第48話 神炎の斬姫 -Kagutsuchi-

・1・


(……魔装、だな)

 燃え盛る、赤より赤い焔を纏った少女の姿を、伊弉諾はそう言い添えた。

「神格を、纏う……」

 赤い髪に黄金で装飾された白い装束。体に巻き付く焔は天女の羽衣のように優美に揺蕩い、見る者の視線を釘付けにする。その姿はまさしく神と呼ぶにふさわしいものだった。

(そうだ。今のあやつは神と同格。一時とはいえな)

 しかし、伊弉諾はこうも付け加えた。

(だが不完全だ。当然と言えば当然だが……)

 先ほどの人の容量を軽くオーバーするルナの炎。フォルネウス。それら全てを伊弉諾の燃料としてぶち込んでもまだ不完全だと神は言う。

 刹那は燕儀に見入る。彼女は表情一つ変えないが、一体どれだけの苦痛が、今この瞬間彼女を襲っているのだろうか?

 同じ妖刀を持っているのに、こんなにも差がついている。自分には見えていない境地が目の前には立っていた。


「……ッ!!」

 燕儀が一歩……踵で強く蹴りだした。次の瞬間、


 彼女は


「!?」

 違う。誰にも認識できない速度で踏み込んだのだ。音もなく、空気の流れさえも感じさせない一筋の残光。

 しかしこの瞬きの間に、実は膨大な情報が詰まっている。


 一体、何が起こったのか?


 その答えは結果を見れば明らかだった。

 ルナとナナをほぼ同時に斬るなんて発想のレベルではない。そんなの生ぬるいとでも言うように、神剣・迦具土から放たれた幾千の刃は二体に猛威を振るった。

「……」

 刹那は言葉を失う。

 とある剣術流派では、居合の境地……稲妻の如きその速さを称え、『雲耀うんようの太刀』と呼ばれるものがある。燕儀のそれはもはやそのさらに上。別次元の領域だ。

 名を付けるならば――


「刹那の太刀」


 燕儀がその名を告げる。

 想像することすら許されない神速の極地。まさしく神の刃だ。

「が……ッ!?」

「ぎゃハッ!?」

 ルナとナナが揃って吐血する。腰元から足にかけて体を覆っていた骨の鎧は砕け散り、大きく成長した自慢の翼は根元から無残に斬り捨てられていた。

「ッ……さすがに硬いなぁ……」

 しかし、それでも燕儀は苦い顔をする。ネフィリムの体に無数の切り傷を付けることに成功したものの、刃の入りがまだ浅い。

「でもこれならッ!」

 彼女は再び迦具土を構える。


「舐めるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 ルナがたけり声を上げた。

 彼女は右腕から巨大な火球をいくつも発射し、その全てを統合。一つの大きな太陽を生み出した。

「……消えろ」

 ルナが腕を振り下ろすと同時に、太陽が落ちてきた。

(あれは……マズいッ!)

 膨大すぎる質量は、回避も防御も不可能にする。

「大丈夫だよん」

 燕儀は一言だけそう言うと、迦具土を天に掲げる。すると両刃の刀身がそれぞれ分離した。彼女の手には一本の長刀が残り、周りには意思を持ったように二本の刃が宙を舞う。

「ッ!? ナナ、力貸して!」

 危険を感じたルナがナナに助力を求める。

「アイアイサー!」

 ナナも同じように左腕から規格外の稲妻を放出する。それは龍のあぎとの形を取り、その大きな口で太陽を挟み込んだ。

 あまりの熱量に、周囲の岩盤が崩壊を始める。

 対する燕儀は宙を泳ぐ二つの小刀を、それぞれ一定の距離に配置する。三本の刀を結ぶように焔が線を引き、巨大な三角形を生み出した。そしてその三角形の先端が勢いよく伸び、気付けば燕儀の手には五十メートルはくだらない巨大な剣が生まれていた。


