第52-1話 開闢の刃 -Takemikazuchi-

・1・


 全身を刺すような痛みが襲った。稲妻のように鋭い謎の衝動が少女の体を勝手に操作しようと無遠慮に腸で暴れまわる。


 その正体は純粋な破壊衝動だった。紛れもない自分自身の深淵。


 大きすぎる力は呪いと同じ。伊弉諾の力もその例に漏れない。

 そしてその呪いは、誰もが心の奥に持ち合わせる闇を極限まで増幅させる劇薬。


 並大抵の覚悟では欲望を抑えられない。

 並大抵の信念では快楽に抗えない。


 それでも奥底から溢れ出る闇をねじ伏せ、己の物にできれば――


・2・


「ッ! ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 苦痛に歪む刹那の絶叫。否、これは聞くもの全てを震え上がらせるという意味ではもはや咆哮に近い。

 ただし今回の相手には、むしろそれは逆効果だった。

「アハハハハ! いいじゃないいいじゃない! 最ッ高ッ!! いっけない、涎が出ちゃいそう」

 ルナナは刹那の魔力が爆発的に増加した様子をみて、思わず頬が緩む。刹那を中心に渦のように荒れ狂う魔力は、そのあまりの濃度に青く可視化するまでに達していた。


「ッ!!!! あっ……ぐあ……ッ!!」

(何この……胸を締め付ける……こん……な……ッ!)

 痛いけど、同時に心地いい。

 まるで真っ黒な泥沼に身を投じているような気分だ。堕ちれば死ぬ。だから当然足掻かなくてはならない。けれど心のどこかで、抵抗せず嵌っていく束の間の快楽を求めてしまう。人肌の温もりが自然と抵抗力を奪っていく。


 勝てない。


 一瞬、少女の心は無意識に怖気づく。


 直後、刹那の体は渦から弾き出された。


「あ……ッ!!」

 高密度の魔力は主を失い霧散する。後に残ったのは刀身を半分失った妖刀のみ。

(失敗か……)

 伊弉諾はどこかわかっていたようにそう呟く。

「……くっ」

(動けない……私の魔力、もうほとんど空なんだ……)

 魔力とは生命エネルギーに他ならない。当然、ゼロになれば死ぬ。動けないのは他に生命力を割かなくてはならないから。人間が持つ最後の生命維持機能のせいだ。

「こんな……ところで……ッ」

 刹那は気張るが体は言う事を聞いてくれない。


 ペタッと可愛らしい裸足の足音がした。

「何? もう終わりぃ?」

 ルナナはひどく呆れた顔で両手を挙げる。


「ん~、ならもういっかなぁ~。これ以上絞り出せそうにないし」


 そう言ったルナナは勢いよく、背中から巨大な龍の翼を広げた。

「「ッ!?」」

 倒れて動けない刹那と燕儀は一瞬息をすることさえも忘れてしまった。凶悪な翼にではない。先程刹那が弾き出され、霧散した超高密度の魔力。その残滓を掃除機のようにルナナの翼が吸収しているのだ。

「ッ……ここまで来てそれは反則、じゃない?」

「はぁ~、美味しい……」

 ルナナは天にも昇るような表情で、体を震わせながらため息を漏らす。

「早くしないと私、もっと強くなっちゃうわよ? ククク……アハハハハ!!」


 その時、青い稲妻が走った。


「?」

 スピードも威力もない。線香花火程度の弱弱しい光をルナナは素手で握り潰した。

「はぁ? これっぽちぃ?」

「……舐めんじゃないわよ、このクソガキ」

「? まだ何かあるの?」

 刹那は地べたを這いずり、刀を拾う。伊弉諾に残った魔力を使えば何とか動けるまでにはなりそうだ。


「姉さん、もう一回私に付き合って」


 刹那は燕儀にそう言った。

「えー、私……今超絶疲れてるんだけどなぁ……」

 しかし刹那の真剣な、どこか覚えのある表情を見て、燕儀はやはり溜息をつく。

「で、何する?」

「魔装、もう一度やるわ」

「だけど今の私たちじゃ、もう……」

 燕儀が案じているのは自分のことだけではないのだろう。むしろ彼女は一度成功している。その上での代償フィードバックだ。

 しかし刹那は違う。彼女はその領域にすら達していない。お互い消耗しきった体にこれ以上の負担は危険すぎる。特に失敗して魔力を根こそぎ持っていかれた刹那のリスクは計り知れない。

