第62話 輪廻転生 -Reset-

・1・


「……ウ……さ……」


 声が聞こえた。


「……ト!」


 一人じゃない。

 体を揺さぶられ、ユウトの意識はゆっくりと引き上げられる。


「……仕方ありません。最後の手段を実行します」

「それは私がやる。ちょっと嬉しそうにしてんなよこのムッツリさんめ」

「……ッ、医学に精通する私がやるのは当然」


 二人の声が言い争っている間に、ユウトの頬にそっと冷たい手が触れた。

「ユウ……」

「……ん、う……ここ、は……」

 ユウトが目を開けると、祝伊紗那の顔がこれ以上ないほど近くに迫っていた。


「「ちょっと待て!!」」


「わっ……」

 彼女の両肩を、鳶谷御影と飛角が勢いよく掴んで引き戻す。

「まったく、油断も隙もありゃしない」

「……抜け駆け赦すまじ」

「別に……私は、そんなつもりは」

 伊紗那はあははと空笑いしながら両手を挙げた。けど、その顔はどこか口惜しそうにも見えた。


「ここは久遠学園のキャンプだ」


 宗像冬馬は木に背を預けて座りながら、ユウトに答えた。彼の膝を枕代わりにして、イスカは静かに眠っている。

「学園……」

 ユウトは周囲を見渡す。冬馬の言う通り、広い校庭にはたくさんの仮設テントが組み上がっているが、その光景には確かに見覚えがあった。

「伊紗那が力を使って、俺たちを運んでくれなかったらマジで危なかったぜ」

 冬馬が疲れた表情でそう言った。彼もまた連戦に次ぐ連戦を潜り抜けてここにいる。その疲労は底知れないはずだ。

「そうだ……ガイは!?」

「……」


 その問いに、誰も答えなかった。


 それが答えだった。

「ッ……そうか。タカオとミズキは?」

「……あちらで休んでいます」

 御影がここから三つ先のテントを指さした。

「ごめんなさい。あの人は元々外から来た人だから……伊弉冉いざなみの対象にはできなかったの」

 伊紗那がひどく申し訳なさそうにそう言った。ユウトは悄然とした彼女の頭に自然と手が伸びた。

「あ……」

「謝る必要はないさ。ガイは救えなかったけど……あいつと、そしてお前のおかげで、他は誰も死なずに済んだ」

「……うん」

 伊紗那はユウトの手を自分の両手で包む。


・2・


「そう……でも一先ずはみんな帰ってきてくれて嬉しいわ」


 ユウト、伊紗那、冬馬の三人は学園の保健室に移動した。そこではいくら避難所とはいえ、明らかに場違いな赤濡れの着物姿の吸血姫・カーミラが小さく笑みを見せた。

「で、伊紗那の具合はどうなんだ?」

 冬馬はカーミラに問う。ジャタ曰く、伊弉冉の力を使って世界をリセットした場合、歪に覚醒した今の伊紗那では負荷に耐えられず消滅してしまうらしい。ここに来るまでに彼女は何度か伊弉冉を使っている。確認するに越したことはない。