「神炎・灰燼一閃」


 それは巨大な剣から放たれる刹那の太刀。全てを等しく灰と化し、開闢の狼煙をあげる一太刀だ。

「ッ!! ナナ!!!!」

 全ての音が消える。光が飽和した。


 次の瞬間、太陽が真っ二つに斬り裂かれた。


・2・


「ん……うっ……やった、の?」

 光に眩んだ眼が平静を取り戻すまでに少し時間がかかった。

 徐々に最適化される視界。その先で刹那は戦いの結末を目の当たりにする。

「ッ! 姉さん!!」

 まず初めに目に飛び込んだのは、横たわる燕儀の姿だった。すでに魔装状態は解けており、元の姿に戻っている。出血しているのか、彼女を中心に血の池ができていた。

 刹那は無我夢中で燕儀の元へ走って、ボロボロの体を抱き寄せた。

「出血がひどい……」

 血は口元からだけではない。全身にも、まるで内部から破裂したような傷があり、止めどなく流れていた。

(主様、治癒くらい使えないのか?)

「私はあまり魔術が得意じゃないの! せめて専用の呪符か何かがあれば……」


「せ……ちゃ……」


 微かな声が聞こえた。

「姉さん! もう……ちゃんと生きてるの?」

「ひ……ら」

 燕儀は掠れ声で何か呟いている。

「……え? 何?」

(最後の頼みかもしれん。聞いてやれ)

 死というものに対して、神はどこまでも平淡だった。

「縁起でもないこと言わないでよ!」

「ひ……くら」

「何、ちゃんと言って!」



「ひざ……まくら……プリーズ」



「……………………」

(……………………)

 しばらく刹那と伊弉諾の間に言葉はなかった。

 しかし、


(よし、ちょうどいい。殺そう)


 神がとんでもないことを口走り始めた。

「あんた何言ってんのよ! さすがにそれは……っていうか姉さんも! こんな時までふざけたこと言わないで!」

 意外とはっきり意識を持っている燕儀を、刹那はぐいぐいと揺すった。

「あー、ダメ……刹ちゃん……それダメ、ほんとに……死んじゃう、死んじゃう~」

 どうやら燕儀は炎の伊弉諾を体に取り込んでいるおかげで、大抵の怪我はすぐに治すことができるようだ。とはいえこの大怪我だ。完治には少し時間を要するのだろう。

(そういえばユウトの怪我も治してたわね……)

 ふと、あの時の光景が脳裏に呼び起された。

 半裸のユウトをベッドに押し込み、そのベッドに裸で潜り込む姉の図が。

「……あれ、気のせいかな……腕の力がどんどん強くなってる気がするよ?」

「……気のせいよ」

 こんな姉でも戦いの功労者だ。無下にはできない。眉をひくつかせながらも刹那は笑顔を崩さない。

「そういえば、あの双子は?」

 刹那は周囲を見渡す。



「ルナ……ルナ……」



 遠くの方で声が聞こえた。涙ぐむような、とても弱弱しい声だ。

「ルナ……どうしテ、動かなイノ? なぁ……」

 ナナが倒れているルナの体を何度も何度も揺すっている。かなり強く揺すっているにもかかわらず、ルナの目が開くことはない。


 それもそのはずだ。ルナの体は燕儀の刃で切り裂かれ、下半身がなくなっていたのだ。

「だけど……あれじゃあまた再生して――」

(無駄だな)

 伊弉諾が断じた。

「どういう事?」

(伊弉冉が創造の神だとするならば、余は破壊の神だ。この世の理を破壊し、世界を白紙に戻す力。本来の力で振るわれた余の力の前に『ルール』は通用しない)

 つまり、お互いを常に最良の状態に同期させる彼女たちの『嫉妬』の能力が、本来の伊弉諾の前では機能しないということなのだろう。

 そこまでの力がこの刀にあることに刹那は驚きつつも、御巫本家で厳重に保管されていた理由にようやく納得がいった。今まで刹那は、本当に伊弉諾の力の半分も出せていなかったのだ。

(主様、その女に触れろ)

「う、うん」

 刹那はゆっくりと燕儀の頬に触れた。伊弉諾は刹那を介して少女に告げる。

(ふん。人が神を使うのは構わんが、神になろうとするとはな……やはり人とはなんと度し難い生き物か。わかっているのか? 最悪人格が壊れる恐れもあったのだぞ? 小娘)

