第70話 隠世 -Jail of the souls-
・1・
「刹――」
その名を口にするよりも先に、御巫刹那はユウトの胸に飛びついた。
「……せ、刹那?」
あまりに唐突すぎて、ユウトは動揺する。
「いいから……ちょっとだけ、こうさせて……」
そう言って彼女はただ、ユウトの体をギュッと強く抱きしめた。
不思議な感覚だった。まるで世界から切り離されたように、刹那の鼓動と体温だけを感じる。
「……よかった」
「ッ!」
泣き出しそうな彼女の声が耳元で聞こえ、温かな息遣いと感触はずっと張り詰めっぱなしだった少年の緊張の糸を徐々にほぐしていった。
(ありがとう……)
こうして側にいてくれるだけで、とても安心できる。今のユウトにはこの上ない救いだった。
……のだが、
「ニヤニヤ」
「ニヤニヤ」
そんなユウトたちをニヤついた笑みで見守る篝とタカオ。あの凌駕さえも額に手を当てて呆れる始末。
「~~ッ」
不意にユウトは自分の頬がじんわりと熱くなる感覚を覚えた。安心とは別の何か。否が応でも意識してしまう。
(……し、心臓に悪い)
***
しばらくして、落ち着いた刹那と共にユウトたちはシャングリラに戻った。店の前ではちょうどアリサとミズキが話をしており、ユウトたちに気付くと二人は揃ってドカドカと足音を鳴らしてこちらへ向かってきた。
「タカオ! 大丈夫なの!?」
ボロボロのタカオを見てミズキの顔は青ざめていた。あれだけの戦いの中、この程度で済んだのはほとんど奇跡だ。
「大丈夫大丈夫。生きてるのが不思議なくらいだけどな」
「……もう……こっちの方が生きた心地しないわよ……バカ」
いつもの彼女なら蹴りの一つでも飛んできそうなところだが、ミズキは小さくそう呟くとタカオに無言で肩を貸した。
アリサもユウトと刹那の元に駆け寄ってくる。
「ご無事ですか? ッ……!?」
彼女はユウトを見て何か気付いたのか、心配そうにユウトの頬を冷えた手でそっと触れた。
「ユウトさん、顔が赤いです。もしかして彼らに何かされたんじゃ……ッ!」
「え……」
喋る間もなく、ボッと少女の左手に小さな黒い炎が灯る。
「悪い所はどこですか? 大抵の魔法・呪術の類なら、私の炎で滅却できます」
「いや……これは……ッ!」
「大丈夫です。今度こそ私がきっちりとお守りしますから」
彼女の考えは至極まっとうなものだ。間違いなくあの戦場にいた誰しもが、異次元の強さを有した猛者ばかりだった。ワーロックであるということが特別ではなくなるほどに。
生き残りのネフィリムに最悪のワーロック。そしてユウトを含め、それら全てを圧倒した宗像一心の正体不明の力。むしろ何もないと考える方が難しいだろう。
だが、ユウトはふと思う。
(……言えない。刹那に抱き着かれたからなんて……絶対に言ってはダメな気がする)
なんとなく、少年の直感はそう強く警告していた。
・2・
「だいたいの状況は把握してるわ。その上で今後の方針を決めましょう」
刹那が仕切るように言った。
ユウト、アリサ、御影、飛角、ロシャード、タカオ、ミズキ、神座兄妹、篝。店内はすっかり大所帯となり、各々好きな場所に座って彼女の言葉に耳を傾ける。
「そうね。とりあえず私が勝手なことをしないように、しっかりと見張っておくことをお勧めするわ」
刹那から対角線上の壁に背を預けて立っている逆神夜泉は、含みのある言い方をした。
「あなた、逆神さん……よね? どういう意味? とういか何でここに」
「あー、これにはいろいろと深い事情が――」
『待て主様。その娘、少し妙だ』
ユウトが彼女との複雑な関係をどう説明しようか悩んでいる最中、この場にいない者の声が店内に響き渡った。
「おぇっ!? ゆ、幽霊か!?」
篝がビクンと飛び跳ねる。
『誰が幽霊だ』
「あ、ちょっとあんたッ!」
急に刹那の妖刀・
「余はここにいる」
