第58話 紅と黒 -Which should be survived?-

・1・


 皆城タカオとワイアーム――いや、シャングリラの仲間であるガイはお互いに睨み合って動かない。

「……」

 空気が重い。いつも仲の良かったあの二人にこんな空気は似合わない。

 けれど、この緊迫した空気を自分が介することで壊してはいけない。そう思った。

 何故ならこれはあの二人だけの喧嘩だから。世界の運命を懸けた一戦でも、悪を滅ぼす英雄的行為でも何でもない。

 ただ、平行線の主義主張を強引にでも交わらせるための戦い。

(……今私がやるべきことは、二人の戦いを見守る事)

 不思議とそう思えて、ミズキは黙って二人を見ていた。


 静寂の中、始めに動いたのはタカオだった。


「……紅狼ベオウルフ


 タカオが小さくそう呟くと、彼の拳が燃え上がるように紅に染まった。拳だけではない。紅はそのまま全身に広がり、タカオの体からは凄まじい蒸気が噴出している。

「あつ……ッ! 何!?」

 離れた場所にいるミズキですら熱を感じる。タカオの体温は異常なほど上昇していた。

「……」

 それを見て、ガイは警戒を強くした。

 だが、


「遅ぇよ!」

「ッ!?」


 次の瞬間、十メートルはゆうにあった二人の距離が一瞬にして狭まった。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 赤き灼熱がガイの腹部を抉り、もはや爆発と言っても過言ではない衝撃波が彼の背後を駆け抜けた。

「ぐ……ッ!! がぁ……!!」

 ガイは堪らず膝をついた。

「もういっちょッ!」

 丁度いい位置に落ちてきたガイの頭部に、タカオは追撃の回し蹴りをお見舞いした。

 その威力もやはり今までのタカオからは考えられないもので、ガイの巨体は為す術なく一直線に岩壁に激突した。


「すごい……」

 ミズキはただ息を飲んで、驚嘆の言葉を漏らした。

「どうした! 人間になるんじゃなかったのか! あぁ? その程度の覚悟ならさっさと折れちまえ!」

「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」

 瓦礫を綿のように軽々と吹き飛ばすガイ。

「黙れよッ!!」

 怒号を上げ、立ち上がった彼の全身を覆う龍麟が逆立ち、ミサイルのように射出された。

 雨のように降り注ぐ龍麟の大槍。その全てがダイアモンドすら凌ぐ高硬度を誇る。人間の肉など触れるだけで容易く切り裂いてしまうだろう。


 しかし、タカオは避けようとしなかった。


「タカオ!!」

 思わず叫ぶミズキ。だがタカオはそれでも動かない。それどころか拳を握って、後ろにゆっくりと引いていく。まるで、引き金を引く動作のようだ。


「そんなもん、もう俺にはきかねぇよ」


 その言葉は現実となる。

 タカオの拳が、最初に迫ってきた龍麟を粉々に砕き割ったのだ。

「ッ!?」

 それだけではない。続く龍麟の雨を先程見せた超スピードで全て掻い潜り、再びタカオの紅き鉄拳がガイに迫る。

「ぐ……ッ、おおおお!!」

 ガイの両手の平にある穴。全てを喰らう強欲の口がパクリと開くが、彼はそれを使うことを一瞬躊躇ったように見えた。その証拠にガイは開いた拳を固く閉じ、迫るタカオの拳に真っ向からぶつかった。


 ドンッッッッッッッッッッッッ!!


 耳をつんざき、心臓を揺さぶられるほどの振動が一帯に響いた。

 二人の体内を同時に走る衝撃は腕から足へと移動し、地割れを起こす。まるで地面が悲鳴を上げるかのように。


(いつもタカオが使ってる魔法じゃない)

 本来、タカオの魔法は自身の肉体を別の物質に変換する身体強化の一種。とはいえ何にでも変換できるわけではなく、その構造イメージを彼自身が常に明確に持っている必要がある。

 故にタカオは規則的な結晶構造で、かつ強固なダイアモンドを好んで使い、形状が常に変化する液体や気体などの流体は使用を避けている。それはミズキもガイも当然知っていることだ。

 単純な硬度の底上げであったならそこまで驚かない。タカオなら遅かれ早かれ何かしら改善するだろう。

 ミズキが驚いたのは、彼のだ。

 シンプル故に強力な『金剛の右腕』に、あんな進化は今までなかった。

(あいつ……あんなことできたっけ?)