「そうね……」

 カーミラは保健室の先生のように椅子に腰かけ、対面の伊紗那の頬に触れた。そのままツーっと指を這わせ、下ろしていく。

「あの……ッ」

「まぁ、この程度なら問題ないでしょう。最悪問題があれば血を吸ってあげようとは考えていたけれど……そこの坊やがこの子の力の半分を奪ったおかげね」

 流し目で視線をユウトに送るカーミラ。

「……俺?」

「えぇ、いささか強引な手だけど……これも若さかしら?」

「「……ッ」」

 ユウトと伊紗那は同時に頬を染めた。

「そう言うあんたも相当若く見えるけど?」

 カーミラの言葉に安心したのか、冬馬はからかうように彼女に言った。

「あら、ウフフ。いくつになっても嬉しい言葉だわ」

「む……その反応。あんたホントはいくつなんだ?」

 カーミラは少し思案して、何を思ったのか、ニコニコしながら冬馬の耳に口を近づけて囁いた。

「……ッ!? マジかよ……」

 冬馬は絶句する。その表情を見て満足げなカーミラ。

「私とあなたたちでは根本的に体の作りが違うもの。犬や猫と同じように」

「あはは……私たちって犬猫なんだね」

 伊紗那は呆れ笑いをした。


「ところで伊紗那、悪いけどもう一回だけ伊弉冉を使えるか?」

 ユウトは唐突に彼女に聞いた。

「え……うん。まぁ小規模なら……あ、そっか。秋斗とアリサちゃん」

 ユウトは黙って頷く。あの二人は今も伊弉冉が作り出した閉鎖空間の中に閉じ込められているはずだ。助け出せるとすれば、それは作り出した本人だけだろう。

「アリサも秋斗も、刹那だって。まだまだやることはたくさんある。だから力を貸してくれ」

「うん。わかった」

 伊紗那はしっかりと強く頷いた。


「フフ……いいものね」

 カーミラは我が子を見守るような優しい表情で、ユウトたちを眺めていた。


・3・


「私ね……嬉しかったんだ」

「え?」


 月光に照らされた渡り廊下を歩きながら、ユウトの隣で歩く伊紗那は小さく呟いた。

「ユウが本当の私を見つけるって言ってくれたこと」

「あ、あれは……つい、勢いで……ッ」

 ユウトは今更ながら、その後の告白まがいの宣言を思い出して顔が熱くなった。

「全部、私のわがままで始まったことだから……現実を受け入れられなかった私にはこの力以外、何も残されてなかった。縋るしかなかった」

「伊紗那……」

「あはは……ごめん。言い訳だよね」


 まただ。またこの笑みだ。


 一夜にして世界を混沌に陥れた直接の原因は彼女にはない。けれど伊紗那はキャンプに来てからというもの、ずっとどこか一歩身を引いている。それは遠慮とも取れるが、ユウトにはそうは思えなかった。

 彼女は、全ての災厄の原因は自分にあるのだと思い込んでいる。

「伊紗那、俺は――」

「いいの」

 伊紗那はユウトの言葉を制した。


「それを聞いちゃったら……きっと私はまた甘えちゃうから。弱い私は、もうここで捨てたいの」


「……」

 言葉が出なかった。

 いや、きっとこの場合必要ないのだろう。彼女はもう後ろを向いていない。自分なりに一歩前へ進もうとしている。

 だからユウトはそんな彼女を守りたいと思える。何が悪くて、どう償えばいいのか。そんなものはわからない。けどこれから彼女が直面する辛く厳しい現実に寄り添い、一緒に乗り越えることはできる。

 それこそがユウトの理想としてきた「力」の形なのだから。


「あ、そうだ。これ」

「?」

 ユウトはポケットから、以前彼女にプレゼントした水色のリボンを取り出した。

「……これ!?」

 伊紗那の瞳に、これ以上ないほどわかりやすい歓喜の光が宿った。

 学園でもう一人の伊紗那の残滓を看取ったあの時、彼女はこのリボンを残していった。

 ようやく渡せる。いつしか自分と彼女を繋ぐこの宝物を。

「返さないとな」

「……うん!」

 ユウトの手から伊紗那は再びそれを受け取る。最高の笑みを浮かべ、あの時と同じように髪を結った。

(こうやって……一つずつ戻していけばいい)

 一つ、また一つ。ユウトは着実にかつての関係を取り戻し始めていた。


「それにしても……いいの、ユウ?」


 しかし、

「え、何が?」

 何のことだかわからずに、ユウトは首を傾げた。

「気付けば周りにはかわいい子ばっかり。私以外にも似たような口説き文句言ってたりしない? プレゼントあげたりとか……エッチなこととか……」

 伊紗那は可愛らしく頬を膨らませ、拗ねたような顔をしていた。

「ブッ!? ……いや、ないけど……」

「ふーん」

 信じていない目だ。微塵も。彼女がこんな風に拗ねたような顔をするのもユウトは初めて見た。まだまだ自分は彼女について本当に何も知らないのだと思い知らされる。

「どうしたんだよ藪から棒に」

 伊紗那が正面に立つ。月明かりに照らされた純白の髪が、明るく光って見えた。


「別に……フフ、ただ本当の私は、余裕なんてちっともなくて、独占欲が強くて、焼き餅だって焼いちゃうめんどくさい女なだけだよー」


 屈託のない笑顔で彼女はそう言った。

「何だよそれ」

 ユウトも釣られて笑顔になる。

「だから――」

 直後、伊紗那はユウトにしな垂れかかった。

「伊紗那?」


 始めは抱き着いてきたのかと、そう思った。


 


「!?」

 滑り気のある感触。覚えのある鼻を突く嫌な臭い。

「……血ッ……伊紗那!!」

「……う……」

 伊紗那は力なくユウトに寄りかかり、弱弱しい息を吐いた。


 


 ポタポタと、足元に赤い円が加速度的に増えていく。




「いやぁ……随分好き勝手にやってくれやがったなぁ、このガラクタ女」




「!!」

 いつの間にか、声の主はそこにいた。

 病的なまでに白い髪。白い肌。そして細い手足。患者が着る様な病衣を纏っていた。

「お前……誰だ!!」

 ユウトは力が抜けて、ぐったり重くなった伊紗那の体を抱き寄せて怒鳴った。

「あぁ? んなことどーでもいいだろうがよ。それより感謝してるぜ? その女をここまで弱らせてくれたことにはよぉ」

 中性的な外見だが、声や口調からしておそらく男だ。どことなくイスカに似ていた。

 白い少年は歪んだ笑みで二人を見下ろす。

「ずっと隙を狙ってたんだ。この体じゃ真正面からはさすがに無理だからなぁ」

 少年の右手が淡く発光を始めた。すると伊紗那の背中に刺さった剣が独りでに抜けて宙を舞い、少年の元に戻る。

 

