第64話 平穏に抗う反逆の灯 -Rebellion Souls-

・1・


 朝日が窓から差し込む。


「……ッ」

 うたた寝から目覚めた宗像冬馬むなかたとうまは倦怠感を拭い去れず、そのままソファーに体を埋めるように自分の体重を預けた。

「何、が……ここ……は?」

 突然景色が変わった……ような気がする。まるで誰かに頭を殴られ、夢から無理矢理覚めたような、とても胸糞悪い気分だ。


「……ん」


 ふと、左肩にわずかな体重を感じることに冬馬は気が付いた。

「イスカ……ちゃん」

 とある実験のためだけに生まれ、失敗作の烙印を押され、のちの実験で見た目に反した身体能力をその身に宿してしまった小柄で白髪の少女。彼女は猫のように体を丸めて冬馬に寄りかかっている。

「ん……とーま?」

 イスカは冬馬の言葉で目を覚ました。寝ぼけ眼で回りを見渡し、可愛らしく首を傾げた。

「……あれ? ここ、どこ?」

「見たところ、エクスピア本社にある俺の部屋、かな?」

 疑問形。これには理由がある。

 自分の知る限り、父——宗像一心と決別したあの日から、ここにはもう何年も戻っていなかったはずなのだ。ここは冬馬にとってあまりいい思い出のない場所だから。

 だがベッドの清潔感はもちろん、内装や家具に至るまで埃一つない。まるで昨日まで使われていたように掃除が行き届いていた。


「とーまのお家……オモチカエリ?」

 今度は逆方向に首を傾げるイスカ。当然だが彼女もここに至るまでの覚えがないらしい。

「はは……冗談きついぜ」

 ほんとに色々笑えない状況に思える。少し記憶に靄がかかっているが、それでも確信がある。間違いなく数秒前まで、自分たちは学園にいたはずだ。

(移動系の魔法? いや、日は沈んでた……今はどう見ても朝だ。なら幻の類か? そんなことができるのは——)

 伸びた糸を手繰るように少年の記憶が呼び戻される。


「伊紗那!!」


 冬馬は弾かれる様にソファーから飛び起きた。携帯端末を開き、連絡帳を勢いよくスライドさせる。一刻も早く彼女と連絡を取りたかったからだ。

 何か、嫌な予感がする。

「……ッ!?」

 だが冬馬の指はピタリと止まる。彼は端末を投げ捨て、テーブルに置かれたPCを起動し、そこから少々手荒な手段でエクスピアのデータバンクにアクセスを試みた。

 エクスピア・コーポレーションは海上都市で最も大きな総合企業だ。この街に住む以上、必ずどこかのデータベースには名前が残っているはず。

 だが。

「……ほんと、何の冗談だこれ」


 見つからない。





 その時、カチっとシャワールームのロックが解除した音がした。


 冬馬は思わず身構える。この部屋にもう一人、誰かいる。

 ゆっくりと取っ手が回り、扉が開いていく。


「やぁ冬馬。いい朝だね。シャワー、先に頂いたよ?」


 触れれば簡単に折れてしまいそうなほど細身の肢体。シャワーで濡れた体はまだ完全には乾いていないのか、湿った白髪は火照った白い肌に張り付いていた。

 タオル一枚だけを首にかけ、中性的な顔立ちの虚ろな女性は冬馬に微笑みかける。


「……夜白」


 そこにいたのは、神凪夜白かみなぎやしろだった。


・2・


「本当に大丈夫? 今日のあなた、どこか変よ?」

 いつもと変わらない。久遠学園へと向かう道。夜泉はユウトの横で、心配そうに尋ねた。

「……ちょっと、まだ寝ぼけてるのかもな」

 ユウトは額に手を当てて、そう答えた。

 頭痛ではなく、どちらかというと酔っているような気分だ。言葉ではうまく言えないが、何かが噛み合わない。意識と体がズレている。そんな違和感が今もなお付きまとう。


「あら、それは今朝のアレだけでは足りなかったという意味かしら?」


 突然、夜泉が正面から抱き着いて、ユウトの顔を覗き込んできた。

「ッ!?」

「うふふ、冗談よ」

 彼女は至近距離で彼氏の反応を楽しむと、回した腕をほどき、再び定位置に戻る。そして歩きながら、ユウトの肩に頭を乗せてきた。


「あ、吉野くんと逆神さんだ」

「今日も清々しいほどのベストカップルねぇ……」

「ベストカップルも何も、海上都市最強の魔法使いと、あの蒼の歌姫ブルー・ディーヴァだぜ?……ぢぐじょぉぉッ!!」


 そんな二人に、周囲の学生たちは揃って羨望の眼差しを向ける。

 誰もがユウトたちの仲を認め、誰もがユウトたちに尊敬の念を抱いている。

 今この瞬間において、吉野ユウトと逆神夜泉という存在は完全に舞台上の主役だった。


(……蒼の歌姫?)

