第53話 終局と離別と暗躍と -Finale will come...-

・1・


「やっ……た……」


 必殺の一撃が壁に大穴を開き、溶けた岩石が肌を刺すような熱を放っていた。

 ルナナの姿はどこにも見当たらない。

「……はぁ……」

 急な脱力感に襲われた刹那はその場に崩れ落ちた。すでに魔装は解け、手元にはいつも通りの、折れた刀の形に戻った伊弉諾があった。

「……」

 刹那は不思議そうに自分の体の状態を確認する。

(大丈夫……そうね……)

 確かに疲れはあるが、何ともない。

 燕儀を見た手前、代償バックファイアは覚悟していた。だが実際、魔装時もそれほど伊弉諾から強い拒絶を受けたようには思えない。

 体を包んだ妙な浮遊感。最初は少し戸惑ったが、慣れればこれほどしっくりくるものはない。あの瞬間だけは、本当に何でもできそうに思えたほどだ。

「姉さんから貰った、炎の伊弉諾のおかげかしら?」

 問題がなさすぎて、後でまとめて副作用が来るのではないかと思わず危惧してしまう刹那。


「……というより……ゴホッ……単純に刹ちゃんと刀の適合率が高いんだと思うよ……?」


 隣で仰向けで大の字になっている燕儀が刹那の疑問に回答した。

「ちょっと、大丈夫なの!?」

「死じゃいそうだから優しく介抱して♡」

 彼女は全身至る所に火傷を負い、服にも大量の血が滲んでいた。しかし、その声は確かな力を持ち、顔色も悪くない。かなりの重傷だが、不思議とこれから死ぬようには見えなかった。

「……大丈夫そうね」

「妹が冷たいよ……シクシク、チラッ」

「伊弉諾の再生力、大したものだわ」

 姉のわざとらしい視線を妹は無視した。

 こうしている今も、燕儀の体は急速に再生を続けている。その証拠にすでに彼女の傷口は塞がっており、火傷の後も徐々に薄くなり始めていた。


「とりあえず、二体のネフィリムを撃破できたわね」

 そう言って、刹那は燕儀の横に座り込む。

「まだ二体なんだよねぇ……」

「……そうね」

 作戦開始時に確認したネフィリムは双子を入れて全部で五体。ユウトと伊紗那がそれぞれエクスピアで倒した個体を合わせれば、これで四体倒したことになる。刹那は当時、燕儀に負けて気を失っていたため、実際にこの目で見たわけではないが。


(あいつ、あんな化け物を一人で倒したの? それに祝さんも……)


 あの事件以降、祝伊紗那がネフィリム側に付いたことは聞いていたが、未だに刹那はそれを信じることができなかった。

 まさか、あんな優しくて健気で虫も殺せなさそうな女の子がと思わずにはいられない。


 だが、ナナが持っていたあのメモリーDouble


 あれから感じた魔力はユウトのものではなかった。よく似てはいるが、ユウトより数段強い。そしてその濃すぎる魔力にも刹那は覚えがあった。

 あれは間違いなく仮面の魔法使いのものだ。

 そしてその仮面の魔法使いの正体は祝伊紗那。

 つまり――


「あーもう、訳わかんない。とにかく、自分で確かめるしかないわ」


 仮面の魔法使いの正体も所詮、人づてに聞いたものだ。何かの間違いだということもあるかもしれない。刹那はとりあえずそれで納得する。

「……行くの? ユウトくんのところに」

 燕儀は静かに刹那に尋ねた。

「えぇ、文句は言わせないわよ」

 刹那は答える。今の燕儀は動けない。動くなら今しかない。

 しかし、燕儀はフッと笑いこう言った。

「でもその首輪がある限り、刹ちゃんは私から離れられないよん?」

 刹那は自分の首に付いている首輪に触れた。これはエクスピアに捕まった後、神凪夜白という女につけられたものだ。

 エクスピア側の戦力として自分を取り込むための安全装置セーフティ。万が一、刹那が裏切るようなことがあれば、内蔵された毒がすぐさま彼女を殺すように設計されている。

 だが、


「問題ないわ」


 刹那の首輪に触れた指先から瞬間的に強い稲妻が迸った。

 首輪は焼き切れるが、破壊を感知して毒が確実に刹那に注入されていく。

「うっ……」

 血中に毒を流し込まれた痛みに顔を歪める刹那だが、苦しむ様子はない。

「……ッ、伊弉諾の生命の力があって助かったわ」

 彼女は不敵な笑みを浮かべて首輪を投げ捨てた。

「あらら。もうそんなに使いこなしちゃって……やっぱりムカつく」

 燕儀はこうなる事がわかっていたようだが、面白くなさそうに拗ねて顔を逸らしてしまった。

「ねぇ、姉さんも――」


「次に会ったら、敵同士だからね」


 刹那の言葉を斬り捨て、燕儀は真剣な口調でそう言った。

「……」

 何と言っていいのかわからなかった。悔しいが、自分の言葉に燕儀を止める力はない。彼女の御巫に対する復讐心はあまりに強すぎる。それをこの戦いで、刹那は痛いほど理解した。

 故に、刹那にできる事は一つだけ。

「わかった。そっちがその気なら私も全力でぶちのめしてあげる」

 刹那はそのまま振り返らず、一歩を踏み出す。

 その時、





「…………?」





 その声は響いた。


・2・


「「ッ!?」」

 二人の背筋に強烈な悪寒が走った。慌てて刹那は振り向くが、

(……ど、こ?)

