第77話 幻影 -NO NAME-

・1・


「~♪」

『……随分上機嫌ですね』

「ん~、そうかい?」

 飛角は通信越しに聞こえてくる御影の不機嫌な声にクスっと笑った。


***


――――早朝。


「昨夜はお楽しみでしたね」

「うわッ!! 何だ飛角か……びっくりした」

 店の外で缶コーヒーを飲んでいたユウトが、胸を撫でおろした。

「何だとは失礼だな。こんな美女とお話できてるんだ。もっと喜べよぉ」

「自分で言うか普通……」

 彼は呆れ顔だ。そんな顔もまた、飛角にとっては新鮮で愛おしい。

「わかってないなぁ。こういうのは言葉にしてなんぼなのさ」

「まぁ……かわいいのは認めるけどさ」

「……ッッッ」

 急な不意打ちに、口から心臓が飛び出そうになった。頬が熱い。悔しいが、今自分がどんな顔をしているのか容易に想像できてしまう。

「ん? どした?」

「い、いや、相変わらず罪な男だなと思ってさ………………いつか刺されるんじゃないか……」

 最後の言葉だけは相手に聞こえないように呟いた。

「?」

「よっと」

 飛角はユウトの横に座り、そのまま体重を預けて彼に寄りかかった。

「お、おい飛角」

千里ちさと

 彼女はユウトに言った。


「天城千里。私の本当の名前。他の被験者もだろうけど、リセットされたことで、こっちではあの研究に関わってない事になってる」


 だから名を名乗ることを許されている。

 別に未練など特になかった。形式上の死とはいえ、本人は生きているのだから儲けもんだと思っていた。

 しかしいざ名前が戻ってくると、飛角の中である欲が膨れ上がってしまった。


「お前には、私の本当の名前を知っていてほしいんだ」


 言いたいことを言い終えて、彼女は深く息を吐いた。

「飛――」

「千里だって言ってんだろうが」

 ドスのきいた声音がユウトの言葉を殺した。


「ふ~、これから長い付き合いになるんだ。二人っきりの時でいいからさ、千里って呼んでくれよ。なんかその方が特別感があっていいだろう?」


 愛くるしい猫のように、千里はグリグリと髪の毛をユウトに押し付ける。

「ち……千里?」

「むっ……何故疑問形?」

「いや……急に言われても……」

「ふふ……」


 こんな年下の男に、自分は今どんな情けない顔を晒しているのだろうか?


 けれど不思議と……、


(悪くない)


***


「さてと、いっちょ働いちゃいますかね」


 拳と拳を突き合わす。

 背中に現れた光の刻印と呼応して、魔獣を宿す少女の身体が変異していく。

 その脚力は地上最速と呼ばれるチーターさえ追い抜き、その腕力は万物を等しく粉砕する。

 今まで一本だった角は二本に増え、堅牢な鱗を纏った翼と尾が生えた。


 鬼化のさらに先。

 魔獣の頂に到達したこの技を名付けるなら――


「龍化」


 人から獣。さらにはそれさえ超越し、その爪を極限まで研ぎ澄ました彼女には、もはや壊せない物など存在しない。


・2・


 同時刻。

 別の場所では、連続した爆発がまるで花火のように乱れ咲いていた。


「はあああああああああああ!!」

「ハッ!!」


 神雷と神炎が互いを貪り合う。


「ぐ……ッ、ちょっと見ない間に随分強くなっちゃって……これはお姉ちゃんも本気出さないとマズいかも」

「何? 負けた時の言い訳のつもり?」

 刹那は挑発じみた笑みを浮かべる。

「カッチーン」

 その挑発にあえて乗ったのか、均衡状態だった鍔迫り合いを強引に振り払い、燕儀は二本の焔の巨腕を合わせハンマーのように振り下ろした。

「ッッ!!」

 対して刹那は雷の剣翼全てを操作し、迫って来る腕を空中で縫い留める。

「やるね」


 これでお互いに、武器を一つずつ失った事になる。


 刹那は足元に稲妻を集中させ、超電導リニアのように滑走路を駆けた。燕儀も同じように足元の空気を爆発させ、ロケットエンジンのような加速を得る。

 もう何度目になるか。

 建御雷と迦具土。二つの神の刃がぶつかる度に、天災の如き暴風が吹き荒れ、空港のみならず、海上都市全体を震撼させた。


「うぐ……ッ」

 さっきは挑発してみせたが、正直いっぱいいっぱいだ。

 刹那は奥歯を強く噛みしめ、剣を握る手に渾身の力を籠める。するとガッと音を立てて、少女たちの身体がいきなり海水に覆われた。

「「!?」」

 足元の崩壊が限界に達し、決して分厚くない海上都市のプレートに穴が開いたのだ。

 態勢を崩して海中に沈んでいく燕儀。しかし水の中にあっても彼女の焔が消えることはない。

 狙った展開ではないが、これは刹那にとってまたとない好機だ。

「ッ!!」

 それを察した燕儀の表情は、一層険しくなる。


(一気に決める!)