「……フフン。私はちゃんとリスクマネージメントができる子だよん。できると……ウッ……思ったことしかやらないし、できないことをできないの一言では済ませない。必ず……結果は出す」

 これが差なのかもしれない。彼女の行動は決して無鉄砲なんかではない。むしろ緻密に考えつくされた上で、その命を懸ける。伊弉諾を体に取り込んだのも、そうした結論の一つにすぎないのだろう。親の仇である御巫に復讐するために、最も最短で、最も効率的な方法として。

「……でも、さすがに今回は……はりきりすぎちゃったかも……」

 燕儀が刹那の腕の中でぐたっと脱力した。

「ちょっと……まだ片方――」

 刹那はルナを起こそうと必死にもがいているナナを見た。彼女もまた、その場で動かなくなっていた。


「ア……アァ……ア……」


 大きく見開かれた目からは涙が零れ落ち、現実を理解できず放心状態だ。

(あれなら、しばらく大人しくしてるかしら?)

 最後の一撃、きっとルナはナナを庇ったのだろう。でなければ二人ともまとめて倒せていたはずだ。

 それが愛ゆえの行動だとしたら、ますます人間らしい。逆に刹那は罪悪感を覚えてしまう。彼女たちは魔獣ばけものなのに。

「とりあえず、安全な場所に――」




……




「「ッ!?」」

 凍り付くような怨嗟の声が響いた。決して大きくない声なのに、脳の奥まで侵入してくる。

「やっぱり……ただでは、帰してくれないよね、うっ……」

 燕儀がゆっくりと、刹那の肩を掴んで体を起こした。

「もういいの?」

「さすがに前衛は無理だけど、魔術でサポートくらいなら……ね。あとよろしく」

 刹那は頷いて立ち上がる。

「伊弉諾、行くわよ」

(あぁ)

 魔力を妖刀に流し込み、雷の刀身を作りだす。

 相手も同じ雷を使うが、あれだけ弱っていればもう吸収はできないはずだ。

「……ごめんね」

 刹那は両手の握る力を強め、上段の構えを取る。せめて一刀で終わらせるために。



「……えっ」



 しかし、次に刹那は目を疑うことになる。

「ゼッタイ……許さナイ……喰いコロしてヤルッ!!」

 それはナナの怨嗟の声にではない。

 彼女が驚いたのは、ナナが持っているにだ。


「何であんたが、それを持っているのよ……」


 ナナの小さな右手にあるのは、十センチほどの細長い物体。それはとある幼馴染だけが作り出すことのできる、理想の『力』の結晶メモリー

 ナナはそのメモリーを噛み砕き、喰らった。


『Double』


 憎しみが纏わりつく。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!」


 絶叫と怨嗟の雄たけびが混ざり合う。

 莫大な魔力がナナを中心に火山のように爆発した。

「くっ……何ッ!?」

 津波に巻き込まれたと錯覚しそうなほどに、激しい奔流が刹那と燕儀を襲う。

 中心では妖しい光が繭を形成し、ルナとナナを飲み込んでしまった。


 しばらくすると、暴風は治まりをみせた。後に残ったのは光の繭ただ一つ。

「……」

 刹那は息を飲む。こんなに静かなのに、安心はどこかへ吹き飛ばされてしまった。今あるのは確実に起こるであろう『次』への恐怖だ。


 ピキッ。


 乾いた音が洞窟内に響き渡った。

「「……ッ」」

 刹那と燕儀は同時に構える。二人とも、額から尋常ではないほどの汗が流れていることに気付いていない。

 最初のひび割れから、加速度的に繭の崩壊が進む。

 全て崩れ終わった後に残ったのは、だった。


 赤いドレスに褐色の肌。赤く長い髪。そして宝石のようなオッドアイ。

 そしてそれらの良質なイメージ全てを蹂躙し、彼女が人間ではないことを明確に示す龍の角と尾。ルナやナナの時と違い、どこまでも限りなく人間に近い見た目のせいで、それらが一層異様に見える。


「だ、れ……?」


 何とか声を必死に紡ぎだした。

 少女はその声に反応して、満面の笑みを見せる。そして元気よく答えた。


「ルナナぁ!」


 今、二つの『嫉妬』が一つになった。

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