第46話 望むは静謐、されど世界は相容れず -Against Me-
・1・
――暗い。
――寒い。
「……」
祝伊紗那は誰もいなくなった王の間で、一人膝を抱えて座り込んでいた。
分厚い岩を切り崩して作った玉座。その上で、汚れを知らないかのような神秘さめいたものを見せる彼女という存在は、ただひたすら歪で、美しく際立っていた。
周囲から無数の視線を感じる。穴や岩陰から、数えるのも嫌になるほど多くの魔獣の瞳が、彼女ただ一人を凝視していた。
その理由は実に明白だ。魔獣たちは、伊紗那から漏れ出す規格外の魔力に引き寄せられているのだ。
(……私を、食べたいの?)
ふと、伊紗那は自嘲気味に笑みを浮かべる。
もし、ここにいる一体でもこの身を喰らおうとここへ来るのならば、自分は抵抗しないかもしれない。
何でもいい。この胸に空いてしまった穴を閉じてくれるなら。むしろ全部喰らってくれたなら、そもそも穴なんてものはなくなるかもしれない。
「……それも……」
いいかもしれない。
伊紗那の口角が少しだけ吊り上がる。全身を何か得体のしれないものがざわついた。恐れと興奮が入り混じったその感覚は、とにかく気味が悪い。
だがそんな彼女の自虐的な願いは、幸か不幸か叶うことはない。
魔獣たちは虎視するばかりで、一匹たりとも彼女に近寄ろうとしないからだ。
恐れている。獣の本能が。
彼女に対して、恐怖が本能を上回ってしまっている。
彼らにとって祝伊紗那とは最高級の餌でありながら、化け物以上に化け物なのだ。
ふと頭によぎった救済の可能性が即座に否定され、伊紗那は悲しくなる。
でも悲しいのに、涙は一滴も出ない。
命があることを、喜ぶこともできない。
命を弄んだ側の人間にそんな資格はない。
心が腐り落ちる。
自分がどんどん醜い何かになっていくその事実が、彼女を後戻りできない深淵へと
それが嫌で、また必死にありもしない可能性を模索する。
もうずっとこんな事ばかりを繰り返していた。
後戻りはできない。この世界での幸せは諦めた。
必要なのは
そのためにはきっとまた、最愛のあの人の命を奪わなくてはならない。
そんなことしたくない。
けれどしなければこの苦しみは際限なく続く。
それも嫌だ。
ではどうすればいいのか?
わからない――
わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない。
創造主として、何でもできるのに何にもできない。
永遠に等しい命は、永遠の苦しみと同義。
(こんなの……望んでない……私は、ただ……)
居場所が欲しかっただけなのに。
一度、目の前で絶命したあの人が生きていたこと。今はもう喜べなくなっていた。
自分の中で確実に何かが壊れている。その音が耳から離れない。
「誰か……」
折り曲げた膝に顔を埋めて、伊紗那は外界の情報を全てシャットアウトする。
何も見たくない。
何も聞きたくない。
答えなんてどこにもない。
「誰か、私を――」
彼女はただ、明確な
再び
・2・
「いやはや危ないところだった。ここで死ぬのは実にもったいない」
ジャタは壁に手を付きながら、ゆっくりと通路を歩いていた。
「だがここに奴らが来たのは都合がいい。計画を前倒しするか……あとはあれに耐えうる器を用意すれば――」
「その話、僕も混ぜてよ」
「ッ!?」
ジャタの背後から、流れるように滑らかな少年の声が聞こえた。
「……誰だ?」
「神凪青銅……ここであなたの痕跡を見つけたときは驚いたよ。まさか生きてたなんて。みんなが知ったら、さぞ無念だろうね。ククク」
光が暗闇を払い、彼の顔を映し出す。
切れ長の目に整った顔立ち。髪は丁寧に整えられ、一見紳士的に見えるが、全身から滲み出る刺し殺すような気配はまったく隠そうとしない。明確な悪であるのにその自覚がない。子供のように純粋な悪意の塊。暗闇から姿を現したその人物は、ジャタが過去に出会った中でも屈指の狂人。
「シンジ」
シンジは両手を合わせて嬉しそうな顔を見せた。
「Exactly! 覚えていてくれて嬉しいよ、博士。感動の再会だね」
「失せろ。今の私は貴様のような狂犬と遊ぶ時間はない」
見え透いた嘘の言葉を躱し、ジャタはその場を去ろうとした。
「酷いなぁ。僕はただ、あなたが作ろうとしているワーロックに興味があるだけだよ」
「ッ!?」
シンジのその言葉で、ジャタの動きが止まった。
「貴様……私の研究室に入ったな?」
「正直内容はさっぱりだったけどね。まぁでも考えてみれば、前の時だってワーロックの育成は最終目標の一つだったんだ。生粋の研究者であるあなたなら、研究を続けているであろうことは簡単に想像できる」
シンジはまるで推理でもするように、ゆっくり歩を進めながら一つ一つ説明していく。
「だけど祝伊紗那がワーロック化したことは全くの偶然なんじゃない? あなたは関与していない。少なくともあなたが退場したあの時点では、彼女はただの魔法使いだったはずだ」
「あれにはもはやその価値はない。せいぜい爆弾として、盛大に周りを巻き込んでもらわなくてはな」
「ダメだね。それじゃあ面白くない」
ジャタの言葉をシンジが否定した。
「……何だと?」
「自滅を待つなんて勿体ない! あんな極上の相手、殺す以外に選択肢ないでしょ?」
シンジは両手を広げ、恍惚とした表情でそう言った。
「馬鹿か貴様は? 貴様如きが壊れかけとはいえ、ワーロックに勝てると本気で思っているのか?」
シンジはその言葉を待っていたとでもいうような不敵な笑みを浮かべる。
「勝てるさ。僕が完全なワーロックになればいい。知ってるんでしょ? その為の方法をさ」
ジャタはしばらく唖然として、そして気付いたら狂ったように笑っていた。
「ククク……ハハハハハハハ!! なるほどそう来たか。ふむ……」
ジャタは顎に手を当てて思案する。
(あっちで魔法使いであった以上、こいつも調整を受けた被検体のはずだ。器としての適正は他より高い……か)
「だがいいのか? 神の領域に踏み入る所業だ。死は当然の結果だと思った方が良い。よくて理性を失い魔獣化だ」
確かにジャタはワーロックに至るための方法を知っている。長年の研究の末、ようやくたどり着いた一つの結論。
だがそれでも危険な賭けだ。いや、実際賭けにすらならないだろう。
せいぜい百億分の一が、一億分の一になる程度の方法だ。
「もちろん。死ぬか生きるか。確率は二分の一ってだけでしょ? どっちにせよ、これほどワクワクすることはそうそうない。だからさ、僕を使ってよ」
一切迷いなく、シンジは笑顔でそう答えた。
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