 刹那は全身全霊の雷を海中で解放した。

 海水は電気を通す。通常、そのまま分散し威力は落ちるが、伊弉諾の力で底上げされた刹那の雷にそんな些細なことは関係ない。

 海中では絶対回避不可能な攻撃が、燕儀に襲い掛かった。

「!!」

 だが燕儀も黙ってやられるつもりはない。突然、彼女の周りが爆発した。

(なっ!?)

 違う。神炎が一瞬で水を燃やし、気化させたのだ。これでは空気の層が海水を押しのけ、雷が燕儀まで届かない。

 溢れ出た空気が上を目指すのに乗じて、燕儀は海中から逃げるように飛び出した。

「ごほっ……ごほっ……今のは、危なかったぁ……」

 今まで常に余裕を見せていた彼女が、明らかに肩で息をしていた。ここまで弱った彼女を刹那は見たことがない。また同時に、そうさせたのが自分なのだという確かな手ごたえを感じた。


「ッ……そろそろ降参してもいいのよ、姉さん」


「冗談。姉に勝てる妹なんて……いないんだよん♪」


 まだ十分に回復しきっていないはずなのに、燕儀の手にある底なしの焔が巨大な大剣を形作っていく。

「負けられないの…………私は、絶対負けちゃダメなんだよ」

 強迫観念にも呪いにも似た言葉が、少女の口から零れ落ちた。

 もはや彼女は刹那の知る『橘燕儀』ではない。


 ――『断刃無たちばな燕儀』


 人を殺すことに特化した御巫の影。その最後の生き残りだ。


「灰燼一閃!!」


 ようやく手が届きそうになった背中が、さらに加速していく。

 全てを焼き尽くす極大の焔。まるで太陽そのものだ。


「落ちろおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 燕儀の喉が潰れそうなほどの叫びが木霊した。

 だが刹那は臆さない。


「私だって、負けられない理由があるのよ!」


 いつまでも、その背中を追うだけなんてまっぴらだ。

 それにあいつユウトが、全ての命を助けると決めたから。

 その横に立っていたい。


「雷斬!!」


 目が釘付けになるほど煌煌とした銀の一閃。

 向こうが太陽ならば、こちらはさながら月だ。


 対極にして同質の力と力がぶつかり合う。

 お互いの意地を賭けて。


・3・


「はっ!!」

「あぁッ!!」


 刹那と燕儀の戦いの影響か、雨が降り始めた空でユウトと冬馬の戦いは続く。

「ああああああああああああああああああッ!!!!」

 獣のように、二人は互いに内に溜まった全てをぶつけ続ける。


「冬馬! お前は本当に伊紗那を助けるために、他の命全てを見捨てる気か!?」

「俺はただ、あの頃に戻すだけだ! 誰も不幸にならない!」

「そのために全ての命を弄ぶなら、やってることは同じだろうが!!」


 数え切れないほど剣を交えた末、ユウトの刃に亀裂が走った。

(……ッ、やっぱりあのメモリーがないと、今の冬馬には……)

 ワイズマンの力は、ワーロックに匹敵する。全力を出せない今のユウトでは、どうしても後手に回ってしまうのだ。


「例え夢幻でも……誰も侵すことのできない俺たちの幸せな世界。あの刀ならそれができる!」


 冬馬の一振りで、ついにユウトの白刀が砕け散った。同時に纏が切れて、ユウトは落ちていく。

「俺がこうしてワイズマンの力を使い続ければ、いずれ伊弉冉の適合率はあいつおやじより俺の方が上回る。あと少しなんだ……身内の問題に首を突っ込むな!」

「ぐ……ッ!!」


『Drain Bios ... Mix!!』


 咄嗟に召還した生命力に満ち溢れた大槌を、ユウトは地面に叩きつけた。

 すると地面があちこちで隆起し、首長の龍に形を変える。次々とそのあぎとは冬馬の翼に噛みついた。

「ッ!!」

 翼を噛み切るところまではいかないが、動きを止めただけで十分だ。

 左手に意識を集中させ、ユウトは理想写しの籠手を概念喰いに変形させた。今はすでに強欲の呪いの力は奪われ、シンジの武器となっている。だからこれは見た目だけの張りぼてだ。かつてのような全てを蹂躙したくなる黒い感情が沸き起こることはない。

