第76話 理想の境界線 -Turning Point-

・1・


「やぁ」

「……」


 まるで仲の良い友達に挨拶するように、神凪夜白は笑顔でアリサに片手を振った。

 飛行場の内と外では、今まさにそれぞれの戦いが繰り広げられている。そして、アリサの戦いの場はこの無人ターミナルだ。


「正直、君とは仲良くなれると思うんだ」

「悪い冗談ですね。不愉快です」

 アリサは拳大のキューブ型魔道具・パンドラを拳銃に変形させ、その銃口を夜白に向けた。

「はぁ……」


 最初に動いたのは夜白だった。


 左右に素早く動き、アリサの照準を翻弄する。

「ッ!!」

 あの細い体からはとても想像できない俊敏すぎる動き。弾丸は彼女に当たることなく、無意味に床を抉る。アリサが五発目の弾を撃ち終わった所で、夜白は途中にあったエスカレーターの影に身を隠した。

 魔力を弾とするパンドラなら、あの程度の障害物すぐにハチの巣にできる。しかしこの場合、一瞬でも夜白本人が見えなくなることが問題だった。


「上ッ!!」


 足元の影の変化で、アリサは彼女が上のフロアから飛び降りてきたことを察した。

「ハッ!」

 落下速度を乗せた夜白の蹴りを、アリサは右に転がって回避する。そして起き上がりと同時に、横凪に発砲した。

 しかし、すでに目と鼻の先まで接近していた夜白は最小の動きでそれを交わす。拳銃は一定の距離を保っていれば最強の武器だが、逆に接近されるとその優位性は極端に落ちる。銃口の向きと引き金にかかった指さえ意識していれば、弾が当たることはないからだ。

 ここまで来ると、片手が銃で埋まっているアリサの方がむしろ不利になる。

 夜白はそのままアリサを押し倒した。

「ぐ……ッ」

 どちらが上を取るか。お互い組み合いになりながらも、アリサは引き金を引く。しかし、ほとんどゼロ距離での発砲が夜白に当たることはない。銃口が何度夜白の額を捉えても、彼女の手はすぐさまそれをわずかに、確実にずらしているのだ。


 ついにアリサにマウントポジションを取った夜白。しかし、アリサは足を蹴り上げ、彼女を視界の上へ追いやった。その後すぐに身を反転させるが、徹底的に密着してくる夜白から適度な間合いが取れない。

 夜白はアリサの太ももに巻いてあるホルスターからサバイバルナイフを奪い、それを突き立てる。しかし、アリサも彼女と同じようにナイフの軌道を掌底でずらした。


 銃と刃の速すぎる攻防が続く。

 どちらかが決定的な隙を見せれば、それが致命傷になるのは目に見えていた。


 そしてついに両者はお互いの右手首をガシッと掴んで得物の自由を奪い、向かい合った。


「ハハ、やるね」

「あなたこそ……その身のこなし、本当に戦いは専門外なんですか?」


 反発しあう磁石のように、二人は大きく距離を取った。

 やっと掴んだ最適な間合い。しかし、すでにアリサの優位性は瓦解し始めた。


『Perfect Thrones』


 ネビロスリングを発動させた夜白が、天輪の鎧を身に纏う。

(あれは……厄介ですね)

 彼女の周囲を漂う巨大な歯車が回転する度、キリキリと音を立てて景色が軋む。空気を通じて、電気が走ったような痛みが肌を刺す。きっともう、距離という概念そのものに意味がなくなっている。

「残念だよ。君と僕はよく似ている。分かり合えると思ったんだけどな」

 夜白が全く見当違いな方向に投げ捨てたナイフが、滑走路が映る電子モニターに突き刺さる。するとモニターは内部から破裂するように飛び散った。明らかに何か別の力が付与されている。