皆が声が出ないほど驚いて呆然とする中、伊弉諾は鋭い隻眼で篝を見下している。だが当の彼女はというと……
「……刀が……美少年に……しかも眼帯……ブハッ!」
何故か鼻血を出して幸せそうな顔をしていた。
「ふん……」
伊弉諾はそれ以上篝に興味を失ったのか、刹那の隣にストッと腰かけた。その一挙手一投足に誰もが目を離せなかった。まるで目の前で獰猛な肉食獣が徘徊しているような極限の緊張感だ。
「あーもう。あんたはまた勝手に出てきて……」
「嫌なら余を完全に掌握してみせろ。さっきの魔装、何だあの体たらくは? 3……いや2割も力を出せてないではないか。余の使い手なら、最低でももう片方を持つあの娘くらいには力をつけてもらわなければ困るぞ」
「はぁ……わかってるわよそんなこと。で、何が妙なの?」
伊弉諾の言葉に刹那は少しムッとしながらも、ため息を吐いて本題を聞いた。
「うむ。そこの娘、
彼の言葉に全員が首を傾げるが、夜泉だけは違った。真剣な面持ちで伊弉諾を見ている。いや、睨んでいた。
「あれは心臓を掴まれているのと同じだ。大方完全に蘇らせる条件として、今の所有者に手駒として扱われているのだろう」
「驚いた……」
夜泉は目を見開いて驚いていた。自分の置かれた状況をこうも簡単に見透かされるとは夢にも思っていなかったのだろう。
「ちょ、ちょっと待って。蘇らせるって……伊弉冉ってそんなこともできるの?」
刹那も仰天した声で聞いた。どうやら彼女もあの伊弉冉という妖刀についての知識はほとんどないようだ。
「無理もない。古くから御巫が余を。伊弉冉は別の一族が祭ることとなっている。互いに近づけさせないためにな」
そう付け加えた上で、伊弉諾は続ける。
「結論から言えば、伊弉冉に死した魂を蘇らせる力はない。あれが持つのは本物をいとも容易く塗り潰すほどの
「ッ!!」
彼の言葉に、全員に戦慄が走った。
「お、おい……それって……ならつまり、この世界そのものが……」
タカオは緊張のあまり、額に一筋の汗を垂らす。彼だけではない。全員に心当たりが一つだけあった。
伊弉諾は真実を口にする。
「そうだ。この世界はあやつの
・3・
「伊弉冉が作った新たな
凌駕は顎に指を当てて、伊弉諾の言葉の意味を思案していた。
ここにいる何人かは知っているが、前の世界は祝伊紗那――たった一人の少女が望んだ世界だった。きっとあの世界が生まれた時にも、同じようなことが起こったのだろう。
そして今回のリセットは贄として伊紗那自身が何らかの形で利用された。彼女がこの世界に存在しないのはそのためだ。
「いつから気付いてたの?」
「最初からだが?」
刹那の問いに、伊弉諾は不思議そうに答えた。
「何で教えてくれなかったのよ!? そんな大事なこと!!」
「聞かれなかったからな。そもそもとうの昔に神体を失った余がこうして受肉している。これは本来ありえないことだ。あれの幻が作用していると何故気付かん?」
「わかるかッ!!」
刹那の鋭いツッコミが伊弉諾に炸裂した。
「つまり、今私たちのいるこの世界は、伊弉冉という存在に作られた一種のバーチャル・リアリティー。そしてこの世界では真の意味での死は存在せず、彼女のように死んだ者が蘇るのは、あくまでデータの復元ということか?」
凌駕は伊弉諾の言葉から、そう結論付けた。
確かに破壊された街並みが元に戻った理由も『復元』という言葉なら説明がつく。一心のあの力も。
「……ばー、ちゃる? でーた? ……うむ、まぁそういうことだ。隠世の中での死は厳密には死ではない。魂が伊弉冉に縛られているからだ。あれは万物の母にして死の象徴。生への執着には果てがないからな。そこな娘のように幻で器さえ作れば他と何もかわらん」
全員の視線が夜泉へと注がれた。彼女は肩をすくめた。
「彼の言う通りよ。私は一度死んでる。アリサちゃんなら知っているでしょう?」
「……はい」