「別に自棄になってるわけじゃない。勝算ならあるわ。そうでしょ? 伊弉諾」


(あぁ、そこの娘が許せば、だがな)


・3・


 いつの間にか燕儀に触れていた刹那を通して、彼女の脳裏に伊弉諾の言葉が伝わる。

「どういう事?」


(簡単なことだ。ここにはがある)


 伊弉諾がそう答えた。

「……」

「さっきの失敗でわかったことがあるの。それは私の伊弉諾は負の要素を多く持ちすぎてるってこと」

 刹那は自分の失敗の理由に気付いていた。意識を蝕む黒い快楽。飽くなき破壊衝動。あれは伊弉諾が持つ負の側面。

 すなわち『破壊』だ。刹那の刀にはそれが満ち溢れている。

 今の刹那ではそれを完全に御しきれない。


(そもそも余は混沌を破壊する者。そして伴侶たる伊弉冉に数多の子を産むための豊かな土壌を与える者でもある。地に足がつかねば満足にまぐわえんからな)


「なんて即物的な……」

「ゴホン……つ、つまり私たちの力は同じだけど、その方向性は真逆だってこと!」


 刹那の雷の伊弉諾は作るための『破壊』。これは人にとって毒。

 対して、燕儀の炎の伊弉諾は与えるための『生命』。これは人にとって薬。


 二つは陰と陽のような関係にある。

 ここまで来て燕儀も刹那たちの提案の意図を察したようだ。



「つまり……ってこと?」



 燕儀の表情がこれまでにないほど険しくなった。

「……ッ」

 無理もない。その力は彼女が御巫への復讐のため、危険を顧みず、ようやく掌握したものだ。それを手放すということは、自分自身を否定することにも等しい。

(勘違いするなよ人間? そもそもそれは余のちからだ。だが……今回は全て差し出す必要はない。ほんの少し、主様に破壊衝動への免疫を付けさせるだけだ)

「……」

 燕儀はまだ警戒している。いつものおちゃらけた雰囲気は完全に鳴りを潜めていた。

(それに貴様にとっても悪い話ではないぞ? 余が気付いていないとでも思うのか?)

「ッ!?」

 燕儀の表情が一瞬凍り付いた。伊弉諾はそんなこと気にせずに続ける。


(このまま余をその体で使役し続ければ、貴様の体はどんどん神格へと達していく。短時間とはいえ、少ない魔力で魔装できたのも大方それが理由だろうさ)


 刹那には彼の言っている意味が理解できなかった。しかし、


(神に近づくということは、人を捨てるということだ。全てな。貴様、事あるごとに弟妹ていまいの事を口にするが、のではないか?)


「えっ……」

 刹那は絶句する。燕儀は黙ったままだ。それは肯定と取れる。

(そんな……)

 しかし思えば彼女の言葉はいつも偏っていた。毎度出てくるのは自分やユウトの話だけ。それは単に彼女の性格故かと思っていたが、見方を変えれば、楽しかった姉妹・姉弟の思い出や、煮えたぎる復讐の念は全て御巫という一括りで繋がっているとも考えられる。

 逆にそれ以外のことについて、彼女が詳しく語ったことは一度もない。


 ひと繋ぎの記憶。


 御巫を起点として、零れ落ちそうな全ての記憶を芋ずる式に留めていたとでもいうのか? あんなにも過剰にユウトにべったり引っ付いたことも、昔のように刹那にちょっかいかけるのも全部、そのための手段だと?

 まるで英単語を覚える学生のように、関連付けて。何度も反芻することで刻みつける。

 思い出も復讐も忘れないために。


(もしもここで少しでも余に刃を返せば、その症状をいくらか緩和させることができるぞ?)


 これは取引などではない。脅迫だった。


「伊弉諾ッ、ちょっとあんた……」

(さぁどうする人間? このまま余の力に飲まれ、自らの存在意義さえ失うつもりか? それはお前の本意ではないだろう?)

 神が少女に選択を迫る。

 選択肢はない。

 時間もない。

 選ばなければ未来もない。


「……ッ、わかった……よ」


 燕儀は初めてみる悔しそうな表情で渋々了承した。

 まだ人間の少女には、その選択はあまりに残酷だった。

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