 しかし、アリサは臆さない。


「あなたが知っているのは、過去の私です」

「……?」


 遠見アリサはキューブ型に戻したパンドラを前に突き出した。

 衣服をすり抜け、少女の背中に光の刻印が浮かび上がる。

 自分とユウトが繋がっている証。


「私はもう……」


 独り善がりの救済はもう捨てた。背負った罪からも目を背けたりしない。

 今はただ、手を離した瞬間に遠くへ行ってしまいそうな彼の隣で戦いたい。

 一緒に。


「私はもう、一人なんかじゃない! 魔装!!」 


 膨張した空気がターミナルのガラスを破砕し、黒き殻が少女の体を包み込む。


 パンドラ。

 この箱には命を刈り取る全ての武器さいやくが内包されている。


 彼女は今まさに、パンドラが持つ千の武器ぜつぼう、その内に秘められた唯一最上の神装きぼうに指をかける。


・2・


「さ、ユウトはどっちと遊ぶ?」

 シンジは誰と戦うのか、ユウトに尋ねてきた。

 ロウガか、一心か。刹那の援護に向かうか。それとも……


「冬馬、前に俺に言ったよな?」


 ユウトは静かに口を開く。

「人間は損得感情だけでは動かない。大事なのは自分がどうしたいかだって」

「……」


?」


 敵としてではなく、友として。

 冬馬にこの問いだけは投げかける必要がある。


「もう……後には引けないんだ」


 彼はそう答えた。言葉に悪意はない。しかしそれが逆にユウトの心に棘となって突き刺さる。

「だったら……もう止めたりしない」

 宗像冬馬は、理想だった。

 勝とうなどと考えたことは一度もない。吉野ユウトはただ横に並びたいと願い、その背中を永遠に追い続けるだけの機械。それでよかった。

 前に出ることなど、あってはならなかった。

 だからこれは一線を越える行為。ユウトが真の意味で、変わらなければならない瞬間だ。


「今から全力で、俺が憧れたお前を倒してこっちに連れ戻す!!」


 もう二度と失わないために。

 理想に焦がれるだけだったあの日より強くなるしかない。


『Blade Dupe ... Mix!!』


 二つのメモリーを組み合わせ、ユウトの白銀の刃は枝葉のように伸びてその質量を増していく。刃を幾重にも重ね、巨大な一太刀を作り上げた。


『Lost Lucifer』


 対する冬馬は白き悪に染まった六枚羽を携え、静かに剣を握った。


「行くぞ冬馬ぁぁぁぁぁ!!」

「おおおおおおおおおお!!」


 二つの白。二つの翼が、大空を駆け巡る。


・3・

 

「ふむ……そろそろか」

「何が?」

 二人が飛び立ったのを見届けて、一心は不敵に笑った。


「君の好敵手さ」


 一心が向かい入れるように背後に手を伸ばすと、ちょうど一人の少年が歩いてやってきた。

「君は……」

「今度こそ、お前をぶっ倒す」

 皆城タカオは、一心から受け取った白い鍵を取り出す。そしてそれをネビロスリングに差し込んだ。


『Ignite Zeruchゼルク


 彼を包むのは、冬馬同様に魔力に満ちた白き鎧。全身を走る赤いエネルギー流動経路はまるで血管のように、装着者の力を限界以上に呼び起こす。

 そしてその全ては右腕に収束していた。

「へぇ……君もよくやるねぇ」

 感心を通り越して、シンジはもはや呆れていた。

「その力、ただの人間が扱うには――」



 直後、シンジの右腕が肩口から吹き飛んだ。



「ッ!?」

 その拳は光を超えた。

 一撃の拳圧だけでも滑走路が崩壊し、あまりの威力で吹き飛ばされたシンジの右腕は瞬時に塵と化す。

 しかし、シンジが動じることはない。彼の傷口からはすぐに新たな筋肉繊維が伸び、元通りの腕を形成していく。

「……タカオ、だったけ?」

 ざわつく心臓を握り潰しそうな勢いで、シンジは自分の胸を掴む。自分が今、どうしようもないほど興奮していることに気付けていない。


「何だろうね、この気持ち……君みたいに懲りずに何度も挑んでくるやつは珍しいからさ、もう中途半端に倒すだけじゃ物足りない。僕の中で、今すぐ徹底的に叩きのめしたいって気持ちがどんどん強くなってくる……君、最高だよ!!」


 狂気に満ちたシンジの身体からは、かつてないほどの黒いオーラが噴き出し始めた。


「このイカレ野郎が……だったら今度はその面思いっきり――ぐ……っ、ああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」


 タカオが急に崩れ落ち、その場でのたうち回り始めた。

 先ほど拳を放った彼の右腕を、今にも肉を溶かしてしまいそうなほどの高熱が襲い掛かったのだ。

「う、ぐ……ッッッッ!!」

 強靭な精神力で何とか意識を保ててはいるが、もうこれ以上動けるようには見えない。


「ふむ……まだワイズマンの力が馴染んでいないか」

 一心は落胆の眼差しでタカオを見下ろすと、シンジと向かい合った。

「申し訳ない。彼には今しばらく時間が必要なようだ」

「……ま、いいさ。おかげで楽しみが増えた。でも今はあんただ」

 シンジは指を差して舌なめずりをした。

「君はどうする?」

 同時にロウガに尋ねる。

「手を貸せと?」

 その瞳はあり得ないと断言していた。主を打倒したシンジは、ロウガにとって最優先すべき獲物なのだから。


「だったらどっちが先にあいつを仕留めるか、勝負といこうか。上手くいけば、僕の寝首を掻けるかもしれないよ?」

「……いいだろう。せいぜい気を抜かないことだ」

 シンジとロウガが共に、刃の切っ先を一心に向ける。

 これ以上ない最強の二人が、一心に狙いを定めた。しかし、それでも彼は一切焦ることはない。自分が負けることなど微塵も心配していない。


「この世界にはどうあっても覆せない秩序ルールがある。この私が君たちに、社会の厳しさを少しだけレクチャーするとしよう」


 一心は腰に差した刀の柄を撫でた。

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