 しかしユウトのワーロックとしての力は、かつての機能だけは忠実に再現していた。


 つまりは、相手の力を強奪する力だ。


『Extraction Doom Discharge ...』


 概念喰いに喰わせたメモリーが、刃に充填されていく。

「冬馬ああああああああああああああ!!」

 龍の首を伝って冬馬を目指す。


『Exterminate』


「ユウトおおおおおおおおおおおおお!!」


『Execution ... Fire!!』


 無理な態勢から強引に、冬馬は両刃剣を振り上げた。

 二人の刃は交わることなく、ユウトの刃は冬馬の翼を喰い千切り、冬馬の刃はユウトの胸板を切り裂いた。


 声にならない痛みに悶え、そのまま二人は血を吐きながら、重力に掴まった。


・4・


「う……ッ」

 数秒気を失っていたらしい。目覚めたユウトはすぐに起き上がった。

「……ッ」

 体が勝手に胸の傷を治癒しようと熱を放っているが、思うように進まない。これもワイズマンの力なのだろうか?

 すでに冬馬は膝を付き、ワイズマンの鎧を解除していた。

「この、頑固者が……」

「……お前には言われたくないな」

 二人は苦しそうにしながらも、小さく笑った。

 お互いに、戦いを再開するにしても少し時間が必要だった。


「本当にもう……方法がないのか?」


 だから、今だけはこうして言葉を交わせる。

「ここは親父の作り出した、親父にとって都合のいい世界だ。この世界にいる限り、俺らに平穏はねえよ」

 冬馬は断言した。

「誰かがもう一回、親父や伊紗那と同じことをする必要があるんだ。なら、その役目は俺が適任だろ?」

 雨でびしょ濡れの彼は、そう言ってユウトに同意を求めた。

 自分の体はもう長くない。だからこその有効活用。冬馬は何度もそう口にしていた。

「でも――」



「うわああああッ!!」

「おおおおおおお!!」


 そんな時突然、二人の前にシンジとロウガが降ってきた。

「シンジ!?」

 鈍い音を立てて地面に叩きつけられた二人は、かなり弱っていた。

「んにゃろう……」

「刃が……届かん」


 遅れて宗像一心が仰々しく、少し離れた場所に降り立った。


「そろそろわかっただろう? この世界で私に歯向かうことが、どんなに愚かな行為かということを」


 その言葉に、シンジが不敵な笑みを見せる。

「この世界……ね、ならこいつはどうかな?」


『Extraction Penetrate』


 概念喰いに染み込ませた空間切断の能力で、シンジは何もない虚空を切り裂いた。

 直後、彼を中心とした半径三十メートルほどの


「これは……」


(空間が、裏返った!?)

 隣り合わせに存在する全くの別世界を強引に引き寄せる。

 やってることは無茶苦茶だが、無限に等しい魔力を持つワーロックなら決して不可能ではない。

 紛れもなく今この範囲内だけは、どこか別の時間、別の位相だ。


「ちょっと喋りすぎたね。ずっと観察してたんだ。あんたの能力範囲は世界限定。これでその妙な能力は使えないはずだよ?」


 シンジは概念喰いをライフルに変形させ、背中の大型メモリーを突き刺した。


『Exterminate ............ Violation』


 黒より黒い、邪悪な魔力が銃口に収束していく。


「……小癪な真似を」

「じゃあね」

 シンジが引き金を引いた瞬間、一心の口元が吊り上がった。

「だが、Zeroだけが私の力ではない」

 一心が伊弉冉に触れようとしたその瞬間、



 裏返った世界が強制的に引き戻された。



「「ッ!?」」

 湾曲した景色が揺れ、一瞬平衡感覚がおかしくなる。眩暈に似た感覚だ。

「な、何だ……」

 一心がやったのかどうかはわからない。少なくとも因果律操作は使えなかったはずだ。

 そして、すでに撃ち出されたシンジの弾丸は止まらない。真っ直ぐ、彼の心臓めがけて飛んでいく。


 しかし、さっきまで誰もいなかったシンジと一心の間には、誰かが立っていた。


 その人物は左拳で弾丸を殴りつけると、軽々とその軌道を明後日の方向にずらしてしまった。

「な……ッ、嘘……」

「誰だあいつは」


 黒いフードを被っていたその人物は、ゆっくりとユウトたちの方を向く。


「うそ……だろ……ッ」


 ユウトは思わず驚きの声を漏らす。その風貌には覚えがある。ありすぎる。

 横にいる冬馬ですら、驚きを隠せていなかった。



 黒いフード。

 理想写し。

 そして………………仮面。



 かつてユウトたちと相対した最強の魔法使い。


 そして最後にはユウトに希望を託した少女の半身。


「何で……お前が……」


 仮面の魔法使いがそこには立っていた。

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