第73話 堕ちた翼 -Lost Lucifer-

・1・


「冬馬……何で……」

「……ッ」

 冬馬は口を閉ざしたままだ。一心は彼を一瞥だけして言った。

「では冬馬、わかっているな?」

「……あぁ」


 およそ親子とは思えない凍てついた会話。

 一心が刀の柄に触れると、その体が薄れ始めた。あの時と同じ、存在そのものを消し去る転移術。一度消えると一切の追跡が不可能になる。

「待てッ!」

 ユウトは黒の大弓を素早く召還するが、わずかに遅かった。


「ッ!? おい飛角、タカオとミズキはどうした?」

「え、ちゃんと私の後ろに……ってあれ?」


 後ろで慌てる声に、ユウトは振り返る。

「タカオ、ミズキ」

 そこに二人の姿はない。誰もそのことを今の今まで認識できずにいた。一心とまったく同じだ。

「しまった。狙いはあの二人かッ!」

 凌駕は顔をしかめた。そして目の前に立ちはだかる冬馬を見据え、自ら作り出したネビロスリングを突き出した。

「おい神座、相手は冬馬だぞ!?」

「いつまで生温いことを言っている! また仲間を失いたいのか?」

「それは……ッ!」

 ユウトは何も言い返せなかった。確かに彼の言葉は正しい。今は冬馬を殴ってでも二人の居場所を聞き出すのが先決だ。だが……。

「神座の言う通りだ。ちゃっちゃと終わらせるぞ」

 冬馬もネビロスリングとそれに装填するキーを構えた。

(……何だあれ? 前使ってたのと違う)

 以前の黒緑と違い、今彼が持っているのは真っ白な鍵だ。

「私も……く……ッッ!」

 刹那も前に出ようとしたが、急に襲いかかってきた苦痛に表情を歪ませて、その場に膝をついた。

「やめておけ。まだ魔装の負荷が残っている」

 伊弉諾は彼女の肩に手を置いて言った。

「もう……肝心な時に」

「雑念を排して余の焔に意識を集中させろ。少しは治りが早まる」

 刹那は小さく頷いた。どうやら一心を退けたあの状態は、刹那でも無制限に使えるものではないらしい。



「ファースト・オペレーション。データを取れ。高山篝」

「あいよー」

 凌駕はネビロスリングにキーを差し込んだ。


『Ready ...... Archimedes Open』


 頭上に現れた精巧なキューブ型オブジェが分裂した。凌駕の体を覆い、鎧を形成していく。左腕には理想写しを連想させるような籠手を装備している。神凪夜白のものと違い無駄な装飾は一切なく、普通の戦術武装のような機能美を感じるデザインだ。

「おっけー。安定してるぞー。ま、私が調整したんだから当然だけどな! むふー」

 後ろで端末を弄りながら篝がふんぞり返った。


 だがその時、大量のガラスが割れるような音が同時多発的に発生した。そしてそれに続くように雪崩れ込む獣の猛り声。


「げぇ……魔獣はお呼びじゃないぞ」

「ッ! 今となっては不思議ではないか……吉野ユウト! 宗像は任せたぞ」

「援護します」

 アリサが後方支援を引き受け、凌駕は魔獣の群れと相対した。



「……くそッ! やるしかないのか」

 こうなったらもう下がれない。ユウトも覚悟を決めて大型のメモリーを理想写しに差し込んだ。


『Unlimited』


 極大の魔力がユウトを包む。伊紗那の持つ、ワーロックの力の半分を内包したメモリー。まといのような個に特化した鎧は生み出せないが、この状態でのメモリーの力は数段以上に跳ね上がる。

「……」

 冬馬も同じようにネビロスリングを起動する。


『Ready ...... Lost Lucifer Open』


「!!」

 頭上に現れたのは以前見た悪魔ではなく――天使だ。

 天使のオブジェは六枚羽を大きく展開し、彼を包み込んだ。眩い光の中から現れたのは神聖なる白騎士。系統は冬馬が以前使用していた黒騎士と同じだが、あの時とは比べ物にならない力――否、違和感をユウトは感じた。


「行くぞ」


・2・


 必殺と必殺が激しくぶつかり合う。

 冬馬の武器は二本の長剣。どちらも規格外のオーラを纏い、神格に近い領域に踏み込んでいた。あれでは魔剣や聖剣と言われても不思議ではない。ユウトは強化された自身の白刀が、わずかに軋む音を聞いた。

(なんだ、この力……ッ!)

