第49話 嫉妬の真理 -Lnana. The True Envy-

・1・


「ルナナ……ですって?」


 赤いドレスを身に纏う褐色の少女は周囲をキョロキョロと好奇心旺盛な目で見まわし、何が面白いのかケタケタと笑っている。まるで生まれたばかりの赤子のように。

「……何がどうなってるの? さっきのって、ユウトの……よね?」

 そもそも刹那には、何故ナナがあんなものを持っているのかわからなかった。確かDoubleのメモリーは以前、ユウトがレヴィルから作り出したメモリーのはずだ。

「つッ……状況だけ見ると、二人が合体した、みたいだけど……もう何でもござれだね」

 燕儀はまだ辛そうな声をしながらも、呆れた表情を見せる。


「なんかぁ……」


 声が響いた。呟くような小さな声にも関らず、はっきりと聞こえた。

 刹那と燕儀は警戒を強くする。

(……どう来る?)

 刹那は今までの双子の攻撃手段から、今から繰り出される攻撃パターンを脳内で何度も算出する。その度に緊張が募り、自然と刀の柄を握る力が強くなる。

(……落ち着け、主様)

 伊弉諾が脳内で刹那の焦りを制した。

「わかってる。大丈夫よ」

 燕儀が万全でない以上、ここから先は自分が対処しなければならない。自然と力んでしまうのは、その自覚故だ。

 そんな刹那をよそに、褐色少女の黄金と翡翠の瞳が妖しく光った。



「なんかぁ、と~ってもいい気分んんんんんんんんんんんんッ!!♡」



 ルナナは背伸びをするように体を伸ばし、甘く蕩けたような声でそう叫んだ。

「「は?」」

(ん?)

 場違いな声に思わず三人は呆気に取られる。

「何これ何これ何これぇ!! 最ッ高に満たされたこの感じ!」

 さっきまで憎しみに満ち溢れていたナナが……いや、今はルナナか。彼女は一転してとても満足げで、自身の体を抱きながら恍惚に満ちた表情を浮かべていた。

「あなた一体何なのよ!」

「だから言ったじゃん。私はルナナ。ねぇ、そんなことより今とっても幸せな気分なの。きっとあなたたちのおかげよね? そうよね?」

 何かに酔っているのか、双子の時のどちらとも違う妙に上機嫌なルナナ。


「だ・か・らぁ……」


 そんな彼女の次の言葉は、刹那の背後から聞こえてきた。


「あなたたちにも最ッ高に気持ちいいを味わわせて♪」


「ッ!!」

 次の瞬間、刹那の体があらぬ方向に吹き飛んだ。

「が……ッ!?」

「刹ちゃん!!」

「よそ見はダメ~」

「くッ!!」

 いつの間にか燕儀の顔をニコリと覗き込んでいたルナナは、細く小さな足で回し蹴りを放つ。対して燕儀は手のひらから三本重ねるように伊弉諾の黒い刃を生み出し、回し蹴りを迎え撃つ。

「あはッ☆」

 しかし、今までその見た目に反してダイアモンドのように硬い双子の体を切り裂けたはずの刃は、ルナナの蹴りで無残にも砕け散った。

「なッ……!?」

 驚く暇もなく、燕儀の体もまた鮮やかな赤を散らして宙を舞う。

「あはははははッ!」

 それを眺めながら、頬に飛び散った血を舐めてルナナは楽しそうに笑う。


(うッ……息、が……動け、ない……)

 痛みでおかしくなりそうな脇腹を抑え、刹那は必死に詰まった気道確保に努める。

 ルナナはそんな刹那に向ってゆっくりと歩を進めてきた。


「このッ!!」

 ルナナの死角。うつ伏せの状態から、燕儀は伊弉諾製のクナイを拳銃のように五発射出した。しかし、ルナナにそれらが当たることはない。彼女の長い赤髪がまるで生き物のように蠢き始め、その全てを叩き落としたからだ。

「「!?」」

 二人は驚愕する。

 今のルナナには、以前のように振るえばそれだけで全て撃ち落とせるような巨大な腕がない。むしろより人間に近くなったことで、燕儀の十八番である対人戦技はその効果をさらに増す。高速でかつ広い面攻撃。あの細腕では絶対に防げないと、刹那でさえ確信していた。ましてや背後からの奇襲ならなおさらだ。


