第56話 大好きだから -Dear my ...-

・1・


「先には行かせない。俺は……人間になるんだ!」

 ガイの言葉が終わる頃には、彼の体は本来の醜い邪龍の姿に戻っていた。その体躯は人間の頃よりも二回りほど大きく、見る者の本能を震え上がらせる。


「秋斗さん、行けますか?」

 アリサは視線を邪龍から離さず、小声で秋斗に尋ねた。ユウトにもその意図はすぐにわかった。この場でワイアームを突破するには、彼の魔法を使うしかない。

 だが秋斗が転移の魔法を発動させようとした途端、それより早くワイアームは最小の反応を見せた。

「くっ……ダメだ。俺一人ならともかく、お前たちも同時に運ぶとなると少し時間がいる。少なくともこうしてやつに視認されている状態では不可能だ」

 一歩でも動けば例え一秒の猶予があったとしても、その凶悪な爪で全員引き裂かれる。そう感じさせるほどの強烈なプレッシャー。

 一歩一歩、ワイアームは確実に距離を縮めてくる。


「……」

「……タカオ」

 タカオは無言だった。そんな彼をミズキは横で不安げに見つめる。


「ずっと、死にたかったんだ。俺は災いそのものだから。わかるか? 存在するだけで罪を撒き散らす絶対悪でいる事の恐ろしさが! 望んでいないのに戦いを強いられるこの業が!」


 ワイアームは叫ぶように心中を吐露した。忘れていた怖れ。どんなに搔きむしっても取れることのない、胸のうちの闇を。

「俺を殺せるあの人はもういない。俺の望みは叶わない。だけどワーロックなら……世界を書き換えるあの力があれば、俺は俺が望んだ世界で、人間としての生を得られるかもしれない! だから――」

 それはきっと、彼が望む死よりももっと素晴らしい世界みらいなのだろう。だからこそ、その声には僅かだが期待も含まれている。


「今こそ約束を果たそう。ユウト、アリサ。君たちに恨みはないけど、ここで死んでもらう!」


 ワイアームはタカオやミズキたちには目もくれず、ユウトとアリサを睨みつけた。

「……不愉快ですが、カーミラの言っていたことは本当のようですね。伊弉冉の起動には、私たちが邪魔なようです」

「あぁ……ッ」

 今までの敵とは格が違う。違いすぎる。比較にならないほどの戦慄がユウトに走った。

 その一挙手一投足から目を離したら最後。確実な死がやってくる。そう確信できてしまう。

 ユウト、アリサ、そして秋斗はそれぞれほぼ反射的に臨戦態勢を取った。

 前の世界の住人であるアリサ。そして、ワイアームの呪いの一つをその身に宿しているユウト。伊弉冉の管理下にない特異点ノイズ

 ワイアームの狙いは明らかに自分たちだ。

(……戦うしかないのかッ!)

 伊紗那を助けると誓った。だから諦めるつもりなんてさらさらない。

 なら選ぶしかない。


 この先へ行くために彼を――ネフィリムの王ともだちを殺すという選択肢を。


「「「ッ!!!!!!」」」

 ワイアームが地を蹴ったその瞬間、その場の全員が胃が持ち上がるような妙な浮遊感を感じた。文字通りの死が押し迫ってくるこの状況を前に、脳がアドレナリンを垂れ流し、時間がコマ送りで進む。