 以前の冬馬にはここまでの力はなかった。

(まるで……)

「はぁッ!」

 冬馬は巧みな剣捌きで、途切れることのない連撃を繰り出す。

(ッ! こっちも二本いる!)

 初撃を紙一重で躱し、ユウトはあえて懐に潜り込みながら二本目のメモリーを使った。


『Blade Eclipse ......... Mix!!』


 すでに召還した白刀に黒の魔力を合わせ、白と黒、プラスとマイナスの力を持つ双銃剣を作り上げる。メモリーの組み合わせはそれこそ無限大だが、これが現状最も安定して、信頼できる組み合わせだ。

 二人は同時に踏み込み、再び激しくぶつかり合う。

 力はほぼ互角。お互い一歩も譲らない。

 しかし今度はユウトの手の中で、二本の剣が唸りをあげた。ワーロックの魔力を糧とした黒と白が相克し、まったく新たな力となって爆発的な増大を始めたのだ。

 極小の超新星の如きその力で、ユウトは冬馬を強引に押し返した。


「ぐっ……なかなかやるようになったじゃないか。だがどんなに取り繕っても、所詮は他人の空真似だ。お前の力じゃない」

「うるさい!」


 冬馬は二本の剣のかしら同士を繋げ、両刃剣へと変形させた。何度かこの目で見た、彼の得意とする得物だ。

「悪いがこっちも……負けられないんだ」

 一言そう言い捨てて、ネビロスリングの鍵を一度回す。


『Execution ... Fire!!』


 魔力の限定解除リミットブレイク。鎧に貯蔵されていた魔力が光を帯び、洪水のように武具へと流れていく。一気に決める気だ。

(やっぱりこの力……ッ!)

 さっきからずっと考えていた懸念は確信となった。危険を感じたユウトも同じように二本の剣を合体させ、大弓を組み上げた。


『Blade Eclipse Overdrive!!』


 矢とするのは相克から生まれし無双の光。ユウトが持ちうる最大火力だ。

 軌道はわずかに上にする。でなければ冬馬を巻き込み、海上都市の半分が消えてしまうだろう。

 真正面からねじ伏せるのではなく、周りに被害が出ないように軌道をずらす。必要なのは適切な力とタイミングだ。

(あいつが振り抜いた……その直後だ)



 だが、お互いに終幕の引き金を引くことはなかった。



「……ぐっ!?」

 冬馬が急に崩れ落ちたのだ。使用者の危険を感じ取ったのか、鎧は形を維持できなくなり霧散した。そしてそこに苦痛にもがく親友の顔が見えた。

「う、ああああああああッ!!」

「冬馬!!」

 武器を捨て、ユウトはがむしゃらに彼の元に走った。まず外傷がないか確認したが、服に血が滲んでいる様子はない。

「ん?」

 だが魔力を目で捉える魔道士の赤瞳は、冬馬の服の下、左腕から鎖骨に向かって妙な線が伸びているのを見つけた。

「悪い。服、破くぞ」

 ユウトは躊躇わず彼のシャツを破き、その上半身を露わにさせた。

「……ッ!? 冬馬、お前……」


 伸びていたのは線ではなく、だった。


「……気に、するな。これは……ッ、前からだ。ッ……まぁこいつのせいでだいぶ酷くなっちまったがな」

 冬馬はさっきまで使っていた白い鍵を見せた。


「やっぱりそれ、ワイズマンの力だな?」


 人工的に作り上げた魔道士の力。それは言葉で表現するなら、複数の魔力たましいが強引に、そして完全以上に調和された『究極の個』にして『無』だ。

(……ひどすぎる)

 伊弉冉を使う宗像一心が特別すぎるだけで、こんな力、絶対に人が使っていいものではない。おぞましすぎる。

「お前、そんなものまで使ってどうして――」


「伊紗那を、守るためだッ!」


「ッ!!」

 一瞬、頭の中が真っ白になった。その隙に冬馬はユウトの顔面を思いっきり殴り飛ばした。

「ぐ……っ!」

 視界が明滅し、倒れた拍子に自分の半身ともいえるUnlimitedメモリーを落としてしまうユウト。それを拾った冬馬は、そのままおぼつかない足でこの場を去ろうとした。