 だが、そんな考えは塵のように一蹴される。


「私、わかっちゃったんだぁ」


 褐色少女の両手を赤い長髪が覆っていく。それはやがて巨大な龍の腕へと姿を変えていった。


「みんな一つになっちゃえばいいんだよ」


 右腕には紅蓮の炎。左腕には蒼天の雷が殺意の産声を上げ始める。


「だってそうすれば、もう羨ましいなんて思わなくなるもの。あなたたちを殺せば、私を殺せるその脅威つよさは永遠に私のもの。それって最ッ高に快感じゃない?」


・2・


「黙って博士のお宝を漁りに来たわけだけど」


 厳重にロックされた扉を無視して、ジャタに開いてもらったゲートを通じてシンジはある空間へと足を運んでいた。

 ここは神凪夜白の研究室の一つ。その中でも最もセキリュティレベルの高い場所だ。当然シンジには足を踏み入れる権限はないが、今この部屋の主は分界むこう側で戦闘中。侵入者に気付いたところでどうしようもない。


「それにしても……何が楽しくてこんなもの集めてるんだろうね?」

 シンジは魔獣の死骸が入った水槽一つ一つを眺めながら、ゆっくりと歩く。

「おっと……ッ」

 水槽に目を取られて少年の足に何かが当たった。警備用ドローンだ。シンジにぶつかったドローンは、侵入者を感知することなくその場で倒れてしまった。

 あらかじめゲートをくぐりきって捕捉される前に、警備装置の類全てに自分の血肉で生成した種を仕込んでおいた。機械内部で成長した鋭利な樹木が的確に中枢回路を破壊し、ドローンはあっという間にただの鉄屑と化したのだ。


 かなり広いが、しばらく室内を歩くとお目当てのものはすぐに見つかった。

「あったあった」

 シンジはニヤリと笑みを浮かべ、を保管している水槽を、機械の左拳で貫いた。ガラスの亀裂が広がり、中から滝のように激しく溶液が溢れだすのもお構いなしに、少年はゆっくりともう片方の生身の手を突き出す。すると今度は手のひらが口を開くようにぱっくりと割れ、そこから人間サイズの食虫植物のようなものが姿を現した。

 巨大食虫植物は丸呑みし、再びシンジの体へと戻っていく。

「さてと、お使いも済んだことだし、これからどうするかな」

 これでワーロックに至るために必要なものはあと一つ。その最後の一つはジャタが回収する段取りとなっている。


(暇だなぁ……どこかにサクッと楽しめる相手でもいないかな?)


 少年がそう思ったその時、研究室のドアが開いた。


「ここよ。あんたの妹の気配はここからする」

「そうか。ご苦労だった、賽鐘ミズキ」

「……ほんと、その偉そうなところだけは変わらないわね」


 二人分の声が室内に入ってきた。夜白ではない。どうやら向こうは正面から堂々とセキリュティを解除したらしい。ハッカーとして、相当の腕を持っているのだろう。

「ん? あれは、確か……」

 始めは夜白かと思い、見つかると面倒なので身を隠したシンジ。入ってきた少女の方には見覚えがあった。


『凌駕ぁ~。私、そろそろ我慢の限界なんだけど?』

「どうした高山篝。電脳体の分際で欲求不満か? 残念だが私は貴様の慰み物になるつもりはないぞ?」

『バッ!? ババババカじゃないの!? 私は……私は清楚で可憐な篝ちゃんで通ってんの! そういうのは……ごにょごにょ』

 どうやらもう一人いるようだ。だが声だけで、シンジには視認できなかった。


「そうか。では擬似理想写しの記憶領域にいつの間にか大量に転送されている、男同士で交わるいかがわしい電子書籍は消去デリートしてもいいんだな?」

『鬼かお前は!! え……ちょっ……凌駕ぁ、マジやめて。ね? やめよ? ねぇったら!!』

 声の主はまるでこの世の終わりでも見たように絶叫する。

「あんたたち……その辺にしときなさいよ。で、篝ちゃん。タカオは見つかったの?」


(……タカオ?)


 シンジは聞き覚えのある名前に思わず反応した。


『うーん、それが建物内の監視カメラ全部チェックしたけど、ミズキの言うようなやつはどこにも見当たらなかったよ?』

「……そう」

 ミズキは報告を聞いて肩を落とす。

「考えられるとすれば、すでに分界むこう側に行っているくらいか。ゲートが高い確率で出現する今の状況下ならありえなくはない。はたして行く意味があるのかどうかは知らないが」

「……ごめん、あの馬鹿なら十分あり得る」

 ミズキは頭を抱えて言った。


 しばらく二人は室内を探索する。シンジが通ってきたゲートはそのままになっており、それをミズキたちが発見するのにはそう時間はかからなかった。

「神座、こっちにゲートがある」

「あぁ、少し待ってくれ。こちらも奏音を見つけたところだ」

 凌駕は一際大きな水槽に保存されている半分魔獣の少女を見てそう言った。

(あれって確か病院で僕が捕まえた……)

 夜白がWEEDS計画の要として必要としていた女王種だ。ここに放置されているということは、もう用済みになったのだろうか?