 人の目にはほとんど瞬間移動に見える。秒速いくらか想像もできないその速さが、一撃の威力にさらに拍車をかけている。


「どうだ紅狼ベオウルフの味は? 元々、あの野郎にリベンジするために考えてた技だけどな」


 タカオは仰向けで倒れているガイに向ってそう言った。

「何で……ッ」

 あれだけくらってまだ動けるガイもさすがだが、それでも焦りのようなものは見て取れた。ここまで自分を翻弄するなど考えもしなかったのだろう。


「ダイアモンドの単結晶、ガラス繊維、ゲル……他にもいろいろ。不壊ふえを実現可能にする考えうる限りの肉体転換に加えて、エネルギーを得るために代謝機能もいじった。今の俺は限界まで引き上げたパワーとスピード、そしてそれを可能にする壊れない体を持ってるってわけだ。……まぁ、ちっとばかし熱いのが難点だがな」


「……」

 ミズキは少しだけ不安を感じていた。きっとあれはただ体を強化しているわけではない。そんな簡単な話ではない。

 人体パーツを別の素材で代用し、それでいてしっかり人間として機能させなくてはならない。言葉で言うのは簡単だが、肉体の改造には細心の注意と相当な知識が必要となるはずだ。

 少しでも設計を間違えれば、ただでは済まない。


「あいつ……増幅器ブースターを使っているのか」


 近くでイスカに支えられた冬馬が、驚いたような声でそう言った。

「増幅器……それって確か」

 かなり前に、ミズキはタカオやガイと共に久我山というリングブローカーと決闘をした。その際に久我山が最後の手段として用いた腕輪の拡張パーツ。確かその名前が増幅器ブースターだったはずだ。


「あれは腕輪の性能を向上させるために夜白が初期に開発した試作品だ。だけど、使用者の副作用が大きすぎる欠陥があって生産を止めた代物だぞ。一体どこで……ッ!?」


 冬馬が言葉を言い終えるよりも先に、ミズキが鋭い形相で彼の胸ぐらを掴んだ。

「……何よそれ」

 強く力を込めた両の手がどうしようもなく震える。

「あんた……人を何だと思ってるの?」

 自分の言葉だと思えないほど、憎しみに満ちた冷たい声。

「……」

 冬馬は何も言わない。ただ、ミズキの言葉を黙って受け入れていた。それが彼女は心底気に入らなかった。

 ユウトの親友だか何だか知らないが、胸を刺す怒りが抑えきれなかった。


「だいたいあんた達がルーンの腕輪さえ作らなけれ、ば……ッ!!」


 そこでミズキの言葉が止まった。何かが彼女を押しとどめた。

(……腕輪が、なかったら)

 ふと、考えてみる。


 果たして何か違っていただろうか?

 賽鐘ミズキは幸せだっただろうか?


(……違う)

 そんなことありえない。だって、自分で言ったことだ。


『この出会いを魔法のおかげにするのはちょっと悔しいでしょ?』


 思い出してしまった。レヴィルの事件の時、悩んでいたユウトにミズキはそう言ったことを。

 どんなに今が苦しくても。どんなにこの男を憎んでも。


 あの言葉だけには嘘をつけない。絶対に。


「あぁ……もうッ!!」

「う……ッ!」

 ミズキは強引に冬馬を突き放して背中を向けた。

「どうして……。直接の原因ではないにしろ、あんたには俺を責める権利がある」

「勘違いしないで。ちょっと……こっちにも怒るに怒れない事情があるのよ。ユウトに感謝するのね。それに……あんたにはタカオの再生治療の借りもあるし……」

 本当に不本意だが、偉そうにユウトに言ってしまった手前、堪えるしかない。

「何でそこであいつが出てくるのかは知らないが、まぁそういうことなら」

 張り詰めていた冬馬の声が少しだけ和らいだ。


「タカオ、言ってた」

 そんな時、イスカが唐突に言葉を発した。

「え?」


『副作用? 上等じゃねぇか。そんなの何もできずに友達を失う事に比べたらちっとも怖くねーよ』


「……ッ、はぁ……」

 その言葉に、ミズキはひどく深いため息を吐いた。

(ちくしょう……もう何も言えないじゃない、バカ……大バカ……超絶バカ)