 見渡しても誰もいない。

「ッ……下!」

 燕儀の声とほぼ同時に、二十メートルほど離れた場所が突然隆起する。それは刹那の全身全霊の一刀で溶解した岩石だ。

「ぶはぁ!!」

 ルナナは溶岩の中から勢いよく飛び出した。

「なっ……あれを避けたっていうの!?」

 しかし、どうやらそうではないようだった。ルナナのボロボロの体を見ればすぐにわかる。

(雷斬は当たっている。どうやら余波で溶岩に巻き込まれたようだな)

 伊弉諾は冷静に状況を分析する。

 今や龍の少女の真っ赤なドレスは焼け、褐色の素肌にベチャベチャと煙を上げた溶岩が滴っていた。


「……あはぁ☆」


 ギラついたオッドアイの瞳が刹那と燕儀を再び捉える。二人は一瞬、無意識に肩を震わせた。そこに真っ当な理性など微塵も感じられず、殺意だけが渦巻いていた。

「あれで死なないとかどんだけ化け物なのよ!」

「……さすがにもう、打つ手ないんだけど」

 ルナナは一歩一歩、確実にこちらに歩を進めてくる。

「憎、い……コロ、す……殺すゥゥ……」

 駄々をこねる子供のように、彼女は呪いの言葉を紡ぐ。

 しかし相手も満身創痍。自慢の長い髪の毛はほとんど焼け切れ、不格好な龍の腕を一つ作り出すのがやっとのようだ。だが、無防備な人間の少女二人を蹂躙するくらいならこれで十分すぎる。

 唯一動ける刹那は刀身にありったけの魔力を流し、伊弉諾を構える。

(これ以上は戦えない……深追いはせず、相手が動けないうちに姉さんを抱えてこの場を離脱ッ!)

 自分に言い聞かせるように脳の中で反芻する刹那とルナナの距離は五メートルまで縮んでいた。


「……逃がさ、な~い」


 足首に違和感。

「しまっ――」

 直後、刹那は思いっきり左足を引っ張られた。足首に彼女の髪の毛が絡みついていたのだ。

「刹ちゃん!」

「ぐう……」

 態勢を崩した少女は背中を強く打ちつけてしまった。そしてそのままゆっくりズルズルとルナナの元まで引きずられていく。

「まずはお前から……」

(もうダメ……ッ!)

「いただきまぁ――」

 巨大な龍の拳が少女の肉を裂き、骨を粉砕しようと迫りくる。



 だが、



「……え?」

 刹那は目を見開いて、目の前の状況に混乱する。

「あ……あぁ……あっ」

 ルナナの動きが止まっていた。そして次に苦しそうに胸に手を当てながら、ゆっくりと刹那から離れていく。

「ぐっ……何、これ……ッ! 頭が……」

 頭を押さえながら、苦しそうに悶えるルナナ。龍手は形を保てず崩れ、その体からは得体のしれない黒いオーラが染み出し始めた。

「が、ああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 一気に放出されたオーラは風に揺れ、どんどんどこかへ流されていく。

「何……あれ?」

 その正体はわからない。途方もなく強い力を感じるが、魔力ではない。しかしこれだけ離れていても、全身を突き刺す無数の視線のような、嫌な感じがビンビン伝わってくる。


 一目でわかる。あれは触れてはならないものだと。


「……何で……ワタシ、なんか……変……」

 ルナナは手で覆っていた瞳を露にした。

(ッ!? その目……馬鹿な!!)

 伊弉諾が驚きを隠せず、ひどく動揺した声を上げた。

「どうしたの!? 伊弉諾!」


(どんどん人間に近づいている……)


「……人間に?」

(あぁ、しかもただの人間ではない)

 伊弉諾は次に信じられない事を口にした。


(今すぐ逃げろ!! あの娘、

 

「ッ!!」

 刹那はルナナを見た。彼女のオッドアイの瞳を。

 しかしその瞳は両目とも血のような赤。

 祝伊紗那と同じ、魔道士ワーロックの瞳へと変化していた。


「ああ、ああああああああああああああああああああああああああああッ!!」


 苦しむルナナの体が内側から激しく発光し、景色が捻れていく。

(空間が、歪んでる!?)

 激しい暴風に少女たちの体は為す術なく持ち上げられ、各々別方向に吹き飛ばされてしまった。

 直後、耳をつんざく爆発音が世界に響き渡った。


・3・


 ルナナから湧き出た不気味な黒いオーラは、ある者の手に吸い込まれていった。


「ふむ。『嫉妬』は予想以上の進化を果たしたようだ。これならば全てを集める必要はないかもしれんな。ククク、うるさいばかりの双子も少しは役に立ってくれる」


 ネフィリムの参謀ジャタは仲間の敗北を嘆くこともなく、むしろ自分の予想の遥か上をいく結果に口の端を吊り上げる。

「ルナナと言ったか……まさか片割れの死でワーロックに覚醒していたとはな。本来人間しか至れないのだが、一体何がどう作用したのやら」

 何かが。双子を総体へと結びつけた何かが人間に限りなく近い場所に昇華させたのだろう。一部始終を見ていないジャタにはその何かは見当もつかないが、望んだ以上の成果を得たことに彼はとても満足していた。

「天井知らずに高まるワーロックの力に『呪い』が弾き出されたか。おかげで回収も楽に済んだ」

 ジャタは自らの手の上で蠢く黒を面白そうに弄ぶ。

「あのままワーロックとして暴れられていたらそれはそれで面倒だったが、強すぎる二つの力の反発によって、ヤツは次元の外に放り出された。もう会うこともあるまい」

 ジャタは黒を握り潰した。


「あと一つといったところか」


 彼の目的は他のネフィリムから『呪い』を回収し、一つにすることだ。だが思ったよりもその成就は近いのかもしれない。

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