 聞き覚えがない言葉——のように感じた。違和感はさらに加速する。

(何なんだ……この感覚……)


 朝、彼女の笑顔を見て。

 一緒に登校して。

 それで——


(それで……俺は……)

 あともう少しの所で思考にノイズが入る。

 そんな彼の苦悩を断ち切るように、夜泉の声が聞こえた。

「今度またライブをすることになったの。もちろん、あなたも来てくれるわよね? チケットはいつも通り用意するから」

「あ、あぁ……ありがとう。行くよ」

「えぇ」

 夜泉の端麗な顔が一瞬綻ぶ。そして思い出したように、彼女はユウトにこう尋ねた。


「そうだ。今朝ベットの横で見つけたのだけれど、これ……次のライブで身に着けてもいいかしら? ……きっと衣装のイメージに合うと思うの」


「ッッ!!」


 ガツンッ!! と、突然ユウトは後頭部をハンマーか何かで殴られたような衝撃を受けた。

 夜泉がカバンから取り出した水色のリボン。それを認識した瞬間、莫大な情報が脳を突き抜けた。



「……い、さ……な」



「え?」

 唇が勝手に言葉を紡いでいた。

「あ……いや……ッ」

 ユウトもどうして自分の口からその言葉が出てきたのかわからなかった。いやそれ以前に、何故かそれが少女の名だと認識している。

 しかも、とても大切だった——

「ハァ……それでこれ、頂いてもいいかしら?」

 彼氏のパッとしない反応にため息を吐き、もう一度夜泉はユウトに水色のリボンを見せる。

「……」

 ユウトは黙り込む。

 本来であれば断る理由は何もないはずだ。なのに、


(何でだ? なんか……嫌だ……)


 ユウトは彼女の手から、そのリボンを取り上げた。

「ちょっと」

「ごめん。これは俺にとって大切なもの……のような気がするんだ」

 理由はわからない。だが、この選択は正しい。その確信だけはあった。

 

「……そう。残念だわ」


 夜泉は肩を落としてしょんぼりするものの、すぐに機嫌を直してユウトの腕に手を回した。


「まぁいいわ。その代わり、今日はもっとユウトくんに甘えさせてもらおうかしら」


・3・


「……う……うあああああああああああああああああああああッ!!」


 なり振り構わず叫びをあげて、遠見アリサは悪夢から目覚めた。

「はぁ……はぁ……ここ、は……?」

 剥き出しのコンクリートに覆われた寂れた部屋。そこで彼女は、お世辞にもフカフカとは言えないベッドの上に横になっていた。

「……」

 ずっとうなされていたせいか汗だくで、血に汚れた白いシャツが肌にべっとり纏わりついてとても気持ち悪い。アリサは無意識にシャツのボタンに指をかけた。

 その時、


「あ、起きたのね」


「ッ!!」

 突然聞こえたその声に、アリサは瞬時に飛び起き、ベッドを背にして臨戦態勢を取った。

「ちょ……ッ、私よ。私!」

「あなたは……」

 燃える炎のような気性に飾られた美貌。長く綺麗な髪を後ろで一本に束ねた帯刀少女。アリサはその少女の名を口にする。

「御巫、刹那」

「あんたねぇ……刹那さんと呼びなさい刹那さんと。私より年下でしょ?」

「……」

 その言葉は無視して、アリサは一先ず戦闘態勢を解いた。

「ッ……相っ変わらず、可愛くないわね……」

 ピキピキと笑顔に皺を寄せ、引きつった声で刹那は不満を垂れ流していた。

 まだ気を許したわけではない。


 ここはまだの延長線上なのかもしれないのだから。


「どうして、私はここに?」

「あんた、覚えてないの?」

「え……」

 アリサは一度冷静になって思い出す。

 目を瞑って、深呼吸して、一つずつ。何があったのかを。


***


 伊弉冉によって作られた、遠見アリサのためだけの悪夢の世界。

 そこで少女は『ありえたかもしれない自分』と出会った。

 何の罪もない。血に汚れてもいない。普通の少女。ただ自分があの世界に来た、それだけの理由で命を失った、ありえたかもしれない自分自身に。

 それを自覚した瞬間、アリサの中で何かが音を立てて崩れ落ちた気がした。

 必死に引き金を引き、悪夢を振り払おうとした。そうすることしか彼女にはできなかったのだ。

 しかし、もう一人の遠見アリサの力はあまりにも強大だった。決してアリサの力が劣っていたわけではない。


 ただ、彼女のたがは外れてしまっていたのだ。


 自分の身すら喰らう消滅の黒炎。失うものが何もない彼女は、一切の躊躇なく、ただ遠見アリサを殺すためだけにその力を行使した。自分の力に恐怖心を持って今までセーブしてきたアリサでは、限界以上に引き出された同質の力に勝てるわけもなかった。だから、