 彼女のその溜息には、どこか安心にも似たものが垣間見えた。


・2・


「……ん……」

 静寂の中、遠見アリサの意識は覚醒した。

「うっ……」

 アリサは額に手を当てた。

 酷い頭痛と眩暈だ。まるで船酔いでもしたようにフワフワして気持ち悪い。上下左右の間隔が完全におかしくなっていた。

「ここは……」

 暗い。どこまでも広く感じるのに、どこまでも黒一色。アメリカ映画によく出てくる、ひたすら平坦でどこまでも続くハイウェイもびっくりの起伏のなさ。

 文字通りの何もない世界が、世界の果てまで続いていた。


「私……確か伊紗那さんの刀で……」

 一メートル先さえ危ういほど暗いのに、不思議と自分の手や足ははっきりと見える。もちろん頭上に灯になりそうな物はない。

「どうなってるの?」

 どこか別の場所に飛ばされてしまったのか。あるいは向こうの術中にはまってしまったのか。

 どちらにせよ、速やかにここから出る必要があった。

「ユウトさんを……一人にしちゃ……うッ」

 まだ体が言う事を聞かない。

「私が、あの人を……」





「ッ!?」

 突然、その声は世界中に響き渡った。

 消え入りそうなほど弱い声なのに、その声はアリサの脳を揺らす。耳を塞いでも無駄だった。


「負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた負けた」


 壊れたテレビのように怨嗟の声が何十にも重なり合う。

「ぐ……ッ、あた、まが……誰!?」

 アリサはあっちこっちに銃を乱射し、声を黙らせようとした。だが当然、謎の声の主に銃弾が当たることはないし、銃声すら声に塗りつぶされる始末。

「……ッ!」

 アリサはその場から逃げるように走った。走り続けた。

 あるはずのない出口を求めて。



 あれから何分立ったのか? 時間の感覚が薄れてきた頃に、ようやくその声はピタリと止まった。

「はぁ……はぁ……ッ!」

 どうやっても逃れられない声に精神的にかなり追い詰められた少女は、信じられないほど大量の汗を流し、膝をついて息を切らしていた。


「憎いよ」


 ふと、背後に人の気配を感じた。

 アリサは勢いよく振り返り、銃を構える。


 そして絶句した。


「ッ!!」

 ありえない。いや、あっていいはずがない。

 目を限界まで見開いて、その存在を凝視した。しかしどれだけ見ても、嘘や幻には見えない強い存在感があった。


「私はあなたに負けた。あの世界にあなたが立っていられるのが何よりの証拠。一つの世界に、同じ命は二つも存在できない。存在の弱い方は世界に殺される」


「あ、あああああああッ!!」


 同じ顔、同じ声。


「その結果がこれ。あなたは私から全てを奪った。私はあなたに全てを奪われた」


 白のブラウスに紺のスカート。学園の制服だろうか? どこからどう見ても可愛らしいはずの少女が、アリサには酷く恐ろしく見えた。

 テレビの中の悪党はいつもこんな気持ちなのだろうか? 完璧な正義の前に、ただの一つも為す術はない。最終的には定められた一つの結末が待っている。


「……返してよ」

「……いや」


 そして今回に関して言えばきっと、自分がで、向こうがだ。疑いの余地は微塵もない。


 吉野ユウトを守る。悲劇は二度と繰り返させない。この命を彼のために使いたい。

 目の前の少女はそんな自分勝手で浅ましい我欲のためだけに、どこか知らない場所で犠牲になってしまった命なのだから。



「私の世界を……返してよッ!!」

「あああああああああああああああ!!」



 の悲鳴が、黒い炎となって世界を包む。


 漆黒の世界で、『罪』から目を背け続けた少女の裁きの時間が始まった。

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