「返してもらうぜ? 俺様の伊弉冉」


 肺を貫通したのか、吐血する伊紗那の胸元から球体状の何かが吐き出される。それは白い少年の手元に移ると、一振りの刀へと姿を変えた。

「……う……ユ、ご……ッ」

 ユウトに抱きかかえられた伊紗那は、彼の腕を弱弱しく掴み何かを口にするが、声が出ていない。出血がひどく、喉からは声よりも先に真っ赤な血が溢れでてくる。

「何で……傷が塞がらない」

 半減したとはいえワーロックの治癒能力は健在のはずだ。同一の力を持つユウトはそれをよく理解している。

「あぁ、ワーロックの力を頼ろうってなら無駄だぜ? クローンを作り出した研究者共は知らねーだろうが、人類最初のワーロックの細胞から培養されたこの体は少々特別でなぁ。魔力を抑制する力があるんだよ」

 少年が両手を広げて仰々しく答えた。

「てめぇッ!!」

 ユウトはこれ以上ないほどに憎悪に満ちた瞳で相手を睨み、籠手を展開した。

「おっと待て待て何でそうなる? そいつはネフィリムどもをけしかけ、この世界を恐怖のどん底に陥れた悪の権化だぞ? それに今日の俺様はお前らにご褒美をやろうと思ってここに来たんだ。少しは話を――」


『Cross Blade!!!!!!!!!!!!!!!』


 話すことなど何もない。二つの赤眼を輝かせ、問答無用で白銀の翼が駆ける。

「あーあ、最近の若いのには困ったもんだ。ったく、久しぶりに使ってみるか」

 少年の伊弉冉の一振りが空を斬る。同時にユウトの白刀がその華奢な身を切り裂いた。


 


「ぐ……ッ! がは……!?」

 切り裂かれたのはユウトの方だった。

(な、に……ッ!?)

夢幻弄むげんのたわむれ折雷さくいかづち。出来損ないのお前じゃ俺には届かねぇよ」

 何をされたのか全くわからなかった。状況だけ見るなら、まるで自分で自分を斬ったようだ。

「……うっ……こ、の……」

 伸ばした腕が少年の足を掴む。だがそれも幻。


「さて、これで伊弉冉ちゃんはこの手に戻った。はれて俺様は監視者の座に戻れるわけだ。感謝してるぜユウトくん♪ あ?」

 突然、雨が降り始めた。その勢いは一秒ごとにどんどん増していく。


「くっ……」

 ユウトは赤く濡れた伊紗那に向って手を伸ばした。

 勝てないことは今ので理解できた。なら、一秒でも早く彼女を安全な場所に送り届けなければならない。

「……ッ」

 伊紗那もその手に触れようと、必死に自分の手を伸ばす。


「美しい愛情だ。ほら、あと少しだ。頑張れよ」

 白い少年はその姿を滑稽そうに眺め、地べたを這う二人の横を場違いに行き来する。

「ネフィリムの登場は正直俺様も予想外だった。あいつらは完全に異物イレギュラーだからな。伊弉冉によって創られた世界は言っちまえば隔絶された檻のようなもんだ。本来入ってこれないはずなんだが……」

(もう……少し……)

「でもまぁお前らはそれを粗方片づけてくれた。まだ一匹残ってるが、生贄を使えばギリギリ許容範囲内だ。だからよぉ、ご褒美として

 ユウトの耳元で少年は囁く。


「壊れた世界も、人も、物も全部!! あるべき理想の形に!!」


 少年は伊弉冉の刃に、もう片方の伊紗那の血がべっとりと付いた剣を擦り付け、鏡のような刀身を彼女の血で赤く染めあげた。

 そして、呪詞を唱える。


「夢幻弄・外法。輪廻転生」


 血に濡れた伊弉冉が紅く輝き始める。

「……や、めろ……」

 それは強すぎて、逆に不快感を感じてしまうほどのギラついた輝き。


 光はユウトたち二人を飲み込み。

 学園を飲み込み。

 海上都市を飲み込み。

 世界を飲み込んだ。


「……伊、紗那」

 伸ばした手はあと少しで届く。

 あと五センチ。

 肩を前に出し、身を乗り出せば触れられる。


 なのに――

 

 彼女は笑っていた。こんな時まで。


「待てよ……」


 やめろ。そんな顔をしないでくれ。


「まだ俺は……お前に! 何も!!」


 そんな作り物の笑顔で終わらせたくない。

 そんな顔が見たかったんじゃない。


「……ユウ……」


 やめてくれ。


「……生きて」

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


 その笑顔が――




「もう会うこともないだろうが、せいぜい楽しくやってくれや」


 その声を最後に、世界は極彩色に包まれた。

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