 だから、ユウトにははっきりと見えた。


 姿


「!?」

 鈍い音が鳴る。遅れて鋭い風圧が頬を掠れた。

「……タ、カオ」

 ユウトの目の前には皆城タカオが立っていた。彼は硬化した拳を突き出し、ワイアームの拳を正面から受け止めたのだ。


「……ユウト、先行け。お前のやらなきゃいけないことはここじゃないんだろ?」


 静かに、彼はそう言った。

「で――」

 躊躇の言葉が喉まで出かかった所で、ユウトは言葉を飲み込んだ。そうさせるだけの圧をタカオの背中に感じたからだ。

「……悪い、タカオ」

「おう」

「逃がさない!」

 秋斗が転移を発動させるためのコンマ数秒を逃がすまいと、ワイアームが動く。だが、


「おっと、ガイ。お前の相手は俺だ!」


 タカオが高速で動き、ワイアームの前に再び立ち塞がる。

「クッ、どけよタカオ! お前を殺す必要なんてどこにも――」

 直後、ワイアームは強制的に黙らされる。

 タカオの鋼の拳がワイアームの胸板に食い込み、その巨体を豪快に吹き飛ばしたのだ。


「随分喋るじゃねぇか、ガイ。魔獣の王様だか何だか知らねぇが、あんまり俺を舐めんなよ?」


「ぐッ……!?」

 自分が人間ごときに力で押し負けたことが信じられないといった様子のワイアーム。しかし事実、目の前に立つただの人間を無視できなくなった。


「来いよ。上座で踏ん反りかえってるだけじゃいつまで経っても願いは叶わないぜ?」


 彼が何を考えて『化け物』という言葉を使ったのか、ユウトには想像もできない。

 タカオは振り返らず、背後のユウトに言った。

「ここは俺に任せとけ。こいつは一遍泣かせてでも俺が連れて帰るからよ。だからお前は伊紗那ちゃんを助けろ。それで全部元通りだろ?」

 実際そんな簡単な話ではないはずなのだが、彼の言葉には妙な説得力を感じる。だからユウトは、


「あぁ、言われなくてもそのつもりだ!」


 今度は迷わず頷いてみせた。

「跳ぶぞ!」

 秋斗が叫び、アリサが自分の腕を掴む。

 そこでユウトの視界は暗転する。


・2・

 

 時間にして本当に一瞬だった。瞬きする暇もなく、視界はガラッと移り変わる。

「うわっ!?」

 ユウトは足場との距離感を見誤ってバランスを崩し、その場に座り込んでしまった。そこに足場があると思い込んで、階段を踏み外してしまった時のような現実との認識のズレ。実際にはこける要素は全くないのに、必要以上に焦ったが故の失敗だ。

「よっと」

「何をしている?」

 何事もなく着地するアリサと秋斗は、ユウトを見て不思議そうに首を傾げていた。

「……ちょっと、滑っただけだ」

 恥ずかしそうにうやむやに答えるユウト。


「ここが、頂上……」

 アリサは周囲を見渡す。正面には緩やかで長い段差。両サイドには等間隔でいくつもの石柱がそびえ立っている。年月が経ち寂れているにも関らず、ここが王の間だということはすぐに理解できた。黒岩石を穿ってできたような他の場所とは違い、ここだけは明らかに人の手が加わった形跡が見て取れるのだ。

 そして奥にはユウトたちを見下ろすように配置された一際大きく、古びれた玉座。

 その王の座には――



「……どうして、来たの?」



 魔女が寄りかかるように座っていた。

 瞳に赫々あかあかとした絶望と、耿々こうこうとした喜悦がぐちゃぐちゃに入り混じり、何もわからなくなっていた。

「……どうして来たの?」

 魔女は機械のように何度も問う。自分が生み出した最愛の少年に向けて。

「……伊紗那」

 祝伊紗那は自ら感情を排し、殻に閉じこもっていた。


「会いたかったから」


「……ッ」

 そんな彼女にユウトは自分の想いを包み隠さず伝えた。伊紗那の赤い瞳に一瞬、淡い光が灯る。だがすぐにそれも薄れて消えた。


「私は……会いたくなかった。こんな醜い私をあなたに見られたくなかった!! どうして……どうしてそんなこと言うの? 私は……私は……ッ!」


 嬉しいのに笑えていない。声は震えているのに涙は出ていない。一体自分の知らないところで彼女はどれだけの涙を流したのだろうか? それを考えるだけで自分への怒りで腸が煮えくり返る。

 ユウトは一歩、前に足を踏み出した。

「来ないで!!」

 一切の予備動作なしに、伊紗那の正面に生成された長銃が火を噴いた。魔力の弾丸はユウトの頬を微かに引き裂いた。

「ッ……」

 鋭い痛みが襲う。だけどユウトはまた一歩、歩を進める。

「ッッッ!!」

 伊紗那の両目がこれ以上ないほど見開かれ、今度は全方位から拒絶の弾丸が降り注いだ。

「ユウトさん!!」

 激しい爆砕音。アリサの声をかき消し、ユウトを中心とした半径五メートルの範囲がボコボコに穿たれる。石柱や床も巻き込み、わずかに残った芸術的造形はただの瓦礫へと姿を変えてしまった。

