 スローに見える弾丸が、相手の仮面の頬を掠り、フードを突き破った。

 後ろに引っ張られるようにバランスを崩した仮面の魔法使い。しかし、鮮やかな回転で隙を生むことなく復帰し、両手の剣を構えた。

「返してもらうぞ」

「!!」


『Trick』


 瞬間、仮面の魔法使いの手から双銃剣が消えた。


『Eclipse Blade Overdrive!!』


 仮面の魔法使いがしたように、ユウトも二本の銃剣にそれぞれメモリーを差し込み、極大の魔力を爆発させた。

 危険を感じた仮面の魔法使いはすかさずメモリーを取り出そうとするが、その手を背後から掴む者がいた。


「捕まえた!」


 ニヤリと笑みを浮かべた飛角は傷だらけなのにも関わらず、仮面の動きを止めている。

「やれ! ユウト!!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 乾いた音と火花が散った。

 両腕を開くように放った十字斬りを、仮面の魔法使いはギリギリで避けたのだ。そして飛角の気がユウトに逸れた一瞬の隙を突いて、急いで彼女から離れた。

「……ッ、野郎ぉ」

「大丈夫か!」

 ユウトがすぐに倒れた飛角のカバーに入った。




 ――パキッ。




 何かが割れる音。

 仮面の魔法使いが顔を押さえている。その手のひらから白い欠片がポロポロと零れ落ちていた。どうやらさっきの火花は仮面に掠った時のものだったようだ。

 パキッと再び乾いた音が鳴り、大きな欠片が二~三個地面に落ちた。


 仮面が――割れた。


 ユウトは息を飲んだ。

 何故か?

 理由はわからない。けど何となく、彼の直感が取り返しのつかないことをしてしまったと叫んでいる。


「ようやく素顔をご対面ってわけ――え……」

「ッ!!!!」


 飛角は言葉を失った。

 仮面を失った魔法使い。が立ち上がった瞬間に、その顔が見えてしまった。


 その目をよく知っている。

 その鼻をよく知っている。

 その口をよく知っている。


 むしろ知らない所など一つもない。


……」


 驚きを隠せず、彼女は交互にを見た。


「……」


 赤い瞳は光を失い、機械のように立ち尽くす黒衣の少年。




 彼の名は吉野ユウト。

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