第44-3話 悠遠の魔女 -Time stagnate-

・1・


 最初にアリサが動いた。一直線に、彼女の得物であるパンドラの元へ。

「させるか!」

 青子は右手を彼女に向ってかざす。すると手元の空間が歪んだ。そこには直径三十センチの球体。空間そのものの時間を停滞させ、無理矢理物質化させたものだ。いわば重さを得た虚空と言ったところか。青子はそれを弾丸のように放った。

 球体の軌道は正確無比の直撃コース。例えアリサが強引に避けたとしても、武器からは遠ざかってしまう。それは青子に次の攻撃を許してしまうのと同義だ。故にアリサには直撃覚悟で進むか、隙を見せるか。許された選択肢はこの二つだけとなる。


 しかし、彼女はを選んでいた。


「ッ!?」

 青子は目を見開いた。虚空弾が着弾する直前で、アリサの姿が消えたからだ。

(桐島かッ!)

 驚きはしたが、青子の思考はそこで途切れることはない。秋斗が彼女を転移させたなら、行き先はきっと彼女の武器が落ちている場所のはずだ。

 青子は振り向きもせずにその地点に精確に虚空弾を撃ち、向ってくる秋斗とも対峙する。


「虚を突いたつもりだろうが、まだまだ戦い方が稚拙すぎるな。行き先がわかる転移など的にしてくれと言って――ッ!?」


 直後、青子の言葉が途切れる。背後から強烈な一撃をもらい、肺から酸素が強引に押し出された。

(何……ッ!?)

 アリサだ。彼女は自分の武器を拾うことをせず、青子の背後に転移してきたのだ。加えてこれはただの打撃ではない。

(魔力による身体強化フィジカルブースト……)

 空気が振動し、割れる様な音。細身の少女からは考えられない、人間をはるかに超えた威力と敏捷性。今の一撃だけでも実際、大型トラックに撥ねられたのと大差ないだろう。

 だが、

「くっ!」

 青子は体内時間を一部停滞させ、痛みを遅延させる。脳に届くはずの痛みの信号を分割して送れば、幾分はマシになる。無論、単なる気休めにすぎないが。

 隙など与えない。青子は自ら近寄ってきたアリサの上着を掴んだ。


 そこで、今度こそ青子の思考は一瞬停止した。


「……はっ!?」

 青子の手に残っているのはアリサの上着だけ。そして目の前には、刻獣に相手をさせていたはずのユウトがいた。


・2・


「うおおおおおおおおおお!!」

 秋斗の魔法がアリサと自分の位置を入れ替えた。それはすぐに理解できた。

 目の前に青子を視認したユウトは渾身の拳を放つ。距離はほんの数十センチ。刻獣との死闘で鎧状態はすでに解除されているが、これだけ近ければ逃がさない。

「ふんッ!!」

 しかし、青子はユウトの拳に頭突きで応戦してきた。

「なっ!?」

「……いっ……ユウトお前……あとでお仕置きは覚悟してるんだろうな? あ゛?」

 本気で痛かったようで、青子は少し涙目だ。

 対するユウトは苦虫を潰したような顔だった。数少ない絶好の好機で決めきれなかったからだ。

 青子はユウトの胸倉を掴み、地面に叩きつけマウントをとる。距離が近い利点は彼女にもあるのだ。むしろ体捌きでは完全に青子に軍配が上がる。

「くっ……」

 いつもの幼女体型ではない大人版の彼女に跨られては、さすがのユウトもまともに動くことはできなかった。

「お前の様子からして、これは作戦のうちか。話し合いをする時間は与えていないはずなんだがな。まさか、アイコンタクトだけでなんとかしたとでも言うつもりか?」

 青子は呆れたようにため息を吐いた。

「俺は……ただ信じてただけだ。あいつは、いつも俺を戦いから遠ざけようとするけど、一度味方になったら……誰よりも頼りになるやつだから」

 だから遠慮せずに思いっきり戦える。

「ふん。だがいいのか? いくら桐島が付いているとはいえ、あいつは自分の魔法を御しきれていない。私の刻獣アレは単純な危険度だけなら私よりはるかに上だぞ? 見ろ」

 ユウトを押さえつけたまま、青子はアリサたちの方に視線をやった。釣られてユウトも同じ方向を向く。

 三十メートルほど離れたその場所では、アリサと秋斗が刻獣と衝突している。刻獣の圧倒的なスピードを秋斗の魔法でカバーしつつ、アリサが一撃で仕留める算段なのだろうが、肝心のその決定打が届かないようだ。