 しかし。

 それでも。


 吉野ユウトはそこにいた。


「……ッ」

 しっかりと伊紗那を見つめて、瓦礫の中心に佇んでいた。

 避けてはいない。にもかかわらず弾丸は一発も当たらなかった。その理由は伊紗那が意図的に外した以外に考えられない。

「……やめて、来ないで……来ないでよぉ……ッ!!」

 彼女は子供のように駄々をこねて喚き散らす。穏和で常に笑顔を絶やさない、誰からも好かれる祝伊紗那はそこにはいない。ユウトでさえ、こんな彼女は見たことがなかった。

「……」

 いつもの自分なら、ここで立ち止まっていたかもしれない。嫌がる彼女をこれ以上傷つけることはユウト自身、本意ではないからだ。


 だけど今日は違う。ユウトの目的は


「俺はお前が笑ってくれるなら、それでよかったんだ。だからお前を守るためなら、俺自身が傷つくことを厭わなかった」


 アクアパークでガラの悪そうな男たちに絡まれた時も。

 ジャタに捕まった彼女を見た時も。

 ユウトの心にあったのは、ただそれだけだった。

 伊紗那を守るために何をするべきか。ここから全ての思考がスタートする。


「なのにいつも……肝心な時にお前を笑顔にできなかった。お前は俺が傷つくことを嫌がるから、俺はお前のために何ができるのかわからなくなったんだ……」


 誰かのために行う行為は、大なり小なり自らの身を削ることでしか為しえない。自分という燃料を燃やして、他者に貢献する。誰もがやっていることだ。

(俺はそれが正しいと思ってた)

「いや……いやぁ!!」

 ゆっくりと近づいてくるユウトから逃げるように、伊紗那は玉座から転げ落ちてしまった。黒い装束は汚れ、白く染まった髪が汗でべっとりと肌に纏わりつく。

 動きの鈍った彼女に追いつくことなど、ユウトには簡単だった。


「だからさ、前に御影に言われた言葉は胸に刺さったんだ」


 ユウトはあの時の彼女の言葉を思い出す。



『あなたは絶対に彼女を見ようとしないから』



 吉野ユウトという人間は、祝伊紗那の笑顔が大好きだった。

 恋をしていた。

 だから、そんなことはありえない。すぐさまそう言い返したかった。けどできなかった。


 彼女にはいついかなる時も笑っていてほしい。そのために必要な苦は全て自分が担っても構わない。

 彼女の為なら何だってする。

 誰もが愛する彼女だからこそ、その価値は十分にある。


 


 御影の指摘に言葉が出なかったのは、その自分本位の醜いエゴがユウトの中に存在したからだ。

 間違っているのは自分だと気付きたくなかったからだ。

「ずっと、俺はお前を利用してた。ああすることが絶対正しいんだって、お前を理由にして満足してた!」

「!!」

 ユウトの言葉を皮切りに、宙を浮く長銃の群れが音を立てて落下した。気付くと二人の距離は二メートルという所にまで縮まっていた。

 呆然とする伊紗那に、ユウトはゆっくりと告げた。


「俺だったんだ……お前の笑顔を奪ってたのは」


「……」 

「お前を見ようとしてこなかったのは俺のエゴだ。俺が心地よくいるために必要だったから。ずっと欲しかったんだ! ここにいてもいい理由が! お前を守る。その理由さえあれば俺は……ッ!!」

 生きていけるから。

 ユウトは懺悔するように膝から崩れ落ちた。閉じた目頭が熱くなるのを堪えてゆっくり目を開くと、視線が伊紗那と重なる。

 彼女の頬には一筋の光が流れていた。

 その赤い瞳には彼女の心が確かに見えた。

 今ならきっと伝えられる。


「でも今は違う。お前がどんなに醜くても、どんなに悪い魔法使いでも、嫌われたって構わない。今度こそ本当のお前を見つけ出してやる! 俺にお前が好きだって胸を張って言わせてくれ!」


 立ち上がったユウトは、座り込む伊紗那にそっと手を差し伸べた。


「ユウ……」


 彼女はその手をじっと見つめ、そして――

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