「高山篝、仕事の時間だ」

『……はいはいわかりましたよ~』

 ものすごく不機嫌そうな声を無視して、凌駕は義手の左腕を女王種にかざす。すると、水槽の中の女王種の体が崩れて消えた。いや、凌駕の義手に吸い込まれたというべきか。

「何したの?」

 ミズキは凌駕に尋ねた。


「高山篝の物質をデータに変える力を使った。これで奏音の中の魔獣を消去し、再構成する」


「……すごい。もしそんなことができるなら、魔獣化した魔法使いだけじゃない。怪我人だって助けられるじゃない!」

「そのための切り札こいつだ。すこし時間はかかってしまうがな」

 凌駕は義手の腕を掲げた。

『ちょっと! 人を道具みたいに言わないでよ!』

「やっぱり……この先からタカオの魔力を感じる」

『無視!? え、無視なの!? 今の私怒ってもいい所だと思うけど!?』

「少し黙っていろ」

 凌駕は悪びれもせず、ミュートボタンを押す。篝の声はたちまち聞こえなくなった。

「この先はお前ひとりでは危険だぞ?」

 凌駕は警告する。

「わかってる。でも私、行かなきゃ」

「そうか」

 凌駕はそれ以上何も言わなかった。

「だけどその前に――」

 ミズキは振り返る。そして、



「さっきからそこで隠れてるやつ。誰なの?」



「ッ!?」

 シンジは少し驚いた。息を潜めていたので、まさか見つかるとは思っていなかったからだ。

(……あぁ、だんだん思い出してきた。そういえばあの子、感知系の魔法使いなんだっけ)

 なら仕方ない。これ以上隠れても無駄だ。

 諦めてシンジは物陰から姿を現す。

「……あんたはッ!」

 シンジの顔を目にしたミズキの表情が険しくなる。当然だ。シンジはミズキにとって仇も同然なのだから。


「やぁ、面白そうなことをしているね。僕も混ぜてよ」

「誰が……ッ」

 ミズキが憎しみの籠った目でこちらを睨んでくる。シンジはそれを気にせず受け流して言う。

「本当は君たちがいなくなるまで隠れてやり過ごそうと思ってたけど、感知系魔法使いがいるんじゃ無意味だったね。なら役者不足かもしれないけど、僕の暇つぶしにちょっと付き合ってもらおうかな」

「舐められたものだな」

 凌駕がミズキの前に出た。


『Tesla』


 理想写しによく似た義手は、電子音の後に電気を纏った六つの輪を展開する。

「へぇ……君も左腕が義手なのか。ハハ、お揃いだね」

 シンジもネビロスリングを装着した左義手をヒラヒラとチラつかせる。

「行け、賽鐘ミズキ。ここは私が引き受ける」

「う、うん……ごめん神座……と篝さん」

「気にするな。貴様は奏音を見つけてくれた。その分は使われてやるさ」

『!!!!!!!』

 視界の端に消えていく少女を追いはしない。あっちでは楽しめないのはわかっているからだ。

「君は僕を楽しませてくれるのかい? 神座、だっけ?」

「貴様に興味はない。潰れろ!」

 シンジは思わず口元が緩んだ。

「いいね。僕好みの回答だ!」


 だが二人が動くその時、天井が崩れた。


「「ッ!!」」

 いや、正確には切断されたというのが正しいのかもしれない。天井から床に向って何かが走った。それはまるで建物そのものが、斜めに切り裂かれたようにも見えたからだ。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 上から鎧姿の男が落ちてきた。男は地面に激突すると二つに分裂した。一人はレオン・イェーガー。そしてもう一人は鎧を構成するハンナという名の生きた古代の遺物だ。

「ぐっ……ハンナ、大丈夫か?」

「……疲れた」

 ボロボロのレオンはぐったりとしたハンナを抱き寄せる。


「人間。真正面からの見事なぶつかり合いの数々。見事だ。だがここまでのようだな」


 今度は上から建物をぶった切った張本人が舞い降りてきた。それは大きな太刀を持った半人半狼の魔獣。データにあったロウガという名のネフィリムだ。彼もまた、かなりのダメージを負っているように見える。


「ククク……アハハハハ!! やっぱりこの世界は僕を飽きさせてくれないよ! いいね、これで役者は揃った! 最高の殺し合いを始めようか!!」


 三つの運命が今ここに交差する。

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