 秋斗の魔法が点で動く速さならば、刻獣は線。転移に一~二秒のインターバルが必要である以上、秋斗はどうしても後手に回らざるおえない。

 このまま続けば秋斗の魔力が底を尽き、形勢は一気に不利になる。


「私がこうしてお前を抑えてる以上、あいつらの運命は決まっている。無論、お前には何もさせん」

 特に左腕は長い足で踏まれ、念入りに押さえつけられている。ユウトにメモリーを使わせないつもりなのだろう。

 だが、ユウトはそれでも笑ってみせた。


「……だから、言ってるだろ。あいつは、誰よりも頼りになるやつだって!」


 その時、ユウトの理想写しが光を放つ。

「……何だと?」

 籠手は地面に落ちたアリサの上着に反応していた。

 青子は知らないのだ。

 理想写しの籠手はただの器にすぎず、その形は決して定まっていないということを。

 そしてメモリーは何も人からしか作れないわけではない。その人物の魔力を色濃く受けた物からでも生成は可能なのだ。ユウトは以前、エクスピアで夜白と対峙したときにそれを証明している。

 きっとアリサはこうなることを見越して、わざわざ上着を置いていったに違いない。

 注意が逸れ、一瞬緩んだ青子の拘束をユウトは強引に振りほどいた。同時に少女の上着から生まれた黒いメモリーが、理想写しと一つになる。


(大弓だと間合いが狭すぎる……ここはもっと小さくて小回りが利くのがいい)


 過去に見たもの。得た経験。その中から最適な一つを選び、頭の中で明確にそれ形にしていく。そして、


『Eclipse』


 ユウトは拳銃の形に収まった理想写しを青子に向けた。

 いつもアリサが使っていた拳銃から構築イメージしたものだ。アリサのメモリーの性質上、攻撃力こそないものの、当たれば相手の魔力を根こそぎ奪うことができるはずだ。

 銃を使った経験のないユウトだが、この距離ならまず外さないだろう。一発当てさえすればそれでいい。

「くらえッ!」

「……くっ」

 乾いた発砲音が鳴り響いた。


・3・


 魔弾が青子の体を貫通した。

「や……った、のか?」

 青子はユウトの上を動かない。だが死んではいないはずだ。元々このメモリーでは人を殺すことはできない。

「あお――」

 ユウトが彼女に触れようとしたその瞬間、青子の体が蜃気楼のように薄れて消えた。

「ッ!!」

 そしてユウトは消えた彼女とは別に、いつの間にか自分を立って見下ろしている青子がいることに気が付いた。

「はっ!!」

「あぶっ……」

 青子は床を踏み抜くような勢いでユウトの腹部を狙うが、ユウトは横に転がることで何とかそれを回避する。


「はぁ……はぁ……」

 霞む目で少しだけ向こう側に意識を割く。秋斗はもう限界のようだ。彼は伊紗那から切り離されたことで、ただでさえその体はいつまで実体化できるかわからない状態だ。このままだと青子の予想通りの未来がやってくる。

「……ッ」

 呼吸が苦しい。刻獣の相手ですでに体力を使いすぎた。疲れを自覚した瞬間、ユウトは一気に体が重く感じた。

 対して青子は余裕の表情を全く崩していない。

「遠見と同じ手で決めようとしたのが間違いだったな。お前の銃など私には当たらん」

「……あんた、残像も作り出せんのかよ」

「ただの応用だ。お前の力は確かに多彩だが、その分一つ一つは浅い」

 青子はユウトの周りをゆっくりと歩き始める。彼女が一歩進むたびに、残像の青子が一人生まれた。

「手の内を知っていれば、その対処は容易だ。今使えるのは遠見のその力だけか? それではいくらやっても私には届かないぞ?」

「くっ……」

 確かに彼女の言う通りだ。アリサの魔法は完全に青子に対処法を確立されている。今のでそれは身に染みた。

 それにさっきは上手く意表を突けたが、基部鋭化カーディナル・エッジも見られた。もう新たにメモリーを作る余裕も与えてくれないだろう。正真正銘、あの奇襲が最後のチャンスだった。

 何より、こうもポンポン分身されては本体にいつまで経っても辿り着けない。

(ちくしょう……ここまで来てまだ青子さんの裏をかけってのか。そろそろネタ切れ――)

 そこでユウトは止まった。

(……待てよ)

 一つだけ、彼女の言葉が引っかかった。

(今、青子さん……何て言った?)