「ユウトくんを監視する役目はあくまで私の意志で動いてた。そうすることで私という駒は彼にとって価値があったのよ。でも今はそれがない。私の魂はまだあの男に握られている。私の魔法も、意思も彼の指先一つで操作されてしまう」
(だからさっきあんなことを……)
ゆっくり、夜泉はユウトの前まで歩いてきた。そしてこう言った。
「だからもしもの時は、遠慮なく私を殺してくれても構わないわ。大丈夫。もう一回死んでるわけだし……それに彼の言ったようにこの世界での死は――」
「ふざけるなッ!!」
「ッ!!」
ピクッと肩を震わせた夜泉の両肩をユウトは思いっきり掴んだ。
「何がもしもだッ!! 何が殺してもいいだッ!! 一回死んでるからってカッコつけるなよ! 死ぬのが大丈夫なわけないだろ!!」
「……」
珍しくユウトは怒鳴っていた。全員、言葉を失った。
「助けてほしいならそう言えよ!!」
これ以上ない剣幕で、ユウトは夜泉の顔を真正面から覗き込む。
彼女はいつも肝心な所をひらりと華麗に交わす。けれど今回ばかりは絶対に逃がすつもりはない。
「……ユウト、くん」
彼女の瞳に次第にじわじわと涙が滲んでいく。そして昼の一戦の時とは違い、今度は彼女の本当の言葉が零れ落ちた。
「たす……けて……。お願い……ッ……」
その言葉を聞いて、ユウトは夜泉の頭を優しく撫でた。
「当たり前だ。例えお前が断ったって、きっちり助けてやるさ」
「えぇ……」
「「「「じー」」」」
ふと、ユウトは背中に複数の視線が突き刺さる感覚に襲われた。
「えっと……何でしょうか?」
視線の主たる彼女たちを見て、思わず敬語になってしまうユウト。
「……ずいぶんと彼女には甘いですね」
御影はそっぽを向き、
「かわいい彼女だもんね」
飛角は意味ありげにぼやき、
「待って。彼女って何? え、初耳なんだけど」
刹那は指先から稲光を迸らせ、
「……監視じゃなかったんですか?」
アリサは暗い目をして腰のパンドラに指先を沿わせた。
「いや、だから何度も言ってるように夜泉を助けるのはそういう理由じゃなくてだな……」
(あれぇ……何でみんな急に機嫌が悪くなるんだ?)
夜泉の状況を考えれば、助けるのは当然。見捨てる理由はない。ユウトはそう考えていた。
だがそんなことはお構いなしに、彼女たちはどんどんユウトに詰め寄ってくる。
「た、タカオ。お前からも何か言ってくれよ!」
ユウトは縋るような目でタカオを見るが、
「さって、俺らは作戦会議を続行するかなぁ。差し当たっては伊弉冉を持ってる宗像一心だ」
「はいはいはーい! 夜泉ちゃん助けるならその刀奪えばいいんじゃない?」
「メシウマメシウマ」
彼は奏音と篝と話しながら速足で去っていく。
「……ミズキ」
「はぁ……ユウト。前々から思ってはいたけど、アンタ一回くらい痛い目見た方がいいわよ?」
ミズキは可哀そうな子を見るような目で見てくる。
「……かむ、くら」
「知らん」
目すら合わせてもらえなかった。
こうなったらと望みは薄だが伊弉諾にも、
「去ね」
速攻で拒否された。
「……待遇の改善を要求します」
「昼間あんなに濃厚なキスをしてやったのに……」
「きききき、キスッ!?」
「……カチッ(セーフティを解除する音)」
(ダメだ……全員目が据わってる……)
「よ、夜泉、さん……」
ユウトは最後の頼みとして、本人に説得してもらおうと考えた。
「うふふ……やっぱり諦めるなんてできそうにないわね。大好きよ。ユウトくん」
「……ッ」
火に油を注がれただけだった。
でも、彼女の表情からはすっかり涙が消えていた。
「……はは」
ユウトは諦めて、ゆっくりと後ろを振り返った。
「「「「ユウト(さん)ッ!!」」」」
――恋する乙女は、時に最強さえも容易に超えてしまうのだ。
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