 逃げて——逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて。


 黒く、どこまでも平坦な世界をアリサはとにかく逃げ続けた。

 そしてとうとう足が動かなくなって、逃げることができなくなったアリサの目の前で、



 



 そこから現れたのは、同じくあの場で悪夢へと落とされた桐島秋斗。そして御巫刹那だった。


***


「秋斗さん……」


 思い出した。


 ガクッと体から力が抜け、アリサはその場に崩れ落ちた。

「思い出したみたいね。何であんな場所にいたのかは知らないけど、少しは私に感謝してもいいのよ? あと……あいつにも」

 刹那が持つ伊弉諾は、唯一伊弉冉に対抗しうるだけの力を持つ。

 脱出不可能のあの世界からこうして今抜け出せているのは、その刃で世界に風穴を開けたからだ。


 そしてもう一つ。桐島秋斗の犠牲。


 秋斗はアリサを悪夢から逃がすため、もう一人のアリサを抑え込んだ。例え体を貫かれても、炎に身を焼かれても。決して彼女を離さなかった。

 そもそも彼にそんなものは意味がない。


『この命はもうとっくの昔に失くしている。だからこういう役目は、俺でいい』


 それが彼の最後の言葉だった。

 伊紗那によって生み出された虚像は、たった一人の少女を守るためにその命を使い切ることを選んだのだ。

(……私は……また……)

 アリサは蹲って動かなくなる。刹那はそんな彼女を見てため息を吐いた。

「気持ちは察するけど……あんた、ずっとそうしているつもり? あいつがそんなことのためにあんたの命を繋いだとは思えないけど?」

「あなたに……何がわかるっていうんですか?」

 瞬く間もなく、アリサは刹那に掴みかかり、その喉元にナイフを突き立てた。

「あなたに! 私の何が……ッ!!」

 アリサは心に溜まった泥を吐き出すように怒鳴った。どうやらカーミラから受け取った血の力はまだ少しだけ有効のようだ。人一人を壁に押し付けるくらい造作もなかった。


「わかんないわよ、そんなの」


「ッ!!」

 自分を見下ろすその凛とした瞳が、暗く濁った自分の眼を映し出す。刃を突き付けてるのはこちらのはずなのに、胸に突き刺さる。

「私はただ、今のこの変な状況をどうにかしたいだけ。アリサ、あんたはどうするの?」

「……」

 正直、アリサは刹那のことが大嫌いだ。ユウトの側にいて、彼に戦う術を教える彼女が疎ましかったからだ。大人しく守られてくれていればそれでよかったのに、彼女のせいで気付けば自分が守られる側になってしまった。

(これじゃああの時と何にも変わってない)

 それが理由で一度は闇討ちしたこともある。

 刹那に自分を助ける理由はない。むしろ恨まれてもおかしくない。それなのに、


 今の彼女からは微塵も敵意を感じられない。


 アリサはゆっくりと、刹那の胸倉を掴む手を離した。

「落ち着いた?」

 刹那は乱れた服を整えて、アリサに問いかけた。まるで野良猫をあやす様な扱いにアリサは少々ムッとする。

(落ち着いてなんていない……私はまだ、何もできてない。一人でやりきるって決めたのに……結局いつも……誰かに助けられてばかり)

 目頭が熱くなった。悔しくて仕方がない。

 彼の横を歩いて、あの場に立って。

 しかし結局、好きな人一人さえ満足に守れない自分が心底嫌い。


 アリサは武器をしまうと、刹那に面と向かいあった。ほとんど睨めつけるような形相で。


「……不愉快です。けど……話を聞きましょう」


 まだ諦めない。少女の瞳に強い光が戻った。


「OK。あんたにはまず年上に対する礼儀から教えてあげようかしら……ッ!」


 同じ少年を想う二人の少女の視線が火花を散らす。

 やはりこの女とは生涯わかり合うことはないだろう。無意識に、お互いがお互いを敵視している。きっと彼女も同じはずだ。アリサはそう思った。

 だが、悔しいが今の自分には必要な存在だ。

 

 この一点でのみ、アリサは彼女を信頼することができる。

 彼を守るためなら、何だって使ってやる。今までだってそうしてきた。

 アリサは今、再び腹を括った。


(例え全ての可能性わたしが私を否定しても、もう立ち止まらない。もう迷わない。秋斗さんが繋いでくれたこの命……絶対に無駄になんてしない)


 これは全て自分自身のわがまま。そんなことはわかっている。

 今更後悔なんてしない。できない。






 世界に抗う反逆の炎がここに二つ。小さな光を灯し始めた。

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