 手の内を知っていれば。


 彼女は確かにそう言った。おそらくこの場にいる人間すべての能力メモリーを、一度は見聞きして把握しているのだろう。

 そして気になる点はもう一つある。


(何でこんなに離れてて刻獣は消えない?)


 理想写しはユウトから一定以上離れれば、数十秒で自然に消滅する。魔力の供給が途絶えるからだ。

 なら、彼女と刻獣の間にも何かがあるはずだ。例えばそう、お互いに魔力を共有できるような手綱パスとか。


(青子さんが倒れれば、刻獣は消える)


 だがここまで戦って、青子と刻獣は相反する力を持ちながら、その実対等な関係であるように思えた。


(考えろ)


 彼女は言っていた。刻獣はあまり従順ではないと。だから青子はユウトたちを分断させるような戦法を用いるのではないか? お互い、邪魔されないために。


(なら……逆も……)


 何か影響を期待できるかもしれない。


・4・


「そろそろ遊びは終わりだ。ま、ここまでよくやったと褒めてやるよ」

 青子はユウトに言った。

 ユウトは静かに立ち上がり、そして叫んだ。

「アリサ!!」

 声がどんより曇った空に響く。

 遠くで刻獣に追い詰められている少女は振り向かない。しかし、わずかに反応を示したのを青子は見逃さなかった。

「トドメは任せるぞ」

「当然です!」

 彼の意図を理解したのか、アリサは不敵な笑みで答えた。


 ユウトは深呼吸して、ポケットから二つのメモリーを取り出した。

 青子はそれを見て苦笑する。

「この期に及んでまだメモリーを使うつもりか? 言ったはずだぞ。お前の魔法は対処が容易だと」

 あの二つがこの場の誰のものであっても、対処はできる。


「確かにそうかもな。使?」


「ッ!!」

 青子の顔が凍り付いた。

(今、こいつは何て言った? 使ったことがない……だと? 一体どこからそんなものを……)

 その二つがシンジから奪ったものだと、青子は知らない。

「覚悟しろよ先生。何せ俺にも何が起こるかわからねえからな!!」

 ユウトは二つの未知のメモリーを同時に籠手に差し込んだ。


『Ivy』『Reflect』


 ユウトの足元から同時に数十本の茨の鎖が、ありとあらゆる方向に撃ち出された。

「ちっ……見たところ、拘束系の魔法かッ! だが軌道さえ見えていればこんなもの――なッ!?」

 次の瞬間、青子の動きが止まった。幻影ぶんしんはおろか、遠く離れた刻獣もだ。

「……何故、だ?」

 すでに体に茨の鎖が巻き付いている。青子は驚愕に目をすがめた。自分はともかく、まさか刻獣まで捉えられるとは夢にも思わなかった。

 ふと、青子は至る所で何かが光っているのに気付く。

「水……、いや氷か!」

 光の正体は魔法を反射する氷の鏡。四方八方に高速で撃ち出された茨の鎖は、その一つ一つが反射を繰り返し、不規則に絡まって、青子の予想を遥かに超えたのだ。

 気付けば茨の鎖が、校庭を覆いつくすほどの蜘蛛の巣を張っていた。


「アリサ! 今だ!」

「はい!」

 動けなくなった刻獣の頭にアリサは、大剣に変形したパンドラを突き立てた。

「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!」

 悲痛な叫びを上げる刻獣。

「はああああああああああああああああああああッ!!」

 彼女はさらに、消失の黒い魔力を目いっぱい刻獣に流し込む。それは積もりに積もった執念の塊である刻獣の体を確実に崩壊させ、パスを通って青子にまで到達した。

「そうか……これがお前たちの覚悟か……」

 氷鏡に反射する光に目を細めながら、青子は不敵に微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る