「……待て。待てよ冬馬!!」

 ユウトの大声に、冬馬は背を向けたまま立ち止まる。

 殴られた怒り、メモリーを奪われたことさえどうでもよかった。

 そんなものより今は大事なことがある。


「あいつは……伊紗那は生きてるのか!?」


「……」

 しかし、冬馬は答えない。

「答えろ……よ……く……ッ」


 急に視界が狭まる。上下の感覚を失ったユウトは、そのままただ堕ちていった。


・3・


「あいつ、何をやっている!?」

 迫りくる魔獣に裏拳を喰らわせ、頭蓋が粉砕する音を直に感じながら凌駕は後方を確認した。どうやら何かあったらしい。

「だいぶ数は減らしたが……」

 数匹抜かれてしまったが、それはアリサが対処した。負傷者はいない。

 だが余裕があるわけではない。すでに視界右上のエナジーゲージは危険域に達していた。本来、夜白たちが扱うネビロスリングは、エクスピア本社にあるモーメントから永続的に魔力供給を受けることが可能だが、凌駕の腕輪にはその機能がないのだ。

「一気に片を付ける」

 凌駕は腕輪に差さった鍵を回す。


『Execution』


 左手に光の螺旋を生み、それを魔獣の群れへと投げた。小型の竜巻はまるでそれ自体が意思を持ったかのような複雑な動きで、魔獣の群れを蹂躙していく。

 そして最後には凌駕の元へ舞い戻った。彼がその小さな螺旋を握り潰すと、ネビロスリングにわずかばかりの魔力が補填された。

「アルキメデス……いい出来だ。問題は燃費か」

 鎧を解除した凌駕はそう言って、皆の元へ駆けだした。


***


「メモリーを奪われただと!?」

 凌駕の怒鳴り声が店内に響いた。

(この男の甘さを想定しておくべきだった)

 彼は気を失って長椅子で横になっているユウトを見下ろす。

「確かあれには、祝さんの力の半分が内臓されているという話だったな?」

 つまりはワーロックの力の半分だ。それだけでもどれほどの魔力を宿しているのか、想像すらできない。

「……Yes。私もそう聞いています」

 凌駕の問いに御影がコクンと頷いた。

「……」

 なればこそ頭が痛くなる。宗像一心との決戦を目前にして、まさかこんなことで最大戦力を失うとは考えもしなかったからだ。


(他のメモリーがあるとはいえ、ロウガ……それにシンジ。とても半端な力で対抗できるとは思えない)


 先の決戦を見ていれば、誰だってそう考えるはずだ。いずれも完成された強さを持つ猛者ばかりだ。


「端的に問おう。鳶谷御影、代えのメモリーを作ることは可能か?」

「……難しいですね」

 そう言って御影はユウトのメモリーを五本ほど、机の上に並べた。

「ちょっと待ってください。何故あなたがメモリーを?」

 アリサが不審に思って彼女を問いただす。

「……さっき彼のポケットから拝借しました。それが何か?」

「「……」」

 店に戻った後、傷を受けたユウトを彼女が処置していた。きっとその時だ。

 アリサと刹那は訝しむような目で御影を見つめる。飛角はクスクスと端で笑っていた。

「……こほん。理由は二つです」

 御影はごまかすように咳払いをして、右手の人差し指と中指をピンと伸ばす。


「……一つは奪われたメモリーと同じだけの魔力そざいが用意できないこと。これは言うまでもありませんが」


 御影も自分で言って状況を再度認識したのか、深いため息を吐いた。しかしどんなに状況が絶望的でも、彼女は考えることを諦めはしない。

 思考することは、彼女の領分たたかいだ。


「そしてもう一つは――」


 カラン。


 その時、店の扉が開く音がした。先ほどの一心のことがある。全員が最大の警戒をした。

 しかし、今度は敵ではなかった。


「……タカオさん」


 一同が目にしたのは、眠っているミズキを抱きかかえるタカオの姿だった。

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